44、今夜は 4 (お願いと仲直り)
咄嗟の事に、アルベラは「は?」と声を漏らした。
そしてその後ろ、開かれた窓の外から衝撃波ともいえる大きな熱風が一陣吹きつけ、アルベラ達のいる屋敷を小さく揺らした。それと共に今いる室内も一瞬明るく照らし出された。アルベラの前に立つ三人の呆然とした顔。遅れて大きな爆発音。
「は、………あ!」
王子に気を取られ、今自分の状況を忘れていた。慌てて窓枠に手をかける。身を乗り出し、薬をばらまいている者たちの拠点の屋敷へ望遠鏡を向ける。
「アルベラ嬢、これは」
公爵から聞いていた作戦の時間より少し早い上、段取りと全く違う屋敷の様子に王子は呆然としているようだ。
『王子!』
アルベラの後ろから通信機ごしの父の声が聞こえる。
「はい、公爵。ラツィラスです」
『王子、そちらは無事約束の場所に居ますか?』
「はい」
『では絶対にそこから出ないでくださいね。いま、少々厄介なことが起きてます』
「はい。見えてますよ。どうしたんですか?」
王子は困ったように微笑みながらアルベラの横に並び、窓から外を覗く。
アルベラは素早く、王子から丁度二メートルの距離を取る。「アルベラ嬢………」と王子は苦笑いを浮かべた。
『アルベラ? が、どうかしました?』
かなり小さな声だったはずだが、娘の名に父が目敏い反応を見せる。
「なんですか、公爵?」
『あ、いえ、すみません。気のせいですね』
「で、これは?」
『ツーファミリーはご存知ですね。やつらが急に暴れ出したんです。薬の売人たちに何か因縁でもあるのか何なのか………。あいつらに全部燃やし尽くされてはかないません。今屋敷の周りに控えていた兵たちを動き出させました。予定通り薬を撒きます。絶対にあちらへ近づいたり風下へ向かったりはしないでください。私の方も少し早く動かなければならなそうです。また何かありましたら連絡します。王子も何かあったらすぐに。良いですね。絶対にその場から動かないでください!』
「はい。了解しました。公爵のご武運をお祈りしております」
「ふっ」と短く息を吹き込み、王子は通信機を切った。
そして距離を取るアルベラへ目をやり、満面の笑みを浮かべる。
「さて、アルベラ嬢。ツーファミリーとはどんなご関係でしょうか―――?」
今の王子の笑顔には、純度の高い好奇心と地位を背にした圧がまぜこぜとなっていた。
「はい、お話します………」
アルベラは引きつった笑みを返す。
手に持った通信機からは、ツーの手下たちが好き勝手暴れる声や環境音がBGMとして流れていた。
「ちゃんと説明しますので、先に質問いいでしょうか?」
「はい、どうぞ」
「薬を撒くとは?」
「ああ。それは売人側の中心核の人たちを生け捕りにするために今晩公爵がやろうとしていたことです。街が寝静まってから屋敷の地下と二階から薬を充満させようと」
「な、る、ほど………。少々お待ちを………エリー! 聞こえる?!」
『うおらぁ! ざまぁみろぉぉぉ!!!………ん、嬢ちゃんか?』『お、嬢ちゃんか?』『よお、嬢ちゃんどうした?』
エリーに話しかけたが、自分の声も同じ木の一部を使用している者たちへ共有されることを忘れていた。アルベラの声に何人かのツーの手下が反応する。
(そうだった。まあ、これはこれで都合がいい)
「みんな! お父様が、公爵が、今兵を動かしてるみたいなの! 屋敷の中これから薬を撒くみたい! 出来るだけ急いで風上に避難して!!」
『おいガキ!』
リュージの声だ。
『エリーの譲さんならさっきハチローを連れてそっちへ向かったぞ』
「え、そうなの? けど連絡なんて………」
『ああ。俺らも別れてからは嬢さんの通信を聞いてない。もしかしたら手が離せないか、通信機を無くしたか壊れたか、だろう』
手が離せない。通信機が手元にない。となれば、嫌でも今出てこなかった最悪の図も頭に浮かぶ。
「え?! ね、ねえ! エリー死んでないよね?! 大丈夫だよね?!」
隣からニーニャの「ひゅっ」と息をのむ音が聞こえた。
『おい、嬢ちゃん、そりゃ姉さんに対してあんまりだぜ』とリュージではない誰か他のツーの手下が口を挟む。共に向こうの打撲音が聞こえる。
「心配だから聞いてるの! エリーって普通に強いよね?! 簡単にやられないよね?!」
『大丈夫だ! 嬢ちゃん!』
これはコーニオの声だった。何やらそばから男の泣き声が聞こえている。
『エリーの姉さん、薬の奴らなんか屁でもない位圧倒的に強かったぜ。これはつまらない励ましとかじゃないから安心しな。多分死んでは無いだろうさ! 信じて待ってやんな!』
その言葉に、アルベラは「小鬼のおじさん………」と感極まった声を漏らす。が、通信機の音はそのまま乱闘の最中にいる筈のコーニオの音声を嫌に明確に拾い続けていた。
『ああ、可哀そうになぁ。いてぇよなぁ、つらいよなぁ』
そのすぐ後に続く男の絶叫。
『ほらぁ! どうだ? そっちのいてぇのは感じなくなっただろ? けど今度はこっちのが痛くなっちまったよなぁ。大丈夫だ、安心しな。すぐにこのいてぇのも無くしてやるから』
男の泣きわめく声と、心底そこ男を同情し、手厚く介抱しているようなコーニオの声。
「え、ええ?? おじさん………?」
『お、嬢ちゃん、まだ聞いてたのか? すまねぇな、俺も今取り込み中でよぉ。見せてやりてぇな。今でっけえ図体のにぃちゃんの右半分の面の皮剥いでやってるとこなんだよ。薬で痛みが分からねぇってもんだから。とりあえず一発痛みを思い出させてやったんだが、そしたら今度は痛い痛いってよぉ。もう可哀そうでたまらなくてよぉ。爪は全部なくなっちまったから、こうなっちまうともう皮とか骨にてぇだしてやるしかねえんだよ………………………ん? どうした? ん? やっぱこっちまだ痛むのか? ………ったく仕方がねぇなぁ。じゃあとっておきの………あ!! 嬢ちゃん!!! 聞いてっか?! 良い事教えてやる!大事なことだ!』
まさかエリーや八郎の事だろうか? それとも伯爵?
無意識に通信機を窓の外遠くに投げ捨てるための構えをとっていたアルベラは、慌ててそれを胸の前に持ち直す。
『あんな、男ってのは死に際に大事なところがおっ立っちまうもんなんだよ! でよぉそれをこうやって―――や゛めぇ、やめぇ、でえ! やめでぇぇぇぇぇぇああ゛! ああああああ゛!!!!――――脹ら脛の肉とかを厚めに剥ぎ落してやってなぁ、その肉が暖かいうちにこれをこう包んで』
「ふっ」とアルベラは通信を切る。
(私、やっぱ人を見る目ないわ………)
「アルベラ嬢。今の方たちは―――」
「社会のゴミです」
即答するアルベラへ、王子は気圧されながら「そ、そうですね」と頷く。
隣のジーンは酷く冷め、軽蔑した目をアルベラへ向けていた。
「あんた、随分悪趣味だな」
「私は一時的に手を借りてるだけだから! あんなのと一緒にしないで、ちょっとその目やめてくれる??!!!」
アルベラは王子とジーンがやや引き気味なのを見なかったふりをし、説明を始めた。
八郎の事は「売人側に捕まっていた友人」と表し、捕まった仲間を助けようとしていたツーファミリーについでに手伝ってもらっているのだと話す。
「本当はこんな暴れる予定じゃなかったんですけど、ツーの捕まっていた手下の二人が実験でズタボロにされた挙句殺されたという事で、その報復としてこうなった次第です」
「なるほど」
王子は微笑んでいた。微笑んでいたが、その笑みは母と似た様な圧を含んでいた。
「これはグレーゾーンですね。アルベラ嬢の事、公爵に話すべきかどうか」
「え?! なんでです?!」
「だって、公爵の作戦を邪魔してこんな派手な騒ぎになってしまってるんですよ? これは薬側の仲間でないとはいえ、公爵の邪魔者であるのと同じことじゃないですか?」
「けど、私もこんなふうになることまでは聞いてなかったんです。ただ、ツーの手下と共に解放した私の友人は使用人に預けてここに届ける、という話しか聞いていませんでしたし」
「あんたな」
ジーンがあきれて口を挟む。
「さっき自分で『報復でこうなった』って言ってたばかりだろ。『こんなふう』になること、しってたよな?」
「うぐ………」
「アルベラ嬢、嘘はマイナスポイントですよ?」
クスクスと王子が笑う。
「僕が特に聞きたいのは、なんでご友人の救出をお父様にお願いしなかったのかってことです」
(ああ。確かに)
そこに気づくとは、王子侮れぬ。とアルベラは口の中に苦いものを感じる。
もしも薬の開発者が自分に力を貸してくれるような人間であれば、それを父の、国の下に流したくなかった。そんな下心から個人で動いていたわけだが。
私が連れ出したかったのは薬の開発者です、だなんて、公爵側の王子になど言えるはずもない。八郎が国から罰せられる対象である事は確かだ。伯爵や売人のボスに利用されていた立場だとしても、国がやすやすと逃がしたい人材のはずもない。
「私が助けたかった友人というのが、その………ちょっとした小悪党でして。というか、不審者でして。あ、実際悪いことはしてないんです。ただ、いろいろ言いがかりをつけられて立場の悪い人なんです」
「はい」
続けていいですよ、と王子は微笑んだまま頷く。
「なので、薬の人たち程罰せられないとはいえ、お父様たちに捕まったらきっと悪いようにされてしまうと思い、私個人としてその人だけでもこっそり連れ出せないかと思っていたわけです。そしたらツーファミリーと偶然出会えまして」
よし。なかなかいい感じにぼやかせたのではないだろうか。アルベラは一通り話し終えて息をつく。
「じゃあ、悪い人ではないと公爵に説明しては良かったのでは? きっとディオール公爵ならアルベラ嬢の言葉を信じてくれたと思いますよ」
(うっ)
痛い所をついてくる。だが、アルベラはそれについて丁度いい言葉を思い出してた。
―――『公爵は一部の人間から嫌われている』
「私の友人が、以前『どうしても君のお父様が好きになれない』と話していたので、つい………」
その言葉に王子はクスクスと笑った。
「まったく………ディオール公爵の評判にも困りものですね」
やはり、王子も父の悪評の事を知っているようだ。一体どんなものなのか。娘として大いに興味がある。絶対に知っておきたいものだ。
「あの、王子。どうでしょう? 私の言い訳は納得してもらえましたか?」
アルベラの苦し気に唸るような問いに、ラツィラス王子は「うーん」と楽し気に考える素振りを見せる。
先ほどからニーニャはエリーが心配でたまらないのか、こちらの様子をみつつ、窓の様子を見つつで落ち着かなそうにしている。正直、アルベラもそちらも気になって仕方なかった。だが、王子とのこのやり取りもおざなりにはできない。
「ふふふ。すみません。十分理解は出来ました」
どうなんだろう。先ほどからその笑顔にずっと振り回されている。判断しずらいのでジーンに目をやってみると、「これは大丈夫だ」とこくこく頷いて教えてくれた。
その姿に王子は苦笑する。
「大丈夫です。本当に、公爵にも他の誰にも、あなたがここにいた事は言いません。その代わり、お願いがあるのですがいいですか?」
まさか面倒な条件でも出してくる気だろうか。
アルベラは身構えつつ、「何でしょう?」と聞く体制を作る。
王子はにっと唇で弧を描く。その一見可愛らしい笑顔に、アルベラはごくりと唾をのんだ。
「花祭りの時期の、あの散歩の話。本当に人攫いに会ってないんですか? 本当に本当の事を教えてください」
くるりと好奇心の光を宿し、王子は大真面目に身を乗り出してそう言った。
(なんだ、そんなこと………)
というかまだあの話を引きずっていたのか、と呆れるが、何よりも大したお願いでなかったことにアルベラは心底安心する。
「ええ。この件が落ち着いたらお話しさせていただきます」
ため息をついたアルベラが顔を上げると、王子が目の前に立っていた。
「じゃあ仲直りです」
赤く透明な瞳は相変わらず奇麗だ。
アルベラはきゅっと眉を寄せ、素早く二メートルの距離を取る。両手は胸の前でぎゅっと握られていた。
「アルベラ嬢………」
王子は手を差し出したまま困ったように苦笑する。
そしてまた、ジーンはさも楽しそうに「くくく、」と声を殺して爆笑する。
子供たちがそうこうしている間に、ニーニャの見守る悪党たちの拠点となっていた屋敷の方では、公爵陣の薬が撒かれたのか火の手が収まり、奇麗にあの敷地内だけ白い霧のような物が充満していた。
それはこの距離から見ると、細密な作りのスノードームをひっくり返した後の様を眺めているかのようだった。





