66、ドラゴンの巣の大滝 1-1(祠の番犬)
アルベラの血が赤く輝き、小さな粒子となって浮き上がる。
それが吸い込まれるように傷口から彼女の体内へと戻っていき、傷をいやして埋めていく。
再生する傷口は、火をつけて燃え尽きた紙を逆再生してみているようだった。傷の縁が赤く輝き、ゆっくりゆっくりくっついていく。
再生した肉が、突き立てられた斧をぐいぐいと押し返し、斧は重い音を立てて地面へと落ちた。
やがて少女の首は全快し、服に染み付いた血からなにから、すべてが元に戻り何も起きていなかったかのようだ。
アルベラの横に落ちた斧の有無だけが、事の前後で唯一異なる。
辺りに風が戻ってきた。
空を覆っていた雲が去り、三人のいる室内を照らす。
壁いっぱいにかけていた松明が、吹き込んできた風により上から下へと一斉に消えていく。
老婆は「おお、おお………」と感激の声を上げてアルベラの様子を見守っていた。
朝の光がまぶしかったのか、地面に落ちたスーが翼で顔を覆うようにもぞもぞと動き出した。そしてすぐ目が覚めたのか、地面に四つん這いになり周りを見渡すと、翼を広げてアルベラの肩へと飛び乗ってしがみ付く。
「人の子が、アスタッテ様から拒否されおった」
ひっひっひ、と老婆は笑い、アルベラに手を差し伸べてかけた魔法を解いてやる。
老婆の手に支えられ、アルベラの体は丁寧に地面へと横に寝かされた。
「………ん?」
仰向けになったアルベラをのぞき込み、ガルカはしゃがみ込む。
彼女の頬に、涙が一筋伝っていた。
「泣くほど怖かったか」
ガルカはクスリと笑う。
そりゃあそうか。普通に殺されるとしか思えないあの状況だ。
だが、空笑いをしたり、絶望したりと、この少女は何やかんやで死を受け入れて、無駄あがきをしない冷めたタイプかと思っていたが。死に際に涙を流すとは意外だ。
袖で涙を拭ってやると、丁度「ぱちり」とアルベラが目覚めた。
体は動かず瞼だけが持ち上がり、瞳はまだ何も見えていないように真正面に広がる空へと向けられている。
口が小さく開き、呼吸の仕方を忘れてしまったのか、空気を探すように小さく体を仰け反らせた。アルベラの手が苦し気に胸を掻きむしり、首に当てられる。
胸の辺りに移動していたスーが驚いてその場から飛び退き、塔に移動する。
「————————————が、っか! っは! はぁ、はぁ、はぁ………」
ようやく肺に空気を向かい入れられたようだ。
仰向けのまま涙目になって深い呼吸を繰り返すと、落ち着いたのか、両手を広げて大の字になった。
緑の瞳に生気が宿る。
視界には丸く切り取られた空。
いい天気。
「はあ………生きてる」
アルベラの顔に、自然と笑顔が浮かんでいた。
(………良かった)
視界が潤み、アルベラは片腕を押し付けるように目の上に乗せた。
「だから言ったろう」
腕をずらす。突然視界に入り込み見下ろしてくる生意気な笑顔。アルベラは不快そうに眼を座らせた。
「多分多分って、散々不安にさせといて何が『だから』?」
「っくくく。嘘はついてない。それとも『死ぬから諦めろ』と言って欲しかったか?」
「魔族って性格悪いのが基本なの?」
「さあ、これを良いと言うか悪いというかは貴様の勝手だ。で? 声は聞こえたか?」
「声?」
「ああ。贄になって追い返されたんだろ? 何か声は聞こえたか?」
「声………。がっつりご本人に会ってきたけど」
「本当か?! 対面して会話を?」
「え………ええ。名前は知らなかったけど、以前にも…………偶然、あったことがあったの。それで出てきたみたい」
「ほお。声だけの存在では無かったんだな」
興味深げにうでを組み、塔を見つめるガルカの反対側で、老婆はギョロギョロした目をこぼれ落とさんばかりに見開いた。
「で、貴様はアスタッテに何と言われたんだ?」
アルベラは真上のガルカの頭を手で払い、上半身を起こす。
「なんて…………」
考えながら、体育座りのようになり、膝の上に肘を乗せる。
転生の話、請け負った役目。別に口止めはされていないが、話すのであれば相手はじっくり考えたい。
「………次は、首じゃなくて胸を一突きにしろってアドバイスされた。まったく………あんな思い、もう二度とごめんよ」
そういいながら、アルベラは一つの想像をしていた。
たくさんの人を集め、塔の前で殺され、生き返って見せるという奇跡を見せる。きっとそれは話題を呼ぶことだろう。
自分がもしお金に困っていたら、物見商のノリでそれをしたら大金を稼げるかもしれない。
もしかしたら、アスタッテを慕う魔族を集めて新興宗教の教主になることもできるかもしれない。
———そうひょいひょい会いに来られるのは迷惑だからやめてね。
塔の主の声が頭の中で再生される。
(ま、お金に困ってるわけじゃないし。魔族の教主ってのも、沢山のガルカとかマトのお婆ちゃんみたいのをまとめ上げるとか………誰一人信用できなくて心が休まらなさそうだし………)と、アルベラの目が呆れたように細められる。
彼の言葉に従って、当分はぜったいにこの手は使わないことにしよう。
(彼に会えない人の方が多いって言ってたし、実際八郎は彼に会わず役割をクリアしてきた事を考えると、ホイホイ会う必要はないんだろうな。ちょっとしたズルをしている気分にもなるし………何より痛い。痛すぎる………)
よくアニメや漫画や映画で「本人が気づかないような即死」というのがあったが、あれは実際に可能なのだろうか。
(あるなら次はそれがいいなぁ)
そろそろ立ち上がるかと、アルベラは自分の体を見下ろす。見た感じ、服にはあまり土埃はついていないようだったが、念のため背中や膝の辺りを払う。
「ガルカ、そろそろ祠に…………」
言葉が途切れる。自身の上に人影が落ち、アルベラは「ん?」と暢気な声を上げて見上げた。
そこには、どこからか持ってきた杭を、アルベラ目掛け大きく振りかぶる老婆の姿があった。
「は? ………は? —————はあ?!!」
———ドスッ
真っ青になって身をかわすと、先ほどアルベラが寝ていた場所に老婆の持ってきた杭が突き立てられていた。アルベラが躱していなければ、まさに『胸を一突き』となっていたことだろう。
「ちょっとガルカ! この人なんとかして!」
数メートル先の壁際まで身を寄せて、震える指で老婆を示す。
「炎雷の魔徒。流石にこう連続してはきついだろ。日を置いてやれ」
ガルカは腰に手をあて呆れてる様子だ。
「ひっひっひ。確かにねぇ。悪いね嬢ちゃん。アスタッテ様のお言葉と聞いてついね」
老婆は「茶目っ気」ともとれる笑みを浮かべるが、かわいらしさとはかけ離れた行為とのギャップが、危険人物度を際立たせるだけだった。
「言っとくけど、日を開ければ良いとかそういう話じゃないからね!!!」
アルベラの言葉に、老婆は「ひっひっひ」と笑って返すだけだった。
「ねえ」
魔族の里を突っ切って、大きな岩の中を反対側に抜ける道すがら。
「魔族のあの動きを縛る魔法、どうにかならないの? 対処法とか何か」
アルベラは二度も痛い目を見たあの術に対策を求める。
「あれか。………ない。諦めろ」
「ないわけないでしょ! 嘘つき!」
流石にこうも嘘をつかれ続けてるのだ。もう素直に言葉を飲み込んでやることはできない。ガルカが何と言おうと、ある程度の常識の範囲で考えて、自分の中に出た答えを信じたほうが良いとアルベラは学んでいた。
「あったとしてどうする。貴様にできる方法とも限らないだろう。それに俺が素直にないと答えてやったんだ。疑うとは失礼な」
二人は例の祠とやらに向かっていた。
神寝の宝玉が祭られているという祠の存在はガルカも知っていたらしい。この地域にあるということくらいしか知らなかったので、詳しい場所は炎雷の魔徒に聞けば分かるだろうと、アルベラの首を落としたついでに聞いてきたのだ。
ガルカにとってはここにきた目的は、あくまでアルベラをあの塔に連れていくことにあったらしいので、アルベラが祠の件を出すまで忘れていた。
その祠は一般的には存在を知られておらず、管理しているのは近くの街の教会の者と遠雷の魔徒だけだ。炎雷の魔徒は教会の「人」がたまに訪れている事を知っているらしいが、人側は彼女の存在に気づいていない。あちらはあくまで「人」が管理し、「人」の所有物であると認識しているらしい。
「さて、ここから少し飛ぶ。掴まれ」
ガルカが足を変異させる。アルベラはその足の甲の上に腰かけ、自分の体より少し太い鳥の脚首にしがみ付く。
風が大きく地面へ叩きつけられ、ガルカの体がふわりと浮いた。
「多分昼前にはつくだろう。どうする? 祠を見たらすぐ帰るか?」
アルベラが眠っていたのは、死んでいたともいえるのかもしれないが、その時間は十分前後だった。
夜中に出てきてここについたのが早朝だ。多分五~六時間の移動だったのだろう。と考えると、ざっと逆算してお昼ごろにはここは発った方がいい。
「あんまり時間無いか。少し見たらすぐ帰りましょう。………運よく宝玉が手に入るならそのまま拝借していきたいところねね」
「窃盗か。公爵ご令嬢ともあろうものが、手癖が悪いのだな」
「そうよ。私は将来素敵な悪者になるの。これはそのための下準備なんだから」
アルベラは冗談めかすような口調でそういう。
「ほう。それは興味深い話だ」
それに返る声も、真面目にとらえてないのか軽いものだった。
ガルカが数度翼を羽ばたくと、足が地面から離れ、瞬く間に高度が上昇した。先ほどまでいた場所がミニチュアのように小さくなる。魔族の里の入っている大きく競り上がった大地も、後方に眺めることが出来た。
あっという間に小さくなってしまったが、確認できたあの大地の上の面は、中にいたときに見えた上り降りする四つの滝がある穴など無かった。絶壁と、その上に茂った木々。競り上がった大地から登ってきて、真っすぐに上面を流れ反対側の絶壁に落ちる川があるだけだ。あの一帯が幻術で隠されているのだろうか。不思議なものだ。
その絶壁の根本。
二人が飛び去るのを見上げ、大きな鷲のような翼を広げる人影があった。だが、豆粒よりも小さくなるほど離れた二人がそれに気が付くことはない。
その鷲の翼を持つ者は静かに翼を羽ばたかせ大地を蹴った。





