205 背負い方
風邪をひきやすくなりました。
これは……花粉のせい?いや季節の変わり目のせい?もしくは単純に衰弱している…?
帝国にある全教会の頂点。教皇にして一国の王、それがシュエリー大公。
そのシュエリー大公の意見が及ばない教会が2つある。
一つは帝国共通教会。
そしてもう一つが『天見の教会』。
天見の教会は大公ですら自由に入ることが許されない。
ではいつ、自由に入れるようになるのか。
シュエリー大公は退位すると『天見の司祭』となる。そして司祭となると、前シュエリー大公は天見の教会から出ることを禁じられる。シュエリー大公は司祭になることで天見の教会に自由に入れるようにはなるが、生涯その教会から出ることができなくなるのだ。
しかし他の聖職者らは一生その教会から出ることもできない上に舌を切られる。そう考えると『司祭』はまだましだろう。
それほどまでに厳密に管理され、守られている秘密・・・それが講堂天井にあるステンドグラスだった。
天空王本人の芸素によって描かれた巨大なステンドグラス、どんな芸…はたまた解名かはこの世の誰も知らないが、その絵は見る者によって変わる。
芸素の強力さ、芸素量、血の純度の高さ等……様々な要因で見る者により姿を変えるそれは、天使の血筋の濃さ…つまり「質」を計るために帝国設立当初から用いられてきた。
その見え方の例や正解を知っているのが、「天見の翁」と「天見の聖者」なのである。
例えば、
山々とそこから流れる小川、青天の景色・・・これらが見える者は芸素の質が悪い。
雪が山頂にかかっており、小川に煌めきが加われば・・・先ほどよりは質がいい。
先ほど山が描かれていた部分に天空界の建物のようなものが映し出され、川の部分が池に見えると・・・質はいい。
そこに木々や蔦、池に浮かぶ花々まで見えれば・・・質はとても良い。
そして建物の間に天空人の姿が映し出されれば・・・質は極めて良い。
天空人の着ている衣服の色によって、これより先の質の高さも計ることができる。
天空人の衣服が美しい黄緑色をしており、風の動きが見えたり、金の芸素が舞っているように見えると・・・群を抜いて質が高い。
そして「最高位の質」を持つ者は・・・この天空人が動いて見えるという。
「この天井の絵、さっきからずっと動いてんじゃん。」
「『「『「 …………………。 」』」』」
誰も反応を示さない。舌を切られておるからだ。
しかし聖者の目には驚きと期待の表情がしっかりを現れていた。この儂も…驚きのあまり、声を発せずにおる。
アグニ……シュネイと言ったか。
・・・何者だ?
このステンドグラスに写る天空人が動いていると答えたのは……初代天使の血筋しかいなかった。つまり今から二千年以上も前に記録された天空人の実の子ども以来、誰もこう答えた者はいなかったのだ。
10年前に『天使の血筋』に仲間入りを果たすとすぐに社交界の華として君臨した、シーラという名の者……彼女は風や木々の揺れ、芸素が舞い動く様を見ることができた。
この時代で彼女と同じ答えを出せた者はいなかった。
この世で、彼女が最も質の高い芸素を持つ者だった。
しかし、この目の前の少年は……
「これどうやって描けばいいんだよ……ただでさえ絵なんて描いたことねぇのに初っ端から難易度高すぎだろ………あの人ちょっと止まってくれないかなぁ。」
アグニという少年は頭を掻きながら上を向き、睨んでいた。きっとステンドグラスに写る天空人を見ているのじゃろう。
儂の目には静止した天空人しか写らぬ。あの美しい笑みを浮かべる天空人は、どのように動いているのだろう。
この時代に生きている少年が、なぜ数十世代も前の天使の血筋と同程度の質を持っておるのか。
もしや……この者は天空王の血を直接引いておるのか?
いや、そんなわけがない。
なぜなら天空王の血を引くのは皇帝陛下お一人であられるからだ。それにこの者の祖先はシュネイという名だ。
ははっ……おかしいのぉ
ほんとうに、おかしいわい。
「なぁ翁、なんか適当にシュッシュって線書いて、動いてる感出してる絵でもいいっすか?」
数多くの天使の血筋を見てきて、髪色が必ずしも芸素の質と一致するわけではないということはすでにわかっていた。ゆえに黒髪の天使の血筋が存在していたことも、もちろん驚きはしたが有り得なくはないと思っとった。
しかしまさか……黒髪の少年がこの世の誰よりも尊い血であったとは。
『この世は実に・・・』
少年は金色の瞳で不思議そうにこちらを見ていた。
『 面白いのぉ。 』
・・・・・・
コツコツコツ・・・
ギイィィィィ………
『やあ、2人とも久しぶりだな。』
「………ほぉ、『久しぶり』とな?」
『はぁ…この前もお前が引っ張り出してきた問題のせいで俺らは集まったんだぞ。』
「ほんにその通りやわぁ。それを……『久しぶり』の言葉だけで済まそうと?」
『ははっ、そんなこと言わないでくれ。私達は同じ重荷を背負う、帝都にたった3人しか存在しない公爵位ではないか。』
三公会議。
それは公爵位にはふさわしくないほど小さく薄暗い会議室で行われる。場所も時間も不明。最高官と帝都貴族公爵位のこの3人しか部屋の場所は知らない。
一切の会話も、芸素も、光も通さない小さな部屋。しかしこんな部屋で過ごすのも、公爵位にとってはまた一興なのである。
自分と同列に並び、自分に敬語を使わず、自分を「王」と見ない存在が少なくともこの世に2人はいる。それは薄暗い世界で感じる安堵に似ていた。ゆえに彼ら彼女らは、この場を居心地の良いものとして捉えていた。
『んで?シーラに続いて今回の子どもはなんだ?黒髪なんだって?』
名:シャカ。金色の髪に芥子色の瞳、褐色の肌を持つ中年の男性。へそが見えそうなほど前が開かれた服装は一見するとだらしがないようにも見えるが、よく鍛えられているその肌に不清潔さは一切感じず、大人の色気を醸し出している。服の下には芸石のネックレスをいくつも付けており、その一つ一つが伯爵家ごときでは買えないほどの高級品である。
「今回のはどこで拾って来たんどすか?」
名:ポリネ・アティニウス。色白の肌に細長の瞳。髪の毛はフォード公国の民族衣装のように全てを隠している。口元にも薄い布をあて、わずかに口元が透けて見えるようになっている。司祭の衣服のように肌を覆い、身体のシルエットが見えることもない。限られた外見の情報の中で、ひと際目立つのがその瞳だ。青と黄緑のまだら模様は神秘的で美しく、目が合った者全てを惹きつけ、圧倒させる魅力を持っていた。
『スリーター公国からだ。』
『へぇ、あんな辺境にいたのか。』
「血筋は証明できたんやろ?」
『ああ。シュエリー大公、そして前シュエリー大公からすでに連絡がきている。』
シャルトはそう言ってシュエリー大公と前シュエリー大公の署名が入った直筆の手紙を2人に見せた。シャカとポリネはその手紙を見るだけで手に取らなかった。
「ふぅん……1人死んどんのや。」
『ああ、取捨の膜が正常に機能することを示すために死刑囚を使ったそうだ。』
『サンプルは1つだけか?せめて時間や芸素量別に30人くらいは使うべきだろ。』
「せやなぁ。なんともまぁぬるいわぁ。」
2人の言葉にシャルトは笑顔を作った。
『本気で検討するのなら100人は使わないといけないが、シーラの時は使わなかったからな。デモンストレーションとして1人使用したのだろう。』
「ふぅん。まぁ、ええんやないの。」
『ああ。俺も構わんぞ。』
2人の反応に、シャルトは片方の眉を持ち上げた。
『………随分とあっさり認めるな。特にシャカ、私達の血筋がまた1人増えるのだぞ?』
『めでたいことじゃねぇか。』
『いいのかい?』
シャカは挑戦的な視線をシャルトに送った。
『その黒髪の少年、お前が囲ってる天使の血筋が連れてきたんだろ?』
シャカはシリウスのことを知っていた。しかしシャルトはシリウスのことをシャカに話したことはなかった。
『………なんのことかな。』
シャルトはそう言って笑顔を見せた。言葉とは裏腹に、シャルトはシャカの意見に肯定したのだ。
『ところで、娘さんは元気か?』
シャカの次なる質問にもシャルトは一切表情を崩すことはなかった。名門中の名門、シャカ公爵家。彼に隠し事は通用しないとシャルトはわかっていた。
「元気どすえ。」
『………ほぉ?どうしてお前がシャルトの娘の所在を知ってる?』
アティニウス公爵家。この公爵家は帝国各国の貴族とパイプを持っている。その数はシャルトやシャカよりも多い。貴族界隈の情報収集で、アティニウス公爵家の右に出る者はいない。
シャカの質問にポリネはその美しい瞳をわずかに細め、口元に手を当てて答えた。
「かんにんえ。なんやうちのこと、見えてへんみたいやったから。」
『………そういえばお前んとこの息子、今は身分隠して帝都軍にいるんだろ?』
「いややわぁ。知っとったん?」
『2人とも、腹の探り合いはもういいだろう?本題に戻るぞ。』
シャルトはそう言って一枚の紙を2人の目の前に置いた。
『ああ、えっと……その黒髪の少年を天使の血筋として認めるってことだろ?シャカ公爵家、異議なし。』
「うちんとこも、異議なし。」
『シャルト公爵家も異議はない。』
3人は自身の芸素を織り交ぜながら一枚の紙に署名をした。書かれた3人の名前が真っ赤に光り始めた。
「その子、なんて名前やったっけ?」
『アグニだ。そしてこれからは…』
3人の署名が灼熱の色を帯び、紙全部が燃え消えた。その様子をシャルトはじっと見ていた。
『 シュネイだ。 』
・・・・・・
『おい小僧~』
「なにおじいちゃん?」
『認められたぞい。』
「………え???」
俺は今、天見の教会にいた。講堂の中で天見の聖者たちとカードゲームをしていたのだ。
カードゲームというものを初めてしたが、言葉はいらないし、長くできるし、何よりも楽しくて面白い。
俺は自分の沙汰が下るまでシュエリー公国に留まるよう言われていたので、こうして一週間ほど食っては寝て、遊んで、聖者たちと一緒に掃除やカードゲームなんかをして過ごしていた。
本当は講堂の中に入れるのは芸素の質を測る一回だけらしいが、なんか入れさせてもらっていた。
『お主が天使の血筋として、認められたのじゃ。』
「え、まじ…?」
パチパチパチパチッ
聖者たちが優しい笑顔で俺に拍手を送ってくれた。こんなあっさり認められるとは思ってなかった。もしかしたらシャルト公爵が裏で色々と動いてくれたのかもしれない。今度ちゃんとお礼しなきゃな。
『そして最高官からの手紙も来とる。裁判が再開されるようじゃよ。』
「あ。」
そうだ。そもそも裁判のために俺の血筋を証明する必要があって、今ここにいるんだった。
また…あの空間に戻るのか…
『これで裁判はもう、お主の悪いようには進まんじゃろ。』
「え、あ、そう…だな……」
『なんじゃ?浮かぬ顔をして。』
「え?あー…うーん……」
俺は天井を見上げた。天井のステンドグラスには気ままに遊ぶ天空人の姿が写っていた。
気楽そうでいいなぁ…
「なんか……あっちの世界の方が豊かで幸せだったのかな~って思ってさ。」
俺は天井を見上げながら、呟くように言った。小さな声だったにもかかわらず、翁は反応を返してくれた。
『……創世記が記された頃の帝国は、今では考えられぬほどの高度な技術や文明を持っていたはずじゃ。我々は徐々に技術を失い、知恵を失い、過去の遺物にすがりながら成す術もなくただ生きていくしかない……のかもしれんのぉ。』
翁も天井を見上げていた。その顔には慈しむような笑みがあった。
『しかしな、高度な技術や知恵を失っても、我々はそこそこの人生を生きておる。きっとこれこそが二千年の間に積み上げられた「豊かさ」の恩恵なのではないか?』
当時は、高度な技術がなくては生きていけない世の中だったのかもしれない。死に追われるようにして、それこそ「命がけで」日々生きていたのかもしれない。
当時の人が今の我々を見たらどう思うのだろう。もしかしたら「平和で豊かな社会になったなぁ」なんて思うかもしれない。
『お主と出会って、二千年という永い間でも未だ失われておらぬものがあると知った。』
「………え?」
翁はまっすぐに俺を見ていた。
『アグニ……いや、シュネイ。お主はきっとこれから多くのものを背負わされるだろう。』
「………。」
『しかしな、荷物は必ずしも背負う必要はない。引きずってもよいし、台車を使っても、頭に乗せても、もしくは一緒に背負ってくれるという人を探してもいいのじゃ。』
「うん……。」
『お主が潰されるくらいなら、小綺麗な姿勢やきちんとした背負い方に拘る必要はない。』
翁は天井に向けていた笑顔を俺にも向けてくれた。
『そして生涯の間に、この世界を愛せるようになってくれ。』
「この世界を…愛せるように……」
(『ねぇ、アグニ。君は随分と狭い世界で生きてきたんだね?』)
シリウスと出会ってすぐのころ、こう言われたことがある。
(『君はこれからたくさんの人に出会うだろう。人を知り、土地を知り、世界を知り……』)
シリウスは、あの金の瞳でじっと俺を見ていた。
(『その上で僕は、君がこの世界を愛せるか問いたい』)
あの問いの答えは、まだでていない。
でも俺は、これからも前を向いて進んでいくよ。
「ありがとう、じいさん。ありがとう、聖者たち。」
俗世から外れたこの場所を去り、俺はまた社会に戻ると決めた。
「………行ってきます!」
『・・・ああ、気を付けて、いってらっしゃい。』
いってらっしゃい
どうか
どうかあの少年の行く道に、
光多からんことを。




