四 飛翔 四
十一月十二日 午前八時 群馬県内
日の差し込むリビングに慌ただしい声がなだれ込んだ。
「うわうわうわ、遅刻だよ、遅刻! もうなんで目覚まし鳴んないかなぁ!」
声の主は恋塚愛海。愛らしい大きな瞳が特徴的な大学生だ。ウェーブのかかった彼女の髪は地毛であり、本人はそれを気に入っている。
「どうせまたかけ忘れたんでしょ?」
慌てながら身支度と朝食を同時に進行させる愛海に、朱藤雀が呆れた口調を投げた。雀はすでに身支度を整えており、ソファーに座るとテレビを点けた。
「あぁ~、おはよう雀ちゃん。千咲ちゃんは?」
「千咲ならベランダ。水やり中」
「千咲ちゃん、おはよー!」
ベランダに向かって愛海が声を張り上げると、プランターに水をあげていた新村千咲は顔をあげて窓を開けた。
「やっと起きたねぇ、愛海。この寝坊助さん」
「聞いてよ千咲ちゃん。目覚まし鳴んなかったんだよ?」
「愛海がセットしてないだけだと思うよ~? 愛海は前からおっちょこちょいだしさ」
愛海は頬を膨らませた。
愛海は子供の頃から、よく小さなドジを踏んでいた。道で転び、家でも転び、砂糖と塩を何度も間違えた。成長した今でも、回数こそぐんと減りはしたが、失敗する内容はまったく変わっていない。
船西高ではそんな愛海を、雀と千咲が初対面にもかかわらず気にかけてくれた。彼女が踏むドジを二人がサポートしてくれていた。
進学するにあたって、三人は偶然にも同じ大学に通うことになり、成り行きでルームシェアをすることになった。
「でも、最近ミス多いから気を付けな?」
千咲の優しい忠告は、愛海の胸を痛ませた。確かにその通りだったからだ。寝坊はもちろん、歯ブラシを間違えたり、コップに醤油を注いだり、挙げ句の果てにはそれを飲んで吹き出したりと、明らかにドジが増えている。
原因は明白だ。
「まあまあ千咲。無理もないって」
「まぁそうだよねぇ。……あぁ、またこのニュース」
朝妃の自殺を知らせるニュース。
A組の同級生が死ぬのは、これで三人目だった。最初の二人と違い、朝妃の死は比較的詳細に語られている。
首を斬って自殺したこと、血が玄関から流れ出ていたことで事件が発覚したこと、遺書が遺されていないことなど、フリップまで使って報じられていた。
「なんでこんなに続いてるんだろう……」
愛海の食事の手が止まる。かじりかけのトーストから、小さな欠片がぽろぽろと落ちた。
*
同日 午前八時四十分 群馬県内
「間に合ったぁ~」
大学の講義室に息を切らせながら入室する愛海。室内を見渡しある人物を見つけると、その人のもとへと駆け寄る。
そこにいたのは冬陽と叶恵。愛海達と同じ大学に通っている二人は、講義室の一番後ろの席でぼんやりと頬杖をついていた。
「二人とも、おはよー」
「あー、愛海ちゃんだ。今日は遅刻しなかったね」
「ほんとだな。雨でも降るのか?」
二人が意地悪な笑みを浮かべた。
笑顔で頭を撫でてくる叶恵に若干の違和感を覚えつつも、愛海は朝の出来事を話した。
「危なかったんだよー。目覚まし鳴んなくてさぁ」
荷物を置き、叶恵の前の席に愛海は座る。
愛海と叶恵で目覚ましをかけた、かけないの水掛け論を繰り広げていると、雀と千咲が入室してきた。
「愛海、講義室入るのは早いんだから」
雀と千咲は愛海の両隣に座り、身を後ろに捻った。
「ねぇ二人とも、わたしやっぱり目覚ましかけたと思うんだけど」
「まーだ言ってんの?」
「どっちでもいいよぉ」
愛海が振る話題を、どうでもよさげに受け流す雀と千咲。
いつもと変わらぬ振る舞いをしていた三人だが、叶恵にはそうは写らなかったらしい。不安げな声が、彼女の口から漏れ出た。
「ねぇ、三人ともなにかあった? なんか、また元気ないけど」
その台詞を聞いて、愛海は自身が抱いていた違和感の正体に気が付いた。
新たに朝妃が死んだばかりだというのに、二人にはそれを悲しんでいる様子がなかったのだ。むしろ、修二と涼一の死を受け入れて乗り越えようとしている。愛海にはそう見えた。
「二人とも、ニュース見てないの?」
愛海が問うと、叶恵はそれを否定した。
「いや……今朝は見たよ? ねぇ、トウ君」
「あ、ああ。別に変わったニュースは──」
「ほんとに見てないんだ?」
日常には報道すべき出来事が溢れている。国外にまで目を向けなければならない今の時代、そういった出来事は必然的に多くなる。であれば、たった一人の自殺など、程々に報じられて次のニュースに流されていくのが普通なのだろう。
冬陽がニュースを視聴することと、朝妃のニュースが報じられること。二つのタイミングがずれてしまってもおかしくはない。
「ねぇ、なんの話?」
叶恵が愛海に詰め寄る。見慣れない剣幕だった。
「ちょ……落ち着いてよ、叶恵ちゃん」
叶恵の両肩に手を当てて、宥めようとする愛海。
それをよそに、雀が自身の携帯を冬陽に手渡していた。
「これ……なんだけど」
雀が差し出した携帯を、冬陽が受け取る。画面を見た彼の表情が、一気に険しくなった。
それを見た叶恵は、愛海の手を引き離し同じく携帯を除き込む。そして、息を飲んだ。
「なに……これ」
「いや、うそだろ」
携帯の画面には朝妃の自殺を報じるネットニュースの記事。
冬陽の手が小さく震える。やがてその震えは口にまで達し、彼の口から言葉となって漏れ出た。
「あいつが自殺なんてするはず……」
「え、ちょ……冬陽!」
冬陽が立ち上がると同時に、雀の携帯が投げ捨てられた。携帯は乾いた音を立てて、机を転がり、叶恵の足元の床に落ちた。
千咲と叶恵が慌てて携帯を追い、雀は自分の携帯を案じておろおろとする。
結果、講義室を出ていく冬陽を追えたのは、愛海だけだった。
「冬陽くん?」
講義室を出た愛海が目にしたのは、誰かに電話をかけている冬陽の姿だった。
自分達と入れ替わるように講義室前に教授がやって来る。
教授には軽く会釈をし、愛海は電話の終わりを静かに待った。
「そう……ですか。はい、はい。ありがとうございます。はい、失礼します」
電話を終えた冬陽は力なく壁に身を預け、首が折れそうなほど項垂れた。
虚空を見つめる冬陽に、愛海は声をかける。電話の相手が誰だったのか聞けば、すぐに答えは返ってきた。
「篠原先生だよ。こないだ会ってさ」
「なんで先生?」
「……」
冬陽からの返事はない。代わりに独り言のような呟きが、愛海の耳に入った。
「……朝妃は、絶対に自殺じゃないんだよ」
講義室からは小さく話し声が聞こえてくる。どうやら、講義が始まったらしい。
「でも、ニュースじゃ自殺だって。あんなに詳しく──」
「あいつらが自殺なんてするはずが……!」
愛海の声は、冬陽の静かな怒号に掻き消された。思わず息を飲み、二、三歩後ずさった。
「……悪い」
「なにか、知ってるの?」
「え?」
冬陽は三人が自殺じゃないと思っているようだ。それこそ、盲信とも取れるほどに。盲信でないなら、何かそういった事実を掴んでいるとしか思えなかった。
「わたしたちだって思ってるんだよ。みんなが、自殺じゃないかもって。でも……冬陽くんみたいに、言い切れなくて」
性格悪い言い方だけど、と前置きをしてから、愛海は冬陽に聞いてみた。
「『そこまで言うなら、証拠を出せ』……みたいなさ。ちょっと違うけど」
「朝妃にも、同じようなこと聞かれたな」
「朝妃くんに?」
「そんときは話す気になれなくて、また今度って言っちまってさ。したら、朝妃が……」
俯いていた冬陽が顔をあげた。
冬陽と向き合う形になった愛海には、猫背になっていた体勢が正されたのも相まって、彼の背がとても高く感じられた。
「証拠って言ったか。あるには……あるんだ」
聞いてみたいと愛海は思った。
そして、愛海がそれを投げ掛けると、冬陽は「場所を変えよう」と移動を始めた。
講義中の静かな構内を進んでいき、辿り着いたのは食堂。開放されてはいるが、まだ食事の提供は始まっておらず、まばらに学生が座っているだけの閑散とした空間だ。
愛海と冬陽は端の席に向かい合って座った。一応、自習している振りとしてノートや資料を広げておく。
「こないだ船西高に行ったときに、偶然朝妃と会ってさ」
愛海が一番最初に聞かされたのは、朝妃が自殺などしないと言い切れる根拠だった。
「ダンス部OBのステージ?」
「みんなには内緒って言ってたけどな。それで、あいつは毎週、船西高で練習とか打ち合わせとかしてたんだってさ」
あれほど楽しそうにしていた者が自殺などするはずがない。
そう語った冬陽に、愛海は素直に共感した。
「ところで、冬陽くんたちはなんで船西にいたの?」
「ん? まぁ、いろいろとな」
「ふーん? それで、あとの二人は?」
「修二と涼一か。少しショッキングな話だ」
愛海も三人の自殺を不審に思ってはいた。その裏にある真相をほんのわずかでも知りたいと思っていた。だが今は、自分のその考えを後悔する他なかった。
*
冬陽の口からは、修二と涼一の死に様が簡潔に語られた。
どのようにして二人が死んだのか、短い話ではあったが、とても長く愛海には感じられた。
「……大丈夫か?」
「ん……うん、大丈夫」
殴られたような衝撃が頭を巡る。報道では隠されていた事実が、理解を追い越して脳内で暴れた。その感覚に、愛海は顔を青ざめさせていた。
「ちょっと待っててな」
冬陽が席を立った。
言われた通りに待っていると、愛海の前に缶のココアが置かれた。冬陽が買ってきてくれたものだ。手に持つと、心を溶かすような温かさが身に染みた。
「……ありがと」
ホットココアを飲み、体内を温める。リラックスはできたが、脳は思考を止められない。
自分で自分の首を絞める。エンジンのかかった状態の排気口を咥える。何をどうしたらそうなるのか、まるでわからない。
「涼一くんを見つけた大学生って、やっぱり冬陽くんと叶恵ちゃんだったんだね」
「旅行中とか言われてたろ? 旅行じゃねぇのにさ。
啓太郎さん……あ、修二のお兄さんなんだけど、その人から電話が来て、修二が死んだって言われて。それで、近いうちに会えないかって啓太郎さんが。だから、桐生に行ったんだよ。
で、いざ会ったらさっきの修二の話を聞いて。涼一も来てくれるって言ってたのに、途中で……。
もう、わけわかんねぇ」
「ごめん……。嫌なこと、思い出させて」
「いや、見ない振りするわけにもいかねぇだろ。とにかく、ここまで聞いて、愛海はどう思う。あいつらが本当に自殺したって思うか」
修二、涼一、朝妃の死。
「朝妃くんはわかったけど、他の二人は悩みとかは……」
「なかったよ。隠してたって言われたらそれまでだけど、隠してたならあいつらは俳優になった方がいいな」
三人に悩みはなく、また隠している様子もなかった。そして何より、その常軌を逸した手段に愛海は確信を得ていた。
「なら、わたしは違うと思う。みんな、自殺じゃない」
*
正午を過ぎた頃、愛海は冬陽と離れ、雀と千咲とともにいた。冬陽から聞いた、自分達の知らなかった事実を共有するべきだと思い、二人に声をかけていた。
手始めに冬陽との話を表面のみ。冬陽と叶恵は朝妃の死を知らなかったことに加え、その二人が修二の実家へ行っていたこと、涼一の死体を発見したのもその二人であることなどを伝えた。
「はぁー、冬陽とそんな話してたんだぁ? 講義サボってー」
射抜くような雀の視線を受けて、愛海は苦笑いを浮かべるしかできない。
「愛海の分の資料、取っておいたからね」
「わぁ~ありがとう千咲ちゃん!」
話を逸らせるための大袈裟なリアクション。そうでもしなければ戒めの視線から逃れられそうにない。
「……ねぇ雀ちゃん、『そんな話』じゃないよ」
「え? いや、そんなつもりで言ったんじゃ……。ほら、言葉の綾ってやつだよ。愛海が講義サボるから」
「いや、そうじゃなくてね、もっと……」
現在、愛海達はとある棟の六階にいる。そこは敷地内では比較的面積が小さい棟であり、研究室や図書室などが備え付けられている。
彼女達がいる六階は講義室が二つあるだけで、そこで講義が行われない限り滅多に人は来ない。廊下ですらしんとしており、人の気配もない。大事な話をするとき、愛海はいつもこの場所を選んでいる。
「あのね──」
話を終えた愛海が目にしたのは、青ざめた表情の雀と千咲。あのとき、自分もこんな顔をしていて、それを人に見られたのかと愛海は少しだけ恥ずかしい気分になった。
「それでわたしは、みんなが自殺じゃないって思うんだけど、二人は……」
問いかけたが、二人は口をつぐみ、苦虫を噛み潰している最中だった。理解しがたいものを何とか理解しようと、脳を働かせているのだ。
二人が答えを出すのを、愛海は外を眺めて待つことにした。この日は快晴で、雲ひとつない青空が雄大にどこまでも広がっていた。その巨大な美しさを前にすると、三人の自殺をちっぽけなものだと捉えそうになってしまう。
駄目だ。そうしたら皆が報われない。
空の魔力に抗い、頭を振った。愛海は現実に戻り、再び二人の方を見やるのだが、まだ答えが出ていないようだった。
そして、答えが出るのを待たずして、それは現れた。
「ん……」
「千咲ちゃん?」
「だれか来る……?」
千咲の目が遠くを向いた。目の前にいる愛海を無視して、その視線は廊下の角を見ていた。そこにあるのは階段だけだ。
「あ、ほんとだ」
徐々に近付いてきているのだろう。愛海にもその足音が聞こえた。同時に、自身の両腕がそれぞれ雀と千咲に掴まれた。怯えているのか、それは弱々しく袖を引っ張っている。
この場所に誰かが来ることに、何もおかしなところはない。講義があるのだろう。忘れ物でもしたのだろう。何故か、不安は消えない。
来るのは一人だ。話し声がしない。異様なのは、その足音。自分の存在を誇示するかのように、一歩一歩の足音をコツコツと大きく響かせている。加えて、異常に遅い。それは、さながらゾンビのように。
来る。
愛海は無意識に身構えた。
「瑠璃……ちゃん?」
「え、瑠璃?」
「なんでうちの大学に……」
階段を上がってきたのは、瑠璃だった。
瑠璃は、三人とは違う大学に通っている。有り得ない話ではないにしても、今この場に瑠璃がいることは考えられなかった。
それだけに、瑠璃から異様な気配を感じ、三人は後ずさりながら距離を広げた。普通でなかった階段の上り方も影響しているかもしれない。
「まなみ……すずめ……ちさき……」
「な……なに?」
瑠璃が抑揚のない声を発した。
返事をした愛海の声は震えていた。声だけではない。雀と千咲に支えられながら、体もまた震えていた。
落ち着けと、脳内が騒ぐ。目の前にいるのは瑠璃だ。生きた人間だ。現れた状況や気配から困惑し、結果から恐怖心を生み出してしまったが、目の前にいるのは瑠璃なんだ。生きた人間なんだ。
「まなみ……すずめ……ちさき」
「もぉ、急に来るからびっくりしたじゃん。来るなら言ってよぉ」
両脇の二人を振りほどき、愛海は瑠璃の肩に手を置いた。確かな瑠璃の温かさを感じつつ、肩を揺さぶれば恐怖心が散っていく感覚がした。
「まなみ……すずめ……ちさき」
再び瑠璃に名前を呼ばれた。
彼女の声に、やはり抑揚はない。が、突然その声に感情が乗り移った。
「償え……!」
憎しみを孕んだ気迫に愛海はそっと手を離した。
「……え」
三人から漏れ出た声が重なった。
「瑠璃は……?」
首を巡らせる千咲。
三人の目の前から瑠璃の姿が消えたのだ。扉の音や足音は一切していない。するはずがない。消えたのは、瞬きという一瞬の間に起きたことなのだから。
どこかに隠れているのか。
探そうと、愛海と雀が動く。千咲を置き去りにして、二人は辺りを見回った。
「いないんだけど」
「る、瑠璃ちゃーん?」
返事はない。
「……千咲ちゃん?」
ぐるぐると視界を移動させていた愛海。その目が千咲を捉えた。怯えきった表情をしている、千咲を。
「千咲? どうしたの?」
その異変は雀も察知した。
呼び掛けには一切答えず、千咲は一点を見詰め続けている。
「ねぇ、千咲」
「……うごかない」
「え?」
「からだが……うごかないのぉ!」
途端、千咲の目から涙が溢れだした。止めどなく溢れる涙は、拭われることなく彼女の顔と服を濡らしていく。
「どういうこと……」
「なにいってんのさ、千咲ちゃん。ほら、動けるじゃん」
愛海が千咲を引き寄せると、その体はいとも簡単に動いた。地面に固定されたわけではないようだ。
「ちがう……自分で動かせない。……たすけてよ、たすけてよ愛海ぃ!」
「ちょ……ちょっと待ってよ。だって……あれ……なんで……」
千咲の身に起きていることを、愛海は唐突に身をもって理解した。愛海の体も自由を失ったのだ。
触れ合う箇所から千咲の体温を感じる。感覚は正常だ。しかし、指の先すら少しも動かせない。全身を石で固められたと思えてしまう。
「ねぇ! なんかヤバイよ、どうなってるの! 雀ちゃん、すず……め」
愛海は、咄嗟に雀に助けを求めた。だが、彼女にも同じ現象が起きていることは、すぐにわかった。
「ねぇ……これ、瑠璃の仕業じゃ」
「そんな……仮にそうでも、こんなのあり得ないよ」
雀が口走ったことを、愛海が否定する。
「待ってれば、だれか来てくれるよね」
いざとなれば大声をあげよう。喉が潰れることなど些細な問題だ。いざとなれば。いや、今がそのときかもしれない。
「ねぇ二人とも、助け呼ぼう!」
首も目も動かせないなか、愛海は声だけで二人を見た。返答はなかったが、二人が心で頷いてくれたことは、直感的に理解できた。
「助けてー! 誰か来て! 誰かー!」
喉が痛い。何か飲みたい。
愛海は一人、一心不乱に叫んだ。喉から出血する勢いで声を張り上げた。
だが、その場に来てくれたのは、死の足音だった。
ガラララ。
「え?」
窓の開いた音。愛海と千咲はハグをするような姿勢で固まっている。ならば、窓を開けたのは雀だ。
「雀ちゃん、動けるの?」
鳥肌が全身を駆け巡った。体を撫でる冷たい風か、それとも予測される恐怖か。愛海の腕が千咲から離れていく。体はそのまま窓から外を見下ろした。
「あ……やだ……やだぁ!」
愛海の髪が風でなびく。溢れた涙は風で飛ばされていった。
「やだよ……やだ、なんで」
窓のサッシに足がかけられる。スカートが乱れ、どこか子供っぽい下着が露になってもそれを直す術もない。
「やだ……や……いやっ──」
その瞬間、愛海は空を飛んだ。だが、人間に空は飛べない。次に待つのは逆らえない重力による、自然落下。
空が遠ざかる。何やら背後が騒がしい。自分が落ちた窓に誰かがいる。千咲だ。同じように足をかけている。
駄目だ。
声をあげようと口を開き、しかしその前に、受け止めきれない衝撃が愛海の全身に襲いかかった。