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70、ドラゴンの巣の大滝 4(分かり合えない痛み………物理的に)

 がさり、と茂みが揺れ、人影が飛び出てきた。

 アルベラは顔を上げ、救いを求めて必死の声を上げる。

「助け―――って、………ジーン?」

「は? アルベラ………?」

 その後ろから「やっと抜けたかぁ」とカザリットが現れ、脚をとめるジーンの横に並び「うお?!」と声を上げた。

 ジーンの出現に一瞬呆けてしまったアルベラだったが、カザリットの出現に思い出したようにもう一度必死の声を上げる。

「助けて!」

 ジーンもカザリットも目を座らせた。

「どっちを?」

「どっちを?」

「わたし!!!」

 アルベラはやや怒り気味に声を荒げる。棒を振り上げた体制のまま「決まってるでしょ!」と続ける。

(決まってるでしょ、って言われても………)

 ジーンは、剣柄を握る手の周りにはとぐろを巻くような炎をまとっていたが、本人の呆れ具合を表すようにその火力が若干弱まった。

 今目の前にしている光景。それは誰がどう見ても―――

(………あんたが一方的に人襲ってるようにしか見えないけど)

 棒を振り上げたアルベラの足元。そこには片足で踏みつけられた青年がうずくまっていた。顔を地面にうずめるように強くこすりつけている。両手は―――ポーズ的に可哀そうな場所を抑えているのだろう。とにかく尾を引く痛みに苦しむように悶えていた。きっと涙目になっているに違いない。

 「いたたまれない」とカザリットとジーンは同時に同情する。

「とりあえず………」

 ジーンはアルベラと青年のもとへ寄り、ぐいっと横からアルベラの体を押した。

「その人から降りてやれ。可哀そうだ」

「なあ?!」

 アルベラの手から今にも振り下ろしそうな棒を取り上げ、ジーンは青年を起こす。

「おい、あんた大丈夫か?」

 その目には憐みの色が濃く宿っていた。



 青年の方は目が開けられないようで、痛みにうめいている間に、カザリットが木の幹にきつく縛り付けた。アルベラの「正当防衛だからね!? そいつ魔族だからね!!?」という言葉に、しっかり耳を傾けた結果だ。

「で? あんた、なんでこんなところにいるんだ?」

 ジーンは炎を納めると腕を組み、同じ背丈のアルベラを見下ろすように見た。

「散歩」

 アルベラも負けじと腕を組む。

「一人でか?」

「連れと」

「公爵には?」

「言ってない。言わないで」

「………それが人にものを頼む態度かよ」

 ジーンは呆れて息を吐いた。額に片手を当て、くしゃりと前髪を潰す。

 このお嬢様は相変わらず、ラツィラス同様人を振り回す()がある。一見、高慢で我が儘そうだが、その実は意外な程に常識を心得ている。だがラツィラス同様、その分かってるはずの常識にわざと背くような発言や行動を希に………いや割と頻繁に起こすので、何を考えてるのか分からず扱いづらい。

「おいアルベラの嬢ちゃん! 連れって言ったな?!」

「エリーじゃないから!」

 嬉しそうに背筋を伸ばし手を上げたカザリットへ、アルベラはぴしゃりと言い放つ。

「なんだぁ。エリーさん来てないのかぁ」

 わかりやすく興味を無くしたように、カザリットは魔族を縛った木に背を預け座りこみ、地面に一つの丸を描きその輪郭をなぞる。「あーあ。もう半年はあえてないんだよなぁー。アルベラの嬢ちゃんはまだまだ幼いし、流石に未成年に手はだせねーし………」とぶつぶつとつぶやいている。

「で? その連れはどうした? なんで魔族といるんだ? ………いや」

 少年は苦々しい顔で先ほどの痛々しい青年の姿を思い返した。独り言のように呆れた声が漏れる。

「どうしたらああなる」



 ***



 地面に落とされたアルベラは、着地の衝撃に一瞬身動きが取れなくなった。

 「うう」とうめき顔を上げると、目前にまで迫る鋭い鉤爪を捉え地面を転がった。頭上を、大きな翼が風を切って通過する。

「ちっ」

 舌打ちが聞こえたかと思うと、首を掴まれすぐそばにあった木の幹へと背中を打ち付けられた。

(どいつもこいつも乱暴なんだから!)

 アルベラは自分の首を鷲掴みにする青年を苦し紛れに睨みつける。

「奇妙な匂いだな………」

 青年は目を細めた。そしてやや考えるそぶりを見せ、その眼光を鋭くした。忌々しい何かを思い出すように、黒い感情を燃え上がらせるような目だ。

「………………お前の首、大人しくアスタッテにくれてやろうと思ったがやめた。その頭、俺が貰おう」

「………は? 何言って」

 アルベラの口から細々とした声が漏れる。青年はそれに興味も示さず手に力を加えた。

 このままでは本当に危ない。完璧な酸欠状態も間近だ。

 アルベラは青年の手から自身の片手を離し、ローブの中へと突っ込む。裏地の部分を探れば、細長いチューブ状のものが幾つも手に触れた。

 ゴムのような質感のそれを一つ掴み、端の摘みの部分をぎゅっと潰す。潰している間に、それ硬さを増した。あっという間にプラスチックくらいの硬度へと変化し、摘みの部分はぽきりと折れた。摘みが割れると同時。ゴムのようだったチューブは一瞬でガラスのような質感へと変わる。

(———よし!)

 アルベラはローブの胸元から手を引き抜く。その手には、細いガラスの筒が握られていた。ストローのような長さと細さで、薄い膜の中には透明度の高い、赤い液体が満たされていた。それを青年へと振り下ろす。

 パリン! と音を立てて、青年の額に当たったガラスの棒は、容易く弾ける。

 赤い液体が、見事に青年の目元に散る。アルベラが八郎と共同開発した、激辛と謳われる「チリネロ」使用の目つぶしグッズだ。

 防犯対策、ということでローブの中にぶら下げて持ち歩いていた。

「う―――?!」

 青年はアルベラから手を離し目を抑える。目に食らった焼けるような痛みに慌てふためき、青年の翼がバサバサと音を上げてでたらめに羽ばたく。無防備になった青年へ、アルベラは容赦なく追い打ちを与えた。

 そう、狙うは誰しもが知る分かりやすい急所―――

「はぁうぁっ!!!!!」

 青年が奇妙な声を上げる。

 ————キィィィン! ………などと、金属が立てるような音はもちろん上がるはずもない。どすっというリアルな音とともにアルベラの脚が青年の脚の付け根の間へと振り上げられ、勢いのままその溝へと打ち込まれる。

「—————————!!!!!!」

 青年が地面へと蹲った。その隙を見逃さず、アルベラは声を上げた。

「だれか! 助け………きゃあ!!」

 翼が大きくないだ。その翼に押し倒され、アルベラは地面へと倒れ込む。倒れ込んだ先に手ごろな木の棒を見つけ、それを掴んで急いで立ち上がった。

 青年は顔についた液体を拭おうとしているのか、地面に顔をこすりつけている。両手は非情な攻撃を食らった急所から離せられないようだ。

 無防備な青年の姿に、アルベラの瞳がギラリと鈍く光る。

(—————————やれる!!)

 迷いなどなかった。手に持った棒を振り上げる。打ち所が悪ければ召されてしまうと噂の後頭部を目掛け、力いっぱいに打ち付けてやろう。———と、した時だった。



 ***



「うわぁ………えげつねぇ」

 木の根元でカザリットが引くように呟く。

「あなたたち、さっきからやけにその魔族の肩持つじゃない?!」

「そりゃまあ………やんごとなきしがらみをぶら下げて生まれてきた『同士』だからな。嬢ちゃんには俺らの背負った物の重みは分からんだろうよ」

「………はぁ。分からないし分かりたくもないし全く興味も湧かないでございますわねぇ。そんな物のせいで物を見る目が濁るなら、いっそのこと捨てちゃえば?」

 アルベラはさげすむような眼でカザリットを見た。

「お前の言ってることは俺もさっぱりだ。一緒にするなよ」

 「やんごとなきしがらみ? ぶら下げる? 下品だな」と言わんばかりに、ジーンもカザリットへ冷めた目を向けていた。

 「おい! 裏切者!」と、カザリットは散々可愛がってきた弟分へ声を上げる。



 ヂノデュはようやく痛みの引いてきた目を薄っすらと開く。涙で視界はぼやけているが、全く見えないわけではない。地面と木々と、空の位置さえ分かればそれで良かった。

(人は、匂いだけで十分だ)

 縄など簡単に解ける。と魔力を練り始めた時。静かに、首元に細く尖った殺気が当てられた。

(矛か………?)

 長い棒のようなものと、その先から銀が広がり弧を描いて沿っているのが見えた。自分の足元に腰を下ろしている鳶色の髪の青年から視線を感じる。

(クソ。面倒だ)

「おい、お前ら」

 アルベラが視線をやると、木に寄りかかり、肩に柄を立てかける様にして矛先を魔族の首元に当てるカザリットが目に入った。矛の先に供えられた魔族の顔には、それを分かっているはずだが薄い笑みが浮かべられていた。

「お前ら、ウゴクナ―――」

「断る」

「嫌だ」

 カザリットがいち早く返し、かぶさるようにジーンも答える。

 なにも言わず眺めていたアルベラだけが、頭の上にビックリマークを浮かべ、身動きの取れなくなった体にやや困っているようだった。

「ちっ」

「残念だったなぁ。魔族さんのお決まりの手のくらい知ってる」

 カザリットは服についた土埃を払い立ち上がった。

「ジーン。俺は先に戻る。ひとまずここでは………なんだろ」

 王都に連れ帰ってもいいが、それならば魔族を抑え込む魔術具が必要だ。カザリットも、幾つか細やかな備えはあるが、そういう類はマイクやテインの方が豊富に揃えている。魔力を抑える枷を、何かの時のためにと騎獣にぶら下げているのを見た。

 だが、状況的に生かしておく必要がないのも事実だ。

 人を襲った魔族と出くわした場合、やれるのであれば直ぐに殺してしまうのも一般的だ。ここで胸を一突きにして臓を焼いてしまってもいいのだが、とはいえ「一応」ご令嬢の目の前だ。

 目の前で人の形をした者を殺めては精神上、倫理上よろしくないだろう。

 ということで、暗に「片付けてくる」とも含んで、カザリットは魔族の青年を連行していった。

「ジーンは? 一緒に行かないでいいの?」

 アルベラは自由になった体を伸ばし、連れられて行く魔族の青年を監視するように見送りながら訪ねた。

「俺もすぐ行く。けど、あんたを連れのとこに送ってからだ」

 カザリットがジーンを置いていったのもそのためだ。流石に少女を一人でここに置いていこうとは思わない。

「ああ。なるほど」

 どんなに自分が生意気を言おうとも、減らず口を叩こうとも、人への思いやりや気遣いを欠かないのがジーンなのだ。

 呆れるぐらいに真っすぐな心根。

(流石騎士見習い様………)

 アルベラは苦笑を浮かべる。

「なんだ?」

 腰に掛けた小さな鞄を探りながらジーンは尋ねた。

「いや。なんでも………。あ、そうそう。そういえば王子は一緒じゃないの?」

「ああ。あいつならあの滝の方で待ってる」

「へぇ。あの滝」

 これはもう、今日あの祠に戻ることは諦めるべきかもしれない。

 アルベラは折角来たのにと項垂れる。

「どうした?」

「いや、なんでも」

「………ほら、これ」

 「これ?」とアルベラがジーンを見ると、コンパクトのような容器が差し出されていた。アルベラはそれを受け取り、開く。軟膏だ。

「首のそれ、あいつに噛まれたのか? 傷薬だ。取り合えずぬっとけ」

「ありがとう。流石騎士見習い様。備えがいいわね」

 アルベラはその薬を少し掬うと、本体をジーンへ返し、指に取った分を首の傷へと塗り付けた。存在を忘れかけていたスーが、薬の匂いを嫌がる様に首の後ろでもぞついた。

 触れた傷口がひりりと痛む。「そういえば、この傷を負ったのもほんの数時間だったか」と、今朝の出来事を昔のように感じていたことに気が付く。まだ半日しかたっていないというのに、今日はいろいろあり過ぎた………。

「それで、どこへ向かえばいい? あんたの連れってのがいる場所分かるか?」

「あー………。あっち」

 アルベラは取り合えず、滝とはま反対の方向を指さす。偶然だが、その先には魔族の里が埋まるあの大岩が見えた。なのでついでに「あの大きな岩みたいな丘みたいなやつの根元に行けば大丈夫」と付け足す。

 ジーンは「そうか」とそちらに向かって歩き出した。

「その必要はない」

 背後からの声に、ジーンとアルベラは進みかけた足を止める。ジーンは素早く腰の剣へと手を添えた。

 振り返ると、木々の中、日陰に身を寄せる様にガルカが立っていた。



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