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  むせ返るような鉄の臭い。


 何かが焦げたような苦い臭い。


 それと、血肉が腐りゆく臭い。


 それらが混ざり合い、まともな嗅覚を持つものなら呼吸もままならないであろう悪臭が、風に乗ってゆっくりと広がっていく。


  兵士たちの鎧がたてる、ガチャガチャ、という音が響き続けてどれぐらいになるだろう。

 時折疲労を隠しきれないため息や、ぶり返した恐怖に歯がぶつかり合うカチカチという音、失われたものを思ってか涙を呑み鼻をすする音なども聞こえてくるような気がする。


 それでも、彼らの表情から絶望の色が消え去っているのはせめてもの救いだろう。




「ふう。こんなものかな」




 額を流れて落ちてくる水滴を、器用に右の肘の内側で拭い、結果として顔に土を塗りたくることになってしまった少女。


 歳の頃はおよそ10代の後半といったところ。

 しかし鈍く光る革製の胸当ては悲しいほどになだらかで、細いというよりは鍛えあげられ絞られた手足からも女を感じることはできない。


 そんな少女は自身の身体の5倍はあろうかという巨大な蛇の死骸を、身の丈ほどもある長剣を振るい、かろうじて抱えて運べるような大きさのブツ切りにした。


 巨大な蛇の断面はまるで高温で焼かれたかの如く膨れ上がって血管を塞いでいるため、大地を屍体から流れ出た血液が汚染する事はない。


 少女は最後に憎悪と殺意が形をとったような、ゴツゴツとした禍々しい頭部を慎重に持ち上げ、複雑な紋様が刺繍された袋に押し込んだ。

 袋が閉じられると、刺繍された紋様が淡い青色の光を放ちはじめる。

 

 青い光をぼんやりとした表情で眺めていた少女だったが、聞こえてきた慌ただしい足音に身を硬くし、咄嗟に背負い直していた剣の方へ手を伸ばす。

 


「雷帝様⁉︎ このようなところで何をなさっておられるのです⁉︎」



 遠くから、まるで悲鳴のようにさえ聞こえる男の声がした。


 甲高い声を発した男は、足元の黒く焦げた草をパリパリと踏み砕きながらこちらへ駆け寄ってくる。

 足元をろくに見もせず陥没や裂け目を躱して歩くその姿は小柄な体躯や若さに似合わぬ鍛錬の積み重ねを感じさせるものだ。



「なんだ、ブリッツか……見て分からないか? この魔物、キングバジリスクの屍体を片付けていたのだ」



「それくらい見れば分かりますよ! 私がお聞きしたいのは何故雷帝様がそのような事をされているのか、という話です‼︎ 」



 なんでもないような調子の少女に対し、真っ赤な顔で叫ぶブリッツ。


 静かな荒野にキンキンと響き渡るその声に、近くのものがちらりとこちらに目をやるがすぐに作業に戻る。


死体の後片付けという、重要ではあるが気の進まない仕事に。



「戦場の後片付けは大事だろう? 戦死した兵士たちを野晒しにするのは忍びないし、放置しておけば魔物が寄って来るだろう。

そうでなくともあの、交易都市で伝染病など起きてみろ。どれだけの被害が出ることか」



 雷帝と呼ばれる少女が指差した遥か先、人の視力でぎりぎり視認できるかどうかというところに、石を積み上げて出来た壁がある。



 交易都市、アフェルリンデ。

 セブレニア王国の中心部に位置するこの都市は、東西南北に伸びる街道の中継地であり、物流の心臓部とも呼べる街だ。

行商人が立ち寄るうちにただの宿場町から今では王都に次ぐ規模の大都市へと発展したその場所を守る、堅牢な石の壁である。




「仰る通りではありますが! そんな事はそこらにいる兵士にでも任せておけば良いのです! 雷帝様には雷帝様にしか果たせぬ役割があるように、兵士には兵士として果たすべき役割があるのですよ! 」



 溢れる感情を少しでも表現しようというのか、ブリッツは手を大きく振り回し、唾を飛ばしながら叫ぶ。



「キングバジリスクとの戦闘において彼らがどれだけ役に立ったとお思いですか⁉︎

 あなたがキングバジリスクを打倒し、その上休みもせずに働き続けていれば兵士たちの立つ瀬が無いでしょう⁉︎」



 「ブリッツ」



 ただでさえ響く声をさらに大きくさせていくブリッツの言葉を雷帝は遮る。



「彼らは役に立ってくれたさ。私1人ではバジリスクの群れを滅ぼすまでにどれだけ被害が出たか分からん。私の身体が一つしかない以上、たとえこの雷帝剣をもってしてもあの街壁は今のように無事では済まなかったはずだ」



「っ! しかし……」



「それに、だ。キングバジリスクが死んだからといってその身に溜め込んだ毒が消えて無くなるわけではあるまい。

 となればその後始末は神官か毒の扱いに長けた薬師か、そうでなければ私のように守りの祝福を受けている者にしか出来まい」



 首にかけられた金色のチェーンを引っ張り、その先の青い宝石が嵌ったペンダントトップを取り出す雷帝。



 王都の神殿で仰々しい儀式の後に渡された祝福のペンダントだ。

 これには神殿の高位の聖者複数人で込められた絶大な祝福の力が宿っており、身につけている限り毒や病に身を侵される事はないという代物だ。


 ……現金な話、これ一つで城塞を買ってもお釣りがくる。




「それは……そうですが……」


 

 ブリッツの勢いが弱まった好きを見逃さず、畳み掛ける雷帝。



「お前の言いたい事は分かる。

 国王陛下よりこの神器である雷帝剣を預けられた私が、一般の兵士と同じ振る舞いをするなど言語道断、という事だろう。


 だがキングバジリスクの死骸など放置しておいて良い事はない。

 

 流石に生き返るやもなどとは思っていないが、それでもさっさと片付けてしまいたかったのだ。許してくれ」



「……いえ、私こそ過ぎた事を申しました。何卒お許しください」



 うって変わったように穏やかな声を出すブリッツに雷帝は優しく微笑んで見せる。



「構わん。さて、お前に叱られてしまった事だし、私は天幕に帰るとしよう」

 


「承知いたしました。いつも通り瞑想に入られますか? 」



「ああ。とはいえ流石に疲れたからな。2時間、いや、1時間くらいにしておくが。食事はそのあととることにしよう」



 雷帝は複雑な紋様の袋……宮廷魔導師から渡された、魔物の素材を保存するための袋を担いですたすたと歩いていく。

 疲れた、という発言の割に、その足取りに疲労の色は見られなかった。

 

 



















 三代目雷帝。

 彼女の名をルミナ・アペナ・ライトニングという。


 雷帝とは、人智を超えた力を持つ魔法の武器である神器の一つ、『雷帝剣』に選ばれた者のことだ。


 ルミナは僅か15歳で雷帝剣の試練を受け、見事突破し、先代……2代目雷帝の死後およそ50年ほど不在であった雷帝の称号を、今のセブレニア国王、イゼル・ネペーラ・クラウィゼル・オーダー・セブレニアから与えられたこの国有数の戦士であり、英雄とさえ呼ばれることもある人物だ。






  彼女の輝かしい戦歴は初陣である2体のクラーケンの討伐に始まり、


  雷とは相性が悪いはずの岩石龍の撃退に加え、


  湖に発生した巨大スライムの討伐、


  鉱山で封印が解けてしまった大悪魔の再封印に


 今回のキングバジリスク率いるバジリスクの群れの討伐など、話題に事欠かない。




 華々しい彼女の戦果は、国策であるとはいえ人気の舞台にもなっていて、市政を流れる噂はもはや本人から翼を生やして彼方へと飛び去ってしまっているのが現状だ。



  だからと言って彼女の武勇が優れていることには変わりなく、戦場を共にした兵士からはその圧倒的な実力と分け隔てのない態度や実直な性格から非公式のファンクラブが存在しているのだが、その事実は本人だけが知らない。







 そんなルミナは軽く水で濡らした手ぬぐいで汗や泥など戦の汚れをざっと落としたあと、鎧を脱ぐのを手伝おうとする小姓の提案をやんわりと断ってから自身に充てがわれた天幕に入る。



 天幕に入り、流れるような動作で腰の剣を取り外し、まるで何度も繰り返しているような所作で剣(正確にはその鞘なのだが)に頬ずりを始めた。



「んふっふふほぉ〜ぉうぅ! わたし今日も頑張ったよぉ〜、ライディーン! ええっひへひひひひへひひひぃ! 」



 100年の恋も冷めるようなどろっどろの表情を浮かべ剣に頬ずりをするルミナ。

 ちなみにライディーンとは雷帝剣にルミナが勝手につけたあだ名だ。


 ルミナは、よく研ぎ澄まされた剣だけが立てる冷たく鋭い音を立てて、鞘から鏡面のように輝く銀色の刀身を引き出す。


 

「よごれてなぁい? 曲がってなぁい? ごめんね? でもあなたのおかげで今日も生き残れたの。ありがとぉぉ」


 

 剣の鎬部分に自分の顔を写すルミナ。

 頬を上気させ息遣い荒く見つめる姿は恋する乙女に見えないこともない。


 かも、知れない。



「ふひぃ。ライディーン……な、舐めちゃいたいぃ……だ、ダメよルミナ! そんな事をしては!

 そんな事をしたら私はっ! 私は変態になってしまうわっ‼︎ 」



 安心しろ。もうお前は立派な変態だ。




 冷静に雷帝剣……いや、俺は突っ込んだ。






「くっ、ほんの少しだけ……先っちょだけ……いや、ダメ! ダメなのよ! ……ほんの少しなら……いやダメ、負けてはダメよルミナ……ちょっとだけ……ダメだったら‼︎ 」


欲望に負けそうになっている英雄さん(変態)から逃避するように過去のこと、俺がこの世界にやって来ることになった日の出来事を思い出す。





 




 〜〜〜〜〜〜〜〜




「はぁ⁉︎ 俺が死んだ⁉︎ 何の冗談だよ‼︎ 取り消せジジイ! 100歩譲って生き返らせろ‼︎」



「ふっ。無理じゃな。そんなことをすれば太陽系は跡形も無く消し飛び、生き返った主も虚無に呑み込まれ即死するじゃろう」



 嘲るような表情のクソジジイ、もといこちらをせせら嗤っている神様っぽい外見の爺さんを俺は力の限り揺さぶっていた。



「人1人生き返らすのに宇宙滅ぶとかどんだけだよ⁉︎ 俺は何者なんだ⁉︎ 」



「いや? 主は一山あっても幾らにもならんような凡人じゃぞ。しかし儂はあまり細かい事が得意でなくてな。うっかり変なとこに触って全てをぶち壊しかねんのじゃよ」



「だれかー! 違う神さま連れてきてー‼︎ もっと小回り利くタイプの神! 」



 怒鳴ろうが何をしようがヘラヘラ笑い続けるジジイ。

 せめてもの八つ当たりに雲のようなモコモコした地面(?)を踏みしめるが、気の抜けるような柔らかい感覚が返ってくるだけでむしろ腹立たしい。


 そんな現実味の無いところで胡散臭い爺さんから雷に撃たれて死んだとか言われても納得できるはずがない。



「つかなんだよ雷に撃たれて死ぬとか! どんな確率だよ⁉︎ 俺そんな悪いことした⁈ 」



「ふっ。運命など神ならざる人の身には到底理解できぬことよ。そう。真実など誰にも分からんのじゃ……」



「お前は神だろ‼︎ ……ねぇほんと教えて? 俺なんかした? 本気で心当たりないんだけど……」



 真面目に生きてきた、などとは言わない。

 言わないがしかし天罰を受けて死ぬような、そこまで他人様に迷惑をかけるような人生ではなかったはずだ。




「まあ、だろうの。別に理由なんぞないわい」



「へ? 」



「言うたであろ? 儂は細かい事が得意でない。主を狙って雷を落とす事など到底出来ん。たまたま雷が落ちたところにたまたま主がおっただけのことじゃ」



 爺さんのぽんと放り投げるような言葉を受け止めるまでに数秒の時間を要した。




「は、え、は、はぁぁあ⁉︎ んだそれ納得できるか‼︎ つか死んだとか信じられるかよ‼︎ 夢だ夢!そう決めた! 目覚めろ俺! いま枕元には彼女が優しい微笑みを浮かべているはず……」





「もうっ、そんなこと言わないで? こっちをみてよ」





 存在した事もない彼女の妄想にすがり始めた俺だったが、ジジイが出したものとは到底思えない甘く高く可愛らしい声に、思わず目を向ける。

 あまりの急激な駆動に首関節が痛んだ気がしたが、そんなことはどうでもいい。



「天使……? 」



「残念! メガミは天使じゃなくて女神様だよっ!」



 一人称がメガミとかどうなの? とか。


 お前いつからそこにいたんだよ? とか。


 うわぁなにこいつテンション高い、とか。




そんなあれこれを破壊してあまりある果実が俺の目線の先で揺れていた。



  古代ギリシア人のような、身体に純白の一枚布を巻きつけただけの装いなのだが、それがまるで彼女のためだけに存在しているようにさえ感じられる。


 表面のほとんどを布に隠された為に却ってその存在を強く主張する肌は、透き通るように白く滑らかでどこか気品を感じさせるものだ。陶磁器のような、という例えをよく耳にするが、確かな生命の温もりを宿すその白はたかが焼いた土くれ風情などとは比べるのも烏滸がましい。


 彼女の背丈は俺よりも少し低く、顔立ちにもまだあどけなさが残されている。がその幼さの中にも女の片鱗とも呼べるものが確かに存在し、純真さと妖艶さを奇跡のようなバランスで調和させた幻想的な相貌をしている。


  そして。


 たわわに実った2つの果実はもがれる時を待ち受けるかのように重力に抗って突き出され、輝くような白い布をはっきりと押し上げている。呼吸をするたびにかすかに上下する双丘……いや、丘なんてものじゃない。山だ。

 そびえ立つ双山はただそれだけで一生見ていられる程に神々しい代物であり、圧倒的な存在感を持ちながらも小刻みに震える様は触れるまでもなくその柔らかさを主張している。



 これが、このおっぱいが歩いたりしてしまった日にはどうなるのだろう。自分はショック死してしまうかも知れない。しかしそれは悲劇では決してない。大いなる喜びなのだ。


そう魂の底から確信した。

 



「儂の時は3行で済んだ描写が5倍以上割かれていた気がするぞ……」



「さ、流石に恥ずかしいかも……きっ、気を取り直して! メガミがキミの転生先候補の世界の女神だよっ! よろしくねっ! で、とりあえずプレゼンさせてもらうんだけど……メガミの世界はね」


 

「貴女の世界じゃなきゃダメです‼︎ 是非よろしくお願いしますっ!」



「「説明も聞かずに⁉︎」」


 

「こんなおっ……女神様のおっp……世界なら揉みた……んんっ、素晴らしくないわけがない! 仮に転生先がサナダムシでも構わない! 飛び込みたい埋まりたい!」



 「欲望が隠しきれておらぬのう」



「うん。えっと、うん。じゃ簡単に説明するね? 」



「っほほほぉおおおう! 喋るたびに揺れるぜサイコォォォォオ! 神様ありがとぉうぉおおおおおおおお!」



「儂、こんな嬉しくない感謝初めてなんじゃけど……」



「メガミもだよ……」





 〜〜〜〜〜〜〜〜












 などという涙(感涙)無しでは語れない物語があり、俺はこの世界にエゴソード、すなわち自我を持った魔法剣として転生してきたのだ。


魔法剣として守るべきルールはいくつかあるが、どれも大したものじゃない。

 使い手は試練を超えたものだけにすることとか、試練を超えた自分の使い手に危害を加えないこととか、あれやこれやらだ。


 ちなみに剣になったことで食事や睡眠は必要なくなった。

 今の俺に唯一必要なのはおっ……いや、俺に相応しい使い手だけだ。

一時期は50年くらい使い手がいなかったせいで暇すぎた。



  なんだよ50年放置って。

  涙腺あったら刀身錆びてへし折れるまで泣いてたわ。



 ちなみに、前世の記憶も魔剣として獲得した能力もきっちり頭に入っている俺なのだが、それを伝える口はない。


 当然だよ。剣だもん。


 これが風の魔剣とかなら頑張れたのかもしれないがこちとら雷である。



 ……いや、脳神経系とか筋肉とかに直接電流流し込めば話は別なのかもしれないけどねぇ。

 流石にそんな恐怖の人体実験とかできないから。

 そんなマッドな魔剣じゃないから俺。



と、いうわけで、剣に話しかけるような奇人もいないし、基本1人でブツブツ言ってるだけ(喋れない)の根暗系魔剣なのだ。



 「ハァハァ……ライディーン……ライディーン……」



 いや、話しかけてくれる変態はいるけど声が届かないので会話にはならない。



 ちなみに喋れはしないが周囲の音を拾ったり、さながらアクションゲームをプレイしている時のように自分や持ち主の姿を俯瞰的に見ることはできるので、持ち主のサポートとか、あとは、まあ、その、なんだ。素敵な女性の素敵を目で追ったりするのには苦労はない。


 目無いけど。


だんだん眼に危険な色を宿し始めたルミナに魔剣の身でありながら貞操の危機を感じ始めた時、索敵にこちらに向かって足早に歩んでくる人物の反応があった。




俺は雷の魔剣だ。電気については並々ならぬ感知能力を持つ。

 例えば、空に浮かぶ雷雲は勿論のこと、生き物が放つ微弱な電磁波さえも感知し、その接近や大まかな次の動作を推測するくらいは出来る。

 

 これをルミナがマニュアルでやろうと思ったら100年近い鍛錬が必要になるだろうけど。





  ルミナは毎日欠かさず瞑想と称して俺に愛を囁いているが、その間誰も近づかないよう厳命している。

  にも関わらずこっちにやってくるということは、瞑想中のルミナを暗殺しに来たのか、そうでなければ……。




「雷帝様! 瞑想中のところ申し訳ございませんが、ベッカーチェ将軍がお越しになりました! 危急の報せとのことにございます! 」

 


「ぴゃぎっ⁉︎ ……ごほんっ、な、なんでもない! 入れ! 」



 ベッカーチェは、今回のキングバジリスクの討伐の為に軍を率いていたセブレニア王国の3人の将軍の1人。

 将軍の中で最年長でありながら下のものにも優しく朗らかで、人望の厚い人物だ。



 天幕の入り口がサッと開かれ、そのベッカーチェ将軍は表情を強張らせて天幕に入ってきた。

兜を外しているが身につけているのは金属製の全身鎧。腰に佩いた剣には過剰でない程度の装飾がなされ、美術品としての価値も高いだろう。

 セブレニア王国の国章が刺繍されたマントは将軍の証。それを翻しながら足早に歩く姿は不吉なものを感じさせる。



「雷帝様、瞑想中に申し訳……」



「構わない。危急の報せだろう? 何があった?」





 ルミナは将軍相手にも畏まった言葉を使わない。

 神器はそもそも国、というか国王が神から授けられたものであり、その使い手も神と国王の物、という認識がある。

 国に仕える将軍といえど立場的には王の剣そのものに対して上から物を言うことは出来ない。

 しかし将軍という立場もまた国王より与えられた物であり、故に膝をつくこともしない、とかなんとか。


 正直、現代日本人にはそれくらいしか分からないが軍人と神器の持ち主の関係は色々あって複雑なのだ。

でなければいくら急ぎの要件だからと言っても将軍自ら報告に来たりなどしない。





 「先程伝令の魔法を受け取りました。王国の西方、亡者の大平原より無数のアンデッドが出現し、都市を飲み込みつつ進んでいるとの事です」



「なんだと⁉︎ 」



 堪えきれずルミナは叫んだ。


 俺だって口があれば叫んだかもしれない。

 


 セブレニア王国は東に海を、南に山脈を、そして西にアンデッドが無数に湧き出る平野を持つ。

 アンデッドが湧き出る平野、“亡者の大平原”と呼ばれるいくつかの国に隣接するその場所は、原因不明ながら常に夥しい数のスケルトンやゾンビ、或いはさらに強力なアンデッドが存在し、時折そこから溢れ出るようにアンデッドが彷徨い出ては周囲に被害を出すという傍迷惑な場所である。

 



 だからこそ。




 だからこそ、アンデッドに対して無敵と言っても過言ではない火の神器、『炎帝鉾』の使い手である炎帝が近くの都市に常駐していたはずで、何かあっても周辺の都市から即座に援軍が派遣される手筈になっていた。



「炎帝は⁉︎ エムは……エムレースはどうなった⁉︎ 」



「はっきりとは分かりません。しかし、殿を務められたと報告がありましたので、おそらくは……」



「そ、んな……」



 日に焼けた顔を白くするルミナ。


炎帝、エムレース・フラム・カー・フレイムとルミナは年齢が近いこともあり、仲が良かったのだ。

 役割上、炎帝は西の防衛都市から動くことは出来なかったが、ルミナは任務で方々に出向いては地域の名産品などを買って、視察の名目で会いに行く事さえあった。


 

「アンデッドには火が有効なはずだろう? 勿論全てがそうではないだろうが……それに、エムレースは鉾の扱いにも長けていた。一体何故そんな事に? 」



「詳細については私にも分かりかねます。国王陛下は個々で動いても被害を増やすだけと西方の都市に避難命令を、守護の任に就いていない神器の保有者には至急王都へ戻るようにと」



「分かった。私は直ぐにでも王都へ向かう。ここは大丈夫か? 」



「ええ。仮に残っていたとしてもバジリスクの子供や卵くらいのものでありましょう。それならば雷帝様のお力を借りるまでもなく、どうとでもできます」



「よし。よろしく頼む」



 小走りに天幕を出ようとしたルミナをベッカーチェ将軍は止める。



「お待ちを。雷帝様、今部下に命じて馬車の用意をさせております。今しばしお待ちください」



「っ……。すまない。分かった」



 歯を食いしばり頷くルミナ。




ここで泣き喚くことが出来ればもっと楽なのにだろうに。

  そう思うのは俺の身勝手なのだろう。




 なにせ俺には抱きしめる腕も涙を拭う指もないのだから。


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