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54、魔族の少年 1(彼は魔族)

 アルベラは一月ほど前にも同年代の子供をこの場所で拾っていた。

 旅商人の奴隷だったらしい赤い瞳の彼は、目を覚まし意識がはっきりした頃にその主人に発見され回収されていったのだが、今いる目の前の少年は、その時の彼よりボロボロだった。

(うーん………どうしよう)

 木の枝を拾い頬をつついてみるが動く気配がない。

 口元に手をやると僅かだが呼吸は感じられる。

 人生経験だけで言えば、前世は三十九歳で死んでいるので、計五十一年ということになるのだが。前世の記憶でも、まだ浅い現世の記憶でも、こんなにも行き倒れの子供を拾ったことなどない。日本の前世と、ファンタジーな現世ではそもそも世界観が異なるので、初めてが多いのは仕方のないことかもしれないが。

 自分がこの池に来るのは大体週二回の休日だ。こっそり行っている魔法の自主練の為なのだが、そのたったの週二回にこうも子供を拾うとは、確率としては高くないだろうか? これは平日も来ていたらもっと人が拾えるという事だろうか?

(お父様、相変わらず街の治安大丈夫?)

 もしかしたら街ではなく国の問題なのか? と思いつつ、アルベラは何かと人の恨みを買ってしまいがちらしい父を心配した。

「あらあら、今度はどちらの子です?」

 アルベラの頭上、日の光がさえぎられる。彼女が顔を上げると、使用人姿の背の高い女性が覗き込んでいた。金髪に鮮やかな青の瞳。まさに美女という風貌だ。

「エリー」

 手頃な場所に馬を繋いできた使用人が、主人が何を見ているのかと気になって見にきたのだ。

 エリーは「また子供………ですか」と不思議そうな声を出したが、少年の姿をまじまじと見つめ少し考えこんだ。

アルベラは「えりー?」としゃがんだまま、真上にある使用人の顔を見上げる。

「ちょっと失礼しますね」

 エリーはアルベラの後ろから隣に並び、少年の手足や首に着いた枷を確認する。真面目な顔の彼女を、アルベラは邪魔にならないよう黙って見守った。

 確認はすぐに終わる。

「どうしたの?」

 アルベラの問いに、エリーは短く「魔族です」と答えた。

「は?」

 アルベラはエリーを見て、そして少年を見る。

 魔族とは、本で見たことあるがこんなに人らしいシルエットだっただろうか?

 もっと骨ばって手足の長い者や、獣や虫の頭部や体の者もいたはずだ。そしてどれも共通するのは角や翼。目の前の少年にはそれが見当たらない。

「魔族は人に擬態できるんです。この少年の枷は国が認めた奴隷商どれいしょうのものですね。国の刻印と、魔力を封じる魔術が施されていま………す………………」

 そこまで言い終えると、エリーは大人しく説明を聞いていた少女を見て、顔に手を当てて深いため息をついた。

 下に覗く少女の目はキラキラとかがやき好奇心に満ちている。

 きっと口にするのはこんな言葉だ。

「エリー、魔族って手なずけられるかな?」



 アルベラは今日の魔法の練習はさて置いて、池の縁にしゃがみ込むとその水面を覗き込んだ。

(いないか)

 水面を指でトントンと叩き、反応を待つ。

 その合図に答える様に、池の中心辺りから魚が跳ねるような水音が返る。

 アルベラはもう一度水面を指でたたき居場所を伝える。音のあった方を見ると、拳ほどの小魚のような影が、泳ぎを楽しむように左右に大きく蛇行しながらこちらへと泳いできていた。そして池の縁にたどり着くまでに水中から飛び出し、少女の差し出した指先へと逆さまにぶら下がる。

 それは青いコウモリだ。

 濃い青の鱗を胴と腕に携え、翼の半透明の薄い膜は水色。首元に羽毛のように柔らかそうな毛と、背には水きりの良さそうな太くて短い毛が生えている。それは日の光をキラキラと反射しながら、犬などがするようにブルりと小さく身震いし体に着いたしずくを払った。

「スー、ちょっとここに居てね。また水に入れてあげるから」

 泳ぐ姿から「スー」と名づけたコウモリを指にぶら下げ、アルベラは首の後ろへとしまい込む。スーは慣れたものでおろされた肩の上、日の光を拒むようにアルベラの髪の中へとその身を潜めた。



 エリーに少年を抱えさせ、アルベラがやってきたのは近くにある畑佐はたさ八郎はちろうの家だ。

 八郎は約二年前、アルベラが十歳の頃に出会った転生仲間だ。

 アルベラを転生させたのと、多分同一であろう人物に導かれ、この世界に転生した元日本人だ。

 八郎の外見は前世の物をほぼ引き継いでい居るとかで、ぱっと見は普通の日本人である。瞳の色は一見黒ともとれる濃い青に、明るい茶色が混ざっている。樽のような豊満体系で、年齢は今年26歳になるらしい。額にバンダナ、牛乳瓶底のような眼鏡、チェックのシャツにジーパンという、何故か日本のオタク文化を代表するようなスタイルだ。

 この世界にはもちろんなじみのない独特な服装だが、八郎の現在の容姿含めの、この格好には色々と訳がある。「天の気紛れ」という言葉があるが、彼の場合は自分たちを転生させた「神ではない者」の気紛れによる。決して八郎が望んでこういう服装になったわけではないらしいが、なんだかんだで「魂に馴染んでいる」だか何だかでやぶさかでもないようだ。

 本人曰く、なによりその機能性が凄いのだという。八郎にとって、このスタイルは「無敵」らしい。

 どんな魔具も、そんな甲冑もこの装備には敵わないという。八郎いわく、過去にドラゴンの吐く火炎を受けたことがあるが、このフル装備は全く焦げ付くようすもなかった、とのこと。しかも忍者のように俊敏になれるのだと、説得力の無い腹を揺らして自慢げに笑っていた。

 だが、この装備以外の装備は全く効果がなく、どんなに分厚かろうとどんなに希少で高価だろうと、常人の使用する通常の甲冑は、八郎が使うと全く防御力を発揮してくれないのだそうだ。その件について、八郎は「ある意味悪意に満ちたチート呪いでござるよ」と以前に呟いていた。

「いやぁ、運が良かったでござるなぁ」

 この世界で「アネスハウス」と呼ばれる集合住宅の三階。キッチンから水を張った桶とタオルを持ってきた八郎が「はっはっは」と笑った。

「拙者これからツー殿の元へ向かう予定だったゆえ………………………また留守時に鍵を壊され不法侵入されずにすんで、本当に運が良かったでござる。本当、業者にまた鍵の修繕を頼むことにならなくて良かったでござる」

「ごめんね八郎。毎回鍵もらってるのに、何故か使い時になるとどこかいっちゃうの」

「で、毎回鍵を壊したあとに見つけて、ゴミ箱に捨てて帰っていくわけでござるな」

「そ。ね? 許してくれるよね、『お に い ちゃ ん』?」

 なぜ毎回呪いをかけるような顔で「おにいちゃん」と口にするのだろう、とエリーは不思議に思いながら八郎の持ってきたタオルでベッドに寝かした少年の体を拭く。

「にしても、」

 アルベラは少年の寝かし方に疑問を覚える。

「なに、このベッド。こんなの前にあったっけ」

 少年を寝かしつけてるのは八郎の寝室ではない。隣の部屋に用意された薬の研究室だ。そして、その部屋に何故か置いてある手術用の鉄製のベッドの上だった。

 まるで今から改造人間にされるのかのような少年の姿とこの世界のテイストとに違和感しかない。そもそも八郎の存在自体が違和感ではあるのだが、彼についてはよく顔を合わしているのでアルベラの感覚がマヒしていた。

「いやー、面白いでござるよな。ツー殿がくれたんでござるよ。どっかの気にくわない小悪党どものアジトにあったとかで、コーニオ殿が気に入って持ち帰って来たそうでござる」

「そ、そう」

 突っ込みようがないのでアルベラはただ頷く。

 そして、首の後ろでねだられるようなもぞつきを感じ、思い出したように自分の首の後ろへ手を突っ込んだ。引き抜いた手には伸ばした人差し指に逆さまにぶら下がるスー。

 アルベラが桶の上に彼をやると、スーは嬉しげに桶の中の水へと飛び込み、狭いながらもくるくるとこの中を泳ぎ回る。

 そのコウモリの姿に、八郎は「順調順調」と満足げだ。

「また栄養剤が欲しくなったら言ってくれでござる。最近面白いものを開発した故、是非スー殿にも試してもらいたいでござるな」

「だめ、絶対ダメ」

 アルベラは即答した。

「あんたが言ってるのって下にあったあの意味わかんない植物の奴でしょ? あんな気持ち悪いイチゴ気持ち悪いからむり。なんか人食べそうな形してたし無理」

 このアネスの前には八郎が勝手に管理する花壇が置いてある。場合によっては美味しい作物を実らせていることがあるので住人に好評なのだが、たまにとんでもない変異をしている生体が混ざっていることがあり、ここの住人の注意の対象ともなっていた。

「ああ、あんなの形だけでござるよ。まさかただの薬で、ただのイチゴが人を食べるまでに進化することなどあるわけ」

 ―――「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!」

 丁度ベランダの方から野太い男の声が上がる。それはまるで低い位置と高い位置にかけてを振り回されるような動きを感じる叫びだった。

 八郎は武器を詰めたお気に入りのリュックサックに手を突っ込むと、「ちょっと失敬」と言ってそちらに向かっていく。

 アルベラは目を座らせて八郎が今までいた場所を見据える。

「にしても、なんで奴隷商から? 自力で逃げられるほど扱い緩いの?」

 そもそも「国が認めた奴隷商」という言葉にお国の闇を感じもしたが、来る際にエリーが説明してくれたのは人材派遣業者のような仕事だった。その身元も、犯罪経歴持ちが大半など、色々と訳ありのようだ。

 たまに聞く無法者たちが勝手に捉えて勝手に売りさばく奴隷よりは安全を確保されているらしい。

 商人は、奴隷の身の安全を保障できる者の元にしか奴隷を売らず、どこにどのような奴隷を預けたかを自治体は把握している。何か理不尽なことがあれば、登録奴隷は役所に逃げ込み保護してもらうことも出来るらしい。それなりの証拠も必要なようなので、保護してもらう側はそれなりの知識や行動力も必要なようだが。

 それ等のように、「国が認めた奴隷商」に売られる奴隷を、国属奴隷というそうだ。そしてその商人は国属奴隷商という。

 エリーは、国属奴隷はそれ相応の金額があれば奴隷という地位から抜け出し平民に戻れる、という事も余談で教えてくれた。金が無ければ、国に保護されるとはいえ奴隷は奴隷だそうで、命に係わるような不当な扱いは禁止されてはいるが、持ち主次第でその生活は大きく変わってしまうそうだ。

「今回のように魔族を運ぶとは聞いたことはあります。魔族を奴隷にすることは、表ルートの『国属奴隷商』では絶対にないはずなので、多分これは実験か研究か。何か奴隷以外の目的のために捕獲したんでしょうね」

「へぇー」

(いまここで改造されそうな絵面ですけどね)

 アルベラは手術台の上の少年を眺める。

 その長い前髪の下、黒い睫毛が僅かに動いた気がした。「おや?」と思いエリーへ目をやるが、彼女は丁度目を離していたようだ。

 「どうしました?」と少年の足裏を拭きおえたエリーが尋ねる。

「ちょっと近くで見てみたい」

「これだけ動かしても眠ってますしね………。大丈夫、かしら? 枷も付いてますしね………。けど魔族は魔族です。食べられないように気を付けてくださいね」

 エリーは冗談を言って笑い、汚れた水の入った桶をキッチンの方へ持って居った。

 どうやらOKのようだ。

 アルベラは少し高い位置のベッドに乗り上げるか考えたが、近くに椅子があったのでそれを持ってくることにした。

 八郎はベランダからは戻ってきて床に座り込んでいた。「ダン・ツー」という頭が治めているこの土地周辺で強い勢力を持つファミリーに、去年から所属しているのだが、そこに持っていく予定の荷物とやらを確認するように漁っていた。場所は提供するだけしてくれたが、あまりこの少年には興味を示していない。今は目の前の用事の方が優先度が高いからだろう。

 キッチンの奥から、水を流す音と「あら」というエリーの声が聞こえる。

「ハチローちゃん、美味しそうなリンゴねぇ。頂いていいかしら?」

「良いでござるよー。果物に毒を染みこませる実験に使ってた故、籠の外にある物には触らないよう気を付けてくれでござる。あ、果物ナイフは一番上の引き出しでござる」

 二人の何気ない会話を背に、アルベラは椅子の上に立ち少年を覗き込む。

 手首の枷を見れば、確かに王族の紋章が焼き付けられてた。肌に触れている面には細い線がいくつも彫り込まれ、魔術が施されているのが見える。それと同じものが首にも填められ、外そうと藻掻いた跡なのか青い痣が出来ていた。

(さっき、確かに動いたような)

 アルベラは少年の瞼に触れ、指で無理やり持ち上げる。

 眠っているせいか眼球は上に向けられほぼ白目、かと思われた―――が、ぐるりと瞳が動き正面を向く。

(きもちわる!)

 と、アルベラが驚いて手を離すと、その手が予想外の強い力で掴まれた。

 そのまま首も捕まれ、体が持ち上げられ、ベッドの縁に頭を押さえつけられる。その際に椅子に足が当たった。椅子が「がたり」と音を立て、床に倒れる。

「ぐ、う………」

 固いベッドに頬を押し付けられ、あっという間に、両手を体の後ろで押さえつけられていた。自分の頭を、子供サイズの掌が、子供とは思えない力で押さえつける。頭で押し返そうにも微動だにしない。

 少年から、唸り声にも似たがさついた声が発せられる。

「………貴様ら、動くなよ。動いたらこいつがどうなるか―――」

「どう、なるのかしら?」

 至近距離から漂う殺気に少年は動きを止めた。カチャリ、とその後頭部から冷たい音が上がる。

 ベッドの上、アルベラを押さえつけ片膝をつく少年は、片手にリンゴを持った金髪美女から果物ナイフを首に当てられていた。更に、この世界にはなじみのない、オタク姿の青年から、ライフルの銃口を後頭部に突き付けられていた。

 しんと静まり返った部屋の中、エリーが片手に持っていたリンゴを「ぶしゅり」と握りつぶす。

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