99、玉の行方 5 1/4(騒がしい誕生日)
少年の胸元に寄り添い、少女はほくそ笑む。
(さあ、次はキスでもしてやるか? だがそれだと安売りすぎるかな。もう少しこのままでいれば、このガキから何か動きを起こすかもしれん。………うむ。そちらの方が面白いな)
「おい」
少女は頭上からの声に顔をあげる。その緑の瞳の視界の端、銀色の光がきらめいた。
「は?」
首もとに冷たく固い切っ先を感じた。剣を充てられた、少女は目を丸くして少年の顔を見上げる。ふりやフェイクではない。自分の首にあてられているのは紛れもなく刃だ。少年の空気に躊躇いが無いのを感じた。
ジーンは不機嫌な顔で、見知った少女の緑の瞳を見た。不審に感じたのは態度や身振りだけではない。その瞳に、月明かりに赤と紫を反射する弧があったのを見たからだ。こんなもの、今まで当の本人の中に見たことがなかった。似たような物を見たことがあるとすれば、それはただ一度。
「お前、あの時の魔族か? ディオール家の奴隷の」
「………ハハッ」
少女の口端が吊り上がる。
「なんだ。よくわかったな。だがこれでは折角の下準備が失敗だ。まったく、こんな臭い匂いに耐えたというのに。骨折り損か」
「下準備? ………っていうか、え」
ジーンは、アルベラの姿を模したままのガルカの肩を押して距離を取らせた。剣を下ろすと、「俺臭いのか?」と自身の体の匂いを確認する。
そんな赤頭の少年を、ガルカは馬鹿にするように鼻で笑う。
「気にするな。こちらの話だ」
ジーンは「訳が分からい」とため息をついた。
「まったく………。なんなんだ? あいつの命令か?」
「ああ。貴様を色仕掛けで落としてこいと、あのお嬢様の命令でな。まったく………。性格のひねくれたお嬢様で困ったものだ」
肩をすくめ首を振るガルカのわざとらしさに、ジーンはそれが真実かウソか判断できず顔をしかめた。できる事なら「あいつがそんな事するわけない」と否定したかったが、意味の分からない企みをする癖がある彼女を思うと、そんなことをしそうにもあるように思えてしまう。
「ったく、主従揃って悪趣味な奴らだな!」と、荒々しく頭を掻いた。
「あら。ジーンったらまたしかめっ面になって。そんなんじゃ、若くから眉間に皺ができちゃうわよ」
アルベラの声と口調で、ガルカはジーンの眉間に優しく指をあてる。ジーンはその行為に反射的に体を動かしていた。
「………だ、か、ら。やめろって言ってるだろ?」
自分と魔族の間に剣を滑り込ませたジーンは、切っ先を相手の鼻先に当て、目と口調で「離れろ」と要求する。
強張った笑みを浮かべるジーンへ、ガルカは楽しそうに挑発的な笑みを返す。
自ら目前の剣へ額を触れさせ、どこまで行けるか試すように、更に目の前の少年へと身を寄せようとする。
「あらあら。騎士見習い様ったら恐ろしいこと。………ねえ、斬れるのかしら? 貴方に、私が。ねえ、ジーン?」
二人の間にバチバチと攻防の火花が散った。
やがてジーンが折れ、息をつくと剣を鞘に納める。
「………やめだ。そろそろ戻らないといけないしな」
自分から視線を逸らす少年に、ガルカは「勝った」という空気を前面に出して「ふん」と鼻で笑う。その事で更に、イラっとした空気をジーンから感じ、ガルカは満足そうにその場に座り直した。
「戻るか、つれないな。ところで、貴様は何故こんな場所にいた」
アルベラの声ではない、ガルカ本人の声音が訪ねる。
「別に。少し考え事をしてただけだ。………おかげさまで、何だかどうでも良くなってきたよ。あんたのご主人様はどうした?」
「考え事? ふふ。どうせダンスだ何だと、慣れない異性との戯れに、臆病風でも吹かしていたんだろう。それとも興奮を抑えきれなかったか? 貴様らの歳頃のガキが抱える、在り来たりでつまらん悩みだ。あと数年とたつ頃には、どうせ次の段階の欲に頭を沸かせている癖に………ん? なんだその顔は」
お嬢様の姿をした魔族は、脚を組み、そこに肘をつき、なんとも貫禄のある表情で月光を背に正面を見つめていた。そんな彼を、ジーンは少々驚いたような表情で見ていた。
「ハッ! まさか図星か? つまらん! くだらんな、騎士見習い殿!」
とことん馬鹿にして笑ってやろうと、煽る気満々のガルカの言葉を、ジーンは「くだらない………つまらない………」と小さく繰り返す。
「ああ。貴様は哀れな猿だ。剣を振る身でありながらそんな度胸もないとは。なんて情けないオス猿だ。剣士などとは馬鹿馬鹿しい。剣を振ることを、何かの逃げ道にでもしているだけではないのか? ハハハ! そうだとしたら人としての程度が知れる!」
言い返してこない相手に調子に乗ったガルカは、歌うように罵倒の言葉を並べる。が、どれもジーンの耳には届いてなかった。
魔族に言われるがまま、罵倒の言葉を受けるジーンは、やがて、小さく肩を揺らし始める。
少年のそれが、怒りに肩を揺らし始めたものかと思ったガルカは、更に満ち足りた気分になった。ーーーのも束の間。意地悪な魔族は、すぐに自分の思い違いに気付いた。
ジーンは、ガルカの言葉に同調し、くつくつと笑っていたのだ。
「本当、そうだな。くだらない。俺、何してんだろ。本当、つまらないよな」と、安心したように窓に背を預け、また肩を揺らす。
「ちっ。冷める奴だ。貴様本当につまらんぞ」
窪みから飛び降りると、アルベラの姿が霧のように揺らめき、風に流されるように消えた。代わりに、その場に使用人服の、20代後半の青年が姿を現す。
前回会った時とも異なる魔族の姿に、ジーンは「凄いな」と小さな驚きの言葉を洩らす。「魔族は人に化ける」とは知ってはいたが、こうも変幻自在に姿を変えられるとは知らなかった。
「行くのか?」
「ふん。男に引き留められても応えてやれんぞ」
ガルカは襟を直しながら冷めたように返す。
「引き留めないよ。ありがとな。人に笑われたらスッキリした。………少し、本当にムカついたけど」
くつくつと笑う、余裕の戻ったジーンの姿に、ガルカは気に入らなそうに眉を寄せた。が、すぐに「いざやり返さん」と、ニヤリと笑む。
「さてはて………。女にすり寄られただけで心拍数を上げるようなガキが、この俺と対等に言葉を交わせるとは思えんがなぁ」
「………?!」
ジーンは自分の胸に片手を当てる。
「おやおや。やや、顔が赤いですぞ騎士様。暗闇とはいえ俺の目はごまかせん」
「………煩い。まだ見習いだ」
「ああ、そういえばそうだったな。まったく、あのお嬢様ごときに緊張するとは。次は夜這いにでも行ってやる。………ん? 一応本人に伝えておくか。意外と喜ぶかもしれん」
「やめろ!!! 何もするな!」
夜這いも本人への報告も不要だと、ジーンは声を荒げる。
「だいたい、あんなことされれば相手があいつじゃなくたって緊張する!」
「まあまあ。遠慮するな。じゃあ俺は用がある。人を探せと言われてるからな」
適当にあしらいながら、ガルカは靴音を立てて会場へと歩いていく。途中、思い出したように「あ」と声を上げ、軽く足を止めた。
「貴様の事も探せと言われていた。『ラツィラス王子が探していると伝えてくれ』だったか。王子様からお願いされたお嬢様からの命令だ。俺はちゃんと見つけたからな。流石俺。なんて有能なんだ。自分の有能さに困ってしまう」
一人ごちって会場へと戻っていくガルカに、ジーンは苦笑し「ああ、ありがとな」と返す。
(貴族のお嬢様というのは積極的なものだな。使用人相手だから強気になれるのか。………後戻りできないほどに、俺の魅力にズブズブにしてやろう。くっくっ。後で存分に、後悔に胸を焦がすが良い)
会場を数回回り、目当ての人物が見つけられなかったガルカは、適当なご令嬢にちょっかいを出しつつお嬢様の元へ戻るべく歩いていた。
エリーも同様だが、ディオール家が連れてきた使用人の麗しさは、この会場で話題となっていた。エリーやガルカが通りすぎると、人々はその胸元のマークを見て、どこの使用人かと確認をとるのだ。しかも、二人とも話しかければ乗りがよく、それでいて振る舞いが上品なので、周囲からの評価は上々だった。
ガルカが庭に繋がる扉へ向かう中、一人の貴婦人が扇子を振ってニコリと微笑んだ。先程、会場内を回ってる際に、自分を引き抜こうと金銭の話を持ち掛けてきた婦人だ。隣で共に話してる婦人たちへ自慢するように、自分へ親しげな表情を向けていた。
ガルカはそれに付き合うように、親しげな笑みを浮かべて手を振り替えす。
手を振る婦人の回りで、それに気づいた他の婦人たちが色めき立つのを感じた。きっと今ごろ、あれはどこの使用人か、どんな関係かと盛り上がっていることだろう。
(残念だったな。貴様の提示した額は低すぎる)
そもそも、金額は面白味と比べれば重要度はかなり低いのだが。と、濃くなるアルベラの気配に口端を吊り上げた。
(あれより興味をそそってみろ。金額に関わらず幾らでも引き抜かれてやる)
どこにいるのかは聞いていなかったが、彼女を探すのは、気配や匂いをたどればたやすかった。
「………は?」
特に手間取ることなく彼女を見つけると、さすがの自分でも理解しきれないその場の光景に言葉を失った。
お嬢様は両手で頭を抱え「いぃやああああああ!」と悲痛な声を上げていた。
その隣で、エリーが楽し気に両手を握り、身を乗り出していた。目が輝き、興奮で頬が紅潮している。
「いいわよキリエ様! そう、そのまま腰をひねって、胸に意識を向けて、そう! そうです! ナイスバルク!! キレてます!! 素敵!! すっごい綺麗ですよ!!! はい、そこから、そう、そう、………そう!! バック・ダブル・バイセップス!!! キャー!!! いい! 良いですよ!!! 三角竜います! 背中に三角竜いますぅぅぅ!!!」
人気のない庭先。アルベラとエリーの視線の先で、見知らぬ少年が月明かりに肉体美を披露していた。少年は頭と体の対比がおかしい異様な姿だ。幼く可愛らしい顔つきをしているが、その体には大人のボディービルダー顔負けの筋肉を携えていた。
室内では確か、華やかで優雅な、お貴族様達のパーティーが開催されているはずだが。ここの光景は、それを記憶から吹き飛ばしてしまいそうな程のインパクトがあった。
「おい、なんだこれは」
あきれ顔のガルカが尋ねると、アルベラはようやくその存在に気がついたように振り返る。目には涙を浮かべていた。錯乱している様子で、助けを求めるようにガルカへと縋りつく。
「わ、私の知ってる可愛いキリエがぁ、キリエがいないのぉぉぉぉぉ! いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! あんなのキリエじゃないいいいいい!!!!! あああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!! 戻してええええ! あの化け物をキリエから引き剥がしてええええ!!!! うわぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!」
その足元から、コントンの唸り声が小さく聞こえた。
『ガルカ クサイ』
(な、なんだこれ)
すがり付くアルベラにぐいぐいと服を引っ張られ、ガルカの上着が肩からずり落ちる。
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