57、魔族の少年 4(彼女は育ちざかり)
どうしよう。
グラーネ・スカートンは恐れるように胸の前で手を組む。薄く緑がかったシルバーの長い髪。長い前髪の隙間に除く瞳は不安げだ。
ここは王都にある恵みの教会の敷地内。
祈りをささげに来た者たちが教会の最奥にあるステンドグラスに向かい首を垂れている。胸に左手と右手の指先が軽く触れる程度に寄せ、ひとつの指も重ならないようにして、胸の中心に当てる。この国での祈りのポーズだ。
大きく立派な、光を溜め込んだステンドグラスの中では、外側から内側にかけて樹木が茂り、様々な生き物たちが首を垂れている。その中心にあるのは円だ。太陽のようにも見えるが違う。太陽と月はその円の後ろに絵が描かれている。その色も太陽や月を連想させる色合いではなく、オパールにもにたランダム性で淡い色味の七色のガラスがはめ込まれていた。円の周りには蝶のような、トンボのような、蜂のような、はたまたクリオネのような、数種類の羽虫のようなシルエットが等間隔に、装飾的に配置され、後光で囲まれている。これが神だ。
時に人の姿で描かれもするが、この大陸の教会では神を光として表現し具象化することは珍しくない。その際は必ず羽虫のように描かれた精霊が、その輪郭を囲っていた。
その『神』を見上げ、グラーネは胸の前でロケットを握った手に、すがるように力を籠める。
(………アルベラ、どうしよう)
グラーネの視線の先、ステンドグラスの前をふわりと横切る光の粒があった。
それは羽虫のようで、黄色く発光していた。
大聖堂の中、祈りをささげる人々の周りには、その羽虫のようなものが所々に群がっていた。
部屋の隅々に待機したシスターたちは自身の精神と魔力の流れを調律する律歌を唱えている。それがおわると讃美歌の時間となる。
律歌が読まれるのは早朝と昼食後から始まる讃美歌の前と夜の就寝前の時間だ。今は朝の律歌なので、参列者も昼ほどはいない。スカートンはわざわざその時間を選んできていた。
最近悩んでいた、とある問題を確認するため—―—。
律歌を唱えているシスターたちの周りには、餌に群がる魚のようにあの『光る羽虫』たちが特に多く集まっていた。
グラートンはそれらから視線をそらし、拒否するように小さく首を振った。
(違うのに………私はこんなこと願ってなんかないのに………)
***
ガルカを役所に突き出したアルベラとエリーは、またあの池へと戻ってきていた。
八郎は役所で別れ、ツーの元へと向かった。薬剤師の腕がかなり評価されているようで、ファミリーへの貢献度はそれなりに高いらしい。毒物への知識も精通しており、むしろ人生の半分以上をそちらの開発につぎ込んでいたわけだから、その解毒やらグレードアップやらといった仕事は朝飯前らしい。
だが、グレードアップや開発といった内容は、使い道によっては断っているらしい。ツーからの注文ではあまり断るような仕事は無いそうだが、ツー以外からたまに来る相談では納得できない使い道が多く、色々と嘘ぶって断る事が殆どだそうだ。
北の大陸で国を六つ潰した後にこちらへ合流しに来た八郎は、「胸の痛まない薬開発」とやらを思う存分楽しみたいらしい。
どういった心境でその6つを潰してきたかは、アルベラは詳しく聞いていない。が、今の楽しげな姿を見るに、これとは真反対か、少なくとも気乗りするものでは無かったのだろうなと予想していた。
ちなみに、アルベラが八郎と出会うきっかけとなったのは、街で流行っていたドラッグだ。「魔力増強剤」として流行っていたそれは、ドラゴンや魔獣の血から成分を抽出し生成していたそうで、その成分自体が人体へかける負担は大きく、八郎的にはできれば普及してほしくない代物だったらしい。
中毒性があり精神を蝕んでいく。無理に引き出された魔力のせいで、体の中の魔力回路も正常な働きができなくなってしまうそうだ。
過去、その魔力増強剤の粗悪品を売りさばいてぼろ儲けしていた悪徳な集団がいた。
実験台として街のごろつき等を使っていたようなのだが、ツーの手下の五人がそれを察し、いちゃもんをつけたらしい。その五人は悪党から目をつけられ、実験体として捕まった。四人は助け出す前に亡くなっており、助け出した一人も、薬の依存と中毒で心身共に手遅れな状態で亡くなった。
八郎やツーファミリーとはその時からの付き合いになる。アルベラは八郎を助けるため、ツーは捕まった手下を助けるため、主にツーの作戦に混ぜてもらう形ではあるが、お互い手を取り合ったのだ。
八郎はアルベラに頼まれ、今はもっと安全性の高い「魔力増強薬」「体力増強薬」を研究してくれてる。だが、まだまだ先は長いそうだ。
(せっかく手伝って貰えるんだし、他にも何かいい薬作ってもらわなきゃね。八郎自身の身体能力も『オタク装備』ならほぼ無敵みたいだし。なんなら私の代わりに―――)
と、そこまで考えてアルベラは頭を振る。これ以上、自分の役目を放棄するような考えは辞めよう。
「さて、」
魔法の練習だ! とアルベラは袖をまくった。
家での勉強が中等学問に移り、魔法の勉強をするようになった。できれば家での勉強だけで済ませたいが、済ませられないわけがある。だからこうして週二回の休日の半日を練習に使っていた。
十歳のころに魔法が使えるようになり、ラツィラス王子の強化魔法の補助を受け一時的に魔力が上がったことのあるアルベラは、自分の魔法が鍛えればどんな使い方ができるか知っていた。それがツーファミリーが口にする「ミクレーの嬢ちゃん」の所以となるわけだが、一人でやるとまともに靄さえも起こせない。
王子の魔法能力と、その補助がどれだけ甚大だったか思い知らされた反面、自分の至らなさを分かりやすく思い知らされた。
(せめて、あの時の半分くらいでも出来るようにはならなきゃ)
アルベラは両手を地につき、水面をのぞき込む。自分の緑の瞳を見つめる。
これは最近よくする想像だが、ナマコになって内臓を吐き出すのだ。またはハムスターが頬袋を出してしまう感じともいえる。
エリーに言ったら「は?」と全く理解を示されなかったが、とにかくそんな感じだ。自分の体内にある、何かをため込んだ袋を、ひっくり返すように勢いよく外に出すのだ。それはまだ、内側に張り付いている部分が多く、大きく外に出すことができないが、少しずつ、少しずつ、日々の積み重ねにより張り付いている部分をはがせている。
いつかきっと、漁師が大きく網を広げて放り込むようにその体内の袋を吐き出したいのだが、今は我慢して剥がす作業に集中するしかない。そうやって少しずつ少しずつ体内の袋を自由にしていき、その日の最後に剥がせた分を吐き出し、今日の自分がどの程度なのかを試すのだ。
水面をのぞき込むお嬢様は目を開いているものの、自分の思考の中に入り込んでしまっていて無防備だ。その間エリーが見守っていてくれるので、安心してアルベラは自身の魔法習得に集中することができる。
エリーは木陰に置いた荷物の横に腰かけていた。
「無防備なお嬢様、可愛いわぁ」
きっと今抱き着いたらものすごい勢いで怒られるのだろうなと想像し、それもいいわねとだらしない笑顔を浮かべる。
『魔族として屑鉄のような部類の貴様らでも、あれの匂いは良いか?』
先程まで共にいた魔族の、あざ笑うような声が蘇る。吊り下げられても戯れ言をいうので、思う存分揺らしてやったが憂さ晴らしには物足りなかったかもしれない。
(あー、ヤダヤダ!)
エリーの周囲には小石のような重みの平べったく丸い木の実が落ちていた。それを適当に手に取ると、水面に向けて風を切るように投げる。
水面を1、2、3と跳ねるそれを、水中からスーが追いかけていた。木の実の跳ねるタイミングを真似、4、5、6、と並走してトビウオのように跳ねながら泳ぐ。7回目を飛ばずに沈んだ木の実を見送ると、スーはエリーへと視線を向けていた。それはボールを欲しがる犬のように物欲しげだ。
「あらあら」
かわいい生き物だこと、とエリーはもう一度木の実を投げる。
次は2回目の着水から並走して泳ぐ水コウモリ。それは穏やかに戯れているように思えた。だが、6回目を跳ねた木の実を前に、スーはロケットのごとく水中から鋭く飛び出し、木の実へ体当たりをかます。その勢いから、威力も中々のものと見える。
木の実は軌道を変え勢いよく池の外へ飛んで行った。木々の中に飛ばされ、がさりと音を立てる。
「キキキキキキッ!!!」
翼を広げ、首周りの毛を逆立て、ゆらゆらと体を揺らし威嚇の声を上げる。
しばらくそうしていたかと思えば、またけろりとした顔で木の実をねだりに来る。
これは何か、動物の本能的なそういう遊びなのだろうか?
投げないでいると焦れたように池の縁を左右しだす。
「面白い子ねぇ」
エリーはふふふと笑い、また木の実を投げた。
スーが木の実を追い、弾き飛ばし、威嚇する。その動作を当のコウモリが飽きるまで数回繰り返した。
「ふぅー。今日はこんなもんか」
アルベラは水面から目を離す。ぐっと両腕を広げ伸びをすると、肺が圧迫されて自然と「んんーーー!」という気持ちよさげに絞り出されるような声が漏れた。
さて、今日の進捗だ。
立ち上がり、大きく息を吸い、吐く。
両手を前に突き出し、そこに今日まで剥がした分の体内の袋を吐き出し広げるようなイメージをする。
そうすると、両手の間の空間がうっすらと白くぼやけた。それは手首を覆う辺りで薄れて消えていく。
まだ、もっと、いけないだろうか?
表情をゆがませインナーマッスルに働きかけるがあまり意味はない。
「だぁーーー………。まだまだこんなもんかぁ」
大きく息を吐くと両手をだらりと下げた。
「けど、ひと月前に比べたら大分靄が濃くなったじゃないですか。進歩ですね」
エリーがぱちぱちと拍手する。
「そうね。けど、一回あの強力なやつ見ちゃうと、気が急いちゃうな。早くぼふっと霧出したい」
「個性魔法は特殊ですし、じっくりやりましょうね」
宥めるエリーにアルベラは「はーい」と不服そうな返事を返す。
「ね、それでさ」
アルベラの興味が分かりやすく逸れる。エリーとスーを見て、楽し気に目を輝かせた。
「さっきの何?! 私もやりたい!」
「スーちゃんの追いかけっこですか?」
「そう! あの水切りの!」
「あらあら、じゃあこれとかどうでしょう?」
エリーは良く跳ねそうな木の実を拾い、アルベラへ手渡した。
「よーし。二~三回くらいならやれたことあるもんね」
アルベラが犬にボールを投げる時のように木の実を手に持ってスーに見せる。
スーはアルベラの手元へと視線を吸い寄せられ、来るか来るかと左右に身を揺らした。
「………よし、えい!」
———シュパン!!!
木の実は真っすぐに水面へと叩きつけられた。
跳ねる木の実を期待していたスーは、しばし呆然と木の実の消えた方を眺めていた。が、だれが悪くてこうなったのか理解しているのか、アルベラを振り返り翼を広げる。毛を逆立てて、威嚇のポーズをとる。
「キキキキキキッ!!!」
「わあ!! ごめんごめん! ちゃんと投げられるようになるから!」
スーの初めての威嚇にアルベラは慌てた。
「最後にエリーに投げて貰おうね!」と言い、木の実を探しに行く――――――かと思いきや、池ぎりぎりの縁にしゃがみ込む。
その小動物の、精一杯の怒りを込めた威嚇姿をじっくりと眺め、反省の色も薄く破顔していた。
(これはこれで………可愛い………)
「キキキキキキッ!!!」
自分を見たまま全く動こうとしない飼い主へ、水コウモリはさらに音量を上げ不満を主張した。