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82、彼女は素直になれない 10(彼の友人)

 ***



「お前が朝練なんて珍しいな」

 城の練習所からの帰り、ジーンは何気なく零す。

「まあ、先生にこの間言われちゃったしね。朝練、たまには参加してみないかって。確かに、たまにはいいかと思って。それに、僕がいなくてジーンが寂しそうにしてるって聞いてたし」

「んなわけあるか」

 ジーンの即答にラツィラスは「もー。いけずだなぁ」と軽く返す。

「で、どうするんだ? このまま真っすぐ寮に戻るか?」

 厩につき、ジーンは自分の馬を連れて外に出る。

「うーん。それもいいんだけど、ちょっと立ち寄りたいところがあって」

「どこだ?」

「恵みの教会」

 その言葉に、ジーンはすぐに思い当たる。

「スカートンか?」

 別クラスの同級生。

 自分たちの学年で、理由もしれず数カ月にも渡り登校拒否をしている唯一の人物。年に数回とはいえ、今までそれなりにかかわりを持ってきた彼女。

 彼女のクラスの教室を通るたび、口には出さないが、ラツィラスがその席を気にかけている事をジーンは何となく感じ取っていた。

 普通ならこの場合、「優しい奴だ」という感想を抱いてもいいものだが、相手がラツィラスだとそうはならなかった。

 「何か企んででもいるのか?」と思考するジーンの視線に、ラツィラスは肩を竦めて笑って見せる。

「折角友達になれると思ってたのに。来なくなっちゃたからさ、残念だったんだよ。前に会えた時は様子がおかしかったし。気になるじゃない」

 前に会えた時とは、恵みの教会を訪れた時だ。

 その時スカートンは逃げるように教会を立ち去ってしまったので事情は聴けなかった。恵みの聖女様も、娘がなぜ引きこもる様になったか分からない様子だった。

「毎年誕生日に来てもらっといて、まだ友達じゃなかったのか? スカートンが来なくなったのは、お前がなかなか友達認定しないのを感じ取ってたからだったりしてな」

「えー。僕のせいとは思えないけどな。それに」

 ラツィラスは示す部分をぼやかして、分かりやすくおふざけな言葉を返す。

「スカートンは僕の隠しきれない『立派な王子オーラ』に押されちゃってるからね。もう少し仲良くなれれば、誰かさん達みたいに、僕の立派な空気関係なく仲良くなれるかもって期待してたんだよ。もっとも、誰かさん達のほとんどは僕の『立派さ』に気づけない位鈍感なだけだったのかも、って最近は思うんだけど、どうかなジーン?」

「はいはい。カザリットの奴ならその通り鈍感なんだよ」

 ジーンはおざなりに返す。

「お前のそれは仕方ないにしても、その判断基準じゃ友達全然増えないだろ。それとも友達は友達でも、その中でランク付けしてるのか? すごい感じ悪いな」

「酷い言いようだね。それに人のランク付けなんてあって仕方ない物なんだから、仕方ない仕方ない。相性ってものを考えると、そこら辺は寛容にならないと大変でしょ」

「………お前、本当良い性格してるよな」

 正論でもあるが、それが目上の者ではなくこの王子に教えられるように言われたのが何となく気に入らない。

「『良い』って言いうのは言葉の通り『良い』って意味で受け取らせてもらうね。何しろ僕は素直だから」

 ジーンの不服顔にクスクスと笑い、ラツィラスは馬を歩き出させる。話しを戻すべく「それで」と切り出す。

「行くと言ってもまた聖堂なんだけどね。このあいださ、面白い物見ちゃって。教会に行ったらまた何か見れるんじゃないかなって思ってさ」

「面白い物?」

 ジーンは訝しがり、ラツィラスの馬に自分の馬を並ばす。

 ラツィラスは思い出し笑いを零していた。

「この間のお昼なんだけどさ。アルベラがスカートンを馬に乗せて、学校に来てたんだ」

「は? 馬? 馬車って事か?」

 ラツィラスはさもおかしそうにくすくす笑う。

「違う違う。アルベラが手綱を引いた馬だよ」

「………は? あのお嬢様がか? ………いや、でも確かに」

 確かに、想像してみればなくもない話だが、とジーンは納得する。だが、あの公爵様がなぜ、とも思った。

 別に武道に精通しているわけでも、争いの頻発するような地域出身でもない。特にかなりの親バカと知れてるディオール公爵が、喜んで娘に馬を与えるとも思えなかった。

「きっとレミリアス様の教育方針だよね。ジーンの乗馬の腕前が、いつかアルベラに抜かれちゃうなんてことになったら…………面白いんだけどな~」

「だからお前、あの時一人でニタニタしてたのか」

 数日前の昼の事をおもいだし、ジーンは納得した。

 厩の外に一人立ち、柵の方をじっと眺めていたラツィラスの姿を思い出した。

 そして付け足すようにむすりと返す。

「てか、負けねーし。負けるわけ無いだろ」

「お嬢様に負けたんじゃ騎士様の面目丸つぶれだもんね」

 またくすくすと笑い、ラツィラスは「さて、」と馬の歩調を早めさる。

「早く行こうか。面白い物見逃しちゃうかも」



 大通りを挟んで教会の前にして早々、ラツィラスは目を輝かせた。

 その視線を追ってジーンは教会の周囲を探ると、ラツィラスが見ているものを見つけた。

「………あいつ」

「いま、丁度あの柵から出てきたんだ。教会からじゃなくて柵からだよ? 何してたんだろうね」

 ワクワクという文字がラツィラスの周囲に見えてくるかのようだ。

 ジーンは目を座らせ、公爵のご令嬢にも、この国の王子様にも呆れてため息をつく。

 ラツィラスとジーンは通りを横断し、細い通りを挟んだ教会の左横に設置されている厩へ馬を預けた。急いで教会の前を覗くと、アルベラとシスターが教会の敷地内へ入っていくのが見えた。

「スカートンに会いに来たのかな?」

「けどなんで柵の中から出てきたんだ? あそこ、どう見ても敷地だろ」

 ラツィラスは段差の上にある柵の間から教会横のスペースを覗くが、そこには生垣に囲まれた閑静で小さな庭園があるだけだった。

 赤い瞳が辺りを見回していると、アルベラとシスターの去って行った方へ引き込まれるように向けられて止まった。

「ジーン」

 ジーンはラツィラスの横顔に目をやる。

「あそこ、何か見えるかい?」

 示された教会横の、敷地内に続く石畳と小さな園芸用のアーチを見て「俺にはなにも」と答えた。

「いま、光に反射するみたいに何か壁みたいなものが見えた。一瞬だったけど………」

 いつものふざけた笑みを浮かべていないラツィラスに、ジーンは事を察した様に足を進める。

 なんだか嫌な予感がした。

 いつもと変わりない様子で教会に出入りする人々。その間を駆けだしたい気持ちを抑えつつ、速足で抜ける。腰の剣の柄に手を添えて、周りの人々から怪しまれないよう、堂々とした様子で敷地の中に立ち入った。



 一瞬、足元と周りの景色が「ぐにゃり」と歪んだ気がした。

 平衡感覚を保つように両足を踏ん張り顔を上げると、数メートル先、日に照らされた庭園でシスターが屈んでいるのが見えた。

 何をしているのかよくわからなかったが、辺りの光景がしっかり頭へ入ってきたとき、目の前で何が起きているのかようやく理解できた。それはジーン同様、ラツィラスも庭の様子を理解するのに時間がかかったようだ。

 ナイフ。蔦に絡め取られ蹲るアルベラ。

 少女の体がびくりと跳ね上がり、蔦以外の見えない何かに、締め上げられたように大きく仰け反る。そのまま意識を失ったのか、彼女は力なく地面に倒れ込んでしまった。

「………?!」

 ジーンの頭の奥が焼けるような熱に襲われる。どうしようもない怒りに視界が真っ赤に染まるようだった。反射的に魔法を発動し、手は剣を抜いていた。シスターを睨みつけ地面を蹴る。


「———動くな………………………彼女から離れろ」


 芯から凍えるような声が聞こえた。

(ラツィ………ラス…………?)

 ジーンはぴたりと動きを止める。怒りに染まった頭は一瞬で冷めたが、それどころか、体の内側から温度が奪われていくかのようだった。

 シスターは弾かれたように後ろに飛び退き、腰が抜けたような動きでその場に経垂れ込んだ。シスターから流れ出ていた魔力は消し去られ、アルベラを締め上げていた蔦の動きが止まった。

 ジーンはわずかな恐怖心を抱きつつ、静かに後ろを振り返る。

 見慣れたはずの、真っ赤で透明な瞳が二つ、庭入り口の木陰の中、煌々と輝いていた。それが纏う空気はとても重々しく、誰も逆らうことを許さない威圧感を持っていた。

 肌がピリピリと痺れるようだ。

「………ラツ?」

 ジーンは確かめる様に名を呼ぶ。

「ジーン、アルベラを」

 ラツィラスは前を見たままそれだけ言うと、ゆっくりと歩きだし、シスターの前で足を止めた。

 瞬き一つせず、真っ赤な瞳を丸々と、剥き出しにするように目を見開いたまま。

 尻餅をついたような姿勢のシスターは体をすくませ、呆然と彼を見上げていた。

 ジーンは言われるままアルベラの元に駆け寄る。剣で蔦を断ち、アルベラの呼吸を確認した。

 血の気が引いて真っ青な顔の少女に「なにやってんだよ…………」と小さく呟いた。

 大きく動かさないように気を付けながら、両脇を持ち芝生の上を引きづってラツィラスとシスターから離れる。

 ジーンは、ラツィラスの放つ、今まで感じた事の無い空気に戸惑う。背中に嫌な汗を感じた。

(ばか。あいつを怖がってどうする。今、本当なら、俺があいつを守って、あそこに立ってるべきなのに)

 大きく息を吐き、心を落ち着かせ剣を構え直す。

(あいつも、お前も、後でちゃんと話を聞かせて貰うからな)

 ジーンは八つ当たりのように後ろのアルベラを睨み付けると、ラツィラスとシスターの動向を見守る。



 ***



 少年特有の高く澄んだ声が、静かに尋ねる。

「あなたは、一体何をしてるんですか?」

 音量に反して、その声はやけに響いていた。

 逃げようのない恐怖心が、メイジュの手足にまとわりついて動きを封じる。

 鳥の囀ずりも、風の音も、木々のざわめきも聞こえなくなった、静止したような空間。カチカチと小さな音が聞こえ始める。それはメイジュの口から聞こえていた。

(なに、この子……………………くるな、くるな、くるな………………………来ないで…………………!!!)

 目の前の少年が怖くて怖くて仕方がなかった。出来ることなら走って逃げたいが、体が全く言うことを聞いてくれない。恐怖が完全に体を乗っ取って、自分の体を震える手で抱くことがやっとだった。

「ねえ、聞いてますか? あなたは、僕の友人に、何を、した?」

 少年は一歩踏み出し、メイジュの顔を覗きこむ。

 真ん丸な二つの瞳が、際限なく迫り来るようだった。

 目が放せない。

 指一本触れられてないというのに、体の中に手を突っ込まれ、心臓を鷲掴みにでもされているような感覚。目を放せばきっと、その手は自分の心臓を握りつぶしてしまう。

 ———はぁ、はぁ、はぁ、

 メイジュは汗をだらだと流し、肩で息をする。

 今、自分が目の前にしているのは、自分には何も、どうしようもできない絶対的な力なのだ。

 メイジュは、頭を低くし尾を丸める犬のような姿勢で、声も出せずに震える。

「答えて、くれないんですね」

 ラツィラスは不快そうに眼を細めた。

 その陰る目元に、小さな眉の動きに、メイジュは「ヒィ!」と声を上げる。大げさに体を揺らし、後ろへ尻もちをついて後ずさる。

「………ごめ、な さ………………ごめん なさ い、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 掠れた声が絞り出される。それはだんだんと、堰を切ったように、だんだんと力強く矢継ぎ早となっていく。

「ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!! もうしません、許してください、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい………」

 ガタガタと震えながら、メイジュは必死に神にするように祈りのポーズをとった。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい………」

 命乞いをするように、怯えるあまり瞬きも忘れ、目に涙を浮かべ、ひたすらその言葉を繰り返す。

 全く会話にならない彼女を前に、ラツィラスの口から「はぁ」と冷たい吐息が漏れた。



 ***



「あったよ~」

「こっちも終わった」

 聞き覚えのある少年達の声に、アルベラは意識を取り戻す。閉じた瞼の裏から外の明かりが透けて見えた。

 木々が風に揺れる音と小鳥の鳴き声、草を踏む音と、カチャカチャと刀が揺れるような音も聞こえる。

 目を開くと視界に青い空が広がっている。

 一瞬自分の首が斧で断ち切られた時の記憶とダブり首に手をやるが、何もあるはずもない。

(………ああ、そっか。………メイジュ)

 身を起こすアルベラの横から声が上がった。

「お嬢さま………ああ! 良かったぁ!」

「うわあ! 臭い!」

 エリーに抱きつかれ思わずそう声を上げる。

「アルベラ! 良かった、目覚ましたんだね」

「良かったな、ちゃんと生きてて」

「王子、ジーン」

 エリーはともかく、なぜこの二人が? と顔に書いてあるのを見て、ラツィラスはくすくすと笑った。

 その横では、ジーンがいろいろと聞きたそうに顔をしかめている。

「偶然ね。けどこれももしかしたら神のお導きかも。僕凄い愛されてるから」

「は、はあ………」

 アルベラは状況が呑み込めず辺りを見回し、立ち上がる。

 ふらりと足がよろけ、エリーが「あら」と手を出してそれを支えた。とっさに足を踏み出していたジーンは、息をついてそっと身を引く。それを横目に、ラツィラスがクスリと笑い、ジーンは「なんだよ」と言いたげに、ふてくされるように口を引き結ぶ。

「えーと、オーレンは? メイジュは? 閉鎖の魔術は?」

 不思議な顔で周りの三人を見まわすアルベラに、ラツィラスが「それなら」と手に持ってたものを見せた。土や草の切れ端が付いた割れた小皿が二枚。ジーンも同じものを持っていた。

「閉鎖の魔術に使った魔術具だよ。丁度壊し終えたところ。あと、オーレンって人とメイジュって人なら、多分ソレかな?」

 アルベラが振り返ると、自分が横になっていたベンチの下にオーレンが横たえられてた。そして、ベンチの裏側と茂みとの隙間に、メイジュがしゃがみ込んで爪を噛み震えていた。

 オーレンは目を離すわけにはいかないと、エリーが仕方なく持ってきたものと思われる。

(メイジュは………)

 アルベラはベンチに膝をついて乗り、メイジュをのぞき込んだ。怯える様に身を小さくしている彼女は、若干老け込んだようにも見えた。エリーに目を向けるが、メイジュの方の経緯はエリーも知らないらしく、首を傾がれてしまった。

「ねえ、アルベラ」

 ラツィラスに呼ばれアルベラは振り返る。

「僕ら、君の命の恩人なわけなんだけど」

「………え゛」

 つい濁った声が漏れた。

 アルベラの心底嫌そうな声に、ラツィラスは満面の笑みで首を傾げる。

 ジーンからはいつも以上に不機嫌な、自棄に荒々しさを称えた鋭い視線を向けられていた。

(どっちも怖い………)

 アルベラは急いで咳払いをした。ベンチから降り、身を正す。

「ありがとうございます。ラツィラス王子、とジーン。あの、二人はお怪我とか、ありませんでしたでしょうか?」

「うん。大丈夫。結構あっさり終わったから気にしないで」

(えぇ………あっさりって………)

 自分は苦戦した挙句やられそうになったんですが、とアルベラは顔をひきつらせる。

 王子の言葉に、一瞬ジーンの眉が寄せられ、視線が下に向けられた。アルベラはその表情の変化を深く考えず王子に視線を戻す。

「それで、僕らにも事情、話してくれるかな? 僕ら、巻き込まれたわけだし、何しろ『命の恩人』だし、ね」

 「命の恩人」の部分を強調し、王子は胸を張った。

「ちなみに、裏庭の魔術は解いてないよ。エリーさんがその二人と話し込むには丁度いいからって。『良ければ』僕らもそれに同行させてもらいたいんだ。………良いよね?」

(断れる空気じゃない…………)

 ニコリとほほ笑むラツィラスに、アルベラは意思を捨て、操り人形になったように「こくんこくん」と首を縦に振った。



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