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75、彼女は素直になれない 3 2/2(スカートンの様子)



 ややくすんだグリーンの絨毯。広すぎない客間。

 白い丸テーブルに、お茶うけのクッキーと紅茶が三人分並べられていた。

 エリーは初めアルベラの後ろに立っていたが、聖女様に勧められ椅子に座って、やはり後ろに待機の姿勢だ。

 回復の魔法をかけてもらったアルベラは、柔らかいクッションの置かれた椅子の上に腰かけて紅茶を手に取る。

 聖女様もとい「シャーイ・グラーネ」は、不安げな、スカートンとそっくりな儚げな瞳を窓の外に向け口を開いた。

「あの子、もしかしたら力が戻ったのかもしれません………」

 その視線の先には、庭の向こうに見える聖堂の、円錐屋根があった。

「あの子、私や他のシスター達とも顔を合わせようとしないんです。たまに部屋から出たかと思うと、敷地内を少し歩いて、聖堂を覗いて帰っていく。食事もとってくれる日と取ってくれない日があって。—————————ある日、王族の方がいらしたんです。とても精霊を引き付ける方で」

「もしかして、ラツィラス様ですか?」

「ええ。お付きの方と一緒に」

 聖女様は頷く。

 あの二人、来ていたのだ。

「本当に偶然で、私も毎日聖堂に出向くわけではないので。あの方々を見つけて、娘の学校と同じ制服を着ていたので話しかけたんです」

「スカートンの様子を見に?」

「いいえ。ただ、聖堂を覗いてみようと思っただけだそうです」

「そう、ですか」

「精霊がとても奇麗に舞うものですから、私、少し見とれていたんです。そしたら、聖堂の裏口から偶然スカートンが現れまして」

「どうしたんです?」

 王子大好き狂のスカートンだ。普段なら恐れおののいて身を隠しつつも、その場からは離れず熱い視線を送るに違いなかった。

「それが、あの子………」

 聖女様は、あの時の様子を思い出すように遠くを見つめる。

「多分あれは、見とれていました」

「見とれる? ラツィラス様にですか?」

「それが、私もあの子がラツィラス王子を慕っているのは知っておりまして」

 娘のへきの一片をしっているのだろう母は、恥ずかしそうな困ったような笑みを浮かべる。

「けど、そういうのではなかったんです」

「はあ」

「あの子、あの場の精霊達に見とれてたんだと思います。王子を見るというより、その周辺一帯を見て、目を丸くして呆けている様に見えました」

「あの、そんなに凄かったんですか? 王子の周りの精霊」

 聖女様はうっとりとほほ笑む。

「ええ。それはもう。とても優雅で。全ての精霊が、あの方の周りで浮足立っておりました。お付きの方も、火や風の精霊達に人気でしたね。あれは神から寵愛を受けている証です。それも、とても強い……」

「へ、へえー。そんなに凄いんですねー。へえー………」

(直接の戦闘は負け戦………確定…………)

「………きっと、あの子見えてるんです。………やっぱり、見えなくなったのは一時的なものだったんだわ」

 後の言葉は自身への呟きともとれた。



 聖女様の話をすべて聞き終えたアルベラは、「是非に」という彼女の言葉でスカートンの部屋へと案内された。

 他でもない保護者の言葉だ。遠慮せずに甘えさせてもらった。

 ドアをノックする母に、「はい」と細く小さなスカートンの声が返る。

「大事な話があるの。扉、開けてもらえるかしら?」

 ———カチャリ と内側から鍵が開けられる音がする。

 細く開いた扉の隙間から、スカートンが母を見上げて顔をのぞかせた。

「お母さま、話って」

 そこまで言った言葉は「はっ」と息を吸い込む音と共に途切れた。

 スカートンよりほんの数センチ高い影が、扉越しに彼女を覗き見て「ニタリ」と笑った。

「お久しぶりね。スカート」

 ———がっ!

 ———がっ!

 前者はスカートンが急いで扉を閉めた音だ。

 そして後者は、アルベラが扉に手を掛けこじ開ける音だ。

 アルベラは急いで自身の靴を扉の隙間に挟み込む。

「随分とごあいさつじゃない、スカートン」

 ぐぐぐぐぐ………、とアルベラが負けじとドアノブを引く。

 スカートンも負けてはいない。

 挟み込まれた靴に気が付くと、それを足で少しずつ蹴りだし、扉を閉じようと手前に引く。

 お互い片足を壁に当てた体制でドアノブを引きあっていた。

「ァァルベラァァァ………! 今日は、忙しいからって、言ったのにぃ!」

「ええ、予想以上に忙しそうでびっくり! 元気そうで、なに、より、ね!」

(スカートン、楽しそうね)

 聖女様はアルベラの後ろで、初めて見る娘の形相にのほほんとほほ笑んでいた。

 どう見ても楽しそうには見えないが、母にとっては最近の様子と異なる娘の姿は、何であっても喜ばしい事らしい。

「お嬢様、手伝いましょうか?」

 聖女様の隣からエリーが軽い調子で尋ねた。

「だめ!」

 アルベラは即答する。

「あんたが関わったらフェアじゃないでしょ! 絶対ダメ。ここは私一人で勝ってスカートンに力の差を見せつけてやって、後で散々威張らせてもらうんだから! 勝って全部吐かせてやる!! 弱者は強者の下僕!!!!!」

「後半の発言が立派ないじめっ子ですね」

 エリーは「ふふふ」と楽しそうに笑って身を引いた。

 お互い全力の引っ張り合い。流石に子供の力ではドアノブが「取れる」ということはなさそうだが、何らかの傷跡はのこりそうだ。

「ふぅううん………!!」

 スカートンの踏ん張りの声と共に、風がふわりと動く。

 外側からスカートンを手伝うように、風が扉を押した。

「きたな! あんた魔法使ったわね!」

 スカートンの方へと少し持っていかれた扉の下、「かさり」と乾いた音がしてアルベラは視線を下にとられる。

 質のいい木製扉の端から、挟まっていたのか小さなメモ用紙のような紙の端が覗いていた。

(なにこれ)

 躊躇いもなく引っ張り合いを放棄し、アルベラはしゃがみ込んだ。

 扉が勢いよく閉まり、壁が小さく揺れる。

 室内から「うわあ!」というスカートンの驚きの声が上がった。それから瞬時に中から鉤の閉まる音が聞こえた。

 ———ゼイ、ゼイ、ゼイ………

 おそらく、久しぶりに体力を使ったのだろう。スカートンの荒い息遣いが扉越しから聞こえてきた。

 視線を落として手元を見ていたアルベラに、聖女様が「どうされました?」と不思議そうに尋ねた。

「あ、いえ。何でもないんです。………スカートン。私、また来る。だから次はちゃんと話を聞かせて………」

 部屋の中。

 スカートンは扉に背を預け膝を抱えていた。

 目の前の「何か」の動きを追いながら瞳を動かし、悲し気に眉を寄せて頭を伏せる。

「その、一応確認したいんだけど…………」

 アルベラの声が扉の向こう小さくなる。

「私のせい………だったりする?」

 スカートンは弾かれた様に顔を上げた。

(ちがう)

「私が何かしたり言ったりして、それが切っ掛けでスカートンが外に出られなくなったんなら………ごめんなさい」

 扉の外側に「ひたり」と手が当てられるような気配がした。

(ちがうの)

「もしそうなら、何をしたのかちゃんと知らないと、私反省できない。だから次来たとき、良ければ話を聞かせて。………来る前にちゃんと手紙を出して知らせる。もしそれで会えないようだったら、私からは暫く………控える、から」

 反対側から、扉に重心がかかったような衣擦れの音。

 この反対側で、アルベラはどんな顔をしているのだろう。

 自然と、見たこともない、友人の物悲し気な表情が脳裏をよぎりスカートンの胸を締め付けた。扉の向こうには届かないような小さな声で「………ちが、うよ」と口から漏れる。

 違うよ。違うの。これは自分の問題で、アルベラに反省して欲しいような「何か」なんて、全くない。

 けど………、切っ掛けは確かにアルベラとの出会いだった。

 彼女と出会ったことで、あの話をすることで、自分はごくたまにある妄想をするようになってしまった。「それ」を妄想する数は日に日に増え、気がつけば、とても幼いころに見た気のする、懐かしい景色が視界に広がる様になっていた。

 だから怖かった。

 またアルベラと顔を合わし言葉を交わすことで、自分のこの状態が後戻りできない位に「悪化」してしまうのではないかと。

 自分のなかで処理すべき問題なのに、臆病なばかりにアルベラを避けてしまっていた。

「………ごめんなさい」

 スカートンは膝に顔を埋めてうめくような声を漏らす。

(アルベラは悪くない。絶対。………ごめんなさい)



 一方、部屋の外ではアルベラが泥棒よろしく、扉に手を当てて耳を押し付けて中の音を拾おうと試みていた。

(おじょう、さま………。何かしら、この面白い光景………)

 あんな「もの悲し気な声」を出しながら、それにそぐわない不格好な体制。滑稽としか言いようがない。

 状況が状況だけに、エリーは笑っていいのか呆れていいのか、感心していいのか………表情迷子となっていた。

 聖女様は気にも留めてないのか、アルベラの姿に不審な目を向けることもなく、娘を気遣い、心配そうにその様子を見守っていた。

『ごめんなさい』

 か細く消えりそうな声がぎりぎり聞こえた。

(それはどういう『ごめんなさい』だ)

 息をつき、アルベラは扉から体を離す。

「じゃあね、スカートン。また来る」

 ポケットに先ほどの紙切れをしまい込み、アルベラは聖女様に連れられ先ほどの部屋へと戻って行った。

 お茶を飲み、少し聖女様と会話を交わし、今週か来週の休息日にスカートンを訪ねさせてもらうかもしれないと伝えると、快い了承がもらえた。

「西の街へ伺わないといけないので、今週は私はいませんが、いらっしゃる日にはちゃんと敷地内の者には伝えておきますから、遠慮なくシスターにお声がけください」

「ありがとうございます。あの、」

「はい」

「帰る前に少し中庭や教会の方を覗いていっていいでしょうか?」

「ええ、どうぞ。シスターたちの宿舎内と教会の裏口の使用は流石にお許しできませんが、それ以外でしたらご自由に」



 ***



 中庭を歩き、すれ違うシスターたちに挨拶をした。そこで丁度良い場所を見つけ、十分に庭を「堪能」する。暫く庭からスカートンの部屋を眺めると、アルベラは満足して聖堂を覗きに行った。

 こちらはついでだ。

 アスタッテ少年の言葉と、過去の自分を思いだし確認しておきたかった。

(やっぱりだめか…………)

 体調が良くない。頭が重く、何だか気持ち悪い。これも全て、あの少年と関わっているという事実が影響しているのだろう。

 祈りを捧げる人々を後ろから眺め、大きなステンドグラスを「きれいだなー」と手短に見上げて入り口の扉を押す。

 焦げ茶の、使いふるされて貫禄のある戸から外の光が細く差し込んだとき、空気を切る音と、肩に何かが掠める感覚があった。同時に何かが地面に落下し、大きく重々しい音を立てた。

「は…………」

 アルベラは額に冷や汗を浮かべる。

 真横に、自分の頭と同じくらいの彫刻が落ちてきたのだ。おそらく、天井近くの壁から。彫刻は割れてはいないらしいが、細かい部分が僅かに欠けてしまっているようだった。

 あの高さから落ちてきてこの程度ですむとは、なんという強度だろう。破損を防ぐ魔術でもかけられているのだろうか?

「お嬢様?! 大丈夫ですか?」

 エリーが慌てて駆け寄る。彼女のその姿に、アルベラは顔を強ばらせた。

 エリーにも読めなかったのか、と。

(神…………余裕で私のこと殺せるじゃん)

 アルベラは小さく身震いする。

 照明の役割を担う、聖鳥の彫刻が施された日光石。そんな有難い物が落ちてきたものだから、周囲の参拝者の目を引き、深く心配された。

 近くのご老人が声をかけてくる。

「お嬢さん、大丈夫かい?!」

「は、はあ」

「今日は家で大人しくしてるんだよ。絶対だ。神様にしっかりお祈りを捧げて眠りなさい」

「はい。ありがとうございます」

 「不吉ね」「心配ね」という言葉に苦笑いを浮かべ、アルベラはそろそろと教会を後にする。

 外に出て、馬に乗る前に魔法薬を飲んで一息ついた。

 アルベラはエリーと共に王都を軽く散歩し、目についたお店で夕食をとり休憩を挟むと、日が暮れかけてオレンジと紺色に染まる空の下、夜も間近な高原を馬で駆け帰路についたのだった。

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