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58、魔族の少年 5(彼は紛れもなく魔族)

 1日目の休日、魔法の自主練を済ますと、アルベラは真っすぐに家へと帰った。

 エリーと共に各自の馬に乗って屋敷へ向かう。

 十二歳になって約二か月が経つ。この国の学年のルーティーンは日本と異なり年末と年始が境目だ。一年は一二ヶ月、一二ヶ月は三十日、と名称が異なるだけで、暦は日本と大体同じだ。なので、目立った違いは学期の割り振りくらいだった。年が始まると進級し新学年が始まる。三ヶ月ごとに一ヶ月の長期休暇があり、休暇明けに新学期が始まる。学校に行っていればそうなるらしい。

(そう考えるとあっという間だな。あと二年か。できるだけ準備しておかないと)

 高等学園で果たさなければいけない役割の準備。

 乗馬もその一環だった。

 この国の貴族の女性で、乗馬を嗜むのは少数派だ。珍しい趣味でもないが、この国の社会が求める、「女性」としての教養では、乗馬の優先順位はかなり低い。国境付近に配属されている、辺境伯の娘ともなれば話は別だ。家がいつ争いに巻き込まれてもいいようにと、習得しておくことが多いらしい。だが、国の内側へ行けば行くほど、自ら馬に乗るお嬢様は少なくなる。

 アルベラの場合、母が辺境伯爵家の娘のため、アルベラの乗馬には大賛成だった。

 もともと中等学問時に乗馬を練りこんでおくつもりだったらしいので、アルベラが自分から乗馬に興味を持ったのは母からすると渡りに船だったらしい。

 街の最南の屋敷へ向かう中、周りの家や人数が減ってきた辺りでエリーが声をかける。

「お嬢様、少しスピードを上げますね。小川を超えた辺りでスピードを落とします」

「了解!」

 アルベラが馬を与えられて半年が経つので大分慣れたが、まだ小走り程度しかスピードを出したことがない。もうそろそろいいだろうとエリーもこぼしていたので、もしかしたら近々もっと早く馬を走らせられるのではと楽しみにしていた。

 今回もいつもよりはやや早めだが、やはり小走りといった感じだ。

(ああ………競馬とかみたいに飛ばしたら気持ちいのかな。怖いのかな。好き勝手に走らせてみたい)

 体に当たるほど良い風を楽んでいると、すぐに屋敷の前に流れる小川を追い越した。エリーの馬がスピードを落とし始める。それに習いアルベラもスピードを落とす。

 ほどなくして屋敷の前についた。

 そこでは丁度馬車が小屋の方へと引っ張って行かれるところだった。

 五頭の馬が飼われている小屋の隣に、馬車を収納する小屋があり、その前で馬を外していた。

「おやおや、アルベラお嬢様お帰りなさい。丁度旦那様も帰られたところです」

 屋敷で馬の世話と御者を務めるヴォンルペが、首にかけたタオルで汗を拭きとりながら出迎える。

「ただいま、ヴォンルペ。お父様早いのね。その馬車、お客様?」

 アルベラの家のものではない馬車と馬がいる。役所の紋章が描かれているということはそういうことだろう。

「ええ。アート・フォルゴート様がいらっしゃってます」

「まあ、フォルゴート様が。久しぶりね。早く挨拶しにいかなくちゃ」

 「アート・フォルゴート」とはこの国で一番有名な魔術研究科だ。普段は自身の研究室で研究し、たまに城に呼ばれてそちらで研究したりとしているらしいが、ごくごくたまにこのストーレムの街に来ては、父から何か仕事を頼まれたり相談に乗ったりとしているらしい。

 国一番の魔術研究科に相談に乗ってもらえるなど、きっとこの地から遠い街の人々が聞いたら心底羨むことだろう。隣が王都である特権か。父もなかなかいい場所に領土をもらったものだ。

 馬をヴォンルペに預けると、エリーを引き連れ、アルベラは家へと向かう。



 扉を開き、「ただいま戻りました」と中をうかがうように入る。

 夕食の支度か何かで通り過ぎた使用人が「お帰りなさいませ」と声をかけてきたが父の姿はない。

 エントランスの左には、扉が二つある。その手前は母の書斎であり、奥側が父が仕事に使う部屋だ。別で父の使う相談室と書斎と寝室もあるが、それはどちらも二階で、やはり左側に寄っている。アルベラの部屋はエントランスから見上げて二階の右側にあるため、父の仕事の話を盗み聞きしづらい位置にあり、一時期はその不便さにこっそり部屋を移動してしまおうかと考えたこともあった。だがそうした際の大掛かりな引っ越しを想像し、「そこまでして移動したいわけでもないんだよな」とすぐに諦めた。

「あらあら、楽しそうに話してらっしゃいますね」

 扉の前に立つと、中から父とフォルゴートの談笑が聞こえた。

 一体何を話しているのだろう。耳を当ててしまおうとアルベラが踏み出そうとしたとき、室内の父の声が近づいてきて扉が開いた。

「ああ、アルベラ。やっぱり聞き間違いじゃなかったか。お帰り」

 父のラーゼンはにこやかにアルベラを迎え入れる。

 部屋の中からも「お帰りなさいませ、アルベラお嬢様」と低くて耳障りのよい声が歓迎してくれている。

 アルベラは後ろのエリーを見上げ、父の部屋へと足を踏み入れようとした、が。父の細い体が部屋の中を隠すように、アルベラの前に立ちふさがった。

 おや? 部屋に入れという空気ではなかったのか? とアルベラは首をかしげる。

「お父様?」

「君は随分前に、魔族を見てみたいと言っていたね?」

「え………」

 アルベラは突然の問いに言葉を失い、思い出したように首を縦に振る。

 なんだろう。このタイミング。今日のお昼ごろ、自分は丁度、拾った魔族を役所に突き出してきたばかりだ。

(………ない。ないない。きっとない)

 予感とも確信ともいえない妙な胸騒ぎ。

 後ろからはエリーの不快の空気が滲み出ているようにも感じた。 

 だがそれに気づかない父は娘の喜ぶ顔でも想像しているのかいい笑顔だ。早くばらしたいと、笑顔に大きく書いてある。

「だよなぁ。いやぁ、良かった良かった。さあ、ぞんぶんにびっくりしておくれ」

 父が招き入れた室内。

「君のみたがっていた魔族だ」

 否定しつつも予想はしていたあの少年が、部屋の中椅子に座ってくつろいでいるのがアルベラの目に入った。

 同時に後ろからエリーの舌打ちが聞こえた。 



 入ってすぐ、扉の左右には兵士が立っている。

 部屋の真ん中。四角いテーブルとそれを向かい合わせに挟み込むソファ。そこに置かれているのは三つのコーヒーだ。

 ソファーには、白く長い顎鬚を蓄えた見るからに魔法を使いそうな格好のご老人。アート・フォルゴート。そして向かいに置かれた父のコーヒー。さらにもう一つ。フォルゴートの隣に並ぶ黒い小柄な人影—―—

 ———ニタリ、と笑うガルカの姿。

 アルベラは口を閉じるのを忘れ呆然としていた。

 その後ろに控えていたエリーは、もう顔も見たくはないと思っていた人物の姿に、笑顔を取り繕いつつも、イライラした空気を漏れ出していた。

「ん? おや、二人とも。あまり歓迎していないようだね」

 父は喜ぶ娘の姿を想像していただけに困り笑いを浮かべる。美しい使用人に至っては怒っているようにも見える。

「あ、いえ、違うんです、お父様。びっくりしすぎて言葉もないというか………。いえ。実はその魔族が脱走したのを見つけ、昼間役所に送り届けたばかりだったので、別の意味で驚きまして」

「ああ、彼を届けた子供とは君の事だったのか! アルベラ、大丈夫だったかい? まさかこの魔族に傷つけられたなんてことは………」

 徐々に顔を青くしていく父。珍しいことにその表情はどこか冷ややかにもなっている。

「あ、いえ傷とかはないです。エリーと、ほかに大人の人がいましたので」

「ほう、そうか。よかった」

 父は胸をなでおろす。

「早速処分しなければならないとこだったよ」

「は?」

 このお父様、何か物騒なこと言ったかしら? とアルベラは笑顔を浮かべたまま固まる。

「あらあら、旦那様。なんならわたくしが直ぐにでも始末いたしますがいかがでしょう?」

「エリー君が? いいや、エミリアスから腕はたつと聞いているが、そんな。女性に手を汚させるわけにはいかないよ。それに彼は大事な実験材料なんだ。これからたっぷり働いてもら予定でね」

「実験?」

 アルベラが眉をひそめる。

「そうさ、そのためにフォルゴート殿にもきていただいてるんだ」



「で、魔族を父上の周りで小間使いするようになったでござるか。公爵殿は相変わらずやることが突拍子もないでござるな」

 フォルゴート氏を招いての夕食後。今はもう、公爵家の屋敷の者たちは寝静まっている時間帯だ。

 エリーは大きくため息をついた。疲れ切った顔で八郎の部屋を訪ね、机に突っ伏していた。

 その恰好は普段のメイド服ではなく、夜の街用の体のラインを強調した、やや露出の多い派手な色味のドレスだ。

「国属奴隷がラーゼンちゃんの提案した制度だったって事にも驚いたけど、まさか魔族に興味を持ってただなんて………………………貴族間であの人の扱いに揉めるのも納得よね………」

 奴隷を多く使う貴族がいる中、ちゃんとした雇用しかしない奴隷反対の貴族もいる。そんな中、ラーゼンは公爵になる前に、その間をとった「堂々と使える奴隷」が欲しくて「国属奴隷」を王に提案したのだ。

 それは奴隷反対派からも多めに見てもらえる、「奴隷をちゃんと人として扱う」という決まりの上に成り立った制度だ。この枠を設けたところで前からある奴隷商も、そこから奴隷を買い取る貴族も消えたわけではないが、なにかと便利な面があり重宝されているという。便利な面とは主に政治での黒い面であったり、普通の使用人より安い給金で雇えるという面らしい。

「まあ、王都から近いこの街を任されたのは城がラーゼン氏を見張るためだという噂もあるくらいでござるしな。昔から危険人物とも有能とも評されているだけあるでござるな。———それでエリー殿、さっきからそうやって気落ちしているでござるがどうしたでござる? リュー殿に振られでもしたでござるか? 告白とかやぼったい段階は踏まず女は黙って押し倒す、とかいうのをついに実行したんでござる?」

 夜中に突然押しかけられ、八郎の扉には拳の大きさの穴が開いていた。

 入って来て早々、エリーは瞳をらんらんと輝かせながら、低く静かな声で『魔族の探し方、知らない?』と尋ねた。それもあり男絡みでないのは確かなのだが、エリーをいつもの雰囲気に戻すべく、八郎はあえて茶化す。

「ちぃーーーーがうわよ!! そんな節操なく狙ってる男押し倒すほど焦ってないわよ! ってそうじゃなくって!!!」

 だんっ! とエリーが拳をテーブルに叩きつけた。幾らか手加減はしたのだろうが、エリーの拳が叩きつけられた木面は拳の形に小さく凹んでいた。

「え、エリーどの、落ち着いて………はて。今日は週一で出てるとかいう『乙女と楽園』の手伝いでござったような………」

「そうよ! それで楽しく働いてたらアレよ!!」

「アレ?」

「あのクソ魔族よ!!! アルベラのお嬢様ぶら下げてどっかおっ飛んで行きやがったのよ!!!」

 だんっ! とまたテーブルに拳が叩きつけられる。先ほどのへこみの隣に、粘土で型を取ったように、木面に拳型の凹みができた。

「………ふぁん?」

 八郎は多分疑問の声であろう声を上げる。



 ***



 フォルゴートを招いての夕食後、アルベラは寝る準備を済ませ、自室のベッドにて地図を広げてうとうとしていた。

 自分の役目である「小さな嫌がらせ」の中に目立つ、幾つかの手がかかりそうな項目が以下だった。



 王子達を倒す。

 ヒロインにつく守護ドラゴンを埋める、または沈める。

 王子が持つ神寝しんしんの宝玉を割る、またはチヌマズシの水底祠を破壊する。

 寮に潜む魔族を倒す。

 マッチョ集団を手懐ける。



 この中の神寝の宝玉というのが国の南の地域のどこかの祠で祭られているのだという。

 これはエリーが夜の仕事で知り合った旅人に聞いた話らしい。その地域には滝が多く、ドラゴンの巣があるといわれる大きな滝があるそうだ。

(今なら、王子は宝玉を手に入れていない。チヌマズシに、宝玉と祠がセットである状態。先回りして今のうちに壊しておけばお仕事一個解消されるってことだよね)

 旅人の話では、祠の場所はその地域の人間でも知っているのはわずかなのだという。しかも、魔族の集落のようなものが、その祠を祀り、守っているのだという。

(魔族の祠、その宝玉が将来王子の元にいくの? どんな流れで………宝玉はどんな使いみちが………)

 それに「王子達を倒す」とは一体。

 この世界のモデルとなった乙女ゲーのクリア経験のある八郎曰く、『侯爵令嬢アルベラ』がヒロインやヒーローたちとどのような関係になるかはヒロイン(つまり主人公)の行動次第だ。

 一つはヒロインの世界救済活動に一切かかわらず、ただヒロインを疎んだ挙句周囲から嫌な奴認定されて信用を無くす「嫌われ者ルート」。

 一つはヒロインの救済活動を悪事と勘違いし、敵対し倒される「敵対ルート」。これは大怪我必須のルートだ。

 一つはヒロインの救済活動を正しく認識し、ヒーローたちと共にヒロインに手を貸す「共闘ルート」。これは犠牲が出る可能性もあるが、上手くいけば登場人物全員が迎えられるハッピーエンドだ。

 生まれる際から「王子達を倒す」と指示された以上、この中の「敵対ルート」が決まっているということだろうか。それとも、「今後そういう流れに持っていけ」という遠回しな指示なのだろうか。

(王子、ジーン、フォルゴート、キリエ………特に前二人は実力的にきつい。………幼馴染のキリエは心理的にきつい。まあ、それは前二人も結構関わってはいるから同じか。………………そうなると、………やれるとしたらミーヴァ………フォルゴート………)

 この瞬間。ベッドの上既に眠りについていた攻略対象の一人であるミーヴァは小さくくしゃみをした。寒気を感じ、身震いをする。

 アルベラは思考しつつ、もう瞼は閉じていた。

「ふぁ………、わけわか、め………」

 本格的に寝ようかと、どけていた掛布団をのろのろと引っ張り上げる。スタンドライトまで手を伸ばすのは面倒で、そちらはもういいかと思いかけていた。

 ———どさ………

 なにかがベッドの上に乗ったのか、ゆらりとアルベラの体が揺れる。殆ど眠りかけていた意識の隅で、「エリーが覗き込んででもいるのかな」と思った。

 ふわりと生暖かい風が顔にかかり、アルベラは気になって瞼を持ち上げた。

(—————————?!)

 視界に飛び込む黒色。さらりと揺れるそれは髪の毛だ。視界の端に月明かりの元風に揺れるレースカーテンが見え、窓が大きく開いているのが見えた。

 自分の横に誰かが腰かけていて、顔を覗き込んでいる図が頭の中に浮かび上がる。

 慌てて上体を起こそうとすると、それは素早くアルベラの上に跨り両手を押さえつけた。

「ちょ—―—」

 ちょっと! と開けかけた口に、何かが挟み込まれる。硬くて骨ばった腕のようにも感じるが、獣の皮のような匂いが鼻を衝く。

「ちっ…………起きたか」

「は?」

「騒ぐなよ。貴様など、俺が本気を出せば簡単に黙らせられる」

 目も頭もハッキリ醒めたアルベラは、その声の持ち主の顔を鮮明に思い出す。

(ガル、カ………)

「………は?! ハウハ?!」

 自分を仰向けに押さえつける少年は、まさにガルカだ。その背には肩甲骨と腰のあたりからコウモリのような翼が二対生えていた。コウモリの翼と異なるのは、その表面を覆っているのが毛ではなくトカゲやワニの皮のような素材である点か。その中の一つがアルベラの口に咥え込まされていた。

「いいか。五体満足でいたければ静かにしろ。………上着を着ろ。行くぞ」

「ほほへ?」

 金色の瞳は身動きの取れないアルベラをじっくりと観察しニタリと笑った。

「忘れたか? 俺が生きてたんだ。約束通り魔族の巣に放り込んでやる」

「はあ?!!!」

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