406、地下水路にて 3(素敵な金貨)
「あぁ、もう、いったい誰がこんなこと……大自然の川ならまだしもこんな街中の水を浴びることになるなんて……」
今回の不幸を愚痴りつつ「このままくっ付いてたら邪魔だろう」とアルベラは歩きながら、未だに自分の手首をつかんでいた子供の手を引きはがした。
「ガルカ、あなた魔力が使えるなら皆の服乾かしてよ」
「はっ。なんで俺が」
「命令……いや、お願い。びしょびしょで気持ち悪いの。印なら私が書くから、あんたはそこにほんのちょっと魔力を流してくれればいいか――」
「ほう。『お願い』か。ならその願いをかなえてやったらそれ相応の褒美をもらおう」
「やっぱいい」
「おい」
ガルカの不服そうな視線を受けるも、徐々に大きくなる子供の声にアルベラの意識がそちらへ逸れた。
「……かないと……つれてかないと……」
子供が両手を持ち上げ空を搔きはじめる。子供を抱えていたビエーは「おい、こいつ」と自分の頭を引いた。子供は瞼を半分持ち上げ意識を取り戻していた。しかしどこを見るでもなく視線が定まらないまま「へび…へび……いかないと……つれてかないと……」と繰り返し、ビエーの顔をぺたぺたと触り、挙句手につくものを握りだした。
「こいつ……おい……ぺっぺっ……勘弁してくれ」
鼻を掴まれたり口に手を入れられそうになったり、子供との攻防を繰り広げるビエー。
目を覚ましたというのに先ほどより濃い悪夢にうなされている様子の子供に、アルベラだけでなくガルカも眉をひそめていた。特に引っ掛かるのが子供のうわごとの内容だ。
「『へび』……『つれてかないと』……って、はぁ……」
アルベラは嫌な予想をしその確認も込めて子供の片手を左手で握った。するとどこも見ていなかった子供の焦点がアルベラへと向けられ落ち着きを取り戻す。ビエーの頬に突き出されていた片手も引き寄せ、アルベラの左手を大事そうに両手でみぎり絞めた。
「妹……さがして。……やらないと……いかないと……」
落ち着いた子供の様子に三人が得た一つの確信――この一件の目的は間違いなくアルベラ・ディオールだ。
アルベラはうんざりとこめかみを抑える。
「大伯との一件が落ち着いたんじゃなかったのか? 次は一体誰だ?」とビエー。
「わかるわけないじゃない……心当たりが有りすぎるわ」
(水路か……。お父様がストーレムの領主になってから前領主の取り巻きだった貴族たちを降格させて町の整備に充てた件……。特に水回りの整備に回した家門の反発が大きかったって聞いてたけど、その腹いせに娘を地下水路に閉じ込めたとか? ……けどあそこは前党首が高齢で代替わりして、今の党首はディオール家に大きな反発心を持ってないはずだし、私を使ってお父様を脅すならこうしてさ迷わせてる意味が分からないし。……まさかクラリス・エイプリルが侍女の仇討ちにこんなことを……? 城の尋問員の証明書のおかげで形だけとはいえ大伯家から謝罪の手紙とお詫びの品をもらったばかりなのに、大伯家がそんな暴挙許すかな……)
アルベラの脳裏にそんな考えが浮かぶが今はまだ正解の確かめようはない。
アルベラたちが歩き出して数分。早速右手に分岐となる道が現れる。今歩いている道に垂直にぶつかり合流する道。
「……」
ビエーは横一文字に口を閉じ、兵士の二人は何かを話しながらその道を前に止まっていた。
「どうしたの? 何かいた?」
アルベラはビエーの陰からその道を覗き込む。何もない。薄暗い道が続きその中央に水が流れているだけだ。どこも同じような風景。レンガ造りの壁、薄い明かりに反射する苔。
「……確か、ここに道はなかった」
「え? けど……」とアルベラは否定したい気持ちを抑え、己の過去に見てきた村や森を思い出し「いや……」とこぼし、少々の時間をもって受け入れがたい気持ちを何とか認め――
「――それってつまり……」
「空間が混ぜられてやがる」
「――――――――っ!」
でしょうねぇ! そうでしょうとも! 人を引きずり込んだなら逃がさないように迷いの魔術もセットなのが常套手段てものでしょうとも!
今まで何度も痛い思いをさせられてきた魔術だけに、アルベラは悔しさに拳を握った。
(迷いの魔術クソくらえ……!)
怒りに肩を震わすアルベラだが、それを恐怖ととらえた兵士が「俺たちがいるので大丈夫ですよ」となだめる。
ビエーの話によるともう少し歩いたところに水路は左へ分岐していたそうだ。その道へ曲がって入り、程なくして先に地下へ入った兵士たちと出会ったのだという。
「俺たちの知るこの国で一般的な魔術なら空間内の印や陣を消してまわりゃぁいいが……」
ビエーのつぶやきに共に流されてきた兵が「そうですね」と頷く。彼と話しながら歩いていた兵も「とりあえず壁や天井にそれらしいものがないか注意しながら進むか」と、仕方なしといった様子で頭をかいた。
腕を失った兵士は「くそっ」と壁にこぶしを打ち付け、こみ上げてくる感情をか痛みかをこらえるように歯を食いしばり、重たそうな足を持ち上げ先へと進んだ。
兵士たちの会話を聞き流しながらアルベラは空中に印を描こうとしていた。だがやはり、この魔力を抑え込む魔術は健在なようだ。印の一片も描くことができず息をつく。
(服を乾かすのは当分お預けか……)
濡れた靴のなんと履き心地の悪いことか。いっそ裸足になってやろうか、と下を見たアルベラの視界の端で何かが光る。
「ちょっとビエー、そっち」
と片手にくっついた子供のこともあり、その子供を抱えているビエーに了承を得て足を止める。視界の端でわずかに何かが光ったのは見間違いではなかった。アルベラは道の端に落ちていたそれを拾い上げ不思議そう見下ろした。
「――どういうことだ? まさかミックが金貨を独り占めしようとして二人に切りかかったとでも? 確かにあいつはがめついけど、さすがにそこまでするような奴じゃないだろ」
「いや……分からない。けど金貨は俺よりスムオクの方が拾ってて……勿論ミックが一番夢中になって拾ってはいたんだが。そしたら急に金貨を拾ってたスムオクの腕を、あいつ……剣で……容赦なく切り落としやがったんだ。どうしたのか、なんでこんなことしたのかって聞いてもぜんぜん答えないし、けど何か様子は変で……興奮してたっていうか、怒ってたっていうか……」
「…金貨になにか呪でもかかってたんじゃないか? そういえばミックの腕はどうした? 拾えたのか?」
「腕は水に落ちたよ。回収する暇もないさ、逃げるのに必死だった。幸い追ってきて無かったようだが。――金貨については……その可能性もあるかもな。他の魔術や魔法、魔獣の可能性もあるかもしれないが……」
「そうか、わかった。じゃあ金貨には注意しよう。皆さんもこいつの話聞いてましたかね? もしかしたら怪しい金貨が落ちてるかもしれないので気を付けて……」
アルベラと共に流されてきた兵士――パーシヴァルが振り返ると道の片隅で立ち止まる紫髪の少女の姿。その手には金貨がつまむように持ち上げられていた。
「……きん か」とアルベラ。
やってしまった。
アルベラの顔にはありありとそう書かれていた。
アルベラの後ろからガルカが「ぶっふ」と噴き出す声が聞こえた。
「すみません。危ないものじゃないと思って……つい……」
魔力も使えない状態で、見た目だけで判断し手を出してしまった事をアルベラは恥じる。
(この世界には得体の知れない物がわんさかあるって言うのに、私としたことがなんて軽率な……)
「仕方ないですよ、金貨なんて落ちてたら誰でも拾いますって」
「そ、そうですよね……誰でも拾います、よね…………でしょう、ビエー?」
うっかり「公爵家のお嬢様も金貨は拾うんだな」などと思ってしまったビエーはさっと目をそらした。
パーシヴァルと話していた兵士は軽い調子で頷く。
「そうだな。パーシヴァルの言うとおりだ。お嬢さん、それに触っても何ともないか?」
「え? えぇ」
アルベラは体も精神も何ともなさそうなことを確認する。拾った金貨をよく見るもただの金貨にしか見えない。純金製であろうこの国の物ではない、見たことのない言語が描かれたとても古そうな金貨だ。
「けど……もしものことを考えて俺が持っておきましょう」
パーシヴァルという兵が手を差し出す。きっと仕事に真面目な青年なのだろう。アルベラが彼の顔を見ても金貨への下心など全く見つけられなかった。ただ単に「危険物かも」と警戒しているだけのようだ。
アルベラは彼へ金貨を渡そうとした。だが――
「いや。俺が預かる」
もう一人の兵が先に出された青年の手の上に重ねるように自分の手を差し出す。
「クレバー、何を」
「安心しろよ。猫ババしたりしないさ。さっき拾ったのとまとめておいた方がいいだろ? ほら、ここに入れてくれ。ここから出たらちゃんと所の検知にかけるさ」
パーシヴァルに ”クレバー” と呼ばれた兵は肩をすくめた。
「な? いいだろお嬢さん」
「――そう。じゃあお願いするわ」
自分を見下ろす目を見て、アルベラは金貨を差し出された巾着――たぶんクレバーの財布だ――に入れた。
「どうも。……そういえば君、そんな髪の色だったかな? 外で見たときは金髪だった気がしたが」
クレバーに問われアルベラは素直に認める。
「ええ。今日は気分で金色に染めてたんだけど、さっき水に流さたときに落ちちゃったみたい」
「ははは。災難だったな。けどその髪色も素敵じゃないか。なんでわざわざ染めるんだ?」
「気分転換よ。いつも同じじゃつまらないじゃない」
「そうか? 女のお洒落心は難しいな」
(一瞬この人も狂ってるんじゃないかって思ったけど、意識は正常そうね。ミックって人はなんで急に錯乱したんだろう。この空間のせいとかじゃないといいけど……)
――「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「――!?」
先から反響して聞こえてきた叫び声に一同の空気が凍る。
この状況をなんとなく理解し始めていいたガルカだけが「やっとお出ましだな」と他人事のようにぼやいていた。
――「てめぇ! ふざけんな、これを奪いに来たのか!? そうだろ!? 誰がお前なんかに渡すかってんだ!」
奥からこちらへかけてくる兵士の声。先へ行ってしまった片腕の彼だ。足がもつれ転びでもしたのか、彼が地面に倒れこんだであろう鎧の音が聞こえた。
――「うわぁ、やめろ! 来るな! くるな ぁ……………………っが、ふ」
「は、はは……ミックか?」
パーシヴァルという兵は乾いた笑いをこぼす。
「あいつ、まさかスムオクを?」
殺したのか? ということまでは口にせず、パーシヴァルはじっと奥から誰がやってくるか確かめようと目を凝らしていた。
アルベラの前にビエーがたつ。アルベラが子供を預かり、いつでも後方へ走れるようにと体制と心の準備を整える。
何か、奥からカチャカチャと物をあさる音がしていた。それはすぐに目的の物を見つけたようで、歩く音を隠すことなくこちらへとやってきた。
薄暗い空間の先、警備兵達と同じ恰好の男が現れる。
「ミック! お前――!?」
仲間への非難に声を上げたパーシヴァルだが、突然わき腹を襲う熱と喉をせり上がってきた血に「は?」と目を丸くする。
「な、なんで……クレバ こんな……」
「金貨は全部俺のだ!!! 誰がお前らなんかに渡すか!!!!」
クレバーという兵士は先ほどまで仲良く話していた同僚を迷うことなく斬り捨てる。
軽装の防御の合間から、パーシヴァルはざくざくと剣をつきさされ頽れる。
「み な……にげ」
彼は血を吐きながら最期にそう言い尽き果てた。逃げろと言っていたのに助けを求めるように伸ばされた腕がぽとりと地に落ちる。
「くそっ! ミックとスムオクだけを片付ければいいと思ってたのに何でこんなに増えちまったんだ! ネズミみたいに! うじゃうじゃと! 俺の! 邪魔を! しやがって!」
クレバーは言葉と共に同僚の遺体へ剣を突き立てる。ふーふーと息を荒立たせ振り返るクレバー。
アルベラたちは猛獣を前にするように、刺激しないよう正面を向けたままゆっくりと彼から距離をとっていた。
「子供を抱えたまま走れるか?」
ビエーが問う。
「ええ」
「なら合図したら走れ。多分あれくらいなら魔法がなくたって始末できるが一応ある程度は距離を取って様子を……」
ビエーは言葉を切る。クレバーの奥からくる人物の音が、影がだんだんと濃くなっていた。アルベラもそれに気づいていた。タッタッタ、と響く足音。このまま ”彼” がこちらに来ればどおなるか――想像は容易かった。
「ははは、はははははは! いいさ、お前たちも全部片づけてやるよ! そうすりゃここの金貨は全部俺のも の、」
クレバーの首から銀色の刃が突き出る。
「金貨は全部俺のもんだぁぁぁぁぁぁ!!!!」
ミックという男だ。彼はクレバーの首に刺した剣を引き抜き、わめきながらさらに相手の体を切り付ける。他の兵士達より体格がいい彼は、手荒くクレバーの肩へ剣をたたきつけそこから先を切り落としてしまった。
アルベラは反射的に手をかざすがそこに水も風もおこらない。
(そうだった……魔力……)
アルベラの前にビエーの片手がかざされる。
「いいから下がっててくれ。邪魔だ」





