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72、彼女は素直になれない 1(手紙の意味)

「ただいまー」

 日が沈みかけ、空が橙色と紺色に変わり始めた頃のストーレムの町。

 八郎の部屋の玄関が開き、アルベラがガルカを引き連れて当たり前のように部屋へと上がり込む。それを一番に迎え入れたのはニーニャだった。

「おおおおおおじょうさまぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 勢いよく飛びつき、もう茶色とピンクに戻った瞳を涙に潤ませてアルベラへと必死の様子で抱き着く。

 「うわ! ニーニャ!」と、アルベラは驚きの声を上げ、勢いに負けて床へと倒れ込んだ。

 ニーニャは構わず、アルベラの体をホールドし、抱き着いたまま泣きわめく。

「酷いです、酷いです、酷いです! 酷いですよおおおお! なんの説明もなく早朝から引っ張り出されてぇぇぇ、エリーさんずっとイライラしててぇぇぇぇぇ、こわがっだんでずよおおおおお!!!!! しかもわたしぃ! 今日丁度お休みだったのにぃぃぃぃぃぃ!!!!!!」

 相変わらずの甘ったるさを覚える舌足らずな喋り方で、ニーニャはおいおいと泣きながら不満を訴える。

「ごめんごめん。また私のお出かけ名目でニーニャの行きたいところ行きましょう? ね?」

「ぜったい! ぜったいですよぉ! ファミリーさん達の所にたちよったり、怪しげなお店を覗いてみたりは無しで、純粋に楽しくて安全なところだけですからねぇぇぇぇ!!!」

「えぇぇぇ………」

 それはどうしようかな、とアルベラは困ったように目を据わらすが、ニーニャは絶対に譲りたくない様子だ。

「『えぇぇぇ』じゃないです! 私の『安全で平和なお休み』、ちゃんと返してくださいねぇ!!」

「う、うん。わかったわかった。約束するから」

 アルベラに背中をさすられ宥められるニーニャは、ぐずぐずと鼻を鳴らしつつ、納得したように立ち上がった。アルベラも差し出されたニーニャの手を取り立ち上がる。

 十三歳のアルベラと十七歳になったニーニャは、相変わらず並んで立つと同じ位の背丈だった。この似た体格のせいで、ニーニャは何かあるとアルベラの影武者として巻き込まれることがお決まりとなっていた。そのたびにこうやって泣きながらアルベラに不満をぶつける彼女の姿も、お決まりの流れの一つだ。

 落ち着いたニーニャの肩を、とんとん、と軽快にエリーの手が叩く。

「ニーニャ、次は私、いいかしら?」

 エリーの気配に、ニーニャは振り向きもせずに「ひゅっ」と息を漏らし、素早くどいた。

 「?」とその様子を見ていたアルベラだが、目の前に迫る怒りのオーラにやんわりと顔をゆがませる。

「エ、エリー。ただいま」

「お帰りなさいませ、お嬢様」

 満面の微笑みを湛えるエリー。その横を、「いつまで入り口で足を止める気だ」と言わんばかりに無関係顔のガルカが通り過ぎようとする。

 ———だんっ!!!

「っが!」

 そのガルカの頭部を、エリーは片手で鷲掴みにし、目にもの止まらぬ速さで横の壁へと叩きつけた。壁に小さな亀裂が入り、小さな欠片がぽろぽろと転がり落ちる。

(ひえぇー………)

 アルベラは表情を引きつらせた。

(ああ、また拙者の家が………)

 隣の部屋で作業をしていた八郎は手を止め、悲し気な目を音の方へとやった。

「おじょうさまぁ、今日の事、あとでしっかり説明してくださいね?」

「………は、はい」

「あんたもよ、このクソ魔族」

「ふん。気が乗ったらな。それよりこの男くさい手を退けろ、オカマ男」

 エリーの手に掴まれて置きながら、よくそんな言葉が返せるものだとアルベラは感心する。ガルカの生意気な言動に返るエリーの言葉はない。代わりに、「みしり」とエリーの手の中でガルカの頭蓋骨のきしむ音が上がった。

「………前向きに考えておいてやろう」

 エリーの片手からぷらりと垂れ下がる魔族は、平常を思わせる声音ではあるものの、いつもより若干小さな音量でそう返した。



 ガルカは自分の翼で屋敷へと戻り、エリーとニーニャは一緒の馬に、アルベラは今朝ニーニャが乗ってきたという馬に乗り、四人は八郎の家から帰宅した。

 扉を開けたアルベラ達を、丁度エントランスを横切ろうとしていた使用人が出迎えた。

「お帰りなさいませ、お嬢様。………あら、ニーニャ。あなたいつの間に外へ?」

「は、ははは。ちょっと良くなったので外の空気を吸いに出たんです」

「そうなの? 油断大敵、よ。早く治るようちゃんと休んでおくのよ。では、夕食の準備がありますので失礼します」

「はい。ありがとうございますー」

 ニーニャは年上の使用人仲間へはらはらと手を振った。

 エントランスに置かれたソファーに、先に戻っていたガルカの姿があった。ひじ掛けに足を乗せ、仰向けになって寛いでいる。

 それを見たエリーが小さく舌打ちをした。

(すごい。まさか本当に夕食に間に合うなんて)

 アルベラの視線の先、「どうだ」と言わんばかりのガルカのドヤった視線がかえってきた。

(はいはい。ちゃんと感謝しますします)

 アルベラは小さく息をついた。

「お嬢様、あのクソ魔族の事は置いといて、夕食の前に外着の方をお着換えしましょうか」

(………あ゛!)

「ええ………そうね」

 エリーの言葉に、アルベラは「あれ」と「あれ」を思い出し、額に手を当てて息をついた。



 ———ぱたん。と、扉が閉じる。

「エリー」

「はい」

「あなた。私の服の匂い嗅いだりした?」

 ———ぎくっ

「あなた、私のベットに飛び込んだりした?」

 ———ぎくっぎくっ

「ねえ、どうなの? 何なら目撃者のニーニャ連れてきて、ここで改めて証言させるけど。あと私の下着も返して」

 もちろんニーニャは何も目撃していないし、下着も無くしてはいない。だがその言葉に、エリーはものすごい剣幕で反応した。

「下着?! 下着って何です?!! 誰ですかそんな不届き者!!!」

「へぇー。下着以外は心当たりあるんだぁ」

「………え、いえ………そういうわけでは………」

 見つめ合うアルベラとエリー。

 耐えきれなくなったように、エリーの視線が右へと逸れた。そしてすぐ、どう答えようが無駄だと悟ったように息をつく。

 美人な仕様には悪気はないという顔でニコリとほほ笑んだ。

「ちょっとした出来心で」

 ———パァァァン!!!

 「イヤン♡」とエリーの嬉し気な声がアルベラの部屋から上がった。

 アルベラが帰宅時に思い出した一つ目の「あれ」は、これにて解決した。



 十八歳前後の、短髪で中性的な顔つきの使用人がアルベラの部屋の戸を「こんこん」とノックする。

「………お嬢様。そろそろご夕食の準備が」

 ———パァァァン!!!

『イヤン♡』

 部屋の前、屋敷のお嬢様を夕食に呼びに来た使用人は、偶然漏れ聞こえてしまった音と声に言葉を失う。

(今の音、声………………………………お嬢様………………SMに、手を………?)

 動けないでいる使用人の目の前、立て付けのいいはずの扉が「ぎぃぃぃ」と不気味な音を立てて小さく開かれる。

 細く開かれた扉から、丸い緑の瞳が一つ、恐ろしい空気を湛えて使用人に向けられる。

「今行く」

「は、はい!」

「あと、………………………余計な噂、流すんじゃないわよ?」

「は、はい!!」

 パタン。

 扉は静かに閉じられた。

 使用人は恐怖に高鳴った心臓に手を当て、部屋の前を去ろうとする。

 とりあえずちゃんと声はかけたのだ。後はダイニングルームでお嬢様を待てばいいだろう。

 一階へ降りるべく階段に足をかける。

 ———パァン!!!

『アァン♡』

(また?! なに?!! 怖い!!!)

 落ち着いてきたはずの心臓がまたどきりと大きな音を立てた。使用人はお嬢様の扉をちらりと見て唾を飲むと、先ほどの目を思い出し速足で階段を降りるのであった。



 カチャカチャと、主人たちが軽い会話を交わしながら食事をする中、先ほどアルベラの部屋を訪れた使用人が隣に並ぶエリーの顔に視線をやる。

「ケビン、何かしら?」

 エリーはいつも通りの柔らかい笑顔をケビンへと向けた。

(………やっぱり)

 ケビンは、その鼻の下に、鼻血を拭ったような跡がうっすらと残っているのを見る。

「い、いえ。エリー姐さん。何でもないの」

 さっと顔をそむけるケビンに、エリーは「どうしたのかしら?」と首を傾げるだけだった。



「それで、」

 夕食後、アルベラの部屋。先程とは打って変わって、エリーとアルベラの立場は逆転していた。

 次はエリーが言及する側だ。

「それで、この魔族とお嬢様、一体どちらへ?」

 額に青筋を浮かべながら、エリーはガルカを親指を立てて示す。

 アルベラはベッドに腰かけ、エリーは部屋の中央に置かれた丸机に供えられた椅子に腰かけ、ガルカは窓際に設置されたアルベラの勉強机の上に腰かけていた。その横にはガラスボウルが置かれており、中では我関せず顔のスーがくるくると泳いでいた。

 アルベラは「宝物があるという噂を聞いたことがあった」という体で、チヌマズシという地域に興味があり、そこに連れて行ってもらったということ。魔族の集落を見に行ったこと、をエリーに話す。

 ガルカはというと、今日一日については用意周到なもので、事前に父のラーゼンには話をつけ、お勤め前の最後の自由時間ということで、外出の許しを貰っていたようだ。

 帰りの道すがらその話を聞いたアルベラは「抜け目ないものだ」とあきれながら感心してしまった。

「じゃあ、危険なことはなかったんですね?」

「ええ。でしょ? ガルカ」

「ああ。俺は何もしてない。ただそのオジョウサマを希望の場所に運んでやっただけだ」

「ね、エリー。大丈夫。さっき話した通り、このオタンコナス奴隷に一度本気で殺されそうになったけど、ちゃんと掛けられた縛りの魔術が反応して何もなかったから」

 エリーはアルベラの、納得してほしそうな視線にため息をつく。

「………もう。いっそのことここで暴れてくれれば潔く息の根を止めてやれるのに」

「貴様のような人間ごときに俺がやられるわけがないだろう」

「ああ゛ん?!」

 二人の様子にアルベラは「はぁ」と息をつく。

「エリーの意見には深く同感だけど、とりあえず今はお父様の所有物なんだから、………まあ、適当にうまくやって頂戴。屋敷の中で大ゲンカとかはよしてね。———で、ガルカ」

「なんだ? ようやくちゃんと礼をいう気になったか?」

(こいつ。確かに時間は守ったし、私はちゃんと無事だけど………)

 アルベラはにこにことほほ笑み尋ねる。

「私のコート、覚えてる?」

 アルベラが帰宅時に思い出した二つ目の「あれ」はこれだ。

「………む」

 どうやらガルカも今言われて思い出したらしい。

「また再来週か再来来週か、再来来来週にでも、行くからよろしくね」

「ちょっと、どういうことです!?」

「エリー、聞いてたお宝見つけちゃったかもしれないの。だからそれ、ちょっと拝借しようと思って」

「拝借って。お嬢様はそれを手にいれてどうしたいんです? 宝石集めの趣味なんて無かったと思いますが?」

「確かにそういう趣味は無かったけど………面白そうだったから、欲しくなったの」

 肩をすくめてみせるアルベラに、エリーは「また八郎ちゃん的な奴ですか………」と呆れた呟きを漏らす。

 魔力増強剤に興味を持ったり、魔族を従えてみたがったりと、出会った時からこのお嬢様には謎の収集癖のようなものがある。それはそれで、エリーも面白がって付き合って来たのだが、今回からは望まぬ面子が増えてしまった。

 その望まれぬ面子であるガルカが、エリーへ向けて嘲た口を挟む。

「オジョウサマは貴様より俺を頼りにしてるようだ。どうだ、悔しがれ」

 エリーの瞳に瞬時に殺意の炎が燃え上がる。

 それをアルベラが、エリーが動き出す前に「ガルカ煩い」と諫めた。

 エリーの踏み出しかけた足が、半歩下がってもとの場所へと戻る。

「でね、エリー。先に確認しておきたい事があるの。来週の休息日は王都に付き合って」

「………わかりました」

 そう答え、エリーは鼻を鳴らした。

「お嬢様、へっぽこ魔族より私を頼りにしてるみたい。どう、羨ましい?」とガルカに向けじとりと笑って見せる。

 「ほう?」っとガルカが生意気な笑みを浮かべ身を乗り出しかけるが、間髪いれずに「エリー煩い」と、アルベラの諫めが入る。

 ガルカは虚を削がれたように浮かした腰を机の上へ戻す。



「で、来週なんだけど」

 ガルカへの要はもう済んだので退出させ、アルベラは改めて来週の話へと戻る。

「スカートンの様子を見に行こうと思うの」

「スカートン様? 突然どうしたんですか?」

 ———四ヶ月くらい学校に来ていない。

 ———多分だけど、学校で何かあったわけじゃないんだ。

 ジーンの言葉が蘇る。

「………よくわからないけど、最近学校休んでるみたい」

「あら。体調でも? たまにお手紙のやり取りしてましたよね」

「ええ。けど、そこにはいつも『かわらず元気』とか学校にも変わらず行ってるような感じの事が書かれてて………」

 アルベラは手紙の内容を思い出して悩む。

 ―――顔を出してやってくれ。俺たちが行くよりその方が良いだろ。

 ジーンはああ言っていたが、手紙の内容を考えるに、スカートンは自分にこそ来てほしくないのではないだろうか。

(『私は何も問題ない』。手紙にはいつもそんなことが書かれてた。『アルベラも勉強頑張って』『魔法や魔術頑張って』。ただの社交辞令でも返せるような『今度会いましょうね』『いつかお茶でもしましょうね』とかの話にも一切触れようとしてこなかった………)

「ねえ、エリー」

「はい」

 アルベラはエリーに視線を向ける。エリーはその瞳の中に、弱気な雰囲気を感じ取る。

「手紙では、『何もないから心配しないで』って言っているような子に、どう会いに行ったらいいんだろう。………まずは今度会いに行っていいかの手紙は送るけど。それを、もしやんわりにでも断られたら、貴女ならそれでも様子を見に行く?」

「そうですね」

 そこは強行突破で無理やりにでも顔合わせをしそうなのに、しないんですね。とエリーは微笑んだ。

(たまに見る臆病なお嬢様………可愛い)

「では、聖女様の方にもお手紙をしたためてみたらどうでしょう?」

「スカートンのお母さん?」

「はい。私は母親になったことはないので想像ですが、自分の娘が学校に行かなくなったら、一般的な母であればとても心配するんじゃないですか?」

「………そうか」

 アルベラは目から鱗と言った様子でつぶやく。

「お母さんならきっとスカートンにも事情を聴こうとしたり、近くから見てて気づいたこととかあるかも。人に相談したくてしょうがないだろうし、もし同い年の子が『友達が心配で』とか言って家に来た日には藁にもすがる思いで心当たりのある事情とか些細なこととか話したうえで、本人に合わせようとかしてくれるかもしれない。………お年頃の子共を相手にした孤独な親の心の隙間に付け込んで、その心配する心を利用してやろうって魂胆ね。流石エリー! あくどい!」

「いえ、そこまで言ってません」

 エリーは困った笑顔を浮かべる。

 アルベラは一人盛り上がり、早速机の中の便せんを引っ張り出す。

「そうと決まったら、来週はどっちにしろ王都ね。もうジュオセ上旬か………聖女様のご都合が良ければいいんだけど」

 そういって黙々と手紙を書き始めたアルベラに、エリーは微笑んで紅茶を取りに行く。

 スーは今日の日帰りの旅が疲れたのか、いつもより早く水から上がり、窓際にぶら下がっていた。カーテンに体を埋めて、大きなあくびを欠く。

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