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瑠璃色の徒花  作者: 吉柳月狼
一章 連鎖
4/8

三 噴水 三

 十一月十日 午後三時 千葉県船橋市


 高校時代の友人の死。夏川朝妃なつかわあさひはそれをニュースによって知ることになった。

 渋谷の路上で男子大学生が変死したと報道された修二。防犯カメラの映像から自殺であるとされた。

 桐生市内の路上で男子大学生が変死と報道された涼一。ドライブレコーダーや周囲の状況から、こちらも自殺であるとされた。

 また、涼一のニュースでは、彼の遺体を見つけたのは旅行中の男女の大学生二人組だと語られた。

 船西高のA組を卒業した者ならば、それだけである程度の流れは掴める。そして、報道内容がねじ曲げられていることも。

 それに加えて、ある疑念を抱くことだろう。


 二人は本当に自殺だったのか、と。


 朝妃が在籍していた頃のA組は、二人の中心人物のお陰で男女間の壁もない仲の良いクラスだった。日が経つにつれて特に仲の良い者同士でグループが作られていき、グループ外のクラスメイトと話す機会は減ることもあった。だが、それでも個人個人の仲が悪くなることは一切なかった。

 つまり、楽しい三年間だった。

 卒業してバラバラになってから二年。その間に自殺するほど追い詰められる出来事があったのかもしれないが、そう考えても納得がいかなかった。

「死ぬ前に相談とかするだろ、普通」

 高校でできた仲の良い友人がいる。生半可な仲ではない友人だ。相談すれば絶対に力になってくれるはずだ。それにもかかわらず、二人は相談もせず、遺書すら遺さずに自殺した。

 疑問は尽きないが、飲み込むしかない。死者の思いは死者にしかわからず、それを遺族に問いただしていい道理はない。


 そのはずだが、彼らの死の詳細を知るであろう人物が目の前に現れると、疑問は止められなかった。


「冬陽?」

 母校である船西高を訪れていた朝妃は、職員室前の廊下で彼らを見つけた。二年振りの再会だが、すぐに誰だかわかった。

 短髪で太眉の男は冬陽。その横にいるポニーテールの女性は叶恵。

 身長差のある二人組の女性は青山瑠璃あおやまるり月宮姫つきみやひめ。長身のロングヘアが姫であり、彼女より頭ひとつ分小さいショートボブが瑠璃だ。

 日焼けした筋肉質な男は、朝妃や冬陽達の担任だった篠原章彦しのはらあきひこで、彼だけは二年前と何ら変わりはない。

 名前を呼ぶと、冬陽達はすぐに気付き、振り返ってくれた。

「夏川。そうか、今日は練習の日だったか」

 腕時計を確認しながら篠原は言う。

「……久し振りだな、朝妃。どうしたんだよ、こんなところで」

 冬陽が軽く手をあげた。

 近付いてわかったのだが、冬陽の顔に薄くくまができていた。満足に眠れていないのだろうか。

「どうしたって、それはこっちの台詞だな。先生までお揃いで、どしたん?」

 冬陽との会話に、朝妃は妙なぎこちなさを感じた。一言で言えば、シチュエーションの悪さが原因だ。

 仲の良かったクラスメイトが二人死んでいる。だからといって久し振りの再会を冷たく流せるはずもなく、かといって心の底から喜べもしない。

 その結果が、どこかギクシャクした雰囲気を生んでしまった。

「いや朝妃さ、修二と涼一の話……知ってるか?」

「あぁ……ニュースで見たよ。その、なんだ……その二人に、関係してんのか?」

 当たり障りのない上手い言い方が見つからず、朝妃は結論だけを聞いた。

「そんな感じだな。タイムカプセル掘りに来た」

 得意気に冬陽が言う。

「タイムカプセル? それって、あれか。A組のみんなで埋めたやつか?」

 確かに、卒業式の日にA組の皆でタイムカプセルを埋めている。掘り起こすのは十年後のはずだ。式があったのが二〇一七年(二〇一六年度)三月九日のため、カプセルを掘り起こすのは二〇二七年の三月九日のはずだった。

 クラスメイトが死んだのだ。その弔いのために八年も前倒しにしたのだろうが、他の者はどうしたのだろう。

 朝妃がそれについて聞こうとすると、瑠璃と姫がばつの悪そうな顔をして口を開いた。

「いやぁ、それとは別にもう一個埋めてるんだよね……私たち。ねぇ、瑠璃ちゃん」

「うん。このメンバーで、みんなに秘密で。今日掘ろうと思ってたのも、もう一個の方で」

「もう一個……。え、もう一個? じゃあ、あれか? お前らだけ、タイムカプセル二個あるのか? うわ、ずっりぃー。俺らも誘ってくれりゃよかったのに」

 このメンバーというのは冬陽達四人。それにひとみや修二、涼一を加えた七人だろうか。篠原が一緒にいるのを見るに、彼も二つ目のタイムカプセルについては認識していたのだろう。

 冬陽達の秘密には驚いたが、朝妃はそれを笑い飛ばすことができる。高校時代の冬陽達を思えば、やりかねないことだった。

「いやいや、お前まで誘ったらみんなも来ちゃうだろ」

「確かに、そうなったら二個作る意味はないけどさぁ。まぁでも、大体わかったよ。二個目のカプセル埋めたんが、お前達と修二と涼一ってことか」

 相変わらず、仲が良いんだな。

 朝妃が笑うと、叶恵は何故か寂しげな表情を浮かべて見せた。

「そういうこと。けど、ひーちゃんが来れなくなっちゃったから、掘り起こすのはまた今度」

「あぁー。涼一と付き合ってたもんな。そりゃ辛いよな」

 ひとみの元気が戻り、再び掘り起こす日が決まったら、せっかくだから自分も誘ってもらおう。

 そんなことを考えながら会話をしていると、朝妃の携帯が震えだした。

「……あ、悪い。呼ばれちった」

 電話の相手は佐藤さとうという船西高ではB組に所属していた朝妃の友人だ。クラスは違うが、二人は同じダンス部に所属していたのだ。

「なぁ朝妃、さっき先生が練習って言ってたけど、なんかあるのか?」

 朝妃が通話を終えると、冬陽が聞いてきた。再会したときに篠原が言った台詞を聞き逃さなかったらしい。

「ん? あー、ほら。船西さ、もうすぐ文化祭じゃん? 俺、文化祭でステージやるんだよ。ダンス部のOBってやつでさ」

「OBのステージ……? って、俺らの頃もやってたか?」

「普段はやってないけど。ほら、隣のクラスに佐藤っていたじゃん? 俺と同じダンス部だった。

 今年に入って、そいつの妹が入学してさ。その子もダンス部に入ったんだよ。んで、その子が文化祭でOBとステージやりたいって言ったみたいで、トントン拍子に。

 まだ、内緒にしといてくれよ? 特に、満之みつゆき達にはさ」

 言い逃れが難しそうな状況だったために話してしまったが、朝妃は文化祭のステージはサプライズにする予定でいた。それこそ、同窓会さながらに皆で文化祭を回り、ダンス部のステージを見に行こうと無理矢理にでも誘う。そして、ステージの本番前にひっそりと姿を消そうなどと考えていた。

 冬陽達は朝妃の頼みに快く応じると、別れの挨拶を済ませて朝妃とは逆方向に踵を返す。

「あー、冬陽」

「ん?」

 リノリウムの音が響き始めた中、朝妃は冬陽を呼び止めた。彼が帰ると思うと、どうしてもあのことを聞きたくなってしまった。

「ちょっと」

 小さく手招きをすれば、名前を呼んだこともあって、冬陽は一人で朝妃のもとに歩み寄ってくる。

 冬陽が先に行くよう伝えたのか、他の皆は「待ってるね」と去っていった。

「どうした?」

「涼一のニュースのことなんだけどさ……あれ、お前らだろ?」

「あれ?」

「涼一を見つけた人だよ。旅行中の、男女の大学生二人組ってやつ」

 冬陽の答えが詰まった。言い淀むというより、心当たりがないといった様子だ。

 すぐに何のことかは理解してくれたようだが、何でも最近はニュースから距離を置いているらしい。

「旅行中って、あれ嘘だろ? 桐生つったら修二の……」

「ああ。あの日は、修二の実家に行ってたよ」

 桐生には修二の実家がある。冬陽や叶恵は修二ととても仲が良かった。ならば、線香をあげたり、顔を見に行くために彼の実家を訪れてもおかしくはない。

 そして、涼一とひとみも修二と仲が良い。涼一もあのとき、修二の実家に向かっていたに違いない。

「涼一……修二もだけど、二人は自殺だってニュースじゃ言ってたけど……」

 あいつらは本当に自殺なのか。

 言葉には出さなかったが、冬陽もその疑問を抱いていた。その証拠に、朝妃の聞きたいことをしっかりと汲み取ってくれた。

「あいつらが、自殺なんてするはずがない。けど、自殺じゃないと説明がつかない。今は、そうとしか言えないらしい」

 遺書があれば、少しは救いになったのだろうか。

 救いの手は、未だに伸ばされない。

「変……いや、どうやって死んでたとか聞いても……いいわけないよな」

「それについては、いつか話すよ。今はまだ」

「わかったよ。無理には聞かねぇ。けど、あんま一人で抱え込むなよ?」

「ああ」

 変死。二人の死が何か引っ掛かる理由のひとつ。その詳細は、誰の死であっても報道規制が敷かれることになる。修二の実家に行き、涼一の遺体を発見した冬陽ならば、二人の変死の内容を知っているだろう。

 だが、今は聞ける状況ではない。冬陽が話してくれるまで、待つしかなかった。


       *


 同日 深夜一時(十一日 午前一時) 千葉県船橋市


 日付が変わったことにも気付かずに、朝妃はシャーペンを走らせていた。ノートには、フォーメーションやステップなどの用語が多数並び、簡単なイラストも添えられている。文化祭で披露する予定のダンスだ。

 書かれている用語やイラストは以前に書かれたものだ。ノートの上部に記された日付がそれを示している。だが、今日の日付が記されたページには、まだ何も書かれていない。

 シャーペンの芯が、ダンスに使えそうにもない固いリズムを刻んでいた。気が散っているのだ。散らせているのは、やはり修二と涼一の変死。

 だが、同時にほっとしている自分もいた。

「意外と、元気そうだったな」

 船西高での再会。

 冬陽と叶恵は、ある意味予想通りだった。その二人は、凹みこそすれ元気をなくすことはない。どんなときでも前を向く性格だ。

 心配なのはひとみ。涼一の死にショックを受けて家に引きこもってしまったと叶恵は言っていた。今日、船西高に来なかったのもドタキャンらしかった。だが、彼女のことは叶恵が献身的に支えているようだ。ならば、回復は早かろう。

 瑠璃と姫に関しては意外という他なかった。二人は高校生になってから肉親を亡くしているのだ。家族を亡くした悲しみを思い出し、それこそ引きこもりそうなものだが、そうはなっていなかった。

「今日はもう寝るか」

 一文字も書いていないが、今日はもう筆が乗らない。今まで書いたものを見直すことができたのだから良しとしよう。

 そう踏ん切りをつけて、朝妃はベッドに入った。

 枕に頭を預け、息を吸っては吐く。その呼吸音と、それに混じる時計の時を刻む音。たまに聞こえる外を走る自転車の音。

 それらを子守唄に、朝妃は睡魔に身を委ねた。


       *


 同日 午後二時


 静かな寝息が立ち始めた頃に、それはやって来た。


 ピンポーン。


 部屋に、チャイムの音が鳴り響いた。次いで、壁のモニターが、ピッという電子音とともに起動し、カメラで外の様子を映し出す。


 ピンポーン。


 夢の中にいる朝妃はチャイムに気付かない。聞こえてはいるだろうが、夢の中で別の音に変換されていた。


 ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。


 痺れを切らしたかのように連打されるチャイム。夢の世界も断続的に響く音に、徐々に崩壊していく。

 少しずつ意識が覚醒していき、完全に目が覚める頃には、部屋はチャイムの音色で埋め尽くされていた。

「なんだよ? 誰だよ、こんな時間に」

 深夜二時の来客。明かりが点いていれば話は別だが、そうでない部屋にチャイムを鳴らすのだろうか。隣室と間違えている可能性もある。

 どちらにせよ、延々と鳴り響くチャイムを止めなければならない。

 朝妃は極力、音を出さずにベッドから起き、壁のモニターに向かった。警戒心から部屋の明かりも点けようとはしないが、リモコンや漫画など色々なものを踏みつけてしまった。もちろん、散らかしたのは朝妃であり、少しだけ自分を戒めた。

 赤外線で少し見にくいが、モニターの向こうに誰かがいるのは目視できた。

 だが、確認できたのは人の存在のみで、来客が誰なのかはさっぱり見当がつかない。

 しばらくモニターから様子を窺っていた朝妃だが、止みそうにないチャイムの音に多少の焦りを覚え、意を決して玄関の扉を開け放った。

 ガタンと、チェーンが突っ張る。扉を開けるときにかけたものだ。




「お前、瑠璃か? 帰ったんじゃなかったのか?」


       *


 修二と涼一の変死。自殺と処理された、その真相。

 朝妃は今まさに、それを目の当たりにしていた。

 自分の肉体が、自分の意思を無視して動いているのだ。原因は明らかに、瑠璃だ。

 船西高で会った後、恐らくそのまま帰ったはずの瑠璃。帰らずにどこかで遊んでいて、そのまま終電を逃したのか。

 ──それで俺の家に来たのか。一人で? 姫と離れて? それよりも、どうして俺の家を知ってる?

 朝妃は一人暮らしを始めてから、一度引っ越していた。隣人の寝タバコでボヤが発生し、当時住んでいたアパートが燃えてしまったのだ。朝妃の部屋に被害はなかったものの、アパート全体はそうもいかず、引っ越しするしかなかった。

 そして、今住んでいるアパートの場所を、朝妃はまだ誰にも教えていない。もちろんいずれは教えるつもりだが、現時点では誰も朝妃の新居を知らないはずだった。

 瑠璃の来訪の時点で気付くべきだった。目の前の状況の異常さに。事の重大さに気付いたのは、瑠璃の姿が消え、自身の肉体が制御を失ったときだった。

 姿が消える直前、瑠璃は一言だけ朝妃に言い放った。




「償え」




 ──なんなんだよ、『償え』って。なにを償えって言うんだよ! つーか、なんで俺の体動かねぇんだよ……。動けよ、動いてくれよ!

 棒立ちのまま硬直する肉体。テコでも動かせないと思えるほどに固まったままだ。

 朝妃の内なる叫びを聞き届けたのか、彼の肉体が不意に動き出した。しかし、それは朝妃を絶望に叩き落とした。

「うううおああああ!」

 動き出した肉体。腕が、足が、胴体が別の生き物のように動き出す。波打つようにうねる腕は、獲物を探すが如く空中を泳ぎ回った。

 端から見ればパントマイムのような動きで、朝妃の肉体は歩き出す。ぎこちない動作で辿り着いた先は台所だ。

 ゾワッと背筋が冷たくなる。ほとんど直感だ。直感でこの先の展開を感じ取ってしまった。予想通りに事が進めば進むほど、恐怖心が増していく。

 うねっていた腕は大人しくなり、かと思えば力が抜けたように腰が落とされる。

「やめてくれよ……、なんなんだよ!」

 手に取られたのは、包丁。買い換えたり、手入れをするのが面倒だからと、少し良いものを買っていた。殺意の光沢が、段々と近付いてきた。

「おい……おい! やめろ、やめろ!」

 妖しく光る刃先が、顔の前ににじり寄ってくる。包丁が首元に押し当てられた。グッと力が込められ、刃先に血が滲み出す。小さくも鋭い痛みが脳を揺さぶる。

「やめてくれ……頼むから……やめっ──」

 シュイン、と鮮やかな音が響く。時が止まったかのような一瞬の静寂。そして、鯨の如き血飛沫が首の皮と肉を押し退ける。それだけでは飽き足らず、さらに三回、包丁を首に滑らせた。

 手から包丁が抜け落ちた。体の自由が戻ったことに気付いたのは、反射的に首を押さえたときだった。

 滑りのある生暖かい液体で、両手は瞬く間に赤く染まっていく。

 傷が深い。声が出せない。

 焼けるような激痛。体から流れ出ていく生と、代わりに満ちていく鮮明な死の感覚。

 どうにかして出血を止めようと、朝妃は部屋中を漁った。血を吹き出しながら、床に散らばった服や漫画を無我夢中で掻き回す。

 服や布団のシーツなど止血に使えそうなものは掃いて捨てるほどあったが、駆け足で近付いてくる死の足音と失われていく血液に冷静さを奪われてしまい、それらで血を止めようという発想が浮かばなかった。

 やがて、血飛沫の勢いが弱まる。足元がもつれ、世界が歪む。

 薄れ行く意識の中、朝妃は外を求めた。

 外に出さえすれば助けを呼べる。

 扉に手を伸ばし、「助けて」と口だけを動かす。視界が霞み、全身から力が抜けていった。

 ──ああ、この靴……結局ほとんど履かなかったな。

 首の出血で、最近買ったばかりの靴が汚れていく。それを眺めながら、朝妃は闇へと落ちていった。

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