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69、ドラゴンの巣の大滝 3(白馬と王子と姫)



 赤茶の屋根ゝゝをこえると、街の外側の家の素材が木へと変わり、茶色い箱のような小屋が目に付く。それもこえると木々が茂り、たまにひびが入ったように小さな川が流れていた。

「俺の家と一緒だ」

 ホークの言葉に、ジーンは騎獣のたずなを取りながらほんの一瞬街を振り向く。

「俺の家も、ああいう木の小屋だったんだ。やっぱ同じ地域なだけあって作りもそっくりだな」

「そうか。………住み心地はどうだったんだ?」

 ジーンは背後で、ホークが首を横に振ったのを感じた。

「正直、家の住み心地はよくわからなかった。夏も冬も寒かった気がする。………それよりも家庭環境だよ! ひっでーんだぜ、俺の親! とーちゃんの事はよく覚えてないけど、かーちゃんはアル中だったんだ。きっとあいつ、俺売った金でまた酒買ってんだぜ! ホント、あんな大人にはなりたくないよな!」

 その声は明るいが、色々な感情を抑えてるのは確かだった。怒りだろうか、悲しみだろうか、憐みだろうか、呆れだろか。ジーンはふと考える。だが、自分がどう想像したってそれは自分の価値観が生んだ想像でしかないんだ、と考えるのをやめる。今はホークがそういうのだから、そこに自分が余計なレッテルを貼ることはない。ホークはホークだ。前向きに強く生きようとしている、すこしやんちゃな友だ。

 「大変だったな」と、ホークの調子に合わせ、ジーンは笑いながら返す。

「北側はどうだったんだ? ここよりも暖かかったか?」

 ホークは商人に連れられてこの大陸の南から北を横断していた。円状のこの世界は、円の中心に行くほど暖かく、外側に行くほど寒くなる。この世界の人々は、この世界を「円地(サーク)」と呼んでおり、この国はサークの南の大陸にあるため、北が暖かく南が寒いのだ。サークの北の大陸だとこれが反転し、北が寒く、サークの中心に近い南が暖かくなる。

「ああ。あの気候だったらおんぼろの木の小屋でも快適かも。………あ、でも場所によっては湿気がひどくてな、木はだめらしいぞ。湿気を吸い取る土壁があって、それじゃないと家の中がカビるんだってよ」

「へー。面白い話だね」

 隣にラツィラスのペガサスが並ぶ。

 真っ白な馬が優雅に羽ばたき、柔らかい金髪が風に揺れる。ホークはその姿に一瞬言葉を失い、ややおいて盛大に噴き出した。

「お、おいジーン。白馬の王子様だ! やっぱ本物だ! ぎゃはははは! そのまんまのやつだ!」

「おまえ、出てくるときもそれで散々笑ったろ。いい加減慣れてやれ」

 ラツィラスは何を考えてるのか分からないが、満面の笑顔を浮かべ続ける。そのまま、さらにペガサスをジーンの騎獣へと寄せた。「ヘラクレス」とペガサスが主人に名を呼ばれ嘶く。

「おい! お前あぶな」

「わあ!」

 ジーンの後ろでホークの声が上がる。ペガサスが彼の襟首を咥え、宙に引っ張り上げたのだ。そのままラツィラスの手も使い、ホークの体が鳥からペガサスの背へと移動させられる。それもただ移動させられただけではない。ラツィラスの正面で横座りをさせられていた。ラツィラスはほぼ片手でたずなを取っており、もう片手はホークの背を支えている。ここでラツィラスがその背を離せば、バランスの悪い姿勢のホークは後ろへ真っ逆さまだ。

「白馬、王子様と言ったら残るは『姫』だよね」

 ラツィラスはくすくすと笑った。ホークは冷や汗を掻き、目下の通り過ぎていく景色に唾をのむ。

「お、おい。ラツィラス、狭いだろ。俺ジーンの方へ戻るぜ?」

「おや? ホーク姫、同乗者が僕ではご不満でしょうか?」

 ラツィラスは「女性を垂らし込む色男」を完璧に演じて見せる様に、キラキラした空気をばらまきながらホークを見下ろした。ラツィラスの再現度が高すぎて、その周囲に薔薇の幻想が浮かび上がる。

 その姿に、ジーンは胸やけでももよおしたように「おえ、」と漏らした。

 ホークの体には鳥肌が立った。ついでに身震いが止まらなくなる。

「き、気色わりぃ! ジーン! 助けろ!」

「おや姫、暴れては危険ですよ。そんなに空の旅がご不安なら、どうぞ僕にしがみ付いてください」

「うぎゃー! やめろ何も言うな! 俺が悪かった! 頼むからあっちに戻してくれー!!」

「おいおい、楽しそうだな」

 ホークが顔を真っ青にしラツィラスに懇願するなか、カザリットがその横へと現れる。

「もう少しで目的地だぞ。ほら」

 指さす先に、大きな滝と、その上辺に茂る木々が見えていた。一行の予定としては、まずは下から滝を見てその後に上から眺める予定だ。上空からだと、滝の川上から滝つぼまで、全貌が小さく見えていて現実味がなかった。あれが本当にあの大滝なのだろうか、とホークは不思議な気分だ。

「よし」

 ホークの背を支える腕から声が上がる。

「じゃああそこまですぐだし、ホーク姫にはもう少しこのまま頑張っていただきましょう」

「ああ?! おい! ジーン?!」

「がんばれ、ホーク姫」

 ジーンの騎獣が大きく羽ばたき先を行く。

 「裏切者ー!!」とホークは腕を伸ばした。

 視線の先にはジーンの乗る大きな鳥。さらに先には同種の二頭の騎獣と護衛。そしてペガサスの後方には、定位置に戻っていったカザリットともう一人の護衛がやや距離を取って左右に並んで飛んでいた。

 王子の騎獣を囲うように、それぞれが一定の距離を保って飛んでいた。それはまるで離れ小島に居るような気分だった。

「………姫」

 ラツィラスはこれ以上ないほどに優しい声を出す。

「やっと、二人きりになれましたね」

 ふわり、とほほ笑む少年から、風に乗っていい匂いが漂った。

 ———ドキッ

 ホークは頬を染め、乙女のような瞳でラツィラスを見上げる。

 そしてすぐに我に返り、必死の声を上げた。

「ぎゃーーーー!!!! 放せー! いっそ殺せーーー!!!」

 暴れるホークへの嫌がらせを続行しつつ、ラツィラスは安全運転を全うし、無事目的地で姫を下すのだった。

 げっそりとするホークを地上に降ろすラツィラスは、今日一番の笑顔を浮かべ輝いていた。



「うわー。やっぱり大きいねぇ」

 ジーンの後ろ、ラツィラスは誰に言うでもなくつぶやく。

 滝の音でほとんどかき消されていたが、高めの音はうまく轟の波を縫って通るようで、皆声を出すときは皆高めの音を意識していた。

 六頭の騎獣を滝の落ちる絶壁沿いの岸につなぎ、それを護衛のマイクラッセとテインが見張る。

 少年たちは滝を正面に捉えるべく、滝つぼからほんの少し下り、川の中に角を突き出す岩から岩へ、飛び跳ねて移動している最中だ。

「誰が一番先に落ちるかね」

 ゲンズはスタートの岩の上から少年たちを眺める。

 それに対し、「そんな間抜けいるかぁ?」とカザリットが返した。

「ま、だれも何もしなきゃ、だな」

 大体こういう時、王子が悪戯を仕掛けてジーンが被害にあう。どうやらゲンズも昨日からの同行でそれを察しているらしい。

 城の中では、ラツィラスの意外と思われるやんちゃ話がたまに噂で流れる。なので噂だけでなら彼の質を知るというものは結構いるのだ。だが、猫をかぶるのが大層お上手な王子さまは、実際に会うとその噂を忘れさせてしまうくらい完璧にふるまってしまう上、何かあった際の口留めも上手いので、噂の真偽があやふやになってしまう。

「一時は噂はデマかと思ってたんだがなぁ。あの分じゃ聞いてた通りのやんちゃ好きなのかもな」

「そうだな。俺も初めてあったころはもっと大人しいぼんぼんかと思ってたんだが」

 二人の少年の幼い姿を思い出し、カザリットは目を細める。

「どうだ? 想像通りじゃなくて残念だったか?」

「いいや」

 ゲンズは笑いながら首を振った。

「予想よりも人間味がある。子供らしくていいじゃねーか。俺は『こっち』の方が好きだ」

「ははは、そうか。ま、分かるぜ。城の中じゃあんま口にだせねーけど―――」

 カザリットの視界に大きな影がかかる。同時に「いいいいいやあああああ」と子供のものと思える必死の叫び声が聞こえた。

 顔を上げると、視界の隅に降下する大きな翼が見えた。

(獣か? 魔獣か?)

 周囲の仲間へ視線を向けると、同じく警戒態勢に入っていた。

「しかし、なんちゅー声だ」

 騎獣に乗ったままのマイクがカザリットとゲンズのもとにより、場違いに呆れたような笑みをこぼした。

「マイクとテインはこのまま騎獣と子供らと待機だ」

「あいよ」

 ゲンズは笑い返しもせず、腰の剣に手を添えて指示を出し、人が落ちていったであろう方角を眺める。

「カザリット、見に行くぞ」

「おう」

「———カザリット!」

 ゲンズは一瞬振り返るが、カザリットの視線に促され先に行く。足を緩めたカザリットのもとに、岩の上から急いで降りてきた様子のジーンが駆け寄った。

「俺もいいか?」

「ああ。だがジーンだけだ。ラツィラスとホークは騎獣と一緒に居ろ。いいな?」

「はーい」

「わかった」

 王子はにこにこと、ホークは若干残念そうに答える。

 カザリットとジーンはゲンズの後を追い木々の中へと入っていく。


 

 カザリットとジーンが去ったあと、テインのもとにラツィラスとホークを連れていたマイクは、空を見上げて声を張り上げた。

「魔族だ! 気をつけろ!」

 腰の剣を抜き、騎獣の上その切っ先を空に向けた。

 声を上げたのは場を離れた三人に向けてだった。彼らの向かった先に、あの翼の持ち主が魔族である可能性も十分にある。

 テインは子供たちを騎獣のそばに寄らせ、自分も腰の剣に手を添えて争いに備える。

「うむ」

 滝の裏から出てきたガルカは、意外なほど近くに人がいたことに驚く。

(あのガキ。随分不味そうだ。にしても、このまま追いかけられては面倒だな………)

「貴様、手を貸せ」

 誰もいない空の上、ガルカが小さくそう言うと、そのはるか下の地上に落ちた彼の影が水面のように表面を波立たせた。

「よし」

 ガルカは彼らの後方にある木々の中へと狙いを定め地上へ降り立つ。

「王子、ホーク。ここから動かないよう、お願いします」

 硬いマイクの表情に、王子は従順に頷いて見せた。

 ホークも緊張な面持ちで頷く。

 マイクとテインの去ったあと、ラツィラスは唇を弧の形にしてホークに向き合った。

「騎獣の見張りが必要だ」

「………? ああ。俺らが見てればいい」

「うん。この子たちは利口だから、綱手も繋がれてるし、何かない限りここから飛び立つことはないと思う」

 ラツィラスが手を差し出すと、ペガサスは自ら頭を下げ、撫でやすい位置へと誘導した。その逞しい頬や首元を撫でてやると、ラツィラスは岩に打ち込んだ杭につないであるペガサスの縄を外して跨った。

「お、おい。ラツィラス」

「ホーク、見張りをお願い。もし一頭でもいなくなってたら弁償だよ?」

「はぁ?! 弁償ってお前、おい!」

 ラツィラスはペガサスのたずなを取り、ジーン達の向かっていった方角へと軽やかにかけていった。

 残されたホークは呆れた顔で鳥の騎獣を見上げる。

「弁償って………………お前ら、やっぱ高いのか?」

 鳥は瞬きを何度かし首を傾げると、暢気に毛づくろいを始めるのだった。



 ゴウゥゥゥ、と低くうなる風が吹き、ゲンズの前に黒い霧が尾を引いたように残っていた。

 風が通り過ぎるとともに、辺りは薄暗く、空が低くなったように感じた。

 本体はその霧の続く先に居るのだろう。

 だが、それがあの鳥の翼の持ち主の者とは思えない。マイクの「魔族だ」という声は聞こえていたので、魔族であることも念頭に入れている。だが、ゲンズは経験上この霧は魔族より魔獣の者であるような気がしていた。

(新手か?)

 人命最優先。できればあの叫び声をあげた人物の方へ行きたいが、それが叶うかどうか。

 あとから来たカザリット達がうまくそちらに行ってくれてればいいのだが。

 魔族に人が襲われるという話は、少し前までよく聞いていた。最近ようやく減ってきていたと思ったが。と、脚を進めていると、少し視界が開けて大きな黒い塊が目の前に現れる。

「ま、じ、か………」

 あまりのことに、じりり、と体を後退させた。

 黒い塊は、大きな犬の形をしていた。爪のない熊のような足。目の位置には長い毛が覆っているばかりで眼球はなく、真っ赤な、笑っているような口元から呼吸音を漏らしながらこちらを振り向こうとしている。長い尾が、ぶんっと揺らされて黒い霧がその軌跡を作る。

 闇に住み着く悪魔の使い。善人の魂を貪る魔獣、と言われているそれを、ゲンズは初めて見た。

「混、沌………」

 冷や汗が背中を伝う。

『バウ!!!』

 名を呼ばれ、返事をするように犬が吠える。それは音と呼べるのか分からない。実際に空気を振動させて伝わってきたというより、体の中で響いて脳に聞かせるような鳴き声だった。

「うわぁ! なんじゃこりゃ!」

 ゲンズの向かいの木々の中から、マイクとテインが飛び出してきて驚きの声を上げた。

「混沌だ! 目と影に気をつけろ!」



(ゲンズ、どこに行きやがった?)

 カザリットは走りながら情報を探す。土や草の真新しい抉れ、木についた小さな傷。ゲンズの通ったであろう手掛かりを頼りに走る。後ろを続くジーンは、カザリットの向かおうとしている道筋から外れる方に、人の声と気配を感じた。

「こっちだ! 声がした」

 ジーンが声を上げ方向を変える。カザリットはそのあとを追い、声の聞こえたという方へ意思を集中させた。確かに、人の声が聞こえるような気がした。

 マイクからの魔族への注意喚起もしっかり聞いていた。

 魔族であれば魔獣よりも厄介だ。その力量は個体によってピンキリだが、今向かっている先にもし「ピン」の方がいたら………。

(俺とジーンの手に負えるのならいいが)

 ———パリン とガラスの割れるような音が耳に入る。

「だれか! 助け………きゃあ!!」

 聞こえた。

 ジーンの向かっている方向は大正解だったらしい。

 障害物の多い木々の中、大人の体より少年のまだ小柄な体躯の方が優位なようで、ジーンは姿勢を低く、安定した速さで目的の方へとかけていた。ちゃんと魔族を警戒しているようで、剣に手を掛けており、魔法の準備までしているのは見事だ。

(こりゃ余計な心配か?)

 カザリットは苦笑する。

 ジーンは低い木と木の間を割る様に身を滑り込ませる。

 がさり、と音を立てて抜けると、視界が開けた。

 小さな空が覗ける空間。そこに二つの人影があった。



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