147 飢えへの対処
遠くに、空にも届きそうなほどの大きさの枯野色の壁があった。
その壁がこちらに近づいてくる。砂嵐だ。
「……大きいわね。」
シーラが少し焦った様子で呟いた。あの量の砂に巻き込まれたらここにいる人達は砂に埋もれるだろう。俺自身、どうなるかわからない。
けれどシリウスは砂嵐を見上げて呑気に笑った。
『圧巻だねぇ。……ところでルシウスは何の芸ができるんだい?』
四つん這いになっていたルシウスは身体を起こし、おずおずと告げた。
「え、っと……風とか水や氷、あと雷と…炎も…」
『ふーん、やっぱ僕らと同じで芸の種類に制限はないのかな。』
「おいシリウス!あの砂嵐どうすればいい?!」
俺がシリウスに言葉を投げかけるとシリウスはちらっと俺を見てニコリと…いや、ニヤリと笑った。
『ルシウス、身体に芸素溜まってるんでしょ?ちょうどいいから君のできる限りの芸をあれに当てて、潰しなさい。』
ルシウスは戸惑った様子でシリウスに言った。
「そ、そんなことをしたら僕のことが周りにバレちゃいます…!!」
『君は髪も目も隠してるんだから大丈夫だよ。それに今なら不自然なく芸素を放出できる。』
「え?てかルシウスは解名できるのか?」
俺の質問にルシウスは首を傾げた。
「か、かいな?……ごめんなさい、それが何か知りません…」
「ほぉ……」
『あれがここまで来たら遅い。今すぐ消さなければ意味がない。早くやりなさい。』
シリウスの言葉にルシウスはしばらくおどおどして俺やシーラのことを見ていたが、意を決したようにオアシスの前に立った。
「……わかりました。やれるだけ……やってみます…。」
ブワァ・・・
ルシウスの両手首を中心に風の渦ができた。砂を巻き込み、両手首に竜巻が付いてるみたいだ。
「お、おっきい…すげぇ!!」
「あ〜ん、髪の毛に砂が…」
『ほらシーラ、こっちおいで。』
シリウスが箱状に氷の解名で作った「氷晶壁」を作り砂が侵入しない空間を作ってくれた。この解名は超巨大な氷の結晶を壁のようにして盾の代わりにする技だ。水鏡と砂は相性が悪いから氷の芸を出したのだろう。これも絶対習得しようと思う。
まるでルシウス自身が2つの竜巻に挟まれているのではと思えるくらいに大きな渦を作った。
「これ…どこまで大きくするんだ?!」
ぶっちゃけ砂嵐よりもルシウスの作った竜巻の方がオアシスからも近いし、よほど脅威だ。
「あ、じゃあそろそろ…試してみます…」
ルシウスはそう言うと、下手投げをするような動作で右手を前におくった。すると右側の竜巻がルシウスの手の動作に合わせて前へと高速で送り出された。
ブワアァァァッ!!
砂嵐と竜巻がぶつかり、先ほどにも増して砂が空に舞う。そしてその巨大な壁は緩く右回転を見せた。
「これで…逆回転をぶつければ…」
ルシウスは左手側の竜巻を同様に送り出した。そしてそれらがぶつかり、こちらにも大きな衝撃波が届く。オアシスの木々は揺れに揺れ、風の音に恐怖するほどだった。
そして・・・砂嵐は消え失せた。
「す、すごい……!!!」
めちゃくちゃすげぇ!!
それにこんなに芸力があるとは…!!!
『やっぱそういうことか…』
隣でシリウスが呟いた。シリウスの芸素が少し楽しそうに広がった。他人に対してこのような現象を見せるのは極めて珍しい。表情も楽しそうだ。
「なにがそういうことなんだ?」
シリウスは俺の質問にウインクして答えた。
『実は僕、初めて見たんだ、元人間の芸獣を。今まで存在したことがなかった。どうしてかなって思ってたんだけど…うん、紫色だからだ。』
「紫?ルシウスの髪の色か?それが理由なのか?」
「え?!ぼ、僕の髪色見えてます?!!」
こちらに近づいていたルシウスはしゃがみ込んで一生懸命に砂を頭にかけ始めた。
「大丈夫よ見えてないわ。お疲れ様。」
「あ、よかった……」
「す、すげぇー!!!!!!」
俺たちの後ろにいた小さな男の子が大声で叫んだ。キラキラした目でルシウスを見ている。
「す、すごいぞ兄ちゃん!!」
「あぁ、ありがとう!よかった…!!」
「すげぇーすげえー!!!!!」
オアシスの樹や岩の裏に隠れていた人たちが次々と現れてルシウスに拍手を送った。人の視線を一気に集めてしまったルシウスは泣き出しそうな表情で俺の後ろに隠れた。
「ルシウス、大丈夫だよ。みんな、ルシウスが何をしてくれたのかわかってる。ありがとうって言ってる。ルシウスは人を守れるんだ。大丈夫だよ。」
俺がルシウスの赤い目を見て告げると、ふにゃりと笑った。初めて見たルシウスの笑顔は幼くて、「あぁ、今までずっと気を張ってたんだな。」ってその時やっとわかった。
・・・
その後オアシスでは色々な人から食べ物をもらった。そしてルシウス用の替えの民族衣装も安く買えた。
オアシスの人たちに感謝されながら、俺たちは砂漠を南に下り、シャノンシシリー公国へと抜けた。国軍のアルダ隊の芸獣のことを聞きに行くためだ。
「『 アグニー!! 』」
「おお~レイ!レベッカ!!元気だったか~!!!」
アルダ隊の敷地で双子と対面した。前にリノスペレンナに上陸した時以来だから約6週ぶりになる。
「シリウス様、シーラ様、アグニ様、お久しぶりです!アルダ隊隊長のギャラです!」
ポニーテールを揺らしながら元気に挨拶をする騎士に俺も頭を上げた。
「ギャラさん、すいませんこんな突然。ちょっとアルダ隊の芸獣のことをお聞きしたくて…」
『ほぉ、というと?』
『…………君、暇なの?』
いつの間にかシャノンシシリー公国の国王、シャノンがいる。俺らがここにいることが即刻バレたらしい。冷静にツッコミを入れるシリウスを無視してシャノンはシーラの手の甲に唇を落とした。
『久しぶりだねシーラ。相変わらず目の毒になりそうな美しさだ。』
「あら、毒花は好きでしょう?」
『ははっ違いないね。……それで、君は誰かね?』
シャノンがルシウスに視線を向けて聞いた。ルシウスはびくっと身体を震えさせるとすぐにシリウスの後ろに隠れた。俺の両隣に双子がいるからシリウスの背後に回ったんだろう。
普通なら天使の血筋であり一国の王相手に会話を無視して隠れるような動作をしちゃいけないが、シリウスの連れてきた人ってことでギリセーフらしい。俺はルシウスに手を差し出しながらシャノンとギャラに告げた。
「あ~彼はルシウスです。彼のことで相談があってここに来たんす。」
・・・
「なるほど〜…それでアルダ隊の芸獣はどうやって理性を保ってるかを聞きたいってことですね?」
この場にはギャラとシャノン大公、俺とシリウス、シーラ、そしてルシウスがいる。
俺らはルシウスを紹介して彼が『芸獣になった人間』だと説明した。そして芸素の過剰放出による飢えと過剰吸収による身体的不調の説明もした。
シャノン大公はルシウスをじろじろと見ながら感嘆のため息を吐いた。
『いやぁ驚いた。まさか人で芸獣になった者がいるとは……』
『ルシウスの情報と引き換えにアルダ隊のこと、教えてくれない?』
シリウスの頼みにシャノン大公はすぐさま頷いた。
『もちろんだ。けれど………とても危険な方法だ。』
「まぁある程度予想できるわ。」
『うん。けど正解を教えて?』
シーラとシリウスの催促にギャラが真面目な顔で答えた。
「心臓に直接、芸石を埋め込みます。」
「っ!!!」
そんな危険なことをしていたのか…!!!!
芸獣は芸石がなくても芸ができる。芸石という名のフィルターを使うことで芸素の吸収・放出量を人工的に制限するということらしい。
その説明を聞いてシリウスが美しく微笑んだ。
『本当に芸獣は天使の血筋の失敗作なんだね。いや、いっそ「芸素を御しきれなかった天使の血筋」だと言ってもいい。』
ルシウスは下を向いて黙って聞いていた。汗の量がすごい。芸素がまた溜まり始めたのかもしれない。
「……どうやって芸石を心臓に入れてるんだ?」
俺の問いにギャラは矢を射る仕草を取った。
「先端に芸石がついた矢を直接心臓に打ちます。その後すぐに治癒をかけます。失敗してそのまま芸獣を殺すことも多いです。」
「っ………。」
だめだ。
こんな不確実なこと、ルシウスにできない…。
けれど、この処置をしなければルシウスは飢えに苦しみ続ける。でもこの処置で殺してしまうかもしれない。
どうすれば………
『うーん。今までアルダ隊で活動した後の芸獣を解剖したことは?』
シリウスの質問にギャラとシャノン大公はともに首を横に振った。
『解剖はせずそのままアルダ隊で活躍した芸獣の共同墓地に埋めているはずだ。』
「アルダ隊結成当初に解剖したらしいですが、今はしていません。どうしてですか?」
シリウスは足を組み頬杖を組んだ。なかなか格好はだらしない。
『うーん、さっき芸石を心臓に入れ込むって話だったけど、アルダ隊の芸獣の心臓に入れた芸石は溶けて「弁」のような役割になってるんじゃないかな?』
『なに?どういうことだ?』
シャノン大公は前のめりになってシリウスに問い詰めた。シリウスはぴんっと人差し指を立てて説明を始めた。
『芸素が多いことを温度が高いことだと考えてみてね。』
芸獣の体内、特に心臓は芸素含有量が多い。つまり温度で表すと高温だ。高温で氷が溶けるように、心臓に芸石を入れると心臓の中で溶け出すんだ。けれども液体もまた低温の場所におけば固体になるよね。それと一緒で、溶けた芸石は心臓の外に出る寸前にまた固体の芸石に戻ってしまう。
『その結果、心臓の出入り口で芸素の出入量のみを制限する膜ができるんだろう。違うかな?』
「………解剖してみますか。少し古いものですが、埋める前の芸獣の遺体があります。祈りの期間を終えて埋葬する直前でした。」
ギャラの呟きに俺は大きく頷いた。
「ああ、是非お願いしたい。俺にも心臓を見せてくれ」
・・・
シャノン大公の許可の下、俺とギャラとシリウスとシーラの4人で芸獣の解剖を行った。
ルシウスは双子と一緒に近くの芸獣を狩りに行った。もう飢えが限界に近かったらしい。
「…………本当に、その通りでしたね。」
「………だな。」
『えへ。僕天才じゃない?』
「今の一言がなければちょっと尊敬したのに。」
解剖した芸獣の心臓には、通常の心臓にはない『膜』がついていた。そして埋め込んだはずの芸石はなかった。
シリウスの予想は当たっていたのだ。
「ってことは、血流の流れが多いところに膜状の芸石を埋め込めばいいってことだよな?心臓じゃなくても可能ってことだ。」
俺の見解にシリウスがニコッと笑った。
『ならばどこに埋め込む?』
「両手首と両足の付け根の血管近くかな。」
『うん、いいんじゃない?やってみようよ。まぁ僕も初めてだからこれで上手くいくかわからないけどさ。』
ルシウスの両手首と両足付け根の太い血管に4つの芸石を埋め込む。埋め込む芸石は、俺の耳に付いているピアスと同じもの。
このピアスは出力した芸素を10分の1に抑える。つまりこの芸石自体にフィルターの効果があり、外部から吸収する芸素量を10分の1に抑えてくれるはずだ。これで過剰吸収はなくなるだろう。過剰吸収がなくなれば排出せずとも平気なはず。上手くいけばこれで解決する。
あらかた話がまとまったところでルシウスと双子が帰ってきた。
「よし、なら早急に帝都に帰るぞ。レイ、レベッカ、あんまゆっくりできなくてごめんな。」
俺が2人の頭を撫でながら言うと2人は首をふるふると振った。
「ううん、ルシウス良い人だったから……早く助けてあげて。」
『またすぐ会えるし大丈夫!3人とも、それとルシウスも、元気でね!』
2人はまだ幼いにも関わらず随分と自立している。俺らは各々に別れを告げ、すぐに帝都へと向かった。
帝都へ戻りまーす。