105 授業⑩
夢の…いや記憶の中の俺は……でもないな。
俺の祖先の誰かが、だ。
その日はなぜだか地上に降りる予定らしかった。
青空の彼方から身を放り投げ、
芸でゆっくりと浮遊しながら地上へと降りてゆく。
森や丘の緑、山や崖の茶、川や湖の水色
遠くから徐々に世界が輪郭を表していき・・・
そこには一匹も芸獣がいなかった。
・・・・・・
「うっ……うお、またか……」
あぁー……いつもこうなんだよなぁ。
俺はいつものように涙をぬぐいながら夜明け前の空を見上げた。
決まって記憶を視た日の朝は泣いている。最近は特にそうだ。
ん~っと、記憶の世界では…芸獣はいなかった?
…………ほんとに?
まぁけどこれで浮遊感が掴めた!
やっと空を飛ぶ練習ができる!!
空を飛べる練習ができると思うと、そっちのわくわく感の方が断然強くて正直もう夢の内容はどうでもよくなった。
俺は気分上々で鍛冶場へ向かい、今日もまたシルヴィアと出会った。
「お、シルヴィア!また今日も早いな。おはよう!」
『おはようございます。』
シルヴィアが少しも躊躇なく返事を返した。少しだけ距離が近づいたのかもしれない。
「なぁシルヴィア。」
『なんでしょう?』
「シルヴィアは天空人の時の記憶を継いでる?視たことある?」
俺の質問にシルヴィアはピリッとした緊張感を見せた。
『……いいえ。天空人の血はすでに遠く、記憶を視たことはありません。祖先のどの記憶も視たことがありません。しかしたとえあったとしても、それらは全て歴代シルヴィア公国大公の記憶です。内容はシュエリー公国の天降教会でしか話せません。』
「あ、そっか確かに。シルヴィアの場合、王族の記憶だもんな。そんなペラペラ喋れないか。」
『一つ質問があるのですが……』
そう言ってシルヴィアはゆっくりと俺と距離を詰めた。いつもと違う様子に若干の戸惑いを感じながらも俺は笑顔を作る。
「な、なに……?」
『あなたは本当に天空人がいたと思っていますか?』
「………え??」
言われた意味がわからなかった。
俺の中では当たり前のように「いた」の一択だ。
「そりゃあ……いただろ?シルヴィアの祖先は天空人なんだから。空から降りてきて歴史が始まったんだろ?」
『本当にそう思いますか?』
「え???」
青紫の美しい瞳が俺をじっと見据える。今までで一番真剣に俺の考えを聞いてる。
俺はその瞳に答えるように、真剣に返した。
「天空人はいたよ。」
『断言するのですね。』
「あぁ、断言できる。」
『どうして?』
「え………っとぉ………ごめん、言えない。」
一番の理由は俺自身が記憶を視るからだ。
かつて天空人だった時の記憶を。
けどそれは今は言えない。
「けど嘘じゃない。本当にかつて、天空に人は住んでたよ。」
俺はじっとシルヴィアの瞳を見つめ返し、絶対の自信を持って言い切った。
シルヴィアは暫く黙っていたが、薄く笑みを浮かべて言った。
『なんだか不思議です。天使の血筋ではないあなたがそんな断言をすることが。あなたはそこまで信仰も深くないでしょう?』
「え、あぁ…まぁ……そうだな………」
ぶっちゃけ教会とか数回しか行ったことない。
みんな祈りに行くらしいけど、俺はしたことがない。
『ふふっ。……天使の血筋の中で、天空人であった時の記憶を視たという人は歴史的に極めて稀です。そして私は、その視たという話をずっと疑っています。』
シルヴィアは遠くを見つめながら話を続けた。
『だって…それはただの夢かもしれない。記憶を視たいという気持ちが先回りして理想的な夢を見せているだけかもしれない。全て嘘かもしれない。それに……人が空を飛んだ、空に住んでいた、理想郷があった、なんて…ただの作り話かもしれない。私の祖先は少しだけ特殊な、普通に地上に住んでいただけの民族かもしれない。それを誰かが美しく描いただけかもしれない。』
『けれど実際…私の言った「かもしれない」の方がよほど現実的ではないでしょうか?』
ほんの少しだけ悲しそうに笑う彼女が印象的だった。
シルヴィアの説明は…確かにその通りだ。もし俺が天使の血筋でなかったら、きっと確実にそう思っていた。
本当はほとんどの人がそう思っているのかもしれない。
天使の血筋は、自分の祖先を神だと驕る人間でいなければならない。神だという確証はないのに。
そう語ることがいかに愚かに思えようとも、この世界ではそう言い続ける以外道はない。もうそういう世界が作られてしまっているから。
もしかしたら…天使の血筋以外の帝国民は後ろ指を指して笑っているかもしれない。「あいつら、自分たちのことを神の子孫とか言ってるよ。」「いつまで言ってんだよ。」「いい加減、醜い嘘つくなよ。」って内心あざ笑っているかもしれない。
今の天使の血筋は、そんな針の筵に立たされているのかもしれない。
あぁ……やっと少しわかったよ、この世界が。
多くの天使の血筋が誇り高く、威厳を見せる理由が。
決して侮られぬように。決して笑われぬようにと、一生懸命に気を張っている。
俺はそんな子らを愛おしく思う。
そうか、俺は……
天使の血筋の皆を守りたい…のかもしれない。
・・・・・・
「セシルごめん!待たせちゃったな。」
「ううん、大丈夫……。」
5の日の夕方、俺はセシルがすでに乗って待っていた馬車に乗り込み、学院をあとにした。
「セシル明日も迎えに行っていい?」
「あ、うん。お願いします……。」
「わかった!」
この週末は有志の学生で勉強会の予定で、それにセシルも参加する。今日のお話し合いの時間ではその予定を立てたのだ。みんなで勉強する内容を考え、持っていく教材を相談し何時に集合で何時までやる、とか。
初めての行事で内心浮き足立っている。
「アグニ……」
「ん?なに?」
いつも通り眠そうなセシルが首を傾げながら聞いた。
「図書館行く前に…共通教会も行く…?行ったことない…んだよね…?」
「え、まじ?!」
この前みんなで話してた時に俺が帝国共通教会を知らず、行ったことないことが判明した。その二か所は距離的に近いって言ってたので確かに明日ついでに行くのが一番効率いいだろう。
セシルはコクンと頭を下げてニコっと笑った。
「1人で入っても…わからないことあるだろうし……一緒に行った方がいいでしょ…?」
「あぁ!是非頼む!ありがとう!じゃあ明日迎えに行く時間少し早めてもらうな?」
「うん…わかった」
その後セシルと改めて集合時間を決め直し、セシルをハーロー洋服店に送り届けた後、俺も別邸へと帰っていった。
・・・
「ただいまシーラ!……とシリウス!」
「おかえりなさいアグニ」
『おかえり~!!』
応接間に入ると二人は自由に読書をしていた。今日はシリウスも家にいたようだ。
「シリウス帰ってたんだ」
『当たり前でしょ!僕別にいつも家にいないわけじゃないよ?』
「嘘よ。今週ずっと家にいなかったしさっき帰ってきたのよ。」
「うっわぁ………」
こいつ……今平然と嘘ついた。
シーラの事睨んだってもう遅いよ……
シーラは本をたたみ優雅に頬杖をついて俺を見上げた。
「アグニはシリウスにどこに行ったのか、とかは聞かないのね?」
「え?だって聞いても教えてくれないでしょ?」
俺がシリウスの方を向いて問うと、氷のように美しい笑みが返ってきた。
『そうだね。また今度ね。』
「ほら、だろ?」
俺が再びシーラの方へと向き直って言うと、シーラはクスクスと笑い始めた。
「うふふっ。もうすでにこいつがどんな奴か、きちんと理解してるのね。」
「シリウスという荒波にもまれてますからね………」
俺が遠い目をして言うと、いよいよシーラは本格的に笑い出した。その様子を面白くなさそうにシリウスは見ていたが、その後も特に何か言うでもなく、ただふてくされていた。
「あ、じゃあさ!ついでにいくつか質問あるんだけど」
「なぁに?」
「シリウスはいつもシーラに花のお土産を渡すじゃん?シリウスが花を持って帰らない時ってあるの?」
俺が2人の顔を交互に見ながら質問すると2人とも首を縦に振った。
「えぇ、あるわよ。シリウスが花の生えていない場所に行った時とか……単純に忘れたりとか。ねぇシリウス?」
『ま、まぁ………』
シリウスが居心地悪そうにしている。なんだか面白い。
「そういう時ってシーラはどうするの?何か代わりにすることってあるの?」
「そういう時はシリウスが私に紅茶を淹れるわ。」
「え、まじ?」
シリウスが紅茶を淹れることは極めて稀だ。少なくとも俺はこの別邸に来てから見たことは一度もない。
通常、紅茶を淹れる役は一番立場の低い人がやることが多い。この屋敷の中での立場は、俺<公爵<シーラ≦シリウスの順になってる。
なのでこの別邸にシリウスとシーラと3人でいて、クルトの手が離せない時は俺が紅茶を淹れる。そしてたぶんシリウスと公爵だけの時は公爵が淹れるのだろう(公爵の周りには絶対に使用人がいるのでそんなことは起こらないだろうが)。そしてシリウスとシーラが2人でいる時はシーラが紅茶を淹れるはずだ。
なのに……そのシリウスが紅茶を淹れる………
「激レアじゃん。」
「そうなのよ。」
シーラが素早く同意した。なるほど、面白がってるな。
「じゃあもう一つの質問。シーラは平日いつも何してるの?」
『それ僕も知りたいなぁ~????』
シリウスが形勢逆転とばかりに急に声を出してきた。
けれどもシーラは表情を崩すことなく説明する。
「そうね、公爵の手伝いをしていることが多いわ。あと必要があれば昼食会、パーティー、晩餐会、サロンに付き添ったり交渉の場についたり……そんな感じよ。」
「へぇ~そうなんだ!なんか忙しそうだね。」
『なんだ~シーラだって家帰ってないじゃ~ん!』
「あなたと違ってその日中には帰ってるわよ?」
『そんなんだめだよ!外出してるなら僕と一緒だよ!』
「なんなのよ……」
シーラがめんどくさそうな顔でシリウスを見ている。俺も愛想笑いを浮かべといた。
コンコンコン……
「お三方、夕食の準備できましたよ!ダイニングへいらしてください。」
「あら、もう?ありがとうクルト。」
シーラが優しく微笑むとクルトが赤面して焦ったように言った。
「いえいえ!今日はシーラ様の好きなラム肉ですよ。」
『いつもだいたいシーラの好きな食べ物じゃんねぇ?』
「ほんとだよねぇ?」
俺とシリウスは共にぶつぶつと文句を言いながらダイニングへと向かった。
なんだかんだ今日も最高に平和で楽しい一日だった。
天使の血筋の立場が意外と盤石じゃないってことがわかりましたね。少なくともシルヴィアはそう感じているようです。
さぁ次は勉強会です!




