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61、魔族の里 2(魔術研究科と魔徒 2/2)



 ガルカが目を付けたのは、川岸に小さく木々が開けた空間だった。

 アルベラを地面の上に転がすように降ろし、ガルカは翼を何度かはためかせ、慣れたように着地した。

 転がされたといっても、意外に丁寧に降ろされたアルベラは服についた葉や砂を落とし、纏っていた真冬用のコート二枚を脱ぐ。

 首の後ろがもぞもぞと蠢いていた。いつから合流していたのか、潜り込んでいたスーが左肩に顔を出す。

 スーが口を開くと、「リョーカイ、オキヲツケテ」と呆れ切ったエリーの声が出てきた。

「ありがとう」

 アルベラが部屋から出てくる前に、念のためポケットに入れてきた赤い実をスーに与える。

 スーはそれを口に収め、味わうように咀嚼するとまたアルベラの髪の影へと潜っていった。

「さて、少し歩くぞ………どうした?」

 アルベラは使い古したローブは纏ったままにし、分厚いコート二枚をどうしたものかと見つめていた。

 持ち歩くにはかさばり過ぎる。

「そんな物、そこら辺においておけ。帰りに拾っていけばいい」

 ガルカは何を迷うことがある、とでもいう風だ。

「拾えるの?」

「さあな。土地勘はある。盗まれてなきゃ回収できるだろ」

 ガルカにそういわれ、アルベラは悩むように上着を見つめた。

(………捨てるには惜しい)

「ガルカ」

「なんだ?」

「これ、この木の上に引っ掛けて。できるだけ幹に寄せたところ」

「………貴様、注文が多いぞ」

「お願い! 適当に投げるだけでもいいから。そこら辺に置いてけっていうなら、私このお荷物を引きずってでも持ち歩くから。でなくてもお荷物な私が、さらにお荷物度増すけどいいの?」

「いい。そうやって不自由に歩き回れ。他の魔族や魔獣に襲われて逃げ遅れたら自己責任だ」

「それだと貴方の魔術が発動するんでしょ? ディオール家を守れって、契約に入ってるはずでしょ? ていうかなんであんなに私に怖い思いさせておいてぴんぴんしてるわけ?! 魔術ザルなの?! 一回くらい死にかけなさいよ!」

「俺には貴様を傷つける気はなかったからな。それに反して貴様が怖いと思うかどうかは別ということなのだろう」

 ふふん、と強気に笑うガルカに、アルベラは笑みを浮かべたまま歩み寄った。

 そっと優しくガルカの手を取り、その尖った黒い爪をなでつける。たった十二で有るはずの少女の、怪しげな表情に、ガルカは不本意ながらどきりとしてしまった。

「ねえ、ガルカさん」

 爪をなでながら、アルベラは彼の手を持ち上げ、すぅっと目を細めた。

「この爪で私の首が切れるようなことがあったら、悪意のありなし関係なく、貴方の魔術、さすがに反応するよね?」

 ガルカの爪を自分の首筋に当てるアルベラ。

 その言葉に、ガルカは一瞬急いで手を引こうとし、その際に首を切ってしまうかもしれないことを考慮してか、ゆっくりと落ち着いて自分の手を少女の手の中から引き抜いた。

 彼は不機嫌そうに息をつき、アルベラを睨みつけた。

「………ったく、悪知恵の利くクソガキだ。貴様の父が言っていた通りだな」

 ガルカは翼を広げて木の上にアルベラのコートを引っ掛ける。

「ちょっと、お父様が私を『クソガキ』なんて言うはずないんだけど?」

 地上で仁王立ちになり腕を組むお嬢様。

 ガルカが昨日聞いた、彼女の父の言葉はこうだ。

『私の娘は悪戯盛りだ。基本的には優しい子だし可愛いし、礼儀もわきまえているし可愛らしいし、お利口で可愛らしいが、たまにその知恵を悪い方に使ってしまうことがあるかもしれない。その時は悪い事件に巻き込まれたり、怪我を負ったりしないよう、手を差し伸べてやってくれ。いやはや。………以前王子にかどわかされて魔獣の巣を覗きに行ってしまったことがあるものだから、私も気が気でないんだよ………』

(親バカとは幸せなものだな)

 ガルカは今までの経験や勘から何となく悟る。

(この小娘、たぶん貴様アルジサマが思っているよりも数倍はおいたをしておいでだろうよ)

 夜中に家を抜け出したり、国潰しの元悪党薬剤師を匿っていたり、侯爵と不仲と言われているファミリーと手を組んだ前科のある辺り、ガルカのその予想は大分当たっていた。



 ガルカの後について歩きながら、アルベラは彼にかけられた魔術とやらについて考える。

 昨今の物見商や、魔族を扱えるような「希少な奴隷商」が行っている魔術は犠牲が伴うそうだ。それは聞いているところ贄とも呼べた。

 魔族を縛るためには、魔力を持つ生き物の血を必要とする。その魔力は拘束する魔族を上回なければならない。もちろん、魔族の魔力を一つの個体で賄える時もあれば、賄えない時もある。個体がひとつでは足らない時の方が大半だ。そんな時は単純な足し算だ。個体の頭数を増やせばいい。それらの血や魂、魔力を持って魔族を捕縛するのだという。

(つまり、魔力10の魔族を縛りたいとき、魔力11分の人や魔獣を集めて殺すと………物見商の闇ね………)

 そりゃ簡単に使えない魔術なわけだ。

 しかし、ガルカを縛っているのはそれではない。

 アート・フォルゴートが、ラーゼン・ディオールの注文により魔族にも有効な縛りの魔術を開発したのだ。

 過去の父の功績の一つが役立ったのだという。魔族の体内に、共通の魔力回路を見つけたという。そこに契約魔術を施しているといことだ。フォルゴートはできるだけ易しい言葉で詳しく説明してくれたが、アルベラが聞いても雰囲気が理解できるだけで、ちゃんとした原理はよく理解できなかった。

 だがやり方だけなら理解できた。一連の流れはこうだ。

 精密な計算の上描かれた陣を準備します。その中心に対象を置き、それの魔力を上回る頭数の術者を準備します。みんなでその陣に魔力を注ぎます。陣を通して対象の行動を縛ります。———便利な奴隷のいっちょ上がり。

 今回、ガルカを縛るのに何人の術者が集められたのかアルベラは知らない。

 知ったところで比べる対象もないので、それが多いのか少ないのかもきっとわからないだろう。が、気になるところではある。

「ねえ」

「なんだ?」

「ガルカが契約を破っても死にはしないんだよね?」

「ああ。だが何をしようと罰は一つだ。契約を破った程度にかかわらず、罰の大きさはかわらない。どうせ破るなら大胆に破らないと損ということだな」

「大胆にねぇ。何もしなければ罰もないんだから。できるだけ長く大人しくしててよね」

「ふん。できるだけ俺の居心地のいい職場にすることだ」

 今までの魔族を縛る魔術では、契約に違反した時点でその魔族は即死らしい。だが、新しい対魔族用の縛りの魔術は、即死とまでいかず、酷くても瀕死、個体の強さによっては身動きが利かなくなる程度の大けがで済む、ということだ。

 か弱い人間様には随分とありがたい効果である。

 それがかけられているため、今のガルカはアルベラに「悪意を持って傷を負わすこと」はできない。人間の殺生もアウトだが、とある条件の範疇であればセーフらしい。

(お父様曰く、長い時間をかけて十分に効果を確認してきたってことだったけど、本当に大丈夫なのかな。………それにしても、話に聞いてたより魔族が人間ぽくてびっくり。ガルカがこうなのか、聞いてた話が誇張されてたのか。それともこれが『魔族は嘘つき』ってやつなのか) 

「この先に行くとあと少しで視界が開ける。そうすればすぐに巣だ」

「巣、ねえ。そこにいる人たち、いや魔族? って、みんなガルカみたいな感じなの?」

「俺みたい?」

「ええ。人の形をしていたり、人と同じ言葉を話せたり、それぞれ性格とか、喜怒哀楽があったり。………認めたくないけど、頭もそれなりに良いんでしょ?」

「ほう。俺の頭の良さに気が付けるとは、貴様の目は思ってたほど腐ってないようだな。だが、………そうだな。皆同じ、か………」

 ———君たちは根本的に、生まれる過程なり理由なりから、二分化されてる気がする。

 これは昨日の公爵の言葉だ。



 役所の貴賓室。

 向かい合ったこの街の領主が、ガルカに一通りの流れを説明した。

『ガルカ君。君たちの種が、大昔からいた元来の魔族だとしたら、数十年………または百年前後前に現れ始めた粗暴な種の魔族は、生まれた経緯が異なる。と、学者の中にはそう唱える者がいるんだ』

『ほう。それでその粗暴の輩は十分に切り開いてみたから、次は主軸かもしれない輩の番ということか』

 ガルカが薄く笑って見せると、公爵はカラカラと笑って頷く。

『そうなんだよ。全くその通りだ。君にはすまないが、気になった以上ちゃんと確かめておかなくては。悪いようにはしない。君は普通に生活してくれればいい………もっとも、人に害を成すようであれば私のこの目論見も一旦白紙に戻す必要がある』

 それはつまり魔族を奴隷として側に置くことを諦めるということだ。害を成した魔族とやらがどうなるのかを、言外に示してもいた。

『人というのはもっと素直で可愛らしいものと思っていたがな。可愛げのない男だ』

『まったく、よく言われるよ―――おや、ちょっと失礼』

 公爵はそういって席を立つ。

 部屋に共に残された、研究家だという老人が、親しみを込めた瞳をガルカに向けた。

『近頃………世間一般では、暴力的な魔族のイメージが先行してます。魔族の貴方もそれを感じておりましょう』

 やたらと丁寧な物言い。魔族の自分に対しそんな目を向けるとは、珍しい人間だとガルカは思う。

 確か、捕らえた自分に縛りの魔術を施し、痛く苦しい思いをさせたのは他ならぬ彼だ。術の前にも後にも深く謝られたが、どういう心情なのだろうとガルカは不思議に思う。

『はっきりと人が魔族に恐れや敵意を抱いたのは北北東の件からでしょう。かなり最近の事です。随分前からも魔族が人を襲うという話が出てきてはいましたが…………それはもう、私が少年の頃からですか。これも、歴史的に見たらまだまだ浅いものですが、思い返してみるとあれから随分と時がたっていました』

 ほっほっほ、と老人は一人楽しそうだ。

『私が初めて魔族に出会ったのもその頃です。その時出会った魔族は、今時の一般的なイメージと大分違ったのですよ。———彼は、そう。炎土えんどの魔徒、と名乗っていました』

 その呼び名に、ガルカは興味を示す。

『ほお。人から魔徒の名を聞くとは珍しい。………それはどんな奴だった』

 少年の面白げに細めた目を見て、魔術研究家の彼も懐かしむように目を細めた。

『それはそれは、知的な方でしたね。赤い山羊の頭部、金の角に、四対のコウモリの翼。とても大きくて、子供の私など彼がその気になれば一口だったでしょうね。その頃は、確かに今ほど人の世で魔族を猛獣のように思ってはなかったのですが、得体のしれない種族故、警戒してるのは同じでした。そんな価値観の中で、彼はとても新鮮でした。………聡明でいて、柔軟な方。あの頃の私は、一瞬で彼の事が好きになりましたよ。いえ、今もあの頃も同じですね。ずっと慕っているのです。もっとたくさん話したかったのですが、数日話したら、ふらりとどこかに旅立ってしまいました』

『そうか』

『彼は言っていましたね。気づいてないだけで、魔族も人の生活に溶け込んでいると。私は今でもその言葉を思い出して、人通りの多い場所に出ると辺りを見てしまうのです。この中にも、幾人かの魔族が溶け込み、人と共に生活をしているのだろうか、と。———あなたと出会い、私は少し驚きました。見た目は随分違いますが、貴方はあの方に近い魔族だと感じました。人を襲う魔族とは、明らかに何かが違う』

 ガルカはそれを、腕を組み、ソファーに背を深く預け聞いていた。

 ふと視線を感じ目を向ければ、老人がじっと柔らかい光のともった瞳を向けていた。そこには少年のような純粋さが湛えられ、そうであってほしいと願うように尋ねる。

『どうなんでしょう。魔族は今も、人とともに暮らしているのでしょうか?』

『さあな。だが、貴様の言う頃から変わったのは確かだろう』

 ガルカは肩をすくめる。

『そうですか―――またいつか、彼とお話ししたいものです』

 この老人が魔族の自分に対して馬鹿丁寧なのは、過去の出会いによるものだったのかとガルカは納得する。そして、炎土の魔徒の名に、ガルカは自分の中の記憶を巡らせた。

 夕食を終えると、老人はガルカに丁寧なあいさつをして去っていった。

 ついでの一言も添えて。

『あなたは、炎土の彼の関係者―――血縁か、それか同種族の方ではないですか?』

『違うな』

 ガルカは即答する。

『そうでしたか。おかしいですね。研究者というのは勘の利く生き物のはずなんですが。私の勘も錆びつきましたか』

 ほっほっほ、と笑う老人は、寂しそうでもあるが、魔族の少年の発言に対し話半分でもあるようだった。きっと「研究者の勘」とやらを信じ、捨てきってはいないのだろう。

 ガルカは一生を研究に費やしたであろう、深い笑い皺を刻むその老人にいつの間にか好感を抱いていた。



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