62、魔族の里 3(ここが魔族の里)
(あれは意外と美味いかもしれん)
真っ白な長い髭を生やした少年のような老人。その姿を思い浮かべ、ガルカの口のなかで若干涎の量が増える。小さく唾を飲んで口内を整え、ガルカは行き先についての疑問に答えてやる。
「皆が皆俺と同じわけではない。形も性格もそれぞれだからな。性格………いや、『性質』というべきか? まあ、ある程度は系統に分けられるが、群れて共に暮らす者たちは、そうじゃない者たちに比べれば基本的な気質は人とあまり変わらないだろう。人間から見たら少し薄情に思える程度だ」
「ふーん。獣よりは知性があるって感じ?」
「貴様はどれだけ魔族を低能だと思っている。確かに創るより奪うことの方が好きな輩は多いが、知能で言えばそれこそ人間と同じく個体差が………いや」
ガルカはサクサクと草を踏みつけ一定のペースで歩いていたが、「そうか」と口にし、歩みを止めた。
「………そうだな。大半は、か。………そうでないものも確かにいるな。そういったのは群れを好まず生まれてすぐ外へ出ていくが。今、これから行った際、そいつらがいないとも限らない」
考えるように顎に手を添え、その肘を反対の手でトントンと小突いている。
「どうした、………の」
前を行く背に習い、アルベラも足を止めた。
ガルカは振り替えると、くんくんと鼻を小さく揺らし、アルベラの頭の周りや顔の横など、周囲の匂いを嗅いぐ。
「どうしたの? やっぱ人間臭いと危ない?」
あまりに無遠慮な距離感に、アルベラは半歩後ろへ下がる。
「………そうだな。人間臭いのもよくない。が、貴様は変な匂いをさせてるからな。だから魔徒の婆さんのとこに連れてきたかったんだが………他の奴らの鼻にも悪い。よし」
ガルカは自分の着ていたローブをアルベラに被せる。
「匂いはまあ、雑だがこれでいいだろう。あとは」
「は?」
前触れもなく、ガルカはアルベラの両肩を掴んだ。それは気取られて逃げられるのを防ぐかのような早さだった。アルベラは反射的にその手を払い後ろへ引こうと身をゆするが、彼は両肩を離してくれない。
「———ウゴクナ」
獣の唸り声のような低い声にそう言われ、「ひゅっ」と息が漏れて体が硬直する。恐怖で体が固まるというが、これはそれとは違った。不自然なくらいに、体を覆う空気に押さえつけられたように身動きが取れない。声も出せない。
どういうつもりだと、アルベラが目だけをガルカに向けるが、その金色の瞳と目が合ったのは一瞬だった。
「先ほどのようにほいほい脅されては困るからな。縛りの魔術とやらの効果が公爵サマの言う通りとも限らん。こざかしい貴様の父だ。口八丁という可能性もあろう。………ということで、俺も捨て身で確かめさせてもらう。ここで俺が重傷を追ったら、貴様は直ぐそばに暮らす魔族どもの餌食だな。覚悟しておけ」
猫のように、朝日に照らされる中瞳孔を細くした瞳は、やや面白がるように笑みを浮かべ視界の端へと消えた。それと同時に、自分の首筋から生暖かい息がかかるのを感じ鳥肌が立つ。
まさか、と思ったのと、痛みを感じたのは同時だった。
「———………っつう」
噛みつかれた。
魔術が発動する、かと思われたが発動しない。
(ポンコツ魔術!!)
体が動かないので身を引くこともかなわない。
(殺意がないからか?)
ガルカは自分の体に異変がないか意識をとがらせる。加減を確認しつつ、じわじわと力を加えていった。
そろそろ血が滲んでいてもおかしくないのでは。とアルベラは思うが、それを気遣ってくれる様子もなく、牙へと加えられていく力に止まる気配はない。
じわりと、新鮮な血の匂いがガルカの鼻孔をくすぐった。それと同時に、アルベラの髪の中から、青い光が飛び出す。スーだ。滲んだ血の匂いに興奮し、飛び出してきたのだ。
「キキキキキキキ!」と声を上げ、翼を広げ威嚇するが、ガルカはそれを見えてもいないように無視する。
(———なんだ。意外と余裕だな。もしかしてこのまま首を噛み落としても、何も起きないのではないか?)
魔術を掛けられた際は、体内から切り刻まられるような壮絶な痛みと傷を負った。人の手で治療され、数日で傷はいえたが、説明では契約を破ればまた同じ痛みを味わうことになる。らしいのだが。
あの時の衝撃が一向に出てくる気配はない。
(なんだ、馬鹿らしい)
ガルカは唇を吊り上げ、アルベラの首へとさらに歯を食いこませようとした。
とたん、ガルカの体が弾かれた様に後方に下がる。「命の危機」の際に感じるような電気信号が、体の芯から放たれ、反射的に身を引いたのだ。
放されたアルベラは、突然体が動くようになり、一歩前に足を踏み出してバランスをとる。首に手を当て、少し血が出ているのを認め眉をひそめた。
「警告か。なるほど」
八つ裂きになる前に、その予兆は感じられるらしい。特にそれは、主の傷の程度ではなく、契約を掛けられた者の反逆心か何かに反応しているようだ。
奴隷が何かの手違いで主に怪我をさせてしまった際、術が発動しないようにということか。
「手の込んでいる。傷を負わせただけでは反応しないか。なかなか考えられた術だ―――—―—む?」
バサバサと、頭部にスーの体当たりを受けながら、口周りについた血を舐めとり、手の甲で拭う。視界を上げると、目の前にあのお嬢様がいた。
顔をうつむかせ、気配を感じさせない静けさ。
流石にやりすぎたか? と反省の色も薄くガルカが見下ろしていると、アルベラは彼の胸倉をつかんでチンピラのごとく睨みつけた。ツーファミリー直伝、太鼓判付きのメンチ切りだ。
「ああんたねぇ、どぅいうつもりぃぃぃ?」
胸倉をつかむ少女。水コウモリがその肩へ止まり牙を見せ威嚇している。
「なんて不細工な顔だ」
それをただ見下ろし、ガルカは素直な感想を口にする。
「うっさい! いいから答えなさい! 今の何?! 魔術は?! なんで発動しないの?!」
がくがくと体を揺さぶられるままにこたえる。
「大丈夫だ。魔術はちゃんと機能していた。その証拠にお前は生きているだろう?」
「やっぱりあんた私を殺そうとしたのね?!」
「ああ。なんのための首だと思っている」と悪びれもなくガルカは頷く。
「だがそうなる前に警告があった。俺は確かに悪意や反発心を持って、貴様らに手を出すことはできないようだ。この分なら多分、死にかけているところを見捨てることもできないだろう。その時点で主の死を望んでいるのと一緒だ。良かったな。貴様らの安全は保障された。———それに、その傷も無意味でやったわけではない。マーキングだ。これがついた獲物に他の魔族が手を出すことはご法度だ。少なくとも俺より弱い奴は手を出さないだろう」
苛立たしいが、アルベラはじっとガルカをにらみ上げ、そのやるせない怒りを自分の中に飲み込む。小さな怪我は負ったが、術については自分も気になっていたところだ。この魔族が確かに自分を殺したり、見殺しにしたりは出来ないことが立証できたのなら無駄骨ではないのだろう。
「………なるほど、分かった」
渋々といった様子でアルベラはガルカの胸倉を離す。
アルベラは安心したように、噛み傷の近くに手を置く。
スーは反対側の肩に乗り、アルベラの首にすり寄る。「ありがとね」とアルベラが頬を寄せると、それに擦り寄りながら髪の中に戻っていった。
「もう。首の肉食いちぎられるとか、血を吸い抜かれると思った………」
「思いあがるな。お前ら人間なんかより、そこらの野ウサギやらリスの方が断然うまい。血肉といえば何でも口にする芥共と一緒にするな」
「は?」
「前に話しただろう。五十まで生きれない、十のうちの九の奴らだ。人を食うのは低俗な魔族だけだ。頭がいい奴らはよく吟味した上でたまに食うくらいだ」
「………つまり、人を食べる奴らの方が断然多いって事ね。分かった」
呆れて半眼するアルベラ。そんな彼女の不安はガルカには届いていない。
「………ふむ。確かに悪意がなければ噛みついたくらいでは魔術は発動しないな。なるほど………なるほど………………」
最後の「なるほど」に、いたずら気な笑みが含まれる。
「次噛みついたらお父様に行ってもっときつい首輪つけてもらうからね」
「それは怖い」
まったく怖がっていないガルカに、これは問答無用で魔術の条件をもっと締め上げてもらった方がいいのでは、とアルベラは真面目に考える。
二人が暫し歩くと、ガルカが「ここだ」と示し足を止めた。
一見アルベラには、行き止まりに足を止めたようにしか見えなかった。確かに木々を抜け視界が開けたのだが、そこにあったのは大きな岩だ。岩なのか、赤茶の地面が一部突起して大きな段差ができたのか。エアーズロック的な岩の壁が目の前にあった。この上に川でも流れているのか、近くで滝の音がしている。
壁の前に立ち、ガルカは指先で宙に文字を書く。
「よし、入れ」
「どこに」
無知め、と人を小ばかにするような目でアルベラを見ると、ガルカはその岩の方へずかずかと歩き出す。アルベラは何となくその先を予想できた。
(フォグ○ーツだ………)
その予想を信じ、自分もガルカに倣って歩き出す。
目の前でガルカの体がなんの抵抗も受けず岩へと入り込んでいく。アルベラの体も同様。自分の視界いっぱいに赤茶な壁面が広がったかと思うと、次の瞬間には薄暗い森の中にいた。
頭上からゲーゲーと大きそうな鳥の声がする。アルベラが一歩踏み出すと、先ほどまでと変わらない草の茂った地面の感触がした。
周囲をよく見れば壺の中のように大きな壁に囲まれた空間だった。上にはぽっかりと空が開いており、四方から滝が落ちている。いや、よく見ると「落ちる滝」は二つだ。それらの正面に流れる滝は、アルベラの見慣れない「昇る滝」だった。
(はぁー。初めてみたぁー)
これがあのせりあがった土地の中なのだろう。
呆然とその中を観察していると、先を行くガルカから「早く来い」と怒られた。
「ほら、あれだ」
ガルカの向かう先には、低い柵に囲まれた村があった。家々は人の里でも見るような簡易的な木製の小屋だ。
舗装された道はないが、二人の行く先に木々はない。大きな獣道のようなものだろうか。
村に近づくにつれ、そこの住民の姿がアルベラの視覚にも捕らえられる。
(魔族)
ごくり、と唾をのむ。アルベラは人の匂いを気にして、ガルカに渡されたローブのフードを頭に被せ、出来る限り肌が露出しないように気を付ける。
見えるのは魔族の子供だ。自分たちより幼い。人で言えば5歳前後といったとこだ。
人の形をしたものと、獣の頭部に鳥の脚。ガルカと同じ種族か、それに近しい種族だろうか?
(結構人の里と変わらないんだ)
おいかけっこをして戯れる子供。その奥、籠を持って歩く女性や、洗濯物を干している獣の形の魔族。歩いている種族が異なるだけで、人の街で見かける光景と大体同じように感じた。
皆共通しているのは体の色や翼や角の所持だ。髪や肌、爪など、体の部分に黒やグレーが多く、人の形をして居るものは血色が悪い肌をしている。
(もしかして魔族の血って赤くないのかな? そういえば、ガルカの血。人の血より黒っぽいような紫っぽいような色をしてたかも)
出会ったときのボロボロの服。そこにガルカのものであろう血が染み込んでいた。
そういえばなぜこの魔族はあんなボロボロの姿であんな場所にいたのだろう。あとで聞いておこう。
「よお」
村に入るとガルカに向けてかけられる声があった。
黒い髪の右半分に、まばらにグレーの束が混ざった青年だ。顔には痣なのか刺青なのか、こめみから頬にかけて、目の下のラインに水や風の流れを思わせるような線の太い模様が入っていた。
「ああ。久しぶりだな」
ガルカはそれだけ言うとその青年の横を通り過ぎる。
青年もそれ以上何も言わない。通り過ぎる二人の人物をじっと見つめ、通り過ぎた後もその背を観察するように見送る。視線を感じ、アルベラは居心地が悪い。
歩く中、村の子供たちは興味深げにアルベラの周囲を走り回った。
フードの中を下から覗き込もうとしたり、獣の姿のものは鼻を近づけ匂いを嗅いでみたり。
ガルカはそれらを止めることなく先を行くので、アルベラも気にしないようにしながら小走りでそれを追いかける。
向かうのは村を突っ切った先。
卵形の大きな灰色の岩が、里の外からも見えていたが、そこへ向かっていたようだ。
卵形のゴツゴツした岩には、中心部にぽっかりと穴が開けられており、地上からそこまで階段が渡されていた。岩の回りには、神木にするように太い縄が巻かれ、文字の書かれたお札のようなものが貼られていた。
階段の左右に焚かれた青い篝火にしても、全体的に神事的な雰囲気を感じる。
(拝殿?)
アルベラは眉を顰める。
階段を上っていると、興味深げにこちらを見る魔族たちの視線を感じた。
(居心地わるいなぁ………)
「気にするな。貴様を人と思ってみてるわけじゃない。ただ、ここでは部外者は目立つんだ」
「うん………わかった」
アルベラはできるだけガルカから離れないように後に続く。
自分が知りたいのは「神寝の玉」と祠についてだ。それさえ分かるのならそれでいい。出るときに言った「無事に家に帰ってこれる」と言った目の前の魔族を信じるしかない。………魔族は嘘つきという一般常識もあるので疑わしいが、ここまできたら信じるしかないのだ。
「こうやって群れるのは、大昔から続く魔族の血筋を辿ってる者たちなんだそうだ。貴様の父が話していた。俺らは自分たちを形でしか分けたことがなかったが、同じ形の魔族でも群れるものと群れない者がいる」
「それが種族の違い?」
「ああ。戦闘意識とでもいうのか。本能とでも言うのか。群れない奴の方が断然多いが、そいつらの方が早死にだ。貴様の父親はそいつらの体を沢山開かせて、構造だとか、本能の部分だとかに、其々の違いを見つけたそうだ。違いといっても些細な物だったらしいが」
「お父様、そんなことしてたのね………」
「貴様らの中には、魔族を開きたくて仕方ない奴がいたらしい。やったのはそいつらだが、そいつを匿ったのがお前のオトウサマということだ。………だがまあ、その話自体は俺も興味深かった。見た目ではわからない種の違いがあったとはな。知ったところでどうでもないが」
階段を登りきると大きな空間に迎え入れられた。
岩の中はやはり岩だ。岩の壁に岩の天井。岩の床。その中に椅子やテーブル、暖炉のようなものまで設置されており、思ったよりも調度品は揃えられていた。これは魔族製なのだろうか。魔族にも大工や工芸師がいると思うと面白いものだ、とアルベラはふと思う。
「おや、ガルカかい。そちらは?」
岩の奥。隣にもう一個空間でもあるのか、照明の範囲外から嗄れた声が投げ掛けられた。
影から浮き上がるように、小さな老婆が灯りの中に照らし出される。





