63、魔族の里 4(アスタッテの墓)
ぎょろぎょろとした目が印象的だ。白目が黄ばんでおり、瞳は黒で縁取られているが紫と赤の範囲が広い。破片のように金が散りばめられている。
ガルカは片膝をつき首を垂れた。
「久しぶりだな、炎雷の魔徒。こっちは———貴様、フードを取れ。頭を下げろ」
「こんにちは。初めまして、魔徒さま。アルベラと申します」
そういえばまだ「おはようの時間か」と考えつつ、アルベラは言われるがままフードをとる。そしてガルカに倣って全く同じように頭を下げた。
「ほぉ………」
頭を下げたアルベラに、老婆は手を伸ばす。
両手でアルベラの頭を包み込み、大きな鉤鼻を近づけて音が聞こえる勢いで匂いを嗅ぎまわる。
「こりゃあこりゃあ、随分とアスタッテ様の匂いの濃い人間だぁねぇ」
アスタッテ。その言葉は確か以前にもガルカの口から聞いた。
アルベラは顔を上げる。
「アスタッテて何な———ひっ」
顔を上げたアルベラの目の前に、満面の笑みの老婆の顔があった。アルベラが驚いたのはそのアンバランスな口のサイズだ。先ほどよりも口の端が吊り上がり、耳の近くまで避けていた。そこにぎっしりとギザギザの牙が並んでいる。食べられやしないだろうか、と不安になる。
「アスタッテ様はぁ………我ら魔族の守護神様だよ。悪魔と称えるもんらもいるがねぇ」
老婆はゆっくりとそういった。
「神、悪魔………」
どっちなの、とアルベラはガルカへ視線を向ける。
ガルカは挨拶は済んだとばかりに頭を上げ立ち上がり、アルベラの視線に肩をすくませた。
「魔族にも心の弱い者、寄り処が必要なものというのがいるんだ。だから、寄り添えればどちらでもいいんだ。人の世では、天に居る者、光に住まう者が神。地の底に居る者、闇に住まう者、が悪魔だったか。………いや、神の意に反する者全てが悪魔だったか?」
その口調はまるで他人事だ。少なくともガルカは自身の言う「寄り添える者」を必要とはしていない立場なのだろうとアルベラは感じた。
「アスタッテが天から来たのか、地の底から来たのか。光に住まうか闇に住まうか。誰も知らないのだしな。どちらにしたって果てしない力を持ったお方には違いない。アスタッテは、神に疎まれる我らに唯一手を差し伸べて下さった………いわば物好きだな。人は困った時神に祈るのだろう。だが俺らにはそれがなかった。神のような存在が必要な者たちは、祈りたくても祈れない。無意識に願っても、その願いが何かの間違いで神に届けば、むやみに所在を教える手助けになってしまうのではと恐れる者もいた」
ガルカが説明をする中、老婆は満足したのかアルベラの頭から手を離す。
アルベラは立ち上がり、洞穴の中を観察しながらガルカの話に耳を貸す。キラキラと輝く石の吊り飾りや、古い文字でまじないのようなものが書かれた人形等が目に付く。やはりここは宗教的な場なのだろうか。兼、老婆の住居なのかもしれない。………それとも、この大きな岩の外観合わせ、老婆の大規模な趣味の可能性も捨てきれない。
「神は明らかに俺らを排除しようとしている。この世界から消し去ろうと、世界の至る所に『魔族への嫌悪』を感じさせる何かがある。俺たちは神にとって、可愛い鉢植えに沸いた害虫のようなものなのだろう。ここ百年近くは、それが顕著だったんだ。神の力の鼓舞、それに対抗するように、アスタッテが顕現した。———だから、縋れる対象のなかった魔族にとって、アスタッテは唯一の救世主とも呼べる存在なんだ」
「なるほどねぇ。魔族の神様で、悪魔で、救世主………」
まさか魔族に信仰心まであるとは。魔族の神。これは一般的に知られていることなのだろうか。
(聞いたことないな)
ガルカの態度から、彼自身が崇拝しているのかは読み取れきれなかった。だが「お方」と言っている以上、その力を認めているのは歴然で、それほどの神だか悪魔だかではあるのだろう。
強い存在は無下にできない。それが魔族なのだろうか。アルベラは首を傾ぐ。
冷たい風が足元を通り過ぎ、アルベラは風上に視線を向ける。
そこでは、話の区切りを待っていたのであろう老婆が、火を灯した燭台を持って部屋の奥の扉の前で待機していた。二人へ手招きをし、すでに少し空いている扉をさらに押し開いた。金具が「ギィ」と音を立てる。戸の隙間から、あの冷たい風が入り込んできた。
招かれるままに行くと、少し長い通路が続いていた。
灰色の岩肌に囲まれ入り込む隙もない日の光に変わり、青い火を灯す燭台が岩の道を照らす。
まっすぐ歩くと、先ほど同様の木製の扉があり、老婆はその部屋へアルベラとガルカを招き入れた。
扉の外は光があふれて見えた。暗い室内に目が慣れてしまっていたせいだ。
アルベラは目の上に手を翳し室内を見渡す。天井のない、室内と呼んでいいのか分からないそこは、空から降り注ぐ朝の光で満ちていた。部屋の上にぽっかりと空いた穴の左右には、やや大きめの鳥の彫刻が二つ、狛犬のように配置されている。
「あ、これ………」
部屋の中央にあるものを見て、アルベラは声を漏らす。あの仏塔のような、石造りの塔だ。前に街の外で見かけたものと、ここに来る前に空から見たものと、全く同じものに見える。
「アスタッテの墓だ」
塔の前にはウサギの頭と犬の頭、サルの頭、小鳥の頭などが供えられていた。前もそうだった。通り過ぎた際に見た塔の下には、人か猿かわからない生き物の頭部が血だまりを作っておかれていた。
エリーはあれが何のためかわからないと言っていた。旅のさなか他の者にも尋ねる機会があったそうだが、その人たちもこれが何なのかはわからないと言っていたらしい。ということは、人の世でもこの塔の正体が何なのか知るものは少数なのだろう。
「まさか魔族の信仰対象だったとは。人に聞いても首を傾ぐはずね——————あの、ガルカさん」
「ん?」
「なんでお供え物、全部頭なの?」
その問いに、老婆がアルベラの服を掴んでちょいちょいと引っ張った。にこやかにアルベラを見上げている。どうやらしゃがめと言っているようだ。
「アスタッテ様は知識を宝としてらっしゃる」
老婆のしわがれた声が朗々と告げる。
「あの方は神を敵とし、神に忌み嫌われ虐げられてきた我らにその知恵から得た力で、我らに生き残る術を下さった」
「へ、へえ」
老婆はしゃがんだアルベラの髪を愛おしそうになでつけた。手の動作で誘導し、アルベラを膝たちにさせる。
「あの方が初めに現れたのはほんの二千五百年前の事。さらに今からほんの百数十数年前。神の傍若無人なやりように窮地に陥った我らを憐み、顕現して下さったんじゃ。それ以来、我らはあの方に感謝し、あの方に祈りを捧げるべく塔を作った。知識を重んじるあの方への支げ物は知識であるべきと、だれからともなく自然と根付き、我らは知識の刻まれる部位である頭部を、あの方へ捧げるようになったのじゃ」
「もっとも、塔自体はその二千年前ってのからひっそりあったみたいなんだがな。さらにここ最近、知名度が上がって、魔族が積極的に増やして祈るようになったってことだ」
「へ、へえ」
(なんで急に神様が腕を振るいだしたのか………。ていうか、神って何なんだろう。あの子みたいな存在なのかな………ん?)
アルベラが気が付くと、老婆の手に促されるまま立膝をつき、胸の前で両手を組み、塔に向けてお辞儀をさせられていた。
だがおかしい。
隣のガルカは立ったままだ。
何故自分だけが塔へと頭を突き出している?
その上、どんな偶然なのか、お辞儀をした自分の目の前には、供えられた動物たちの頭部が転がっているではないか。
(あの、え、なんか………嫌な、予感が………)
アルベラの顔から血の気が引いていく。
「あの方はおっしゃられた。『神は敵である』と。『神の愛するモノを消し、人を、大地を荒廃させよ』と」
「は、はあ………ねえ、ちょっと!」
頭を持ち上げようと力を入れるが、そもそも体全体が動かなくなっていた。
ガルカの時と同じだ。魔族の言葉か声には、行動を縛る力があるのだろうか。
ぽとりと、視界に青いコウモリが落ちる。
(スー?!)
アルベラは慌てて手を伸ばそうとするが、体はやはり動かない。
その間も老婆の声は続く。
老婆の瞳に、天井の抜けた先に空が切り取られ、4つの滝が映り込む。
「———『我の使いし魂が顕れし時、あらたな啓示を施さん』と。『言葉を欲すれば、そのものの魂を持って使いをよこし、更なる繁栄へと導かん』」
老婆は感極まってか両手を広げる。言葉が言い終わるとともに、この部屋の壁に高さも間隔もランダムに点々とかけられていた松明に一斉に青い火が付く。その松明は人の頭の高さから、天井の抜けた穴へまで、とにかく壁一面に沢山かけられていた。
アルベラの横から老婆の影が消える。離れたところへ歩いて行ったらしい。
「ガルカ、どいうこと」
「俺も分からんのだ。だが、馬が誰からも教えられずに生まれてすぐ立ち上がるのと同じだ。貴様に出会い、自然と『こうしなければならない』という考えが湧き出してきたんだ」
「こうって………」
「『ここに連れて来い』と。その先は知らん」
アルベラの鼻を、嫌がおうにも血の匂いが突く。額に汗がにじんだ
「私、まさか首をきりおとされないよね」
「………さあ」
「もしそうなったら? 助けてくれるの?」
「俺は手を出せん。相手は魔徒だ」
「あなたにかけられた魔術が反応しても?」
「ああ。無理だ。手はだせん」
———魔族は嘘つき。
その言葉が脳裏をよぎる。
無事に家に帰してもらえる。それを信じた自分が馬鹿だった。
「私は、まんまとやられたってわけね………」
アルベラは内心でかぶりを振った。
少女が何もできず首を垂れる中、老婆は淡々と己の行動を進めていく。
「安心しろ。多分死にはしない。怪我もしない」
ガルカは恐怖する子供をなだめる様に静かな声を投げかける。だがその言葉の受け取り方がアルベラには分からない。真実なのか、嘘なのか。
視界の隅、老婆が手にしていたのは斧だった。その刃は良く砥がれ、切れ味がよさそうだ。
「俺たちは、その身を捧げようと拒否されるんだ。アスタッテには受け取ってはもらえない。貴様らから漂う、アスタッテの匂いが本物であれば、きっと貴様も拒否される」
「………分からない。何を言ってるのか、さっぱり」
アルベラは力なく、悲し気に笑う。それは誰から見ても死を悟っていた。
「理解の程はどうでもいい。ただ、貴様はこの流れを受け入れろ。俺に貴様を殺す気がないのは、俺に掛けられている魔術が証明しているはずだ」
(そんな証明、何になるっていうの………)
人も生き物も、首を落とされれば死ぬのだ。ガルカに掛けられた魔術がどうであれ、その「当然」は変わらない。
ガルカの意思や本心がどうであろうと、アルベラが死ぬかどうかは老婆の行動次第なのだ。
(目の前の贄のように………首を、落とされる?)
アルベラは恐怖から目も閉じられずに、まだ新鮮な首達を見つめる。
これから訪れるであろう痛みを想像する。それはきっと言葉の通り「死ぬほど」痛いのだ。
―――怖い。
隣で老婆が斧を振り上げる気配。
ああ、また死ぬ。二度目の死。
そう思うと少し残念なような、悲しいような。未練がましい思いが小さく首をもたげた。
こんな感じ、前回にはなかった。前回の死は、素直に受け入れられた。もっとすんなり、諦めきれた。
それもそうだ。
まだ、自分が待ち受けていた壁にぶつかるまでの時間を生きてはいない。
自分はただ、子供らしく、与えられた物の中で楽しみ方を見つけ「のほほん」と暮らしているだけだった。前世で感じた、選択を前にした際の臆病な心も、その選択後の後悔も、無気力さも………辛いことなどあるはずない。
まだちゃんと生きれていないのだ。そういった事に悩むまで生きてようやく、過去の自分の悔いが晴らせるというのに。
子供に悩みが無いと言いたいわけではない。だが、そうじゃない。そこにこのやり直しの人生の本筋は置いていない。
「………死に、たく………ない」
アルベラはなんとか声を絞り出す。だが自分の耳に届くその声は、掠れて弱弱しく、何とも情けないものだった。
「大丈夫。貴様は死なない。………多分な」
ガルカが軽いノリで肩をすくめる気配がした。
「多分」とは。
この期に及んで、なんて言葉を付け足してくれるのだろう。アルベラはガルカの言葉に乾いた笑みを返す。その顔は恐怖から血の気が引いていた。真っ白な顔に、真っ白な歯が悔し気に噛み締められる。
「我らが神アスタッテに、無垢なる魂を―――帰さん」
静かに首を垂れる少女を見下ろし、老婆は容赦なく斧を振り下ろした。
切っ先が空気を切って光の軌跡を残す。
―――嫌だ。
その刃は少女の白く細い首を斬りつけ、頸椎をやすやすと断つ。
―――嫌だ。
―――嫌だ、嫌だ、嫌だ。
―――私はまだ、あの「役目」さえも果たせていない。
***
最後に感じたのは激痛。
首の後ろの、焼ける様な熱さ。
首の骨を断たれる鈍い音と振動が、「がつん」と脳に響いた。
喉をせりあがる血。首から下の消失感。
脳だけがまだ自分の意識の中にあり、すぐそばに迫った死の気配を精一杯に伝えてくる。
痛い。
苦しい。
前が見えない。
痛み―――痛み―――痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み―――――――――暗闇。
「すごいね、もう来たんだ」
アルベラが意識を取り戻すと同時に、明るい少年の声がどこからか聞こえてきた。
***





