47、今夜は 7 (身勝手な伯爵)
ネミッタ・ソネミー伯爵は目を覚ます。
ぼんやりとした視界に広がる色味の少ない室内。唯一の家具といえば片隅に置かれた壊れた椅子くらいしかなかったあの部屋。その椅子さえも、今はもう壁に叩きつけられ焼け焦げて、調度品であった形跡もないガラクタと化していた。
どうやら自分は薬を使ってもあの子供らに勝てなかったらしい。なんて無様なのだ。数日前までの何の煩悶もない生活は、もう二度と戻ってこないのだろう。と伯爵は気落ちした。
(あともう一息………もう一息だったのだ。あの薬を国外に売り裁き、資産を増やし、ウォスキー国の王との契約さえ済ませていれば、私の立場は大きく変わっていた………)
だが、その目論見も数日を前にしてあの男に潰されてしまったわけだ。
伯爵は視線だけを動かす。焼け焦げた床、天井、壁が目につく。
(火傷のせいで体はとうに動かせない。縄など必要ないというのに)
気を失っている間に、どういうわけか部屋の人口密度がやけに上がっていた。服装や人相から、公爵側の陣営ではないことが伺える。どういうことか、そこにいるほどんどが疲労しぐったりとしているようだ。
あるものは地べたに尻をつき座り込み、あるものは壁を背にしてうなだれていた。あるものはニヤつき、あるものは体の一部をさすっている。よく見れば三人ほど、自分と同じように縄で縛られ身もだえしている者もいた。
(いったいなにが………)
その中にあの子供らの姿もあった。
月明かりに照らされた三人の子供。顔を突き合わせ、何か話し込んでいる。あの忌々しい公爵のガキは、手に通信機をもって光らせていた。誰かに話しかけているのか、単純にあの場の会話を送っているのか。ここからでは詳細は不明だ。
この屋敷もあの子供らが生まれる少し前まではにぎわっていたものだ。伯爵は思い出す。
他国出身の商人が沢山の召使いを使わせ、家族4人で暮らしていた。当時、商売が上手くいっていた彼はよく下の階の大きな一室を使用し、貴族を招きパーティーをしていた。伯爵も開催時は必ず声をかけられ、参加したものだ。利発な息子に、人見知りの娘。派手好きな妻。
社交辞令の交流どまりだったが、何度となく訪れこの屋敷は、たまに訪れてはこの度に随分と様変わりしたものだたと思った。そこらの貴族よりも資産があっただろうこの屋敷の主の顔も、もうろくに思い出すこともできない。
この家の主は、ある事件を機に逃げるように母国へと去っていったのだ。
―――あの頃、隣国では一本の川を発生源に謎の病が大流行していた。
それはこの国にも流れている川の水源となっていた山を枯らし、歩んできた道の岸に栄えた村や街を殺しながら下ってきてるという。死していく周囲を置いて、水は見た目には何も変わらず、清く美しく澄んでいるというからたちが悪い。
その水を口にした生き物はとある病に侵された。
カビだ。
それは体内からカビが湧くという病だった。水を口にした者は、気づかぬうちに臓器をカビの苗床にされ、それが抱えきれない量まで増殖した時、体の穴という穴から毛羽だった毒々しい鮮やかな緑のカビが溢れ出てくるというものだった。
カビがあふれ出てくる様は、程よい硬さのカスタードクリームをぱんぱんに入れた袋に、穴をあけ押し出される様によく似ていたという。小さな緑が見えたかと思うと、それが一気に穴を中心に押し合いへし合いしながら湧き出でてくるのだ。涙のように涙腺からカビを溢れさせ「苦しい苦しい」と呻く姿も珍しくなかったという。死んだあとは藻の塊のようになり、骨だけになるまでその腐った肉を食い尽くされる。
だがカビを宿した主の体が跡形もなく消滅すると、そのカビも徐々に数を減らし、死体の消滅から時間差で消えてなくなる。空気感染はせず、胞子も宿主以外へは向けられることもない。それは不幸中のわずかな幸いだった。
とはいえ水の見た目に変化がないこともあり、原因がその生活水にあったことに人々が気づくには時間がかかりすぎた。何が原因かと探る人々をあざ笑いながら、その水は枝分かれした己がための道を下り被害を広げていった。
そんな「死の水」が、この国に下ってくるのも時間の問題だった。
川をせき止めるのは簡単だが、止めた水をどこに貯めるか。そして、単純に水が無ければ生きてはいけない。この水を農作に使用しようものならカビの畑が出来るという。魔法で水を確保したとしても、街を包む環境全ての水が侵されていれば、確保した水の安全性も保障は出来ない。
生活に他の河川を頼るところまでは決まってた。だが、その病が、水が、国内に入ってきた場合の具体的な対策は立てられていなかった。
国外とはいえ、山が一つ死んでいるのだ。その問題は国に恐怖と不安を植え付けた。
王は国の薬や医療、自然を対象にした研究員たちをフル動員し、何か打てる手はないかと必死で模索した。
そしてある時、一人の狩人が面白い話を聞いたと、研究員の一人に伝えに来たのだ。
『隣国へ行っていた狩人の友人が、森の散策中に滅んだ村を見つけた』と。
初めは研究員も半信半疑だった。
『噂の通り、生き物の体はカビで覆われ、所々にコケの生えた小さ目な岩が転がっているようだったそうだ。そんな中、そいつは病で死んだ様子ではない動物の死骸をみつけた。大尾槌毒蛇だ。大人2~3人を飲み込めちまうあの大蛇だよ。それが川沿いで他の獣と争ったのか、猛毒をまき散らして死んでたんだとよ。病に侵された村に流れた川を上っていったところだ。カビだらけになった他の動物の死骸がわんさかある中、その蛇だけはカビの一つも生えてなかったんだってよ』
その話を聞いて、その研究員はすぐに王へ報告をする手続きをし、国はその話を元にその大蛇と病との研究を進めた。
そして、研究が始まって早々に大蛇の猛毒の血が病を打ち消すことが分かった。触れただけでも獣の皮膚を焼いてしまう毒だ。これを水に入れたとして、病気を防げても生活に使える水に戻るのか。研究は進められた。
病を含んだ水に毒を一滴まぜネズミに飲ませた。ネズミは死んだ。だがカビは生えることはなかった。そこで毒の量を減らしてみると、ネズミはカビに殺された。
ならば毒で病を殺したのち、その毒に有効な薬を混ぜれば毒は消せるだろうと研究は進み成功した。だがその水は毒と薬の反応で、口に入れるには憚れるように白濁していた。
一部の研究者はこの水は生活水にできると主張した。少なくともただ流れる位であれば見目が悪いばかりで生命には無害だと。だが権力者たちからは反対の声の方が多かった。
その蛇の猛毒の危険性は一般的によく知られていた。そんな毒が混ざった水が身近に流れるなど、安心して生活できるはずがないと主張した。そこまで研究できたのなら、そこからさらに研究を進め、もっと安全性の高いモノを提示しろというのだ。出来れば毒を使わず、安全性の高い何かで代用せよ、と。
圧倒的に反対意見が多かったことで、その毒と薬の実用は却下された。
それから一月、新たな解決策も見つからないまま、その水は国の端にある小さな村を密やかに殺していた。
一つの村の静かな死は発見されると、王に報告され、対策会議が開かれた。
その会議に居合わせた一人の青年が即答する。
『あの毒と薬を使いましょう』
新参者の言葉に他の貴族の中からため息が漏れた。中には青年を無知とののしり、口うるさく批判する者もいた。
結局、その会議で決まったのは「避難」と「注意」であった。
村の川下では、貴族たちの大移動が行われた。行く先の無い村民や町民は呆然と有力者たちの去っていく背を見送る事しかできない。ただ「この川の水は飲むな、使うな」とだけ言い渡されその地での生活を余儀なくされた。
その土地から逃げ出すものも居たがそれは少数で、家族を抱えた者たちの大半は悩みながらも「逃げ」の選択が出来ず故郷に留まった。
それから数か月。半年もたたなかっただろう。
あの死んだ村に一番近い村の長から知らせが入った。
『家畜が川の水を飲んだが、一向に蝕まれる気配がない』
そこの領主は避難しておりどこにいるか分からなかった村長は、一番近くの街の警備兵にそう伝えた。そしてその兵がその街の領主に伝え、そこから城へと知らせられた。
その頃には他の町や村でも変わりのない水や土の様子に、本当に病など流れてくるのかと人々から疑問の声が上がっていた。
城の中の一部の人間たちの話し合いの後、数日後には水の安全性が保障され、非難していた者たちも帰ってきた。
それからしばらく時間を置いたのち、それなりの役職を背負った貴族たちが城に呼ばれ、王立ち合いの元、大臣からとんでもないことを打ち明けられた。
皆で話し合い、反対が大多数の中実用を打ち切られたあの猛毒が、とある伯爵の身勝手な独断により、王にも無断で、誰にも知らないよう生活水に混ぜられ使用されていたのだという。しかもそれはこの一帯の統治とは全く関係のない、もっと川下に位置する小さな町の、爵位を引き継いで間もない男の仕業だった。
それは数か月前に『あの毒と薬を使いましょう』と言い放ちバッシングを受けた青年だった。
一歩間違えれば大虐殺となっていたかもしれない所業に、川上の村の辺りを統する領主が声を戦慄かせた。
『私の村で、お前は、なんて勝手なことをしてくれたんだ!!』
だが、見るからに怒り、今にも殴りかかりそうな領主に対し、青年は全く理解できない様子できょとんとする。
『あなたは村を捨てたではありませんか。滅んでも良いと見捨てたそれを、私は可能性を賭けて拾ってみたに過ぎません。奪われたわけでもないのに、なぜそんな顔をするのですか?』
直後、青年は殴り飛ばされ床に転がった。
王のため息で場は静まり、大臣の締めの言葉でその会は終わった。
締めの言葉の前には、『あの川の上流に位置する土地の領主は、後2か月は川への投薬を続けるように』との命が下され、反対していた貴族たちは悔し気に唇をかんだ。
混乱を避けるために毒の件は民には伝えられず、それは今回呼ばれた者と、国の政務に関わる官僚等一部の貴族にの報告され、一般市民への口外は禁止された。
民へは、国が改めて体裁を整えた、「川の洗浄」に関する報告がなされた。大分簡略化され、安全性を前面に押し出したその内容に、民はその伯爵と研究員たちの活躍に感謝した。
だが、事情を知る貴族の間では「例の伯爵」を危険視する声も多くあがり、その出来事がその伯爵への反発派を生み出す切っ掛けともなった。
ソネミー伯爵は忌々しい記憶に当時と同じ様に唇をかむ。
投薬が偶然上手くいったからいい物の、自分たちの決定を無視したあの男がなぜ今、自分より高い地位を手にし、こうも民から好かれてるのか。一部だが、彼を好く貴族が存在するのも不快だった。
この街で暮らせば暮らすほどに怒りは募ってくばかりだ。
そうだ。村や町の一つや二つどうでも良かった。あんな男の軽率な行いが、実際大虐殺を起こしてくれていれば良かったのだ。僅かにでも毒の割合いが多ければ、僅かにでも解毒剤の割合が少なければ。個人の勝手な暴走で大勢の犠牲者を生み出し処刑でもされていれば、私は今こんな無様なことにはなっていなかった。
忌々しい子供等に目を向ける。見当たらないあと一人に、伯爵はまた無意識に視界を動かしていた。そうしていると自分の背にする廊下側から大人の物ではない軽い足音が近づいてきた。
「おや。気が付いたんですね、伯爵」
どこか聞き覚えのある、高い少年の声。
子供は伯爵の正面へと回り込むとその顔を覗き込んだ。逆光になり、フードの下の細かいパーツは見えないが、わずかに輝く赤い瞳と、フードから漏れた前髪が輪郭をなぞる淡い光に照らされ金色に輝く。
「ふぁ、んへ………ふぁんへ、おふぁえふぁ」
伯爵の目が見開かれ、口から咄嗟に声が漏れる。喉の奥まで焼かれてしまっているのか、声自体がやや出ずらくなっていた。
「やへお、………わふぁひは、わふぁひはふぁんふぉ、いわえはほほひ………」
「どうしました伯爵? なんて言ってるか分かりませんね」
少年は困ったように首を傾げていた。
その姿に伯爵は想像する。きっと、影に塗り潰されたその顔には、無邪気な笑顔が浮かべられているのだろうと。





