193 他国の開戦に向けて
場面・視点が次々と変わります。
帝都軍部内→シド公国内→公爵邸(アグニ視点)→カペー北西部です。
「失礼します!リオン・リシュアール、入室します!」
『おぉ、わざわざ来てもらって悪いなリオン。ヴイの面倒は見れてるか?』
「まぁなんとか……はい。シーグルド隊長。」
帝都軍部総合軍第1部隊隊長室
そこにリオン・リシュアールは呼ばれていた。もうすでに軍部局内の警報は鳴り終わり、ブガラン王殺害未遂犯の少年4人が脱獄したことが判明していた。
第1部隊の隊長執務室であるシーグルドの部屋に第2部隊の副隊長であるリオンがいるのは本来であれば違和感がある。
しかし軍部の誰もが、リオンがヴイと呼ばれる少年の世話係であると知っているため、特別変には思われないのだ。
『苦労するだろう、あいつの世話は。だがあいつもお前のことを気に入ってる。今後も見てやってくれ。』
「もちろんでございます!」
眉目秀麗な顔立ちに程よくついた筋肉。短く切られた金の髪に水色の瞳。歳は37。それでいて天使の血筋の侯爵位。性格もよく知的で、皆を引っ張る力もある。多くの者から慕われ、憧れられる存在だ。
『それで……アグニとは誰だ?』
シーグルドの雰囲気が一気に変わった。先程の優しい上司としての顔は消え、冷や汗が出るほどの威圧感を放っていた。
『ヴイがな、アグニとまた会いたいと言っていた。誰だ? 』
シーグルドの唯一の弱点が、ヴイであった。
「っ………。」
答えにくそうなリオンを見て、シーグルドは質問を変えた。
『脱獄犯と遭遇したそうだな。そして彼らを手引きした者どもにも会ったらしいじゃないか。』
シーグルドはすでに状況がわかっている。ただ、より正確な情報を報告せよとリオンに言っているのだ。
リオンは敬礼し、はっきりとした声で告げた。
「脱獄を手引きした者2名と遭遇し、その片方とヴイは戦闘いたしました。そして……逃亡を許す形になりました。脱獄犯4名は芸で姿が隠されており、私の目には見えませんでした。」
リオンの簡潔な報告を聞いて、シーグルドは驚いた顔をした。
『相手はヴイよりも手練れだったのか?姿を隠す……水曲か。ヴイもその4人を視認できなかったのか?』
「はい、そのようでした……。しかし戦闘自体はヴイが押していました。」
『なのに相手は逃げれたのか?手引きしたもう1人はどんな者だった?』
「っ…………。」
リオンはまた押し黙った。シリウスのことを口に出していいかわからないのだ。
リオンは貴族として何十年もこの社会にいるのに、一度もシリウスの話を聞いたことがない。そしてあれほどの天使の血筋の噂が聞こえてこないことはおかしいのだ。
つまりまぁ、単純に考えるならば………話したら『消される』のだろう。
それに・・・
(『僕、髪の毛が黒い天使の血筋を初めて見ました。』)
もしあの言葉が本当なら、アグニのことも話すわけにはいかない。
『どんな奴かと聞いている。』
シーグルドの圧にリオンの心臓は激しく脈を打っていた。
しかし・・・
「シーグルド隊長、特務案件でした。」
『っ!! なに?!』
リオンは再度敬礼をしてシーグルドの顔を真っ直ぐに見た。
「脱獄自体が、最高権行使下であると考えます。」
シーグルドは暫く驚いた顔でリオンを見ていたが、すぐに何か気づいたようで急いで卓上の赤紙を手に取った。
『これか!!』
「それは…! せ、戦争が始まったのですか?!」
赤一色の紙に漆黒の文字。
それは帝国内で戦争が開始されたことを示す紙だった。
シーグルドはその紙片手に不敵に笑った。
『ブガラン王殺害未遂万の逃亡により、我々帝都軍は脱獄犯捕縛を行う必要がある。そして彼らが向かうであろうブガランに軍を派遣する必要がある!』
「っ…!!!」
つまり逃亡者確保を名目に、帝都軍が戦争下のブガランに軍を引き連れて入ることができる。脱獄犯を逃がすなどという大失態と不名誉と引き換えに。
帝都は『国』ではない。ゆえに2国間の争いに関与することができる。もちろん交戦してはならず、あくまで市民救助と戦争抑制に動かねばならないが。
しかしこれで……表立ってブガランに入国することができるのだ。
シーグルドはにやりと笑ってリオンに顔を向けた。
『アトラスに報告しに行く。お前も来るか?』
帝国軍総司令官であり、リオンの父であるアトラス・リシュアールのことを指しているのだろう。リオンはシーグルドに同じような表情を返した。
「是非、ご一緒させてください!」
・・・・・・
「公子!開戦でございます!!」
『なにっ?!!』
シドがいたのはシド公国軍の軍演習場だった。
ウォーミングアップをし、さてこれから打ち合いでも始めようかというタイミングであった。
「か、海鮮?!魚か?!」
「違えよ!戦が始まる方だ!」
「う、うちの国とどこだ?!」
「隣の国だよバカ!」
『じゃあ俺らは戦えないのか?!』
「くっそ〜っ!もったいねぇ〜!!!」
仲が良いのか、頭が足りないのか・・・
しかし天使の血筋の公爵位・現シド公国の王子の前で各々が口を開ける空気感こそがシド公国の強みでもあった。仲の良さは団結力を生み、頭のネジが外れていないと戦には勝てない。
『…………っすぐに準備だ!!中隊を率いて国境へ向かう!!』
帝都でアグニ・シルヴィアと話し合ったことを思い出した。
1人でもカペー国民がシド公国の国境を渡れば、人民救済の名目で小隊規模をカペー公国内に派遣する。そしてそのままブガランの首都まで渡る!!
『急ぎ父上に面会の許可を!私自らが先頭に立つ!!身体を動かしたい者はついてこい!!』
「「「「「 おう!!!!!! 」」」」」
大勢の声でまとまり、一気に動き出す。やっとあの2国間の問題を解決することができるのだ。
『見てろよ、アグニ!』
シドは帝都の方に向かって不敵に微笑んだ。
・・・・・・
再び、場所は帝都
しかし帝都の最南端、海からほど近い軍事基地だ。
ここに帝都総司令官であるアトラス・リシュアール、彼の3番目の息子であるコルネリウス・リシュアール、そして帝都技術部長のアンリ・ハストン、彼の息子であるイサック・ハストン、その婚約者であるセシル・ハーロー、帝都軍の一個中隊と技術部芸車開発部が一堂に揃っていた。
現在、芸車を動かすためのレールは帝都の北部に位置するパラータ公国の北側まで敷いている。そして今回のブガランへの入国に、軍隊を芸車で移動させることになったのだ。歴史上初めての試みになる。
「芸車の行ける場所までは、最速で25時間でございます。」
「1日で着くのか?!それほどまでに早いとは…!」
アンリ子爵の言葉に総司令官である伯爵が目を見開いた。馬であればどんなに急いでも5日はかかる距離なのだ。
「しかしパラータから先の移動でまた1日ほどはかかるでしょう。」
「うむ……そうだな……。しかし2日でブガランまで着くなら十分だ!使わせてもらうぞ!」
「はっ!!」
『父上!私にも行かせてください!!』
コルネリウスが総司令官に直談判した。リシュアール家が豊かなおかげで、コルネリウスは下級軍人以上に質のいい装備・芸石を付けていた。
「だめに決まってるだろう!お前はまだ軍人ではない。わがままを言わず、兄の見送りをしてあげなさい。」
『っでも……! 学徒兵を入れることで帝都軍がブガラン公国制圧を意図していないことを他国にも、ブガラン公国にも証明できます!!』
「う、うむ……だがあまりにも危険だ。まだお前は学生だし、無理に戦争に参加しなくてもいい。」
『お父様!いや、総司令官!私は自分自身が望んで、ブガラン公国へ行きたいのです!』
アトラス・リシュアールの弱点は、彼の息子たちであった。
「父上、コルネリウスには救護班側に回ってもらえばよろしいのでは?そしてコルネリウス、お前はブガランの首都の中に入らないことが条件だ。」
ブガラン公国内部、もしくはブガランとカペーの国境がある西側で戦争は行われているだろう。であれば、コルネリウスを戦場から最も離れた東側の首都外に置いておけば安全だろうと判断したのだ。
「…………うぅむ……。」
『お父様!!どうかお願いいたします!!!』
考え込む様子のアトラスに何度もコルネリウスは頼み込んでいた。そして結局、アトラスは首を縦に振ってしまった。
「よしわかった。見て学ぶことも多かろう。しかし絶対に安全第一だ。わかったな?」
『っ!! はい!!ありがとうございますお父さま!』
やはり、彼は自分の可愛い息子に 弱いのだ。
「映像記録芸石は4つです。どれも最大1時間の記録が可能です。」
イサックはセシルとともに、彼らが作り出した発明品を軍部に渡していた。今回の戦争の様子を映像として記録するためだ。これも帝国史において初の試みである。記録係として技術部の技師4人がそれぞれこの芸石を持ち、戦場へと赴くのだ。
全体が準備を終え、総司令官が出発する隊に言葉をかける。
「皆の役目は、脱獄したブガラン王殺害未遂の少年らを捕縛することだ!そのためにブガランへと向かい、王の守護を行う。しかし場は乱れているだろう。たまたまカペー公国との戦争が始まってしまった。」
軍の皆は総司令官の意図することを明確に理解していた。ブガラン王殺害未遂の少年を捕縛するだけならこれほどの人数をブガランに派遣する必要などないのだから。
「もし一般市民の被害をたまたま向かった先のブガラン公国内で見つけたら、被害者の救済を行ってくれ。そして戦が激化しないよう、助言を頼んだぞ。………この意味が理解できん馬鹿は帝都軍にはおらぬな?」
「「「「 おう!!!! 」」」」
数百人の声が響き、空気を震わせた。
その声を浴びた総司令官は大きく頷き、拳を空へと突き出した。
「では帝都センチュリア軍、平和のために進め!!」
「「「「 おおおぉ〜!!!!!! 」」」」
こうして帝都からブガランに向けて軍は進み始めた。
・・・・・・
「なにっ?! せ、戦争が始まった?!うっ…ゲホゲホっ!!」
治りきっていない身体で大声を出し、肺に痛みを感じる。だがそんなことはどうでもいい。
「戦争って……カペーとブガランでだよな?!」
俺の質問にシリウスは綺麗に頷いた。
『もちろん。』
「そ、そんなっ………」
「それって…いつごろですか?!!」
『か、カペー軍が侵攻してるってことですか?!』
「ぼ、僕の家族は………!!」
カイルら4人はそれぞれに慌ただしく喋り始めた。その様子をシリウスはただ楽しそうに見ているだけだった。
コンコンコン・・・
「シリウスさん、カールさんがいらっしゃいましたよ。」
談話室の外からクルトの声がした。
「え??カール?シリウスが呼んだのか?」
俺の質問にシリウスはニコリと微笑んだ。
『1時間前に呼んでおいたんだ。アグニ扉を開けてあげなさい。』
俺は応接間のドアを開きに行った。
「アグニっ!! 開戦したって……! あ、シリウスさま……ご機嫌いかがでしょうか。」
入ってくるなり喋り出したカールだが、シリウスの姿を見つけると改めて挨拶をし直した。シリウスはその様子を見ていよいよ声を出して笑い始めた。
「ご機嫌はよろしいですよ〜!』
「シリウス!それよりもヴェルマンに連絡取ろう!あとシドにも国境に向かってるか聞かないと!!」
俺はまずブガラン公国軍人のヴァルマンが持っている通信用芸石に芸を注いだ。
「 …… … あ、アグニか?!今までずっと何してたんだよ!! 」
向こうはずっと連絡を待っていたらしい。その場にはエドウィン、エッベ、ルグルもいた。場所は裏町だろう。
「すまない!今知ったんだ!!そっちの様子はどうだ?!」
俺の質問にまずヴェルマンが答えた。
「こちらはまだ平気です。………あの………私の部隊が……前線を任されました。」
「っ…!!!」
前線……戦場の最前列。敵と直接接する第一線のことだ。
そして歩兵戦では最も多くの死者が出る。
ヴェルマンはへらっと、泣きそうに笑った。
「僕は、外されました。いいポジションは『エリート』に譲らなきゃいけないんです。けど実質、今のブガラン軍で動けるのは私の部隊くらいしかないから……私抜きで部隊全員が前線に行くんです。」
ヴェルマンは平民出身の『成り上がり』と呼ばれ、ブガラン内の貴族出身の軍人は『エリート』と呼ばれ、そこには明確な階級差があった。
そして戦争指揮という名誉を『エリート』に奪われたのだろう。悔しいだろうと思う。自分の仲間たちが戦う場に自分だけがいられないのだから。
「っ…………。」
よかったじゃないか?おめでとう?かわいそうに?
俺は、なんて返していいのかわからなかった。
『へぇ〜そうなんだ。ところでまだ裏町に火はつけられてないよね?』
「「 え あ、はい……まだだです。」」
シリウスの反応にみんなが驚いた顔をした。ヴェルマンの言葉をシリウスが素通りしたからだ。しかし俺らが驚いていることをシリウスも察し、安心させるように微笑んだ。
『そんな心配しなくても、カペーは進軍に1日かかる。戦闘は早くても明後日からだよ。裏町に火がつけられるのはカペー軍が首都に到達してからだから、まだ裏町に火が点けられることはない。』
だがそのセリフに安心するわけがない。
「カペー軍が首都に到着って……それってつまり前線が崩れたらってことだよな?」
『まぁそうだね。』
「つまりブガラン軍が負けたらってことだよな?」
俺の言葉を聞いてシリウスは氷のように冷たく笑った。
『ブガラン軍は、わざと負ける…でしょう?』
「……そうか!!だからヴェルマンは外されたのか!」
ヴァルマンが軍を率いてしまえばブガランは負けない。人数も装備もブガランが上だからだ。つまりカペー軍が首都へと辿り着かない。しかし首都までたどり着いてくれないと、どさくさに紛れて裏町を火で点ける作戦が実行できない。
ヴァルマンが前線の指揮を外されたのは、ヴェルマンがわざと負けることをしないからだろう。
シリウスは相変わらず楽しそうだった。
『さぁて……帝都軍が着くのが先か、シド公国軍が先か、カペー公国軍が全滅するか、ブガランの裏町に火が付くか………「早い者勝ち」を制するのは誰か、見ものだねぇ。』
・・・
その後すぐにシドに連絡を取ると、『今国境に向かってるぞ!』という返事が返ってきた。元気も良さそうだし、戦争に対し不安な様子もなかった。さすが高い軍事力を持つシド公国だ。
そして俺らは「明日の同じ時間に再度連絡を取ろう」と約束しあった。明日の今頃にはカペー公国から最低でも村一つ分くらいの人数がシド公国に逃げているだろう。
もしかしたらもうシドはカペー公国内へ進んでいるかもしれない。
俺らは楽観視していた。
「ようシド!そっちはどうなった?」
昨日、カールと脱獄中4人は公爵邸に泊まり、今も一緒に通信用の芸石の前にいる。なんなら今日はシーラも一緒だ。
俺は気軽に、笑顔で、シドに連絡を取った。
『だ……』
「だ??」
シドは口を開いて呆然としていた。なのに声は不自然なほど興奮したように上擦っていた。
『誰も国境に来ないんだ!誰も!1人も!!昨日から誰も来ないんだ!!!』
「「「『「「 え?!!!!! 」」』」」」
シリウスは冷静な様子で紅茶を飲んでおり、シーラはそんなシリウスをじっと見ていた。陽は傾き始め、窓際に座るシリウスとシーラの黒い影が長く伸びていた。
『人一人、いない……!!誰も……来ない!!!』
「っまずいぞ……!! 」
シド公国に来るだろうと……当然思っていた。
だって戦争中だぞ?! みんな逃げるだろ!?
カペー公国と国境が繋がっているのは現在戦争中のブガランと、シド公国と、鎖国しているロギム公国しかない。ならばみんなシド公国に逃げるはずだ、と。当たり前のように考えていた。
「どうして……どうしてだ?!!!」
その場の様子を知らない俺らは、ただ無力に嘆き叫ぶことしかできなかった。
・・・・・・
「ひぃっ……お、お助けを!!」
「な、なんでこんな時に……ぐあああああ!!!!」
「ひぎぃやぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「ふ、ふざけるなよぉぉぁあああああ!!!」
人の叫び 泣く声 怒号 見るに耐えない惨状
「わ、私たちはっシ、シド公国に向かっているだけで……!」
「お、お願いします!!!せ、戦争が起きてるんです!!」
「か、金も服も……あるものは全部置いていきますからぁ!!」
カペー公国 北西
この山の間を抜ければ、シド公国にたどり着く。
戦争避難するカペー公国民は全員、この道を通る。
「な、なんで盗賊がこんなところに……!!!」
「こ、こんなこと……た、頼む!命だけは……!!!」
ブシャ・・
シド公国まで渡ろうとする者、その全てを始末していた。女も子どもも、年寄りも関係ない。
『悪ぃなぁ。言っとくが俺らも後味悪いんだぞ?』
盗賊団の中心に座る男が頭を掻きながらそう言った。カペー民は縋るようにその男のことを見ていた。
『けど誰も渡らせるなってお達しなんだわ。はい次、殺せ。』
「「 おう! 」」
グサッ ブシュ
血が飛び散るほど 悲鳴は止んでいった。
シドが国境を渡ることはない。カペー民が国境へ到着することがないからだ。
ここで行われているのは 人の殺処分。
盗賊団の長は大きなため息を吐き、血の池から青い空へと目を逸らした。
『まったく……難儀なこったねぇ。』




