絶望の???編
分厚い黒い雲に遮られ灯りの無い常闇が支配する森の中で大きく煌く深紅の光。
轟々と獣の唸り声のような音をたて、黒い炎が森の木々や動物たちを容赦なく燃やし溶かしていた。
上空から見れば森は深紅に煌めきを放つ黒い炎に呑まれ黒煙を上げ、ゆっくりとだが確実にじわじわと全てが灰となろうとしていた。
「おえっ。お、おえええ……」
女だ。いやまだ少女というべきだろうか。
大人の女とはまだ言い切れない、子供のようなあどけなさとを残した少女が木に手を付け盛大に胃の内容物をぶちまけている。
自慢の白銀に輝く髪が胃酸で汚れる事も気にせず少女は腹の中に蓄えていた物を吐き出す。
べちゃくちゃと吐き出された物の傍らには一体の死体が転がっていた。
死体には首よりも上、下歯茎から上、上歯茎から頭頂部が存在していなかった。
灼けて溶けたかそれとも何処かで落としたか。残された下歯茎部分に収められた舌は表面が炙られだらりと力なく垂れ下がり、残っていた唾液の気泡がぶくっと膨れては破裂するを繰り返していた。
只の死体であればきっと少女は見捨てていただろう。非情にも思えるが≪この時代≫では仕方のないこと。
彼女は慣れ過ぎてしまったのだ。死体を見るのもそれを作る事にも。
「おぇえええ」
まだまだ吐き足りない。吐く物が無くなっても嗚咽は止まらない。
それは何故か? 転がっている死体が彼女にとってとても大切な存在だったからだ。
彼女はとある組織に所属している。そして同時にとある組織と闘う戦士である。
転がっている死体の名はハーゲルン・クラウン。大貴族クラウン家の嫡子だ。
顔が半分ないが着ている服装で彼だと判った。
派手好きの彼。皆着飾る余裕がないというのに彼だけは少ない物資をやり繰りしいつ如何なる時でも貴族として恥ずかしくない振る舞いを心掛けていた。
自身を着飾る余裕があるのならば飢えに苦しむ子供たちに少しでもいい食事を提供できるようにすればいいじゃないのかと、毎日顔を合わせる度にちょっとした喧嘩をしていたのはいい思い出だ。
――本当にいい思い出だった。
前に売り言葉に買い言葉で「あんたなんて死ねばいいんだ!」などと言ってしまったことがあった。
すぐに謝ろうと思った。だが彼女も彼も組織では要とされる重役。闘いが激しくなるにつれゆっくり二人で会話をする時間を設けることはできなかった。
――そう。今此処で彼の死体を見つけるまで。
「ぁ……あぁ……ああああああ!!」
胃酸さえも吐き出せなくなった彼女は自身の居場所が敵に察知されるのも構わず叫んだ。
へたりと崩れるように座る。汚物で形見の紅いポンチョが汚れることも厭わずに。
彼に恋慕に感情を自分が抱いていた事は知っていた。彼もまた自分に対して同じ感情を抱いてくれている事を知っていた。
だが自分たちは貴族さまと迫害者。身分があまりにも違い過ぎる。そうでなくとも今の時代、婚姻など祝い事で貴重な食糧や物資を使う余裕などない。
だから言えなかった。言えるはずもなかった。
ただ遠くからでも互いを思い合っていればそれでよかった。それだけで良かった。……それなのにどうしてこんなっ。
彼の残された頭の下半分を手に持つと
ぐちゃり
鈍い音をたて首から頭が取れた。
「…………」
泣き腫らした顔に≪彼だったモノ≫を近づけ頬釣る。
涙はもう流れなかった。泣き過ぎて枯れてしまったから。
彼女はうん……うん……そうだね……と彼だったモノと会話をかさね。満足がいったような顔をするとそっと元あったように彼を置いた。
スッと立ち上がり、ポンチョの裾に着いた汚物を取り払う。
何時までも此処で泣いている訳にはいけない。自分には他の誰にも代わりの出来ない使命があるのだから。
彼女は自分を振い立たせ前へと進む。
「もしもさ。輪廻転生の先でまた会えたらさ」
だがその前にもう一度彼が眠る方へ振り返った。
「――また喧嘩しようね!」
ニカッと笑う彼女の笑顔が好きだった彼の為に彼女は今できる最大限の笑顔で別れを告げた。