76、彼女は素直になれない 4(お嬢様の下準備)
「魔力の共有はまだ少しお嬢様には早かったみたいですね」
疲れ切ったアルベラの姿に、エリーは笑みをこぼした。
「あんたなんでいつもそんなに余裕なの? できない事とかないわけ?」
「あら、できないことならたくさんありますよ。けどお嬢様よりは色々できるので、沢山頼ってくださいな」
嬉しそうにエリーは笑んで、ハイパーホースを厩へと引いていった。
アルベラはまた擦れて痛くなった尻に手を当てて、一足先に屋敷へと入っていった。
(ああ、もうここで魔法薬飲んじゃおうかな………けどちょっと、今の自分のケツの皮がどうなってるのか見たいという、くだらない好奇心が………)
扉を開くと、この間同様、エントランスのソファでガルカが仰向けになり寛いでいた。
尻に手を当て帰宅したアルベラと目があう。
「………痔か?」
「違う!!」
(ふうー。時間あるし、夕食までにお風呂入っちゃおうかな)
アルベラは来ていたローブを丸めて籠に入れる。
今日はスーはお留守番で、窓を薄く開けて部屋に放していた。ボウルの中にも窓際にもぶら下がっていないということはまだ散歩中なのだろう。幼馴染で動物大好きのキリエの助言だ。毎日連れまわしていてはストレスになるので、こうして週三~四日は自由にさせている。
成体になればもう少し連れまわす日を増やしても大丈夫ということだが、スーは成熟するとカラスくらいの大きさになるらしい。そろそろ一気に大きくなりだす年だそうだが、果たしてそのサイズのスーをどうやって連れまわしたらいいのか甚だ疑問だ。
アルベラは部屋着にしている何着かから、適当な一枚を引っ張り出すと汚れた服を投げ込んだ隣にある、空いた籠へとそれを入れた。そして今日持っていた魔法薬も、忘れず籠に入れる。例の傷口を確認しようという欲求は捨てきれていなかった。
「で、あんたはなんでここに居るの?」
「暇だから来てやった。にしても主サマの周りは暇だ。静かすぎる上、むさくるしい」
ガルカは丸テーブルの横で、どかりと床に横になっていた。
確か、今日の父は周辺の領主達との月一の定例会議だったか。
父の領地はこのストーレムの街だが、周囲にある他七つの領主たちのまとめ役でもある。
周辺の領主たちは皆、中年男性だったはずなので、ガルカがむさくるしと言うのも仕方がないことだ。
「平和でいいこと。争いごとがしたいなら兵士にでもなる?」
アルベラは話半分で作業机に向かい、立ったまま便せんを広げる。
ついでにポケットにしまい込んでいた二枚のメモ用紙を取り出し、不機嫌な顔でそれを睨みつけると静かに引き出しへとしまった。
食後、寝る前に書きあげようと、箇条書きで必要な内容を並べ上げる。
「貴様は極端だな」
後ろでアルベラの返答にガルカがため息をついた。
「俺はほどほどに何かがあってほしいだけだ。退屈は人を殺すというだろう」
「その言葉自体はごもっとも………て、そうじゃなくて。あんたこんなことしてて良いの? 使用人の仕事は?」
「今日はもう終わった。俺が側にいるのは夕食までか、主サマ直々に解放の言葉を貰うまで、だ。今日はもう『好きにしていい』と言われている」
「へぇ。自由度高いじゃない」
確かに、ガルカの性格を見るに、ぎゅうぎゅうに縛り付けるよりはその方が効果的な気もする。それを考慮しての事だろうか。
(お父様の考えてることはお母さまより分かりやすいようで、たまに分かりづらい)
「ま、それならそうと」
いくつかのメモを書き連ねた便せんを引き出しにしまい、アルベラは立ち上がった。
「ん? なんだ? 外出か?」
振り向けば、ガルカが起き上がり胡坐をかいている。よく見ると尖った耳先がぴくぴくと動いていた。
犬や猫が興味のある方へ耳を向けるあれのようだ。
(ニーニャがやればまだ可愛げがあっただろうに)
アルベラは目を座らせる。
「おーふーろ。部屋荒らさないでよ」
「流してほしいか?」
「いらん!」
ばたん! とやや粗めに扉が閉められる。
次いで、下で他の使用人の手伝いをしていたエリーが、アルベラと入れ替わりで戸をゆっくり開いた。怒気を孕んだ笑みを浮かべている。今しがたの会話が聞こえていら立っているのだとガルカは直ぐに気づいた。
「あんた、ここで何してるのかしら?」
「………見て分からんとは可哀そうに。 座っているんだ」
ガルカは分かりやすく挑発の笑みを浮かべ返す。
———ぷちん と、エリーは自身の頭の中で小さな音が聞こえた気がした。
表情を固定したまますたすたと歩き、ガルカの首根っこを掴むと、開け放った扉の外へ向け大きく後ろに引き上げる。
「ここは私の城よ! 出ていきなさい!!」
エリーの華奢な腕が、空気を切る音を立て、勢いよくガルカを下投げした。とても常人 (女性)と思える腕力ではない。
廊下へと放り出されたガルカは身軽に着地し、閉じられた扉を見て呟く。
「いや、そこはアレ(アルベラ)の部屋だろうが」
正論を口にするも、それを聞くものは誰もいない。
その頃、当のアルベラは、魔法薬を飲んでスッキリした顔でシャワーを浴びていた。
(結構剥けてたなぁ………乗馬後のお尻ってああなってたんだぁ。もっと脚の力持たせないと)
少し広めの浴場も、ご令嬢の特権で毎日貸し切りだ。
体を流すと湯につかり、最近恒例の湯気を操作する魔法遊びに興じる。魔力操作の一環だ。
今朝の悪夢も、それによりナーバスになったことも、もうすっかり忘れ切っていた。
実際に行動した。それだけで心は十分に軽くなっていた。さらに、行った先で思いもよらない収穫もあった。
(あんなもの、そもそもあるべきじゃないけれど………。けど、)
おかげで自分にできそうなことが見つかった。
そうとなれば、もう悩む必要はない。
(嫌われようがどうしようが、決めたからにはとことんやってやるんだから!)
夕食後、アルベラは自室に戻り、先ほどの便せんを引き出しから出す。
まずは一通、スカートンに向けて。今週末の「後の休息日」に向かわせてもらうということ。
そしてもう一通は聖女様に。スカートンの手紙同様、「後の休息日」に伺わせてもらう旨に加え、もしかしたら翌日の「前の休息日」にも、教会に伺わせていただくかもしれない旨を伝えた。
そしてさらにもう一通。これにはとてもシンプルだった。「明日の晩話がある。エリーと行く。」と、とてもシンプルで、丁寧さの微塵も感じさせない字でしたためた一枚を用意する。この一枚は、「あのチンピラ」にむけてだ。
「ふう」
手紙を書き終えたアルベラは息をついた。
(エリー、今晩は出かけるって言ってたっけ。明日の晩のことは明日の朝言えばいいか)
引き出しを開き、便せんをしまい、代わりに教会で拾ってきた二枚のメモ用紙を取り出す。
どちらも同様、スカートンの部屋の前で拾ったもの。
一枚はスカートンと扉の引っ張り合いをしているときに見つけた。
もう一枚は帰り際、庭の物陰からこれを再度置きに来るものが居ないか見張っていたら、幸運なことにすぐに入手できた。おかげで聖堂を見に行く時間が出来たほどだ。
(全く。一日に何枚置きに行ってるのやら。シスターって暇なの?)
二つのメモを広げ、眉を寄せる。
何も見えなければ、持って帰ってくることはなかった。
だが、そのメモ用紙の中身が瞬間的にだが透けて見えてしまった。
『———舐めるな』
何を? と手に取れば、開き切る前に短い一文が垣間見える。
『お前にはなれない』
———学校で何かあったわけじゃないんだ。
ジーンの言葉が瞬時に再生された。
(つまり―――)
アルベラの視線が二つのメモ用紙を往復した。
『聖女を舐めるな お前にはなれない』
『みんなの邪魔をするな 親の七光りめ』
どちらも多分、同じ筆跡だ。
(———学校ではなく、教会でこういうことがあったと)
聖女様は言っていた。「あの子、幼いころは精霊が見えていたんです」と。それが、どういう訳か、五つを迎える前に見えなくなっていたらしい。もう、七年は前の話だ。
幼い子が精霊を見る現象は、頻繁にではないがそれなりに良くある話らしい。それは大抵が成長と共に失われていくらしく、「境の夢」と呼ばれている現象だそうだ。スカートンもその例だったのだろうと、聖女様は最近ではそう思い始めていたらしい。
『けどあの子の場合、風の精霊に好かれる体質もあって、精霊の歌が聞こえるって言ってたんです。精霊の歌は、精霊が見える者に、さらに幾つかの能力や性質的な条件がそろうことで聞くことが出来る羽音みたいなものなんです。それが聞こえたってことは、「境の夢」ではないのだろうと………当時は、思っていたんですが………』
翌日の晩、アルベラは慣れた手つきで窓の外にロープを垂らす。
「貴様は………いったい何をしているだ」
そのロープを伝い自室から庭へと降りている最中。急に隣から声を掛けられ、アルベラは驚いてズレ落ちそうになる。
「ガルカ………」
コウモリの翼を広げ、ガルカが逆さまに浮いていた。
「外出か? 貴様の父上には伝言済みか? まだなら俺が伝えといてやろう」
月明かりに逆行しているというのに、にやにや笑いが良く見えた。
とにかく今は地上へ降りることを優先しよう。と、アルベラは息をつき短く伝える。
「あなたも来なさい」
(どうせ来たいんでしょ)
慣れた動きで地上へ降り立ち、少し前に覚えて愛用しているステルスの魔術をそのロープに施す。簡易的な文様を描き、そこに自身の魔力を流し込めば完了だ。
「いい? 今夜は共犯。誰にも言わないでよ」
確かこの魔族、街の人々を怖がらせないために、夜の外出は推奨されていなかったはず。ならば理由は違えど、ここで外出すれば立場は自分と同じだ。
「貴様がどうしてもというならついていってやろう。父上様にも言わないでおいてやる」
「はいはい。着いてきてくださいませ。お願いいたします」
全く心のこもってない言葉だったが、ガルカはまるで熱く頼み込まれでもしたかのように「そこまで言うなら仕方がない」と困ったように肩をすくめて見せた。
(こいつの耳はどうなってるんだ)
アルベラは息をつき、柵の外へ出て、門から出てくるエリーと落ち合った。
エリーの夜の外出は良くあることで、屋敷の者からも黙認されていた。だからこうして馬にのって堂々と外に出てきたわけだが。
「………ちっ」
ガルカの姿に、エリーからやけに大きな舌打ちが聞こえてきた。
この二人の関係はこれがお決まりなようだ。
アルベラは気にせずエリーの馬へと乗せてもらい、目的のチンピラの元へと向かう。
そしてその用も、アルベラとリュージの恒例の一悶着は挟むことになったが、手短に済ませ、アルベラの希望の物を借りることができた。
あとはスカートンと聖女様に伝えた、今週末の休息日を待つのみだ。





