218 現状は変えられぬまま
現状は変わらぬまま、4の日になっていた。
俺はこの前と同じように、明日のお話合いの時間に「敬語と敬称はなしにしてくれ。そんで普通にクラスメイトとして接してくれ。」と言うつもりだった。
しかし朝食の時間に、ある一報が届いた。
「……明日、身体検査?」
『さようでございます。当初、お取り決めになられた、あの……』
「っ……」
宮廷には文部、軍部、技術部が存在している。
しかし今回俺に一報を伝え、身体検査等を行っている部門は『神官部』という。特別な事態にのみ現れる、特別な部署だ。限定的な活動なので、帝都共通教会の神官がこの役割を担っている。
つまり、俺の『身体検査』は帝都共通教会で行われている。
「……アグニ?どうした?酷い顔してるぞ??」
「……え???」
アルベルトとシャルルと共に朝食をとっていた時だった。
アルベルトに指摘されて俺は鏡を見て、驚いた。自分の顔が酷く歪んでいたのだ。
「なっ!なんだこの顔!!!!?」
「うわぁ!おい、大声出すなよ!!」
『アグニ……芸素の揺れもひどいぞ…俺でもわかるくらいだ。』
シャルルが渋い顔をして俺のことを見ていた。どうやら俺の芸素が大きく乱れているせいで気持ち悪くなったみたいだ。
「えぇ〜?ごめん、なんか……なんでだろなぁ……」
自分の顔も芸素もこんなに乱れる理由がわからなかった。
「なんだ?その身体検査ってのはそんなに嫌なものなのか?」
『ほんとだよ。一体何をされるんだ?』
2人の質問に首を傾げながら、俺は再度席についた。
「いや、いつも寝てる間に終わるから何も覚えてないんだよね。」
「『 え?? 」』
2人が驚いた顔をして俺のことを見ていた。
『寝てるって…どういうことだ?』
「そのままの意味だよ。髪の毛何本か抜いたり、血も取って検査するらしい。あと寝てる時に俺の様子を見て芸素の判定をしたりしてんだってさ。」
「寝てて…起きないのか?」
アルベルトの質問に、シャルルも激しく頷いている。
「なんか注射するんだよ。身体から力が抜けて、しばらくの間、気絶したようになるんだ。」
『………医療で使用する、「全感覚喪失注射」のことかな?』
シャルルの言葉に聞き覚えがあった。
「ああ~たぶんそれだ。最初にそれを打つって説明されたんだ。」
「『 へぇ~!! 』」
治癒の芸でも治せないような大怪我をした場合にこの注射を打つことがあるらしいが、二人はまだこれを打ったことはないらしい。大きな怪我をしたことがないって意味なので、それは良いことだ。
「実は寝てる間に色々なことされてるかもな!」
『その可能性ありそうだな!お~こっわ!』
「おおい脅かすなよ~!」
「『 あははははは!!!』」
5の日は朝から帝都共通教会の神官が来ていた。俺がお話合いの時間になったらすぐに移動できるように、との配慮なのだろう。
この身体検査をクリアしないと俺は正式な天使の血筋としては認められないのだ。だから耐えるしかない。
ん?耐える?
……別に耐えるも何も、
そんなキツイ事してないんだけどな…?
『あ~あ、羨ましいですね~。なぁんにもしていないのに、伯爵位が認められるなんて。』
教室で、コルネリウスが大きな声を出した。その言葉でクラスメイトは全員コルネリウスの方を向いた。
今のは……俺に向けて、だよな?
なんだか、少し棘のある言い方だった気がする。なんでそんなことを言うのだろう?
「君だって父君の爵位を継げば何もしなくても伯爵位だろう?」
カールがコルネリウスにそう言った。その台詞を聞いて、コルネリウスはゆっくりとカールの方を向きニコっと微笑んだ。
『継げば、だろう?僕には優秀な兄が2人もいるのだから、それは無理なことだってくらい、君もわかっているよね?』
「っ………。」
コルネリウスの芸素は、なんだら少し荒れていた。
『その点、やっぱ何もせず爵位も名誉も手に入るなんて、ずるいよな~』
コルネリウスの方を見ていたクラスメイトが、ゆっくりと俺の方を向いた。まるで俺の顔色を伺っているみたいだ。けれども全員、俺と目が合わないように目線を下げている。
俺は今の会話を聞きながら、一つのことを思っていた。
「………爵位を持って、何がしたいか。」
『・・・・・・はい?』
「あ、いや、なんでもないけど、あ、そのぉ……」
俺の呟きがコルネリウスに聞こえてしまったようだ。久しぶりに目が合い、俺はしどろもどろになってしまった。
「あ、いや、俺は爵位が欲しいってだけじゃ……ないなって。天使の血筋として認められたいってのが先にあって、その結果、爵位が付いてきたって感じだからさ。」
『・・・はは。』
コルネリウスから乾いた笑いが聞こえた。そしてその目は、俺を好く人のものではなかった。
『どんなに頑張っても、あなたのような人より下の爵位しか持てないなんてね……。』
コルネリウスはそう言って教室から出ていってしまった。5,6名のクラスメイトがコルネリウスの後を追って、ばたばたと教室から去っていった。
他のクラスメイトは俺の方を黙ってみていたが、その目と芸素から……俺を非難していることが伝わった。
……やばい。
まずったかもしれん……
余計なこと言ったかも……
『随分と、』
凛とした声がこの空気を切り裂いた。
『この教室では「身分制度」というものが失われたようですね。』
一番後ろの席に座っていたシルヴィアが席を立ちあがりこちらに向かってきた。
『学院とは本来そうあるべき場ですので、素晴らしい「光景」だと思います。ここは、「社会」とは別物ですから。』
シルヴィアはクラスメイトを順番に見ながら話していた。クラスメイトは急いで顔を下に向け、それぞれが小さく礼をしていった。
この発言の意味、俺でもわかる。シルヴィアは『俺への態度を改めろ』って言っている。今のコルネリウスの態度は『天使の血筋』への態度ではないぞと、警告しているのだ。
シルヴィアがこんなことをするのは初めてだった。
『シュネイ、』
「あ、はい!」
もう一つの名前を不意に呼ばれたせいで、思わず敬語で返してしまった。俺の様子にシルヴィアはクスっと笑いつつ、全員に聞こえるように言った。
『爵位を持って、何がしたいか・・・私は、その考えがとても大切だと思います。』
シルヴィアは姿勢がいい。
その綺麗な姿勢と綺麗な瞳で告げたまっすぐな言葉には、美しさが宿る。
『この世界は、皇帝陛下を頂点とした身分社会。自国を持っている王族は、その場所に派遣され管理を任された一族というだけのこと。それは此度の旧カペー・旧ブガランとの戦争でも実感したことでしょう。王族でさえ、いくらでも変わりはいるのです。』
シルヴィアは力強く断言した。
その言葉は、多くの者に衝撃を与えただろう。
『つまり、この世に普遍的に存在する明らかな「身分差」は、皇帝陛下ー天使の血筋ーそして芸有り・芸無しのみ。』
「っ……!」
少し、違和感があった。
シルヴィアの口からはっきりと「天使の血筋とそれ以外の人とでは身分差がある」と告げたからだ。以前のシルヴィアはその差を埋めたいと思う人だったから、決してそんなことを口に出さなかった。
なんでだろう。
一体何が、シルヴィアをここまで変えたのだろう。
・・・・・・
― 飴なんて贅沢品、私はもう持っておりません。―
『っっうっ……はあ!はあ!はあ!』
コンコンコン・・・
「シルヴィアさま、シルヴィアさま、どうされましたか?!」
シルヴィアの従者ランは、ノックをし終わると同時に寝室へ入った。通常はそのようなことはしない。シルヴィアの許可をきちんと取ってから部屋へと入るが、今回のシルヴィアの呼吸と芸素の様子は、ランが「緊急事態」と判断するほどのものだった。
『はぁ、はぁ、はぁ……大丈夫よ、少し、夢を見ただけ。』
ランはシルヴィアの額に浮かぶ汗を拭きながら、首を横に振った。
「いいえ、もう何日も何日も同じ症状が続いております。もう我慢できません。陛下にご報告・・・」
『だめ!!!』
シルヴィアは呼吸を整え、再びベッドに横になった。
『陛下のお耳に入れることではありません。もし陛下が知れば、次期国王としての資質が疑われます。まさか、私を失墜させたいわけではないでしょう?』
「っ…シルヴィアさま!それはあんまりです!!そんなことあるわけないでしょう!?」
『ならば黙っていなさい。公女として、命じます。』
「シルヴィアさま…!!!!!」
シルヴィアがここまで頑ななのは珍しいことで、長年一緒にいてシルヴィアの身の回りのお世話をしてきたランでさえ、どうすればよいかわからなかった。
シルヴィアは、何度も夢を見る。
死者の最期の言葉を何度も反芻し、何度も吐き気を催す。
それは、ここ数週間で日常化していた。
不幸なことに、死者は現実に蘇らない。蘇らないが、彼女の夢の中でのみ蘇るのだ。
蘇り、生者は咀嚼する。そして反芻し、結局もどす。
そしてまた、死者は生き返るのだ。
また咀嚼し、反芻し、もどし、生き返る。
死者は、こうして生者と対話する。
・・・・・・
俺は帝都共通教会で身体検査を受けた後、そのまま公爵邸に帰った。
家に帰って公爵とシリウスとシーラをご飯を食べていた。
「アグニ、あなた明日は何をするの?」
シーラは公爵邸のシェフが作った牛の頬肉ステーキを綺麗に切りながら俺にそう聞いた。
「んー午前中は久しぶりにフェレストさんのとこ行って鍛冶しようかなって。そんで昼は森の家でご飯食って帰ってくるわ。夕方さ、もしよければだけど芸の練習付き合ってくれない?」
「あらいいわよ。そしたら私は昼過ぎに起きるわね。」
「……そんなに寝るのかよ」
『いいねぇ~久しぶりじゃない?2人が芸の練習するのなんて。』
シリウスがフォークで俺とシーラを交互に指しながらそう言った。公爵は黙って食べ続けている。
「たしかにそうだな。解名の「宵の夢」を教えてもらいたくて。」
宵の夢・・・それは相手に幻惑を見せるもの。以前、コルネリウスとシーラが戦った時に見た。
『それなら僕でもいいじゃん。』
「いやまぁ、シリウスでもいいんだけど……シリウスよりシーラの方が教え方が上手いんだよ。」
『え!? そんなわけないよね!??』
「あるんだよ!なんでそんな自信たっぷりなんだよ逆に!」
シリウスは口を開いたまま呆然としている。こいつ……どこまで幸せなんだよ。
『シュネイ、シーラから教えてもらうといい。』
公爵は手を止めず、静かに一言だけそう告げた。その言葉を聞き終わるや否や、シリウスはテーブルにおいてある全員のグラスを瞬間的に凍らせた。グラスを持っていた俺とシーラは手ごと凍らされた。
「いてぇ!冷てぇ!!何すんだよシリウス!!!」
『へ、へへ~ん!僕はこんなことだってできるのに…僕の方がシーラよりいっぱい芸も解名もできるのに!!』
バキン!!!!!!!
「あっはっはっは!!!」
シーラが凍っていた手を無理やり開き、手とグラスの氷が弾き飛んだ。シーラの手の力もそうだが、この場面での高笑いに俺もシリウスも公爵も驚いて目を見開く。
ベキ!!パキィィン!!
「いつまでも下らないこと言ってんじゃないわよ。」
し、身体強化だ!うん、身体強化だよね…?
今、グラスが粉々に砕けてるのは……ただの握力じゃない…よね???
『う、うわーーーーーん!!!!』
幼児が親に怒られて逃げ出すみたいに、シリウスは走ってダイニングから逃げていった。しかもきっちり食べ終わってやがる。
「な、なんなんだあいつ……!!」
この空気を作っておいて、逃走だと!?
あいつまじで何歳児だよ!!!!
『新しいグラスを。』
公爵は侍女に新しいグラスを持ってくるよう告げた。もう何事もなかったかのようにふるまい始めている。
「あーーーーーーその……シーラさま、」
俺もなんとか普通に振舞おうと努めた。
「明日は……どうぞよろしくお願いいたします。」
「ええ、もちろん!」
シーラの笑顔は、若干怖かった。
全感覚喪失注射は、端的に行ってしまうと全身麻酔っすね。
けどファンタジーなので「麻酔」の名前を変えました~。




