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瑠璃色の徒花  作者: 吉柳月狼
一章 連鎖
2/8

一 首輪 一

  二〇一八年十一月一日 午後十一時 東京都渋谷区


 未だ、耳から喧騒が離れず、鼻には酒の臭いが残っていた。網膜には、皆の笑顔が焼き付いていた。

 二十歳を迎えた記念に行われた同窓会。そこで、乾修二いぬいしゅうじは五年振りに中学校の同級生と再会した。

 五年振りに会った中学校の同級生は、実に様々な変化を遂げていた。体型が大きく変わった者、髪色が明るくなりあか抜けた者、濃い髭が生えた者、何も変わっていないお調子者。

 五年という月日は、長いようで短く、短いようで長い。

 この同窓会で、修二はそう感じた。

 思春期の頃は、あらゆる制約から解放される『成人』になれる日をずっと待ちわびていた。堂々とアダルトに踏み入ることができる日が待ち遠しかった。

 だが、いざ『成人』を迎えるとどうだ。振り返っても歩んできたはずの人生は、記憶らしい記憶は、一年分にも満たない。少年の頃の楽しかった思い出が、昨日のことのように感じられた。

 一時間の記憶を二四時間分。二四時間分の記憶を三六五日分。更にそれを数十年分。数千日の一日一日を事細かに覚えているなど、まず有り得ないだろう。たとえ瞬間記憶能力を持っていたとしても、修二にはその自信はなかった。

 だからこそ、過ぎ去る日々を記録できるカメラに修二は心を惹かれのだ。今、彼が首から提げているカメラにも、同窓会の写真が大量に保存されている。32GBのSDカードを二枚使い切る程だ。

 ──じいちゃんとも、酒飲みたかったな。

 修二がカメラの道に進むもうひとつの理由。それは、祖父の存在だった。既に他界しているが、写真館を経営していた祖父は多くの撮影器具を所有していた。そして、カメラに興味を持った少年時代の修二に、撮影技術と写真の楽しさを教え込んだのだ。


 良い写真を、たくさんこの世に残せ。


 それが、修二に向けた祖父の遺言だ。それに従い、修二は今もカメラの勉強を怠らない。より良い写真を撮るために、努力を重ねている。

 ──見てろよ、じいちゃん。

 心の中で、祖父を想う。呼び掛ける代わりに天を仰ぎ、手を合わせる代わりにカメラを取った。被写体は、夜空。

 祖父が笑ってくれたような気がした。

 世界中を回るカメラマン。その夢に向かって、今日も修二はシャッターを切る。


       *

 

 修二の家は渋谷ではない。だが、歩けない距離でもない。二十歳の有り余った体力ならば、尚更だ。時折シャッターを切りながら、修二は夜道を行く。

 真夏の暑さはとうに失せ、残暑すらもどこかへ行った。暑くもなく寒くもない、絶妙な気候が主役を張るほんの僅かな期間。日によっては暑さが蘇り、時には先走った寒さが顔を出す。

 修二とすれ違う人々も、一足早くマフラーやコートを身に付けていたり、何故か半袖半ズボンの筋肉質な人がいたりと、見ていると季節感が狂いそうだった。

 人の多い通りを抜けて住宅街に入ると一気に人は失せ、世界が滅びたような静けさが漂ってきた。周りの家の明かりが、辛うじて世界が生きていることを知らせてくれる。

 擬似的な世界の終わりに浸っていると、ズボンのポケットで携帯が震えた。現実感が手元で光った。

冬陽とうようか。もしもし?」

『おう、もう同窓会終わったのか?』

「ああ、もう解散したよ。今帰り道」

 電話の相手は碓氷冬陽うすいとうよう。彼は、修二が通っていた船橋西高校ふなばしにしこうこう──通称、船西高ふなにしこうで出会った親友の一人だ。船西高にはクラス替えがないため、三年間を同じA組で過ごした。今もその仲は変わらず、何かにつけてこうして連絡を取り合っている。

「それで、どうした?」

『ほら、日曜の飲み会だよ。場所決まったからさ』

「あー、はいはい。どこ?」

『お前ん家』

「お前、わかって言ってんだろ? 俺んところはダメだって」

『わかってるって。冗談に決まってるだろ。涼一りょういちんところだよ』

 修二は大学入学とともに一人暮らしを始めたが、誰もその家に行ったことがない。写真科に通うがゆえに、撮影器具が散乱しており、危ないからだと本人は語る。


       *


「さすがにこの部屋に入れるわけにはなぁ。趣味丸出しだもんなぁ」

 家に帰り、修二は無造作に上着を脱ぎ、冷凍庫を開ける。ひんやりとした空気に頬を撫でられながら、修二は財布を手に取った。

「アイス買ってくるか」

 もう一度上着を着て、靴を履く。「いってきます」と一声残し、室内に玄関扉の閉まる音を響かせた。

 家から近所のコンビニへ。さすがの修二も、このときばかりはカメラは持たない。上着のポケットに財布と家の鍵を入れただけの身軽な格好だ。

 日曜日の飲み会にお土産でも持っていこうか、お菓子よりもナッツ類の方がいいだろうか、などと考えながら歩いた。

「……」

 買うものを決め、思考を止める。それにより、際立つ静寂。日付も変わったため、道に誰もいないのは当然だが、どうにも不安な気分になる。

 目の前を横切る猫に、修二は短く悲鳴をあげてしまった。猫が、馬鹿にするように修二を一瞥した。

 猫を最後に修二の周りから生物の音が消え去った。つまり、目の前の道には誰もいない。無論、後ろの道にも誰もいないはずだ。それにもかかわらず、猫に驚かされた記憶が背後から何かが忍び寄ってくるような気配を強める。

 己を鼓舞するように踏み出す足を強めれば、反響した足音が二人目の足音のように聞こえてしまう。

 目の前の風景を楽しもうとしても、風で揺れる葉の音が何者かの囁きに思える。

 すっかり不気味になってしまった雰囲気に、修二の酔いは少しずつ覚めていく。

 そして、前方の電柱を通り過ぎようとしたとき、気のせいや思い込みではない現実が、修二の右側から現れた。

「うわぁぁぁ!」

 電柱の陰、修二から見れば死角になる位置に、誰かが立っていた。

 日付が変わった時間帯とはいえ、いくつかの家はまだ明かりが灯っている。それに、月の明かりや自動販売機のライトもある。最良でこそないが、目の前の視界は良好だ。誰かが電柱の陰に隠れようとすれば、確実にその様子が見えるはずだ。

 だが、そんな様子は一切確認できなかった。

「……は? あれ……お前、瑠璃るりか?」

 修二は、電柱にいた少女の顔も名前も知っていた。

「お前、こんなところで何してんだ? ずっとそこにいたのか?」

 見知った顔に、少しずつ声が落ち着きを取り戻していく。

「黙ってないで、なんとか言ってくれよ」

 修二と瑠璃は高校時代の同級生だった。だが、二人は所謂『グループ』が異なっていた。特に仲良くしていた友人が違うのだ。

 修二は、冬陽を含めた四人のクラスメイトと特に仲良くしていた。

 だが、瑠璃は修二達とは別のクラスメイトと特に仲良くしていた。

 修二は瑠璃と仲が良かった──というより、クラス全体の仲が良かった──が、写真を撮る以外の場面ではあまり話すことはなかった。

 それでも、久し振りの再会だった。だというのに、修二がいくら話しかけようとも瑠璃は一向に口を開こうとしない。それどころか、完全な無表情で反応さえ示してくれようとしない。微動だにせず、ただただ修二を凝視してきていた。

「無視かよ。感じ悪いな」

 反応がないことは、無視されていると思えば納得できる。

 だが、それとは別に何かもう一つ、修二は違和感を覚えていた。その違和感が何なのか、瑠璃の姿をまじまじと観察しても、答えは見つからない。

「……もう俺行くわ。じゃあな」

 正体不明の違和感に、妙な気味の悪さを感じ、修二は瑠璃を置いてその場から立ち去った。

 歩きながら何度も何度も後ろを振り返っていると、修二はあることに気が付いた。

 電柱の側に変わらず立ち続けている瑠璃。振り返るたびに、その体の向きが変化していた。回転台に乗っているかのように、姿勢はそのままで体全体が向きを変えているのだ。

 ──なんなんだよ、気持ち悪いな。

 修二は、瑠璃を無視して駆け出すこともできたのだが、そうはしなかった。

 走り出せば、途端にあちらも追いかけてくるのではないか。

 瑠璃は同級生であり、野生の熊ではない。だが、今の瑠璃が放つ不気味な雰囲気は、人間とは思えない程だと、修二は思った。

 件の電柱と距離が開くにつれて、振り返る間隔が短くなっていく。修二は、自分との距離が縮まっていやしないかと、何度も確認を重ねた。

 そして、辛うじて電柱を視認できる距離まで進み、大きくため息を吐いた。たった数メートルを歩いて進んだだけなのだが、そのため息は、疲れの色が濃くなっていた。

 最後に後ろを振り向き、修二は目を細めて瑠璃を観察した。

 瑠璃はまだ電柱の側にいる。これ以上進めばもう見えなくなる小ささだ。

 再びため息を吐き、修二は前に向き直った。

 同時に、その目を見開いた。視線を一点に集中させ、肉体を石になったかのように硬直させた。

「なんで……」


 瑠璃は、目の前にいた。


 事態を認識し、反射的に体を振り向かせる。

 目線の先の電柱には、誰もいない。

 再び体を戻し、修二は瑠璃と目を合わせる。

 どうやって回り込んだのか。後ろから追い抜いたわけではないのは確かだ。だが、それならば大きく迂回して回り込んだのか。電柱にいた姿が、何かしらの影を人の形に見間違えたものだとすれば一通り説明はつきそうだが。

 修二の脳に、様々な考えが浮かぶ。最後に考えたことが正しいのだろうか。

 だが、仮にそうだとしても、修二は頷けない。

 ──こいつ、何がしたいんだ?

 目の前にいる瑠璃が、何故こうまでして自分につきまとうのか、それが一向に理解できない。

 話したいことがあるなら話せばいい。何かの事情で口に出せなくとも、意思疏通の手段はまだあるはずだった。

 それすらもしようとせず、瑠璃はただ無表情で修二を見詰め続ける。

「くそっ」

 修二は踵を返した。来た道を全速力で走り、大通りまで引き返した。

 自慢ではないが、足に自信があり、追い付かれない確信があった。

 一切振り向かず、修二は無我夢中で大通りまで走った。人の姿に安心しようとしたのだが、見渡しても通行人の姿は見当たらない。それどころか、一台の車も走っていない。停められてすら、いなかった。

「はぁはぁはぁ……。なんだよこれ、なんで誰も……あ。あああ、うあああ!」

 何故だ。何が起こっている。

 修二は情けなく尻餅をついた。震えた悲鳴が、口から漏れた。

 目の前に、先程と変わらぬ様子で瑠璃が立っていた。それも、息も切らさず、汗一つ流さずに。

 無表情の眼差しに、修二は弱々しく、それでいて必死に後ずさった。

 それを追うように、瑠璃もまた、ゆっくりと足を前に出した。修二の前で、瑠璃が初めて動いた瞬間だった。

 腰を抜かした修二に容易く追い付くと、瑠璃は前屈みになり、修二の顔を覗き込んだ。そして、静かに瞬くと、眉間に皺を寄せて目を見開いた。

「あ……ああ」

 その表情を目の当たりにして、修二はようやく、ずっと抱いていた違和感の正体を突き止めることができた。

 最初に電柱で会ったときから、瑠璃は一切瞬きをしていなかったのだ。不気味な雰囲気は、開ききった瞳孔から来るものだった。

 それを理解した修二は、涙を流しながら、四つん這いのまま獣のように逃亡を謀った。

 背後を気にしつつも振り返ることはせず、ひたすら逃げた。ズボンが破れようと、掌が擦り剥けようと構ってはいられなかった。

「誰か……誰か……」

 必死に助けを呼ぶが、答えてくれる者はいない。確かに夜中ではあるが、ここは二三区内であり、野外から一切の人が消え去るなどあるはずがない。

「どうして……どうして誰も来ないんだよ! ……うわ、うわぁぁぁぁあ!」

 喉の奥から悲鳴があがる。四つん這いだった体が横に転がった。

 自分の意思とは関係なく勝手に腕が動き始めたのだ。一目で異常と分かる指の動きと陸に打ち上げられた魚のように痙攣する腕。

「なんだよ! なんなんだよ!」

 これは嘘だ。幻覚だ。酒を飲み過ぎたんだ。この腕も酒のせいだ。あいつも幻に決まっている。全部全部、酒のせいなんだ。

 激しく首を横に降り、目の前の事実を否定する。しかし、無情にも、腕の動きは激しさを増していく。

 目の前の現実が、否定を塗り潰し、崩壊させていく。

 恐怖がピークに達し、絶叫が喉を突き破る。


 突然、腕の動きが止まった。


 一瞬の安堵すら許されなかった。


 獲物を狩る蛇の如く、両手が首に噛み付いた。


「うわぁっ! かはっ……かっ……」

 制御できない両手が、自分の物であるはずの両手が、自分を殺しにかかる。

 何とか手を引き剥がそうと体を起こし、電柱やブロック塀、ところ構わず腕を打ち付ける。出血など、些細な問題だった。

 泡を吹きながら腕と手への攻撃を続けるが、親指はより強く喉仏を押し込む。

「……がはっあああ……」

 とうとう膝をつき、再び地面に倒れ込んだ。充血した目が、すがるように天を仰ぐ。

 かすれた呼吸が悲鳴の代わりに喉から絞り出された。

 やがて、体の動きは次第に小さくなっていき、二度三度、大きく痙攣したかと思えば、糸の切れた人形の様に修二の体は動きを止めた。

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