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77、彼女は素直になれない 5(リュージの私物と交換条件)



 ***



「嬢ちゃん」

「はい?」

 夜。日付も変わりそうな時間帯。

 顔をほんのり赤く染めてアルコールの匂いを漂わせた、五〇代半ば位の男が声をかける。

 大人の女性が付いているとはいえ、少女が前にしている扉はこの辺で良く知れてる要注意の場所だ。

 前の前の領主の頃から、隠れもせず堂々と「ツーファミリー」が使用している物件の一つ。

 町の治安維持にも一役買ってはいるが、前の前の領主と、前の領主を引きずり下ろしたのは彼らだという噂がある程、誰もが「目をつけられたくない」と思う相手だ。

 もっとも、前の領主の時に代替わりするまでは、名前が異なり「ショーダイファミリー」であったので、前の前の領主を引きずり下ろしたのはそのころのメンバーが主体だった。だが、名前が変わってもその体制はしっかり引き継がれているようで、この地一帯ではその名が知れ渡るくらいの強い勢力を維持したままだ。

「君のような年の子がこんなとこに来ちゃいかん。悪いことは言わないから帰りなさい。そこのでっかい姉ちゃんも、ここが何か知らねぇわけじゃないだろう」

「あら」

 声を向けられた保護者らしき女性は嬉しそうにほほ笑む。

「ご心配ありがとうございます。でも、ここに知り合いがいるので大丈夫ですよ。こんな夜道です。旦那様もお気をつけてお帰りくださいませ」

 その会話を背に、少女は気にせず目の前の扉をノックした。

「ひっ!」

 男は慌ててその場をあとにする。

「ありがとねー、おじさーん」

 夜なこともあり、少女はあまり大きな声を上げなかった。見えてないとわかりつつ、ひらひらと手を振って去っていく男を見届ける。



 扉のノックに室内にいた男たちは顔をしかめた。

 近くの飲み屋から明るい笑い声が漏れ聞こえる。

 部屋には三人。体格や年齢はそれぞだが皆揃って強面だ。

「………おい、今日客人があるなんて聞いてたか?」

 二人は机に向かい合いテーブルゲームをしていた。今声を上げたのはその片割れだ。

 向かい合った男が不思議そうに顔を上げ答える。

「俺は知んねえぞ?」

 窓際に座り、煙草をふかしながら読書に耽っていた男が「そういえば」と、本から目を離さずに行った。

「リューさんが面倒な客が来るから真面目に相手すんなっつってたな」

「面倒な相手? 誰かは知らねぇのか?」

「ああ。俺ぁきいちゃいねぇ」

「ふーん。それって追っ払えって事かねえ」

「ん? ………ああ。確か追っ払って帰るようならそれでいいって言ってたな」

 テーブルゲームをしていた、「人の良さそうな小鬼」のような顔の男が「よいしょ」と口に出し立ち上がった。

「しかたねぇしかたねぇ。俺がでてやるよ」

 その顔は少し嬉しそうだ。

「最近暇してたんだ。リューさんがそういうなら、誰がどう追っ払おうとどうでもいいよな」

 片手を腰に当てるその様子に、他の二人は目をやる。小鬼顔の男は腰に鉈のようなものを下げていた。片手はその柄に触れている。

 本を読んでいた男が任せきった口調を投げかける。

「おいおい。ただの酔っ払いなら適当に追い払ってやれよ。余計な面倒事は起こすな」

「コーニオ。やるなら外でやれよ? 室内に血の一滴でも入れたもんなら、隣からリューさんがすっ飛んでくるぞ。お前のせいで何度この部屋の掃除に巻き込まれた事か」

 コーニオと共にテーブルゲームに興じていた男は、椅子の背もたれに腕をかけ顎を乗せていた。その顔はうんざりしてる。

 どちらも手伝う気はないようだ。

「えいえい。もう大丈夫だよ。ちゃんと俺だって学んだって」

 コーニオはへらへらした笑いを返し、空いた片手でためらいなく扉を開く。瞬間、柄を握る手に力が入り、筋肉が小さく盛り上がった。

「こんばんは」

 入り口の前に居たのは少女だ。

 こんな真夜中に、こんな裏通りに、十歳そこそこの紫の髪の少女が小さく微笑んで立っていた。室内の明かりが顔に掛かり、緑の瞳がクルリと光を反射した。視線はコーニオを通り越し、興味深げに室内を見回している。

 コーニオは鉈から手を放し、その手を頭にのせた。

「ありゃ。アルベラの嬢ちゃんか。どうした、こんな時間に」

 その言葉は若干残念そうだが、一応笑顔で歓迎する。

「こんばんは~。リュージさんいらっしゃるかしら?」

 後ろに控えていた高身の女が一歩前に出て、少女の隣に立った。

「おお。エリーの姐さん。今日もべっぴんだな。リュージさんなら奥にいるよ。二人ともあがんな」



「おう! 姐さん! それにミクレーの嬢ちゃん! どうしたこんな時間に」

「姐さん! よくきてくれたな! ちょっと待ってな、飲み物もってくらぁ。あ、酒がいいか? よう、嬢ちゃんも久しぶりだな」

 室内の男たちが、エリーの訪問に分かりやすくテンションを上げた。

 アルベラは目を座らせ、「はいはい。おまけで結構ですとも」と息をついた。

 木製の床に白い土の塗られた壁。オレンジの日光石が壁際と部屋の天井の中央から室内を照らしていた。

 男たちに促されるまま、エリーは部屋の真ん中に置かれた四角テーブルの椅子に座った。

 そのテーブルの上に置かれたボードゲームがアルベラの目に留まった。

(オセロ?!)

 強面な男たちがちまちまと駒を裏返す姿を想像してしまう。不似合い極まりないが、そのギャップが可愛らしさも演出していた。

(もっとこう、チェスとか将棋的な渋い奴もあるでしょうに………)

 そう思いながら目の前の小鬼のような男に視線を戻すと、腰の鉈が目についた。

 「相変わらずだな………」と若干引きつつ、アルベラは早く用を済ませようと尋ねる。

「コーニオさん、リュージは? 今日来るって手紙出したんだけど」

「あ! 追い払ってもいい面倒な客って嬢ちゃんの事だったか! なるほどなぁ~」

「はぁ?! そんな風に聞いてたの?!」

 コーニオはカラカラと笑い、「相変わらずだなぁ。ほれ、リューさんならそっちの部屋だ」と一つしかない隣室への扉を示す。

 その二人の横を抜け、ガルカは「邪魔するぞ」と室内に入って適当に開いているに椅子に腰かけていた。座ったのは本を読んでいた男が掛けていた椅子だ。

 お茶を入れに行っていた読書男は、ガルカを見て不審な目を向ける。

「誰だてめぇ」

「公爵家の紋章の服着てるから嬢ちゃんの連れではあるのか?」と、オセロをしていた男。

「気にするな。ただの奴隷だ」

 ガルカは軽い調子で答える。

「………はぁ。兄ちゃん、その年で奴隷たぁ哀れなもんだな」

「ほらよ、一応おめぇの分だ」と、読書男はエリーの後に、ガルカにも飲み物を差し出してやった。

「礼を言う」

「あらあら、良いんですよ。そんな奴隷に気を使わなくて。椅子を使わせるのも勿体ない。その子は地べたで十分なくらい、屋敷では下の下の果てしなく最下位の下っ端なんですから」

 エリーの言葉に、他のチンピラ達は更にガルカに同情の目を向けた。

「よくわかんねぇけど、貴族の使用人にもいろんな事情があるんだな………」

「坊主、強く生きろよ」

(なんか………よく分からないけどうまくやってる………)

 ガルカとチンピラ達のやり取りに気を取られつつ、アルベラは隣の部屋の扉を開いた。



「ああ゛?」

 アルベラが扉を開くと、何かの文書に目を通しながら煙草の煙を吐いている、目つきの悪い男と目があった。

 少し長めの短髪は黒く、毛先が赤い。前髪をオールバックにし、顔にはいくつか小さな傷がついている。180cmとそこそこはあろうかという背丈。細身だが筋肉質な体系の男は、アルベラの姿に不機嫌丸出しの表情で凄んだ。

 このファミリーのナンバー2である「リュージ」だ。

「てめぇ………、何勝手に入ってんだ?」

「手紙出したでしょ? 今夜くるって」

「来て良いとは言ってねぇぞ、クソガキ」

「あら? ………『お嬢』って呼んでいいのに」

 にや、と笑むアルベラに、リュージのこめかみに血管が浮き上がる。

 以前、色んな事情が重なり混乱していた場で、リュージはアルベラの事を「お嬢」と呼び、さらには「踏んでくれ」などという世迷言よまよいごとを口にしてしまったことがあった。

『いいじゃねぇかリュー。お嬢。確かに公爵様のご令嬢だ。間違っちゃあいねぇ』

 かつての、ボスの盛大な笑い声が蘇る。

 全てはアルベラの魔法のせいだったのだが、現場の音声をファミリーのボスであるダン・ツーに全部聞かれていたために、リュージはそれ以来たまにボスからもそのネタでいじられていた。

(このクソガキのせいで………)

「ねーえ、『お嬢』って呼んでもいいんだけどなー」

 にたにたと笑み、アルベラはいやらしく下からリュージを見上げる。

「お前、それ言うためにわざわざ来たのか? あ?」

 リュージの肩が、抑え込まれた怒りで小さく震えていた。

 この二人はあった時からやけに衝突が多く、それは一年やそこらでは大きく変わりもしなかった。寧ろあったらぶつかるのが恒例行事となっていた。

「じゃあ、ちゃんと出迎えなさいよ! こっちはちゃんとマナー守って事前連絡したんだからね! それを『追っ払ってもいい面倒な客』扱い?! どんだけ失礼なの! 公爵家のご令嬢がわざわざこんな時間に足を運んできてやったんだからもっと有難がりなさい! もっと丁重にお出迎えして敬いないさい!!」

「てめぇな!! 大人をおちょくって楽しむクソガキを『面倒』とも『追っ払いたい』とも思うのは当然だ! 大体手紙出すんならちゃんと要件をかけ!! ただの悪戯だと思われたくなかったらもう一辺奇麗な字で丁寧に内容を書き出した手紙を送りなおしてから来やがれ!!!」

「ああのぉ」

 こんこん、と開いたままの扉がノックされる。

 エリーが部屋の入り口でほほ笑んで立っていた。

 扉が開け放たれていたために、二人の言い合いが隣の部屋の者たちにだだ洩れとなっていたようだ。

 「はぁー………」とリュージが額に手を当て息をつく。

「俺は何でこんなクソガキ相手に」

「まあまあ、リュージさんもお隣でお茶でもどうです? お嬢様の話はお茶でも飲みながら。すぐに終わる話らしいですし」

「どうもな、エリーの嬢さん。………てめぇ、話は聞いてやるが、それ以上余計な口叩くとコーニオの奴に足の爪毟らせるからな」

「ベー。コーニオは十回顔を合わせた相手には手を出さないって知ってるんだから」

「チッ………」

 とことん気に食わないと言いたげに、リュージは舌を打って隣の部屋へと移動した。

(嬢ちゃん………リューさん相手につえーなぁ)

(あのリューさんが、ちゃんと嬢ちゃん相手に自制を………エライ、偉いぜリューさん! その慈悲を俺らにも向けてくれ!!)

 ガルカと話し込んでいたコーニオ以外の二人の手下は、イラつきながら出てきたリュージの姿に、片や、緊張しながら背筋を伸ばし、片や、拳を握って感動した様に涙を流していた。



「なんだそいつ? 面白そうだな」

 ガルカはコーニオと向き合い机の上のオセロをいじっていたが、その手を止めリュージに目をやる。

(ガキが増えた………)

 リュージは忌々し気に銜えていた煙草に歯を立てる。

「あ、これはガルカ。公爵の身の回りの小間使いをしてる国属奴隷。だから、手出しちゃだめだからね」

「あの公爵様の奴隷か。いろいろ裏がありそうな話だ。———で、要件を言え。そんでさっさと帰れ」

「あら、つれないのね」

 まあいいか、とアルベラは言葉を続ける。

「前に契約魔術具を見たことがあるんだけど、あれを貸して欲しいの」

「ほう。そりゃまた」

 視線で理由を問われ、アルベラは答える。

「懲らしめたい………というか、約束をして、守ってほしい奴がいるの。友人がそいつにいじめられてて、その友人に近づかないよう約束させたい」

「ふーん」

 リュージは興味薄気に短くなった煙草を床へ放った。吸い殻は床につく前に燃え尽きてチリとなり、跡形もなく消える。

「そんなもの、そいつを消してしまえばいいだろうに。貴様にできなくともこのオカ………」

 オカマ女、と言いかけたガルカの口もとを掴み、エリーは微笑んだまま速足で外へと出ていった。

 ツーファミーの誰も、エリーの体が男性であることを知らないのだ。特にエリーは、その事をリュージには知られたくないはず。

 きっと今頃、ここから少し離れた路地裏で必死の口封じが行われているのだろうなと、アルベラは想像する。

「ま、あの坊主が言ったように、そいつを消すってのは手っ取り早いが………」

 リュージは懐から煙草を取り出し銜えた。煙草は小さくゆっくりと燻り、自然に火が付く。

「嬢ちゃんが見た魔術具ってのは、人が燃えて消し炭になった奴だろ」

 コーニオが問いかける。

「ええ。拇印したら、書類の内容と朱が指から体の中に入って言ったやつ。そいつは、ここを出てすぐに約束破って悪さして発火したけど、文書の約束さえ守り通せば命に危険はないんでしょ? あと、本人の努力次第で魔術も解けるって」

 「ああ。そうだな」とリュージは頷いた。

「だがな、あんなものただ遠回しにしただけだ。人に突き付けられた約束なんて、大体の奴は最期まで守らねえ。それが根本的な性格に関わるような内容ならなおさらだ。そいつ本人が心から変わろうって思わない限り、その約束が守り切られることはないんだよ。………つまり、無理やり契約させるって事は、そいつの死を確定させてんのと同じだ。お前がしようとしてるのは遠回しな殺人って事だ」

「それって、効果を弱めたりできないの?」

「できねぇな。それならそういう効果の代物を専門の職人に依頼して作るしかねえ。俺が持ってんのは殺し用だ。その目的で作った。表向きは話し合いでまとめたように見えるが、その実は消したい奴に爆弾を仕掛けているようなもんだ」

「………そうなんだ………………………わかった」

 アルベラはしばし考える様に自分の膝へ視線を向けていたが、顔を上げ真っすぐにリュージを見据える。

「それでいい。貸して」

 リュージは煙草の煙をゆっくりと吐き出す。

「タダでか?」

「お金は無理だけど、人手なら。………また、エリーを貸しだすとかじゃ駄目?」

「エリーの嬢さんか。………いい様に使われたもんだ。まあ、丁度人手の欲しい案件はある。………だがな」

 チンピラ四人の視線がアルベラへと集まった。

「あれは間接的な分、人を殺したっていう実感が薄い」

「うん。何となく想像は出来る」

「てめぇがあれを使う相手がどんな奴かは知らねぇが、使えばきっと、半分以上の確率でそいつは死ぬ。そこまでして約束を守らせたい相手だ。ただの話し合いで約束を守るやからなら、あんな小道具必要ないだろう。そんで、そんな小道具が必要なやつは大抵約束なんざ守らねぇ。………そいつが死んだとき、てめぇは自分が相手を殺したことさえも気づかねぇだろう。その瞬間、人を殺したとも知らずにてめぇは優雅な生活を満喫してるかもしれねえわけだ。………………………俺はな、それがとんでもなく気に食わねえ」

 アルベラは静かに頷いた。何となく、リュージの言いたいことは分かった。命を奪う事実からはにげるなと、そういわれている。

「………確かに、死んだ瞬間には気づけないと思う。けど、使うからには人殺しの意識から逃げないって約束する。それに、使えば死が確定な以上、私だって安易に使わない、と、思う。………いや、相手が本当にやばい奴って時にしか使わないことにする。契約内容も良く考える。もしもの時の備えとして、貸して欲しい」

「………はぁ。お前が人殺しに慣れた日には、目も当てられない位厄介になりそうだな」

 呆れたような声音だったが、「いいだろう」と言ったリュージの言葉は、静かで冷たいものとなっていた。鋭い視線が堅気の少女へと向けられる。

「貸してやる。使い方だ何だはコーニオが説明する。持ってけ」

 やはりその言葉も、硬く無機質なものだった。

 何となくアルベラは、目の前のチンピラが自分を試しているような気がした。魔術具を使うか、使わないか。殺すか殺さないか。

「ありがとう」

 アルベラの返答も、釣られて静かで無機質なものとなる。

 その後、コーニオが隣の部屋から契約魔術具を持ってきて、アルベラへと使い方の説明をしてくれた。

 エリーは近日、この街から南西にあるという町で、害虫退治を手伝うことになったらしい。巨大で凶暴な生物らしく、丁度腕のたつものが欲しかったそうだ。

 アルベラはリュージから借りた魔術道具を懐に納め、家の外でエリーとガルカを拾うと無事屋敷に戻り、慣れた手つきでロープを伝って自室へと戻って行った。

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