45、今夜は 5 (彼がネミッタ・ソネミー)
―――カラカラカラ………カン
ニーニャが一階の物音に気付いたのは、アルベラが休むように思考を停止し、屋敷を包む白い靄をただぼーっと眺め始めた時だった。
エリーと八郎はどこにいるのか。あそこからは本当に離脱しているのだろうか。薬側に絡まれたのか、公爵側に絡まれたのか、他の何かがあったのか。なかなか現れないオカマと薬オタクの所在が頭の隅をかすめる。だがあてもなく探しに行く事も出来ず、自分は待つしかないのだと言い聞かせ考えることを放棄することに勤めた。
「あの、お嬢様」
怯えるニーニャの声に、アルベラは嫌な予感がした。
「下に、だれか居るようなんですが?」
王子の悪戯を疑いそちらを見るが、2メートル先の少年は「僕じゃないですよ」と困った笑顔を浮かべた。
「何人いるか分かる?」というアルベラの問いに、「四人だ」とジーンが答えた。アルベラが目を向けると、彼は身を乗り出す様に窓の下を眺めていた。
「見えたの?」
「なんとなくな。さっき屋敷の敷地の隅に人影が見えたんだ。だから廊下側の窓に回って外を覗いたら、丁度玄関から人が入ってくるところだった」
「ジーン、それってついさっき?」
「ああ。黙ってたわけじゃない。言おうと思ったら先にニーニャさんが言っただけだ」
肩をすくめるジーン。アルベラは「なるほど」と納得した。
同じタイミングで、片方は視覚、片方は聴覚で人の存在をとらえたとなると確実だろう。
「どんな人たちか分かる? もしかしてエリーとか?」
ニーニャは音を集めるように耳に手を当てる。
「女性の声が一つと男性の声が二つ聞こえます。音だけだと、もう一人いるかははっきり分からないですね…………喋ってないだけかもしれないので」
「ニーニャの力で会話までは聞き取れない?」
「すみません。私の力では………」
王子が窓の外からアルベラとニーニャの方へ体を向ける。掌を胸の前に持ち上げ向かい合わせた。両手の親指、人差し指、中指を触れ合わせ、そこにいびつな三角のような空間を作る。
「なら僕が力を貸しますよ」
王子のその言葉と共に赤い瞳が光を灯す。少し遅れて、ニーニャの耳に下げていた石の明かりが少し強くなり、僅に浮き上がった。
「これは………」
ニーニャは驚いて目を見開く。
「補助の力です。今そちらに風の精霊を呼んで魔力を送り込んでいます。下の会話聞こえますか?」
ニーニャは目を閉じる。耳に感覚を集中させ、風がもっと音を捉え集めてくるように意識する。
『―――伯爵さま、荷物の方はこれで』
『―――話が違う。明日ではなかったのか?! ディオールの奴、どういうことだ』
『―――伯爵さま。ありました、通路です』
『―――よし。ではまず魔術の方を起動させろ。屋敷の各階の端に二つづつだ。計六つ。三階はお前。二階はお前。この階は私とお前だ。皆終わったらここに戻ってこい』
「あ、あのぉ!」
ニーニャは声を潜める。
「あの、『伯爵』という人が旦那様、ええと、公爵様から逃げてきたようです。ここへは通路を探しに来ていて、今から何かの魔術を起動させるために屋敷を回る様です! 各階の端に二つづつ。計六つ。何があるのか知りませんが、この階にもそれを探しに人が来ます!! ど、どうしましょう………?」
ニーニャの言ってる事は若干てんぱっていてわかり辛かったが、確率的に皆が「え? ソネミー伯爵?」と思った。侵入者達の名前も姿も確認できてはないのでしっかりした確証はないが、自然とそれ前提で話が進む。
まず、階段は一つだだから降りれば鉢合わせになるだろう。
アルベラの思い付く方法といえば「ロープで窓から降りる」だ。
王子が悪戯顔でニコリと「僕らで捕まえちゃいましょうか?」などと言い出すので、ジーンは深く息をついて額に手を当てていた。
なるほど、これが普段の二人のやり取りか、とアルベラは納得する。そして自分はというと、念のため通信機に連絡を入れておく。
ツーとの約束で、身の安全はお互い自己責任だと言われてしまっている。なので助けてとは言えない。だが、もしかしたら誰か来てくれるかもという期待を込めておく。
「屋敷に侵入者がいるみたい。今から隠れます。あと、音が邪魔なので通信切ります」
短い息を吹きかけ、通信機の光が収まるのを確認するとそれを大事にポケットにしまう。
「王子。伯爵を捕まえる算段なんてあるんですか?」
アルベラの問いに王子は顎に手を置き考えながら答える。
「ソネミー伯爵は、細身で、剣や魔法に長けてるという話しも聞きません。ジーンと僕でも勝てるかも。と、単純に思っただけなんです。具体的な案は無いので、『ミキリハッシャ』? というやつですね」
「見切りで発車しないでください………」
アルベラは肩を落とす。
「ソネミー伯爵がどんな人かは知りませんが、少なくとも大人が四人いるんですよね。ここは隠れてやり過ごした方が………」
「私が何かね?」
知らない声が会話に割って入る。
アルベラの心臓がどきりと跳ねた。声のした方を見ればひとりの細身の男が立っている。暗くて細部まで確認できないが、薄い色の髪と顎髭が見えた。手にはランプを持っていたが、今はついていない。もしかしたらこの部屋に着く前に、人の気配を感じて消してきたのかもしれない。
(もしかして、ソネミーさん?)
アルベラの顔が引きつる。
ニーニャはこの世の終わりのような顔をしていた。気を抜いていたのか、耳飾りが光っていない辺り、音の確認を怠っていたのだろう。
ジーンは静かに三人の前に出て腰の剣に手をかける。
「あちらの屋敷の様子を見ようと上がってきてみれば………子供、か。ふむ」
部屋の中を見渡したその人物は訝し気な声を上げた。
「あのー。あなた、ネミッタ・ソネミー伯爵でいらっしゃいます?」と、アルベラが問う。
「ああ。そうだが、お前たちはここで一体―――」
そこで伯爵は言葉を切り質問を投げ掛けた子供の姿をまじまじと観察した。先端に行くにつれて細くなる顎髭の束を撫でつけ、何か思想に耽っている。
「おまえ、ディオールの娘か?」
アルベラはきょろきょろと周りを見る。ニーニャは今は屋敷のメイド服ではない。荷物も今着てる町娘の服も、自分を公爵家の娘だと証明するものは何もないのだ。
だから「いいえ」と自信をもって嘘をつく。
「ほう。そうかな? 知ってるぞ。紫の髪。水色の毛先。ここからでは見えないが、瞳は緑色ではないか? ちょっと見せてみなさい」
すたすたと歩きだす伯爵。
その後ろ、アルベラからは伯爵が影になって見えなかったが、メイドが一人控えていた。彼女はどうするべきか迷っているようで、部屋には入らず廊下で待機の構えだ。
真っ直ぐに歩き出せば、当たり前だが先ほど三人の前に出たジーンがその行く手を阻む。
130~140㎝の少年が、170~180㎝の大人を前に怖くないのだろうか。少年は恐れを感じていないのか、自棄に堂々としていた。騎士見習いとは言え、アルベラは並んで見る二人の身長差に若干心配になる。
ついでに言えば、自身の役割にある「ヒロインとヒーローの拷問や殺生は禁止」の項目に、彼らの事故死や、自分が関わる事で受けてしまう他の誰かからの傷はそのルールに触れないかという心配や疑問があった。
あのルールのアウトラインはどこなのだろう。殺生とは手にかける事だ。では、自身の知らないところでの事故は? 病は? 高等学園前の彼らの死自体は、自身の今後に何か影響が出てくるのだろうか?
(ずっと気になってはいたけど、………けど。『殺生』って言ってる以上『死』がアウトではないんだよね………?)
この状況で身勝手な疑問であることは、重々承知している。
それに、自分以外の他の三人が心配なのも事実だ。他人の、しかもまだ幼い子供の死を、好き好んで見る趣味はない。
「お前は………」
公爵はジーンを前に、その顔をまじまじと見ると鼻で笑った。
「なんだ。城に出入りしてるニセモノのガキではないか。孤児が運よく城勤めの者に拾われて、身の丈に合わぬ生活をしおって。王子のお気に入りか何だか知らんが、身の程をわきまえるべきではないかね」
「はあ?!」
間髪入れずにアルベラが声を荒げる。
「悪人が何様なわけ?! バカ! はげ! 頭でっかち! 骸骨! ミイラ! ひげ!」
「おい………」
幼稚な暴言の羅列にジーンは呆れ、肩越しにもの言いたげな視線をアルベラへ投げ掛ける。だが伯爵に向き直ったその口角は強気に、小さく持ち上げられた。
「ハゲてないわ! いいからお前はこちらへ来い! 他の三人は部屋の隅にまとまりたまえ!」
ニーニャの方を見る。どうするべきか迷っているようだったが、アルベラは頷き、指示に従うように促す。
王子はいつの間にかローブのフードを深くかぶっていた。念のための顔隠しか。彼もアルベラの視線に頷き返し、ニーニャと共に部屋の隅へ行く。
そこにはここに来た際にニーニャが作った壁があった。
王子はそれを見てニーニャに何かを訪ね、ニーニャは首を縦に振る。多分だが、「これはあなたが作ったんですか?」「はいそうですよ」というやり取りでもしたのだろう。その想像のやり取りは、なぜか片言で脳内再生される。
「ほら、ディオールの娘! 大人しくこちらへ来たまえ」
ジーンがアルベラを振り向く。
アルベラは黙って頷く。ジーンが一歩下がり、アルベラが前に出る。
「ほら、どう? これで満足?」
アルベラはふんと鼻を鳴らし腕を組んで伯爵を見上げた。
「ほう。やはりディオールの娘ではないか。その生意気な顔と生意気な態度は母親そっくりだな。ここへはアレを見に来たのか?」
「アレを見に来たのは正解だけど、私はディオールの娘じゃないです。ディオール公爵とは赤の他人です」
「では、念のためにお前を連れて国の外へ逃げようではないか。もし本当に赤の他人なら街も国も何も変わらず。私はお前を商人にでも売ればいい。だが、もしお前が本当に奴の娘なら、きっと大騒ぎになるだろうな。あちこちで人探しのお前の情報が流れるだろう。そうしたらこちらはいいように使わせてもらう。どうだ? 私に損はない」
(国外…………私には大損ね)
アルベラは部屋の入口の方へ目をやり、伯爵へ戻す。そう言われてはどうしようもないではないか、と息をつく。
「もしそうなら、それでいいです。あーあ。私は売られるのかぁ。………で、皆は解放されるの?」
「ふん。否定を貫くか。ま、他のガキはお前が大人しく言う事を聞くならそうしなくもない」
ソネミーは口の端を吊り上げる。
(私がここに居るとこを見られたのだ。一人は気に入らないニセモノ。二人はどこの馬の骨とも知らないガキ。生かしておく必要はない)
「分かった。じゃあ言う事は聞くから、教えて。薬を撒いてた主犯はあなたなの? 目的は何? 公爵への嫌がらせ?」
「ふん。ガキに答えることなどない。知ってどうする。ただ満足したいか? 話しても良いが、他のガキが口封じされるだけだぞ?」
「そ? ならいい。聞きたくない」
「ほら。もういいだろう。じゃあまずは一緒に下に来てもらおうか………ね?」
―――ゴゴゴゴゴゴゴゴ!!!!!
ソネミーが扉の方を向く僅かに先。大きな音が室内に響く。
「ジーン!」と王子が叫ぶと、アルベラは身を引き、ジーンが腰の剣を抜いて伯爵に切っ先を向けた。
扉の前にはニーニャが力いっぱい蹴り上げて作った壁が出来上がっていた。厚さが五センチ程の壁が扉の左右の壁や地面から中互いに、花弁のように生えて入り口をふさいでいる。王子の補佐があったとはいえ、あの壁の生成は体力を相当使ったのだろうか。ニーニャは部屋の隅で壁に手をつき、荒くなった息を整えていた。
そんな彼女を背にかばう様に王子がこちらを見据えてる。両手を合わせ、目を赤く光らせて。
ジーンは手に持つ剣に負けない位真っ直ぐな鋭い視線で伯爵を貫く。
「助けは来ない。降参して縄に着け」





