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65、魔族の里 6(アスタッテの中の人)




 降り注いでいた朝日が、一瞬で雲で覆われる。

 辺りは暗く、壁いっぱいに掛けられた松明が風にあおられ、青い火を荒々しく揺らす。

 血だまり。

 ガルカの目の前に広がる惨劇。

 老婆の魔法で自由を失った少女の体は、膝立ちのまま首を垂れていた。

 首をたれる―――言葉の通り、その半分以上を斧により肩口から切り離された首を、だらりと下に垂らして。

 斧は少女の首に突き立てられたままだった。

 普通であればあと少しの肉と皮を断って首を落とし、地面に突き刺さってもいいはずのそれは、まるで見えない切り株か何かに突き立てられてでもいるかのようだった。

(大丈夫だ。全てが切り落とされてはいない)

 斧から手を離している老婆は、何を見ているのかアスタッテの墓を見つめ両手を広げている。

 墓といっても、そこに何かの骸が眠っているわけではない。

 アスタッテと出会ったという魔族たちが、別れの際に「何か証拠を」「あなたとの繋がりを」と望んだらこの小さな塔を残していったのだ。それ以来いつの間にか各地で量産されたそれらは、魔族たちの間で「アスタッテの墓」と呼ばれ祈りの対象とされてきた。

 その墓の内部が、小さく輝いているように見える。気のせいだろうか。ガルカは目を細める。

 光の有無は定かではないが、贄の拒否は成功しているらしい。

 大丈夫だと自分に言い聞かせていたが、本当に首が切り落とされなくて良かったと、内心冷や汗をかいていた。自分に掛けられた魔術が反応していないことから、自分の本心がどちらかと言えば少女の身の安全を確信していた方に傾いていたのだということを確認できる。

 自分でもどこにあるのか知れない本音を、呪いのような魔術で知ることが出来るとは皮肉な話だと、今では自嘲する余裕もできた。

 ふと何かを感じ、ガルカは頭上を見上げる。

 渦を巻いていた雲が、ぴたりと動きを止め風がやんだ。

 今まで揺らめいていた松明の火が制止する。

 項垂れた少女の体。

 その下に溜まった血が赤く輝く。 



 ***



 意識は突然戻された。

 先ほどまで目の前にあった動物の首も、転がるスーも、冷たい岩肌も見えない。

 自分の両手が視界に入り、アルベラは顔を上げて辺りを見回す。

 真っ暗で何もない空間。

 そこに一人、光を放つあの少年がいた。初めからずっと目の前にいたように、アルベラの顔の前で視線を確認するように手のひらをひらつかせている。

「やあ。十三年ぶり」

 前あった時と変わらず、半そで短パンの顔があるのに顔の見えない少年。

「随分驚いてるみたいだね。あ、そうそう。大丈夫、今回の死はセーフだよ。そもそも君は死んでないから」

 「そうなの?」と口を開き、アルベラは声が出ないことに気づく。

「ああ、そっか。首を切られたから喋れないのか。死んでない以上、君の体の状態は君の魂にも影響するからね。次は心臓を一刺しにするといいよ。———けど、そうひょいひょい会いに来られるのは迷惑だからやめてね」

 少年はくすくすと笑う。

 なんて恐ろしい奨めだと、アルベラは呆れて目を座らす。自分の首の後ろに手を当て、血が出ていないことを確認する。

 状況が見えない様子のアルベラを笑いながら、少年は空中にひょいっと腰かけ、片足を立てて顎を乗せた。

「いや~、嬉しいなぁ。久々に人と口が利ける」

 最も私の口は機能しないので、貴方の一方的なおしゃべりになってしまうんですけどねぇ。とアルベラは腕を組んだ。

「うーん。どうしようかな。まさかこんな早く会えるとは思ってなかったし。君はまだ役目の時も迎えてないもんね。そもそも『その時』になったとしても会えると決まっているものでもないし。………ああ。君みたいに僕に再会をするのがたまにいるんだよ。けど本当に稀でね。君は運が良かったんだね。あんな(ひね)くれて覇気もない幸薄そうな魂だったのに、意外だなぁ。………うーん。聞きたいことがあれば答えてあげたいけど、君がそういう状態だしね。話してあげたいこともそれなりにあるんだけど、時間もない」

 自分の魂の散々な言われように、やや表情がむっとする。しかも、首を落とされておいて「運が良かったね」と言われたものだから、アルベラは若干口が利けなくて丁度良かったのかもしれないと思った。もし声が出せてたなら散々喚き散らしていたかもしれない。

 少年はやや不服顔のアルベラを見下ろしつつ、トントンと自身の膝を指でたたく。

「あまり長くここに居たら、体から完全に引きはがされちゃうからね。その前に帰さないと」

 これが魂だとして、引きはがされるとは。と、アルベラは自分の手や体をまじまじと見つめるが、いたって普通の体にしか見えなかった。何となく後ろを振り向くと、自分の足元から細い道のようなものが光って続いているようにも感じた。

「ま、折角だし、僕に会いに来た子たちから、よく聞かれる質問には答えておいてあげようかな。全部は無理だからほんの一部。それも大分端折はしょることになるけど勘弁してね」

 よくわからないが、アルベラは頷いておく。それをみて「よしよし」と少年は話し続けた。

「まず、僕は神じゃない。何があっても、絶対にだ」

 そんなこと知っている、とアルベラはこくこくと頷く。

「そうだね。ごめんごめん。けどそういうことだから、神に祈っても僕にはその願いなんて一切届きようがないからねって事。………ただの願い損だし、神なんて口先だけの不平等な輩だからね。願うならその時間もエネルギーも、他に宛がうべきかな。っていう僕からのアドバイス。どう? ためになった?」

 一体神にどんな恨みがあるんだ。アルベラは呆れて目を座らせる。

「にしても不思議だよね。アステ・ルラーテ、アスタット、アスタルシュ。オルディー、オーデ、オディッセ―――全く交わりようのない世界で、みんな僕に好きなように呼び名をつけるけど、いつも似たような音になるんだ。君の今の故郷では『アスタッテ』と『オディンズ』か。君の前の故郷では『アスタロト』と………なんだったかな。………知ってるかい?」

 首を振るアルベラに、「そっか」と少年の軽い返事。

「まあ呼び名については置いておこう。じゃあ第二。君がなぜ転生させられたか。そうだな。一言でいうと、僕の『娯楽、兼しりぬぐい』かな。ごめんね。僕自身も今自分で自分の尻をぬぐってるところなんだけど………長期戦だし目は離せないしで、やることはあるのに暇で暇で」

 さっそく随分と端折った話しだ。アルベラは首をかしぐ。

「まあそうだよね。これについて簡単に補足すると、僕は神サマと喧嘩して負けたんだよ。だから罰として体をとられて閉じ込められて、そのお片付け中なわけ。いいかな?」

 神と喧嘩? 体を取られた??

 一体どういう規模の話をしているんだ。とアルベラの眉間にしわが寄る。

 なぜ、どんな喧嘩なのか、どういう状況の尻をどのようにぬぐっているのか、もっと細かい説明が欲しい。それは叶わないのだろうか?

 アルベラの表情に、少年は「うーん」と頬に指を沈ませる。

「ま、いっか―――はい、次ね」

 結局流すんかい。アルベラは心のなか声を上げて突っ込む。

「第三、あの世界の転生者は君と八郎だけだよ。八郎は壊す係だったんだけど、僕が喧嘩に負けちゃったから一時休戦。で、君の登場ってわけ」

 大分おおざっぱだがアルベラは頷いていおく。少年は続ける。

「第四。君も八郎もあの世界からは嫌われてる。———というか、神からか。何せ僕の手下みたいなものだからね。喧嘩はもう終わってるし、神から直接の妨害は受けないとはいえ、神の『気』が間接的に君たちに害を与える場合もあるかもしれない。喧嘩の時に世界に組み込まれた防衛本能ってやつでね、それがまだ機能してるんだ。それが直ぐには無くならなそうでね。多分暫く……数百年か千年かは残るだろうから、気を付けて」

(防衛本能……神の気が私達を嫌う……――ぁ)

 その言葉にアルベラはやや心当たりがあった。

(私が生まれた日の話! 急に悪天候になって屋敷の庭に雷が落ちたってやつ……)

 全ては母から聞いた話だった。アルベラが生まれた日庭に雷が落ち、その時に窓の外を見上げた使用人の一人が「神の使い」と呼ばれる風来の鳥が放電しながら屋敷へ吠えて去っていったのを見たという。

(あと三歳の時……)

 自分では覚えていないが、初めて教会に行ったアルベラが突如高熱に侵されたらしい。慌てて医者を呼んだが原因は分からず、急いで王都の宿に戻ると何もなかったように元気になったのだという。

 この話は、五歳のころ教会に二度目の訪問をした際に母から聞いたのだ。その時も何となく気分が悪く、母にそう伝えたらその話になった。

 アルベラの顔を見て少年は笑う。

「なんだ。もう十分に洗礼は受け済みか。ま、そんな感じのが今後もあるかもしれないってことだよ。あと神のお気に入りにも気をつけてね。傷つけるようなことがあれば、天罰が下るだろうからね。———さて最後だ」

 少年は指を立てる。

「指示の変更は君ももう気づいているよね」

 アルベラは頷く。

「あれをしてるのはもちろん僕だ。けど、僕にも詳しい内容は分からない。タイミングはその時が来たら分かると思うから、君も細かく確認していてね」

 アルベラは取り合えず頷く。何しろ疑問や文句を投げかけたくとも、声が出ないのだからどうしようもない。街へ戻ったら、八郎と何やかんや答えが出たような気になれる意見交換会でもしよう。顎に手を添え、真っ暗な床へ視線を向けそんなことを思う。

 すぐに顔を上げると、少年が見えるのに見えない顔を「にぃ」っと笑わす。

「よし、じゃあ解散!」

 少年がパン、と両手を叩くと、アルベラの体が後ろにふらりと傾いだ。

 急なことに延ばされたアルベラの腕が宙を掻く。

 脚が地面の支えを失い、後ろに引っ張られるとも、吹き飛ばされるとも、落ちるともいえるような感覚。

 遠のいていく少年が相変わらず記憶に残らない顔で笑って手を振っている。

「八郎君にもよろしく~」

 少年の光が砂粒ほどに小さくなって消えていく。

 首の後ろに、忘れかけていた痛みがうずき始める。



 ***


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