78、彼女は素直になれない 6(中庭とベンチと事案)
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「こんにちは、スカートン」
「………こんにちは、アルベラ。あの、エリーさんも」
「あら、ありがとうございます。こんにちは、スカートン様」
三日ぶりの再会。
アルベラは教会を訪れ、聖女様が留守の中シスターに声をかけて敷地内に立ち入らせてもらっていた。
教会と聖女様の自邸とシスターたちの暮らす宿舎は中庭を囲んで渡り廊下で繋がっている。
空き部屋ばかりだという聖女様の二階建ての自邸は、中庭に沿ってL字型をしており、スカートンの部屋は教会が隣となる側の一階にあった。
一昨昨日のように抵抗したりせず、扉をノックするとスカートンはすんなりと部屋に入れてくれた。
「それで、話を聞かせてもらってもいい? 人伝えで、スカートンが四ヶ月前から学校に行ってないって聞いたの。聖女様からは、あなたが『精霊を見える様に戻った』かもしれないって」
スカートンは俯いていたが、後半の言葉に反応して肩を揺らした。
「………お母さま、気づいていたのね」
「じゃあ」
スカートンは首を小さく縦に振った。
三人はスカートンの部屋に置かれたテーブルを囲み、椅子に座っていた。
そのテーブルも椅子も、普段はこの部屋にはおいてない物らしく、アルベラの訪問と共にシスターが運び込んで設置していったものだ。一緒にお茶とお菓子が置かれて行ったが、まだ誰も手をつけてはいない。
アルベラにとって、お茶よりもスカートンの話だった。
「精霊が、見えるようになったのはいつから?」
「はっきりと見えるようになったのは………その、四ヶ月、前………」
ただでさえ伏せているスカートンの顔が、さらに沈み込む。
なぜそんなに落ち込んでいるのか、アルベラには理解できなかった。
「精霊が見えた。だから部屋からでなくなったの?」
こくりと、スカートンは頷いた。
「スカートン、お願い。この四ヶ月の事とか、引きこもりになった詳しい事情とか聴かせて。精霊が見えるようになってどんな気持ちだったとか、そういう所もちゃんと」
スカートンは顔を上げ、視線をアルベラへ向けた。長い前髪が流れ、スカートンの片目がはっきりとその合間から現れる。
アルベラには、その銀ともカーキともいえる瞳が揺れているように見えた。
スカートンは小さく顔をゆがめ、また「こくり」と頷く。
怖かった。
いつのまにか、母の跡を継いで、聖女になりたいと考えるようになっていた。
その想像だけなら楽しかった。だが、自分の見る景色の中に小さな灯が増えていき、それがはっきりと「精霊だ」と認識できるくらいまで見えてきたとき、自分の「楽しかっただけの妄想」が、「楽しい」だけでは済まない物へとなってしまったような気がした。
もしもこのまま、自分がその気になって聖女を目指し、成れたとしたらどうなっているのだろう。
親しくしてくれたシスターたちの顔が浮かび上がった。
そして、聖女となった自分を囲む彼女たちは揃ってみんな、蔑むような眼を向けてきているような気がした。
「卑怯者」「七光り」「親の権威で成り上がった偽物」「私たちを馬鹿にしてるのか」
そんな声が聞こえてくるような気がした。
その末路も同時に想像してしまう。自分が聖女となったこの教会には、シスターたちの姿が居ないのだ。
みんな自分を見放して出て行ってしまう。
誰もいない教会でただ一人、神に祈りを捧げる自分の姿。心臓が止まるようだった。胸が締め付けられて、悲しくて、怖かった。
そう思うようになってから、外に出た時に聞こえるシスターたちのちょっとした話し声に、自分の悪口が混ざっているように感じた。
気のせいだと自分にいい聞かせても、その幻聴は消えず、そして幻でも何でもない精霊たちの姿がふわふわとあちこちに見える。
どれが嘘でどれが本当か分からなかった。
悪口も嘘であってほしい。精霊も嘘であってほしい。また変わらずに彼女たちと顔を合わせ談笑できるように戻りたい。
けど………けど。もしもあの悪口が現実だったら。
登下校で迎えてくれる彼女たちの笑顔が偽物だったら。
「それで、人の話し声や視線が怖くて外に出られなくなったと………」
「う、ん」
「私は? 私やエリーも、怖い?」
スカートンは首を横に振った。
「教会に関係ない人たちの事は、そんなに怖くないの。ただ、お祈りに来ている人や、信仰心の厚い人とかは、ちょっと怖い………」
「そう」
(どうしたものか………)
アルベラは部屋の扉の横、ぴたりとカーテンで閉じられた窓を眺める。反対側の窓もそうだ。この部屋全ての窓が、外からの視線を拒否しカーテンを閉じられていた。
あの手紙についての話がスカートンから出ていない。
今の内容的に、きっとシスター達の視線や話し声が怖くなったのは、あの陰湿な手紙が大きく影響しているはずだ。
「スカートン。今の話、本当に全部?」
「………うん」
このままでは、話が進まないかもしれない。そう思ったアルベラは、ポケットの中に手を突っ込んだ。
(もういい。強引にでも聞き出してやる)
「はい、これ」
アルベラがテーブルの上に並べたものを見て、スカートンは息を飲んだ。
「スカートン。『はい』か『いいえ』で答えて。正直に」
アルベラは外に出て伸びをした。
隣には浮かない顔のスカートンがいる。
丁度正午と言ったところか。今日は普通の馬を使ってきていたので、一昨昨日よりも移動時間が長くなるだろうと早めに出ていたが、早く出すぎたかもしれない。
(お昼前に話を聞き終えるとは)
やはり、スカートンがあの嫌がらせを受けるようになったのは学校へ来なくなった四ヶ月前らしい。
信頼しているシスターに「精霊が見える件」は隠して相談をし、それから少ししてから手紙が来るようになったそうだ。
スカートン本人には酷だが、少し一緒に敷地内を散歩がてら案内してもらうことにした。
「スカートン、ごめんなさい。本当に大丈夫?」
「うん。私も、ずっとこのままっていうのは、駄目だとは思ってたから。………アルベラとエリーさんがいてくれると心強い」
「あらあら。お力になれるなら嬉しいですわ。スカートン様を傷つける輩が居たら目の前で真っ二つに折ってやりますから安心してお散歩なさってくださいな」
(結構グロいこと言ってない?)
真っ二つに折るとはどいうことだろうと、アルベラはエリーが人を両手で持ち上げてその背骨を「ぼきり」と行く様を想像する。
窓から教会の中を覗いたり、宿舎の裏に回ってみたりと敷地内を歩き、中庭に戻ってきた時。丁度聖堂の方から聞こえていた律歌が終わった。
「スカートン、シスター達って今から昼食?」
「うん。聖堂からいったん宿舎に引き上げて、食事して、そのあと讃美歌を夕方前まで歌うの」
「………殆ど歌って過ごすのね。ねえ、大丈夫?」
スカートンが明らかにおびえていた。アルベラは彼女の震える手を取る。
「部屋、戻ってる? 私、さっき聞いた『カリアさん』に会ってみようと思ってるんだけど」
白光聖職者、カリアテンラ。スカートンが姉のように慕っていたシスターだ。そしてほかでもない、スカートンが「聖女を目指してみたいかもしれない」と相談した相手でもあった。
「カリアさん………」
どうやらまだ無理そうだ。
「ねえ、部屋にもど」
「スカートン」
張りのある女性の声。スカートンの肩が大きく揺れた。
アルベラが後ろを振り返ると、丁度教会から宿舎へと続く渡り廊下へと、シスターたちが出てきているところだった。
白い服をまとった集団から、三人。こちらへと小走りで駆けてくる人物がいた。先頭で駆ける一人を、あとの二人が追ってきている様だ。
「カリアさん」
アルベラの握るスカートンの手が冷たくなっていく。
「スカートン、心配してたのよ。あなた………こんなにやつれて」
しゃがみ込むカリアへ、アルベラが声をかけた。
「あの、こんにちは。アルベラ・ディオールと申します」
カリアは我に返ったように姿勢を正す。
「こんにちは。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。聖女様から伺っています。公爵様のご令嬢がいらっしゃると。カリアテンラ・ゼンシャーと申します」
カリアが頭を下げると、ウェーブのかかった長い甘栗色の髪と、首にかけていた、手のひらサイズの雪の結晶のようなペンダントが揺れた。
(白光の印………)
アルベラは胸の中呟く。
教会の中には5つの位のようなものがある。上から聖女、白光聖職者、金光聖職者、銀光聖職者、静養者。「恵みの者」ともいわれる静養者とは、教会で預かっている孤児たちの事だ。下働きで18歳まで教会に住むことが出来、その間に貰い手が見つかれば、他の身寄りのない子といれかわりで教会を去る。
(後ろの二人は白光に仕える金光か銀光ね)
アルベラの視線に、カリアは気づいたように付け足した。
「気が回らず申し訳ありません。こちら、私のお付きで金光の『メイジュ』と『オーレン』です。あの、私、一応『白光』なんです。白光は二人のお付きが付くのが決まりでして」
カリアは自分で「白光」と口にするのが照れ臭そうに苦笑した。
「存じております。ありがとうございます、ゼンジャー様」
「そんな、『様』なんておやめになってください。あの、ところで………スカートン、」
スカートンへ目をやったカリアは息を飲む。
「酷い顔色じゃない! 大丈夫? 良ければ部屋まで」
「カリアさん」
スカートンから絞り出されたよな声が出る。
「あの、大丈夫、です。その………ごめんなさい」
そういって、アルベラの手を放し逃げるように自分の部屋へと走っていった。
スカートンが部屋に入るのを見届けて、アルベラはカリアを見上げる。
「ゼンジャー、さん」
「はい」
心配そうに眉を寄せるカリアは、アルベラへと紫がかった青い瞳を向ける。
「あの、今からお話しを良いでしょうか?」
「はい、少しであれば。讃美歌の時間もありますので」
「そんな! ダメです!」
後ろのお付きが声を上げた。確か、メイジュと言ったか。
真っ白な肌。グレーの瞳。シスターの服装も相まって全体的にモノトーンな印象の女性。
「讃美歌は体力を使います。魔力だって消耗するんです。ちゃんと食事をとって休まれないと」
「そうね。けど、アルベラ様のお話って、他でもないスカートンのことでしょう?」
「ええ………」
(あ、そうだ)
アルベラは思いついたとばかりに三人に視線を送り、辺りを見た。
「その、スカートンについては、後日改めて。相談は、私の事です。白光の貴女だからこそ、伺わせていただきたいんですが………。讃美歌に備えないといけないということで、今すぐじゃなくていいんです」
「アルベラ様の、ご相談………?」
カリアがぱちりと瞬く。
「はい。その………私、最近精霊が見えるようになりまして。あと、真っ白な光と、声の夢が」
一瞬、その場の全員の息が止まったように感じた。
「精霊、光の夢………」
カリアのもう一人のお付き、オーレンが震える手を口元にあてた。
「あなた! どんな冗談?! 聖女でもないのにそんなことが」
「メイジュ」
カリアが柔らかい声でたしなめる。
「そんなに怖い声を出さないで。アルベラ様に失礼よ」
「ですが、カリアさん!」
「ゼンジャーさん」
アルベラはメイジュの言葉を遮る。
「このまま休憩の時間を削ってしまうのは心苦しいです。今日、都合のいい時間帯ってあるでしょうか?」
カリアは「ありがとうございます」と困ったような笑顔を浮かべた。
「では、讃美歌が終わる十六時頃に、宿舎を訪ねていただいて良いでしょうか? もし帰りが遅くなるようでしら、今からでもいいですよ? 律歌も讃美歌も、結局のところ自主的なもので、強制されてやるものではないですから」
「カリアさん!」
メイジュが声を荒げる。
「いえ、十六時で大丈夫です。お時間取ってしまってすみません。………あ! さっきの話、どうか内密に。誰にも言わないでください」
「ええ。そうですね。メイジュとオーレンにも、しっかり口止めしておきますから」
カリアは柔らかく微笑んで立ち上がった。
「では、また後程。失礼いたします」
丁寧にお辞儀をするカリアに、お付きの二人も倣う。
去っていく三人の背を見届けてアルベラは息をついた。
まったく人のいなくなった中庭。
アルベラはエリーと共に木製のベンチに座りスカートンの部屋を眺めた。
「ねえ、みた?」
アルベラはエリーに尋ねる。
「まあ、はい」
エリーは困ったように答えた。
アルベラが尋ねたのは先ほどのカリアのお付き「オーエン」の事だろう。
「このあいだ、スカートンの部屋を見張ったとき、メモを置いていったのってあの人だよね」
アルベラが聖女様と話した日、中庭の物影に隠れてスカートンの部屋を見張ったのだ。すると教会から讃美歌を終えたシスターたちが宿舎へと戻って行った。少しして誰もいなくなった中庭を突っ切って、一人のシスターがスカートンの部屋の前へと訪れた。
それがオーエンだ。
彼女はスカートンの扉を叩くことなく去っていき、そこにあのメモが残されていた。
「しかも、私を見るあの目。分かりやすくて良かったわ」
「それより、どういうことですか、お嬢様。いつの間に神のお告げなんてあったんです? しかも精霊まで見えていたなんて驚きですね」
わざとらしいセリフだ。
「もう。見えもしないし聞こえもしてないってば」
「ま、そうでしょうね。あんな嘘でオーエンって子を釣る気ですか?」
「釣れれば儲けもんだと思ったの。カリアさんの人柄も知りたかったし一石二鳥でしょ。もしあの人が襲ってきでもしたら、エリーちゃんと護衛お願いね」
「そこは任せていただいて大丈夫ですが。どうする気です? 犯人が分かった以上、カリアさんと話す必要ありますか?」
「うん。ある」
アルベラは自信満々に頷いた。
「スカートンは犯人が誰か知らない上に、その犯人が居なくなったって、今の人間不信はそうそう拭いきれないでしょ。シスターが一人や二人抜けたって、全員敵に見えてるままじゃ意味ないし。———絶対に、何があっても味方! ってスカートンが思える人が、傍にいてくれないと。カリアさんの事、相談相手にするくらい信頼していたわけだし。もし本当にカリアさんがスカートンの事を心配していて、聖女を目指すライバルになることも受け入れてくれるくらい懐の広い人だったなら、スカートンのメンタルが完全復活するまでのオアシスになっていて欲しいじゃない」
「カウンセラーって事ですか。まあ、この敷地内に味方がいると思えば、スカートン様も心強いでしょうけど」
エリーは頬に手を当てて隣のアルベラを見下ろす。
「なに?」
「いえ。随分頑張ってらっしゃるなと」
今までも、エリーはアルベラが物欲から奮闘する姿を見てきた。それは危険なドラッグを欲しがったり、その開発者である八郎を欲しがったり。いつだったかは「今後のためにドラゴンを見てみたい」という謎の理由から王子の誘いにのってドラゴンの巣を覗きに行ったこともあった。
ドラゴンに関してはあわよくば捕まえて何かの戦力にしようと思ったらしいが、そこはただのオオトカゲの巣であってドラゴンはいなかったので目論見は不発に終わった。
そのどれもはアルベラの私欲、物欲を満たすためのようなものだった。
だが、今回はそれらとは少し違う気がする。
エリーは微笑む。
「だからなに?」とアルベラはじとりと目を座らせた。
「ふふふ。今回のお嬢様は、なんだか可愛らしいなと」
「………え?」
そのとたん、アルベラの表情がものすごいゆがみ方をし、少女の物とは思えないような有様となった。顔の至る所にしわが寄りくしゃくしゃになった。抱き着かれるのを警戒しているのか、やや身を引いている。
「もう、何ですかその顔」
「いや。だって私、エリーとベンチに座るのっていい記憶ないし!」
アルベラの脳裏に、エリーと出会った頃の記憶が蘇っていた。
エリーもそれを丁度思い出したらしい。
ニコリとほほ笑み、アルベラの手を取る。
「あら………、触りますか? 私の」
パン! と盛大なビンタの音が中庭に響いた。





