42、今夜は 2 (屋敷潜入)
アルベラはごくりと唾を飲んだ。覚悟を決める。
言われた通りゆっくり振り返ると、もう我慢できないというように、ニーニャの方にいる人物が「ぷー」と派手に吹き出した。そして笑い声。声変わり前の少年のものだ。
自分の背後の人物の髪が、窓から入り込む風にふわりと揺れるのが視界に入った。月明かりに照らされたそれは、鮮やかな赤。同じ高さの赤い瞳。やや褐色気味の肌。
「ジーン?! ということは、そちらにいるのは王子?!」
ジーンは「ふう」と息をつくと、呆れた顔でアルベラの首から剣の柄を離し扉の方を振り向く。
窓枠に切り取られた明かりが床にへばりついている。その中に二人の人物の足が入り込む。歩みと共に、二人の全身像が照らし出される。
困った顔で胸の前で手を握るニーニャと、なんとも満足げに目元を緩ませたラツィラス王子だ。
王子は柔らかくも含みのある口調でこういった。
「こんばんは、アルベラ嬢。奇遇ですね」
***
かすかに人の呻き声がした、気がした。
俺は後ろを振り向く。そこには勿論何もなく、白く明るい光に照らされた灰色の廊下が続くのみだ。
(………ん? あ、そういや、そろそろ約束の時間か?)
「ま、いいか」
俺は頭を掻く。
まだ気にするには早い気がする。
ワズナーとヴァージルの顔を見に来たが、研究室を覗くと二人は作業に夢中になっていた。
あの会合の日、ゴウリウスの仲介によりこの二人は、俺達が勝手に呼ぶところの「魔力向上剤」の作業員となっていた。というのも、「提案」と、そしてこの二人の「希望」によるものらしい。
優秀でいて、それでいて向上心のある人材を提供するかわり、薬を安く手にいれたゴウリウスはご機嫌だった。薬のレシピに興味津々だった薬剤師二人も無事雇ってもらえ大満足といった様子だ。
唯一、開発者が共に薬の研究をさせてくれないのが不服らしい。
俺は部屋には入らず、入り口からあの二人含む下っぱ薬剤師達のおくを見る。扉を一枚隔てた先、小窓から断片的に見える小難しい顔をした小柄な初老の男を観察する。ワズナー曰く、あれがあの薬の開発者、この悪党どもの稼ぎ頭だそうだ。
この道一筋数十年、といった顔立ちだ。色白の顔に皺が深く刻まれ、実年齢はわからないが、きっと一回り余計に歳を食って見えている可能性もある。
(あんな薬作れんだから若返りの薬でも開発すりゃいいのに)
若返りは魔法や魔術では可能だが、適正の問題で技術者はごくわずかだ。単純に金さえあれば叶う話だがその壁はでかい。
「おい、お前」
「ん?」
後ろから声をかけられ振り替える。
俺を読んだ男は白衣ではないので、とりあえず薬剤師ではないのは確かだ。
「数日前に薬剤師二人と雇われた『カザリ野郎』ってお前か?」
「多分な。『カザリット』だが」
「そうか。まあなんでもいい。ボスがお呼びだ。二階のボスの部屋へ来いってよ」
いかにも悪役の下っぱといった風貌のそいつは、分かりやすくおれの名前には興味がない。用件を伝えるとさっさと階段を上がって何処かへ行ってしまった。
(ボス、ねぇ)
ここでボスと呼ばれる男の顔を思いだし、俺は苦情する。
(………あれがボスねぇ)
目的のボスの部屋へ着くと中はあわただしかった。具体的に誰かが暴れているという訳ではないが、「雰囲気」が荒れていた。
「どういうことだ?!!!」と、焦りや不安や怒りのこもった震えた声が室内から上がる。
「ほーう。ふむ。うむうむ」
扉の前腕を組み、中で何が起きているか想像してみる。が分かるわけあるか。
それに俺は空気は読むものでなく吸うものだとよく理解している男だ。
人に寄っちゃ無神経と思われても仕方ないような当たり前のノックをし、「呼ばれたので来ましたー。何でしょー」と、中の緊張感とは全く関係のない者らしい気楽な声を上げる。
部屋に入ると、3人分の視線が俺へ集まった。
部屋に居るのはボスとその護衛二人だ。
やせ型で、年に会わない若いチンピラみたいな恰好の細身で神経質そうな顔をした男が爪を噛んでいる。これがボスだ。そして、その後ろに机を挟んで壁際に控えた護衛二人。見るからに腕力に自信ありなヘビー級の男達。あいつらは常にボスについて歩いているが、そこに信頼関係はありそうにない。
現に今も、喚くボスに対し腫れ物を見るような目を向けている。
コイツらの関係を繋ぎ止めているのは偉大なるお金様だろう。シンプルで素敵な関係ではないか。その点は俺も同類か。
「お前!」
俺の今の『ボス』が俺を差し荒々しく呼びつける。
「なんでしょう?」
「こいつらより強いんだってな?!」
「はあ。武器を使えばですが。純粋な腕力じゃ敵いませんよ?」
「なんだっていい! 強いのなら今からコイツらと共に俺を守れ!」
「はーい。りょうかいでーす」とゆるいノリで返事を返す。別にこいつが好きになれないからとか、ボスの器を感じられないからとか、素直に従ってやるのが癪だからとか断じてそういうわけではない。決してない。
「で、…………………どうしたんです?」
ヒステリックに両手で頭を抱えるボスの様子があまりにオーバーなのでとりあえず尋ねてみた。
ぎょろぎょろした目は棚に向けられる。そして俺へ戻り、ボスは甲高い声で叫ぶように告げる。
「侵入者だ!!! 公爵の手の者かもしれん!!!!」
「はあ。………はあ?? いやそん………………いや、なぜ公爵が?」
「さっき街の情報を探ってる係の物から連絡があったんだ。こちらの行動が公爵側に漏れていると。隣国への商売の日程まで割れていたらしい。まだ薬が予定の量もそろい切ってないって言うのに! ディオールが明日の晩にでも兵を放つとか言う話だ!! ………………なのにどういうことだ。今晩のうちに侵入者? この屋敷の構造を探りにでも来てるって事か? それにしてもなぜこれを?! あいつ、まさか公爵に助けでも求めたってのか? だがあそこまでの距離は離れられないように………………………」
その後半はほぼ独り言だった。ボスはあたまを抱えたまま「クソッ、クソッ」と繰り返す。ぎょろぎょろと動きがオーバーな瞳が見つめる棚の一段には、真ん中から真っ二つに割れた丸い小物入れがあった。
「クソックソックソッ! あ゛あ゛ーーー!!!!! どうして、どうして、どうして!!!!」
俺が目を向けると、がたいの良い男達はおどけた顔で肩を上げて見せた。
(へぇ。公爵が。明日、か)
これはまた面白い話だな、と俺はこみあげてくる笑いを口の端が少し上がる程度に抑えた。
***
「場所は任せろ。あいつが案内する」
屋敷の敷地内に入ってすぐ、リュージが示したのは二匹のネズミだった。
室内にはまだ侵入せず、街側に面する方の屋敷の壁際に待機する。
「こいつは箱。こいつはハチローの元です」
190㎝もある大きな体格を、頑張って小さくしギエロが説明する。
箱は林側に面した窓から侵入。ハチロー側は街側に面した窓からの侵入となる。
「盛大に壁の一つでも破壊して入っていってやりてーが、障害物が増えると面倒だ。あいつらが外に出るまでは隠密にな。分かったかテッソ」
「大丈夫ですよ! 確かにこの中だと俺が一番雑ですけど、ちゃんと手順は守りますって!!」
誰がどちらへ行くかは事前に決まっている。
ギエロ、コーニオ、が箱と仲間の救出。リュージとエリーとテッソは八郎の救出だ。
「A班、突入開始」
リュージが通信機に声を通す。そしてそれに習いエリーも伝える。自分の使えるお嬢様に出来るだけ現状が伝わる言葉を選びながら。
リュージの班のみ通信機を3本所持している。他の班は破壊が主だが、この5人に限ってはやる事が少し厄介なためだ。
一つはリュージ、一つはエリー、一つはギエロが持ち、それぞれの作業状況を伝えあう段取りだ。
「ギエロ、コーニオ、頼んだぞ」
二人は頼まれたのが嬉しそうに返事をし屋敷の裏側へと回っていった。
残された三人も、小奇麗装いの正面から予定していた窓を使い中へ入り込む。これから目的地に着くまでに数人のメイドと出会う予定だが、使用されてない部屋も特定済みだ。出会った者たちは問答無用で全てその部屋へ閉じ込めていけばいい。
ギエロとコーニオは正面よりも人通りの多い林側へと回り込む。だが、ネズミたちのリサーチによりこちらの大まかな地理も顔ぶれも理解しきっている。
一階は主に都合のいい人手の集まりだ。人の出入りも多く、新参者が入ってはいつの間にか入れ替わってるらしい。去ったものは果たしてどういう理由でどこに消えたのか。それにつては情報があやふやだった。二階になると立ち入りが制限されている。
なので二人は堂々と裏扉を使用し中へ入る。扉にはナンバーを揃えるタイプの鍵が二つかけられているが解くのは容易なことだった。
廊下に沿って歩いていると扉の開けられた室内に雇われた人手が寝泊まりしているのが見えた。
「おい」
一つの部屋、暇そうに一人で腰掛けていた男が通り過ぎようとしてギエロとコーニオに声をかけた。
「あんたら新人か?」
「あ? ああそうだ」
図体のでかいギエロが、咄嗟にコーニオを後ろへ押しやり答える。小柄なコーニオはあっさりとその体に押され後退した。
「やっぱそうか。契りの痕ないもんな。契約は二階の角部屋だけど、今ボスは地下に行ってるはずだ。勝手に上がるとどやされるからこの先の部屋で呼ばれるのまってた方がいいぞ」
(契りの痕………口止めの儀式の事か)
ギエロは部屋の中の男の左手を見る。小指の付け根にぐるりと細い指輪をはめているような切り傷があった。
「ここにいる面子全員に口止めの術施せるなんて、やっぱ儲けてるって噂は本当だったんだな。いやー、来てよかった」
ギエロはにっと歯を見せる。
「ああ。金に関しちゃ安心さ。最近は前よりも羽振りが良くなってる。いいタイミングで来たぜあんたら」
「そうかそうか。ありがとよ兄ちゃん。ちょっくら奥行って時間潰してくら」
部屋の中の男が見送る中、ギエロが歩き出すと、後ろへ押されたコーニオがようやっとその影から開放され姿を現す。「ありがとよ、兄ちゃん」とあけ放たれた扉の前で人が好さそうな笑顔を浮かべ、コーニオはそこを後にした。
部屋の中、「儀式済んだら来いよ。この部屋の奴ら乗り悪くて暇してんだわー」と男はひらひらと手を振った。
その声だけを聞き、コーニオはニシシと笑った。
「なぁんだあのにーちゃん。普通に良い奴じゃねーか」
「ったく。あんたリューさんの言葉覚えてんだろうな」
ギエロが困ったように低い声で威圧するように問う。
「わかってるさ。障害物を増やすな、だ」
「ああ。障害物を増やすな。隠密に。いいか、『隠密に』だ。まだ誰にも手を出すな。あんたがそれやり始めると長くなるの知ってんだからな」
そう言われ、コーニオはローブの下掴んでいたモノの柄から手を離した。外目から見えないその柄の先は錆付いた目の粗いノコギリだ。反対側の腰近くにはナタがしまわれていた。
「すまんすまん。つい職業病ってもんだ」
両手を胸の前で閉じたり開いたりして「もうしませんよ」と表現して見せるコーニオ。
悪戯好きなおじさん程度にしか見えないその姿に、ギエロは低く呆れた声を漏らす。
「ったく。元肉屋の拷問狂め」
L字型の二階建ての屋敷。その二階。
二人は目的の扉の前に着く。閉まっている鍵を、ギエロが器用に針金で開く。
ネズミから得た情報で扉の四隅に魔術が施されているのを知っていたので、それを段取り通りに一時凍結させ中に入る。
「はぁー。ギエロの旦那流石だなぁ」
「鍵開け位ならあんたにも教えたろ。次は頼む」
「魔術が無ければやらせてもらうよ。手がなまっちまうもんなぁ」
中に入ると、たったった、とネズミが一直線に棚へ向かう。
ギエロは歩きながら腰にぶら下げていたナイフを取る。ポケットから陣の書かれた紙を取り出すと、そこに魔力を注ぐ。
ネズミが向かった棚は上半分がガラス張りになっていた。それを棚の裏に回ったネズミが穴でもあけていたのか中に入り込んでいる。上から二段目の、真ん中に置いてある上品な装飾を施された小物入れの横に立つと静かにギエロが来るのを待っていた。
「コーニオ、人はいねぇか」
「ああ」
ギエロは中のネズミに退くように指示する。そして迷いもせずに棚のガラスをたたき割る。
「いいんですかい? そんな荒っぽいことして」
扉の前のコーニオは呆れていた。
「良いんだよ。どうせすぐおさらばだ」
ギエロは持っていた紙の陣がちゃんと赤く光っているのを確認し、それをネズミの示していた小物入れの上に被せ、握っていたナイフを勢いよくその中心に振り下ろした。
紙が四隅を引っ張られた様にぴんと張る。ナイフは紙を突き破り、先端を小物入れの上に当てた状態で制止した。陣が拡大し、紙からはみ出て、空中へと浮かび上がる。一吹きの風が起こった。空中に描かれた陣はその風に流される砂塵のように散ってきえる。
風が通り過ぎる際、ギエロとコーニオの耳に八朗の叫び声が風音に紛れて聞こえた。それは声を持たない箱が、自身の中に入れていた者の声を借りて発したかのようだった。
後には破れた白紙の紙と、真っ二つになった小物入れがもの悲しげに残る。
八郎にかけられた魔術の解除は一瞬で終わった。
ギエロは通信機を取だす。
「姉さん、リューさん、こっちは終わりましたよ」
『了解』とリュージの声が返る。
「じゃ、後は地下の実験体用の牢屋か」
紙とナイフを回収し、扉の魔術と鍵を元に戻すと、ギエロとコーニオは次の目的地へと進む。
地下には大きく分けると三つの部屋がある。八郎の研究室と、薬の調合室と、実験体用の牢屋だ。
八郎の研究室は隔離されており他の二部屋とは繋がっていないが、他の二部屋は一つの廊下で結ばれている。
ネズミは階段の隅を音もなく駆け、事前の調べ通り階段を下りてすぐ左へ曲がった。
二人はネズミの後を追い、左へ曲がり、更にその突き当りで右に曲がった。その先にはもう監禁室と牢屋だ。
次の作業の準備でいったん足を止め、ギエロは人通りの確認をコーニオに任せる。
コーニオは曲がった角から顔を覗かせ薬剤師たちが薬を作る調合室とやらの方を覗く。調合室の前はこちらと異なりやや賑やかだ。と言ってもいる人種が上の階とは違うため、皆小声で薬について話し合っているようだ。
そんな中、薬剤師ではなさそうな青年が階段を降りてきて、調合室に向かって歩いていくのが見えた。上にいる者たちより若干動きやすさを重視したような恰好。とび色の髪。前髪が顔にかからないよう、布を頭に巻いて留めている。腰には剣。
(へー。あのあんちゃん、良い赤身してそうだなぁ)
コーニオは身を乗り出す。
「………うんげ」
そしていきなり後ろから襟首をつかまれ、壁の角から頭を引っ込めさせられた。ついうめき声をあげてしまう。
「な、なんだいギエロの旦那。急に苦しいじゃねーか」
「おまえなぁ、コーニオ。何度も言わすな」
そう言われ、コーニオは自分の左手が腰の柄を掴んでいたことに気づく。
「へ、へへへ、すまねぇすまねぇ」
笑ってごまかすコーニオ。
「あともう少しの辛抱なんだからな。頼むぞ」とギエロはネズミを追って捕らえられた仲間の元へ向かう。





