89、彼らの気晴らし 6(公爵の返事)
フライに乗り足りなさそうな二人を西の関門から見送り、アルベラは一仕事終えたといわんばかりの息をつく。
ついでにとポルテーゴも見送りに来ていた。
「で、あの王子様は嬢ちゃんの許嫁かなんかかい?」
アルベラは悪びれもなく爽やかな笑みを浮かべるポルテーゴに、やさぐれた目を向け、直ぐに視線を自分の足元に落とした。
「………いいえ」と肩をすくめ、「まだね」と口には出さず心の中で付け足す。
この世界がある程度ゲームのシナリオに沿うように操作されているのなら、きっと近々「婚約者候補」にはなるのだろう。遅くとも高等学園入学前には。………ああ。何とも言い難い気持ちだ。
「なんだ? そういうのには冷めてるタイプかい?」
ポルテーゴが相変わらずの笑い声をあげた。
「もう! 複雑なお年頃なんだからほっといて! お兄さんはフライと好きなだけラブラブしてなさい!」
「照れ隠しか? 可愛いじゃないか、はっはっは!」
アルベラの声に反応したのか、一緒に見送り要員に駆り出されていたフライがポルテーゴの後ろで「ギュルルルルルル!!」と大きな声を上げる。
「ん? こいつは嬢ちゃんともラブラブしたいみたいだぞ? 今日は一回しか乗ってないだろ? ムーブリーフも動かせるようになったんだし、試しに乗って行ってみるかい?」
その言葉にアルベラの心は一瞬揺らぐ。
フライの鳴き声の意味するところはともかく、その日の成果を試してみたいと思うのは当然のことだろう。
だが、それがフライである必要があるのだろうか。こんな危険な生き物に乗るのなら、それこそ今からハイパーホースの借りれる店へ行った方がいい気もする。
そんなアルベラの横、エリーは心が少し揺らいでいるお嬢様の様子に気づき、声をかける。
「後ろに乗るのと、自分で御するのとじゃ結構違いますよ。自分で動かす方が、感覚的に大分楽な気がします」
エリーの言葉に、アルベラは「なるほど」と納得する。
(確かに。車も自分で運転する方が酔わないっていうしね。自分で動かすならそんなにスピード上げなきゃいいのか)
「嬢ちゃん。俺が後ろに乗ってアシストするし心配するな」
「それが一番心配なの!!」
アルベラの猛烈な拒否により、ポルテーゴは地上で二人を待つこととなった。
先ほどの少年たちの出していたスピードよりだいぶゆっくりと飛ぶフライを眺めながら、ポルテーゴは拒否されたことに対し、「これがお年頃って奴か! 参った参った!」と爽やかに納得した風な顔で笑う。
一方アルベラは、フライの手綱を持ち、声を張り上げていた。
「嘘つきいいいいいいいい!!!!! 全然違くない!!!!!! すごい早い!!!!!!! すごい言う事聞いてくれない!!!! さっきからずっと地上に向かわせようとしてんのに、なんでもっと上に行こうとするのおおおおおお!!!!!!!」
スピードに焦れたフライは、アルベラの指示よりも「もっと早く、気持ちよく飛びたい!」という欲求を優先しようとしていた。
少しでも満足のいくスピードが出せれば、満足してアルベラの意思もきくようになるだろう。とエリーは後ろの席で思った。ーーーだから口も出さず、手も出さず傍観することにした。
(フライが暴走したら、お嬢様どんな反応するかしら)
ふふふと、笑うエリーの声はアルベラには届かない。
「ちょっとエリー!!!!! 補助!! アシストして!!! こいつ下に降ろして!!!!!! ねえ聞いてるの?! エリ………いいいいいいいいいいいい?!!!!」
フライは我慢できない!! とスピードを上げる。
「お? 嬢ちゃんやるな」
下で見守っていたポルテーゴはフライが気持ちよさそうに飛び始めたのを見て、アルベラがそのように手綱を取ったと思い感嘆の声を上げた。
***
ストーレムの街から王都へ戻り、ジーンは家へと戻らず、ラツィラスに誘われて城で夕食を済ませることになった。
今はこの国の暦ではジュオセ/二の月。
学園は今週頭から一月の休みに入っていた。あの学園は三か月ごとに一月の休みがある。貴族出身の生徒が多いので、学業だけではなく家での生活にも学びにも重きをおいている、という名目らしい。だから今、貴族の娘息子は家へと帰り、実家での貴族としてのお勉強にいそしんでいる。
王子様も勿論その一人であるので、この一月は城で過ごしていた。今月はまだ始まったばかりなので、これからまた、今日のような急な用で振り回されるのは覚悟の上だ。
(良い物ってなんだよ)
この部屋に来たらいつも使っている椅子に腰かけ、自分を招いた部屋の主へ目を向ければ、ベッドに腰掛け「ちょっと待ってて」と一通の封筒を破っていた。手紙を取り出すと、ベッドに仰向けに倒れ込み、顔の上に広げたそれを見て突如笑い出した。
何をそんなに笑っているのか。ジーンは引きつつも尋ねる。
「お前、見せたいものってそれか?」
「そう! 見てよ、ほら!」
ラツィラスは身を起こし、手紙を裏返すと、文字面をジーンへ向け両手で広げて見せた。
そこには紙一杯に大きく『否!』と拒否や否定を表す一文字が書かれていた。前後のやり取りがまったく見えない。情報量があまりに少なすぎる。
「………なんだ?」
ジーンはその子供の悪戯のような一枚に首を傾げる。
「お父様がディオール公爵にあてた手紙、の返事だって」
ラツィラスは楽し気に身を揺らした。
「お前、王様の手紙の返事、勝手に見たのか?」
「勝手にじゃないよ。ちゃんとお父様の了承済みさ。お父様が公爵に手紙を出したって聞いて、それを取りに行かせてもらったんだ。ついでに中も先に見ていいって」
「で? 王様了承済みは分かったから、その『否』ってなんだよ」
ラツィラスは満面の笑みを浮かべ、さも楽しそうに瞳を輝かせた。
「お父様、ディオール公爵に、娘を王子の『婚約者候補』にしないか、って手紙を出したんだって」
「はあ?!」
ジーンの座っていた椅子がバランスを崩し後方に傾き、元に戻ってがたりと音を立てる。その驚き方が珍しかったのか、ラツィラスはそれを茶化すように声を上げて笑う。
「いや、お前、公爵が王様のその申し出を断ったのか? しかもそんな一言で」
「そう! ………『否』か。予想以上の返答だなぁ。流石だよ」
ラツィラスの脳裏に『うちの娘は誰にもやらん!!』と子供のように突っぱねるディオール公爵の顔が浮かんだ。
「流石、だけど………大丈夫か? 公爵、罰せられたりしないか? 村八分みたいなことになったり。———それに、お前はお前でフラれたわけだろ? いいのか、笑ってて」
「公爵の方は大丈夫。お父様も『あの親バカは一度じゃ受け入れられんだろう』とか漏らしてたんだ。だから断られることは予想済みみたい。『他の婚約者候補の方々は問題なく少しずつ決まってる』ってさっきギャッジに聞いたから、王様からの申し出、今回断ったのはディオール公爵が初なんじゃないかな」
「ふーん。他の婚約者、か。良かったな、より取り見取りで」
「嫌味だなぁ。訂正しておくけどあくまでも『候補』だ。ここまでじゃ赤の他人と変わらないよ。ある程度の地位の人たちに『候補』の声掛けをするのは王族としての社交辞令みたいなもんだしね———そ! れ! に! 僕はフラれたわけじゃないよ? これは親同士のやり取りだ」
「へー。親同士か」
ジーンは目を座らせ、揶揄うような笑みを口元に浮かべてラツィラスを見やる。赤い瞳の中に金色の筋がきらりと光る。
「なにかな?」
「いや、別に」
「もう。まるで僕がアルベラにフラれたみたいな顔してるよ? それとも、僕のお父様ががディオール公爵にフラれたのが、そんなに面白いのかい?」
「誰もそんなこと言ってないだろ。親同士のやり取りって事に頷いただけだ。大体、お前から直接の申し出だったら、きっとあいつは断らないだろ? 世間体的に」
「まるで世間体が無ければフラれるかもしれないって言い方だね。———正直、すっごい想像は出来るけど」
ジーンはくつくつと笑う。
「だろ? ………けどこういうのってどうなんだ? ご本人様としては」
「なにがだい?」
「自分の知らないところで、そうやって大人がどんどん婚約者候補を決めていくわけだろ。どんな気分なんだ?」
ジーンの素直な疑問に、ラツィラスは「うーん」と天井を見上げた。
「ジーンが知らないところで、ジーンの『婚約者になるかもわからない人たち』の名前が紙に書かれてってるって、想像してよ。多分そんな感じ」
なんて人任せな回答だ、と呆れつつ、ジーンは取り敢えず思い浮かんだ答えを挙げる。
「すごい他人事、って感じでいいか?」
「そうそう! まさにそれ!」
「へぇ。思ってたより大ごとではないんだな」
「まあね。………………………けど」
ラツィラスは公爵からの手紙を見つめ、嬉しそうな笑顔のまま首を傾げる。
「正直、これはこれでほっとした」
どういう意味か分からず、ジーンも首を傾ぐ。それにラツィラスは「特に深い意味はないよ」と笑った。
「ただ、彼女はこれで良かったと思ったんだ。公爵の返事を見て、『良かった』って思った。家柄上、自分のお嫁さんなんて誰でもいいって思ってたんだけど、アルベラとはそういうの想像できないんだ。寧ろ今の気持ち的にはそういう風になってほしくないんだ」
「ふーん」
(他のお嬢様方と比べたら、多分あいつはラツと一番親しい。けど、ラツはあいつとは結婚したくなくて、関りの薄い他のお嬢様方となら結婚してもいい、か。………………だめだ。良く分からない)
それは一体どういう気持ちなんだろう。と、ジーンはいつもの生真面目な顔を返すしかなかった。
ラツィラスはいたずらっぽくくすくすと笑い、昼間の言葉を思い出す。
———大事なご友人だと思ってますよ。
そう。大事な友人なのだ。それは自分に与えられた家柄や寵愛などで得たのではない、自分で築き上げた物なのだ。
だから、第三者にその関係を汚されるようなことはされたくなかった。
「アルベラは友達でしょ?」
ラツィラスは微笑む。
「ん? ああ、そうだな」
ジーンは変わらずの表情だが、ラツィラスには若干きょとんとしているようにも見えた。
「だから結婚できない」
「そうか」
だからそれが良く分からないのだが、とジーンは理解のしきれない顔で頷く。
「ジーンも僕の友達だ」
「ああ」
「だから結婚は出来ない」
「は?」
「………ごめんね」
ラツィラスはジーンへ申し訳なさそうに両手を合わせほほ笑んだ。
その同い年の同性の主の姿に、ジーンは寒気を感じ身震いした。
「それ以前の問題なんだよ! 気持ち悪い! お前本当懲りないよな!」
「もう用は済んだはずだ」と、不快気に声を上げ席を立つ従者を、ラツィラスは公爵の手紙を持ったまま追いかける。
その顔には全く反省の色はない。それどころか、まだまだ隙があれば、気持ち悪がる友人をからかってやろうという顔だ。
ラツィラスは部屋を出て廊下を歩いていくジーンの後に続く。
「ザリアスの所に帰るのかい? 僕もこれ、お父様に届けたいから途中までいいかな?」
横に並ぶと、ジーンは歩調を早めた。
「気持ち悪い! 来るな!」
「不敬だなぁ。兵呼んじゃうよ? 良いの?」
「お前は友人に兵を仕向けるのか? そんなことで権力振りかざして恥ずかしくないのか?」
「自分で『友人』を盾にするのはズルいんじゃない?」
ラツィラスの軽やかな笑い声が廊下に響く。
***
まるで夜空を連想させるような、濃紺と金で彩られた豪勢な部屋。王の寝室だ。
ラツィラスから受け取った手紙を眺め、王様はとんとんと小さくテーブルを指先で叩いた。
でかでかと書かれた拒否の一文字を見て、シルバーゴールドの長い髭を蓄えた口もとに、ニヤリと笑みを浮かべる。
「………ラーゼンめ。やはりか」
深い皺の刻まれた目元。息子そっくりな赤い瞳は、楽し気に輝いていた。
「王直々の言葉に逆らうとは、相変わらずな奴だ」
(まあ、一回目の返答はこれで許してやろう。あいつも、お遊びの範囲を見極められない愚者ではないのだしな)
王の喉の奥から、低いしわがれた笑い声が上がる。
「よし! 休憩!!」
城内の訓練所にて、ザリアスは剣を降ろし壁際に水を飲みに行く兵たちの間を歩く。そんな中、ある会話を耳にし脚を止めた。
「ディオール公爵、王様の申し出を断ったってな」
「は? なんの話しだ?」
「婚約者候補だよ。城のメイドが話してたの、さっきモゥルが聞いたって」
「まじか?! 王様の申し出をって、公爵も恐れ知らずだな」
「まあ、あの公爵だしな」
「おい!!」
ザリアスは話の出何処となっている二人を見つけ、その肩を掴んで両脇に二人を引き寄せる。兵士たちは咄嗟に「すみません!!」と声を上げた。
「おい、お前ら、面白い話してるな」
「は?」
「その話、俺にも聞かせろ」
「隊長命令だ」と付け足すと、兵たちは肩を抱かれたまま「はい!」と立派な敬礼をして見せた。
偶然聞いたメイドの話を又聞きした程度の内容なのですぐに終わったが、それを聞き終わったザリアスは顎をジョリジョリと撫で付けて楽しそうに笑う。
(ジーンの野郎。こんな面白い話隠してやがったか)
今月学校の寮から帰郷中の息子は、昨晩外出から帰ってきた際はフライに乗れるようになったという話しかしていなかった。丸一日、稽古を休んであの王子と外で遊んできたのだ。フライだけで終わるはずがないとは思っていたが、まさか公爵に会いに行っていたとは。しかもその目的が、王子自ら、婚約者候補の申し出の返事を受け取りに。
「そうか。あの王子様も、もうそんな年なんだよなぁ」
ザリアスは思惑するように両脇に抱えた部下の兜を撫で付ける。部下たちは困ったように顔を見合わせていた。
「よぉし、お前らごくろう! さっさと休んでさっさと訓練だ。そんでさっさと引き上げるぞ!」
「は、はぁ………はい!」
「失礼いたします!」
良く分からない表情のまま、解放された部下たちはザリアスの元を去っていく。
ザリアスは気分よく空を見上げ笑みを浮かべる。





