404、地下水路にて 1(少年の頼み)
「ねー、ベーラ様。これ取ってー。ジムニーにつけられたぁ」
「ベーラさまー、まほうー! まほう見せてー! すっごいの!」
「ベーラ様! 手紙の返事はいつ来るのよ! 先週もその前も出したのに本当にないの!? もしかして私への返事を隠してるんじゃ――」
「ははは。最近は皆、すっかりベーラ様にもなれたみたいですね」
擁護施設セキレイ園で頼まれた買い出し中。アルベラはブレントという園に勤める青年と数日分の食材を抱え街を歩いていた。今日の午前の様子を思い出しブレントが楽しそうな笑みを浮かべる。元貴族であり現平民である彼は貴族という地位への未練を一切感じさせない暮らしぶりをしているようだった。そういった情報をきいていなければ、アルベラも「この人礼儀正しいな」と思うくらいで彼が元貴族だったという事実には気付けなかったことだろう。
エリーとビエッダを少し離れたところから護衛させ、金髪紫目にそばかすを乗せたアルベラは「そうですね」と呆れ交じりに頷く。
「幼い子はともかく……慣れすぎて遠慮がなくなってきた子についてはどう捉えるか……」
(特にチェルシーの奴、ベーラが男爵家とはいえ貴族を伝書鳩みたいに扱うなんて神経図太すぎじゃない?)
ブレントからは「あぁ……」という苦笑と「あの子たちにとって良くないことはどんどん注意してあげてください」という助言が返るも、チェルシーに限ってはもうただの注意では効かなくなってきていた。
(口だけの脅しじゃなく何かしっかりとしたお灸が必要か……)
道の先を眺め考えるお嬢様だったが、それは置いといてとブレントに視線をやる。
「ブレントさん、あの――」
一瞬彼の瞳が光一つない真っ黒な穴になっているかのように見えた。しかしそれはほんの一瞬。アルベラは見間違いだろうと思いつつじっと彼の顔を見ていた。
「どうかしましたか? ……ははは、私の顔に何かついてますかね?」
しっかりと生気が宿った黒い瞳。「そんなに見つめられたら恥ずかしいんですが……」と恥ずかしがりながら冗談交じりに笑う姿も人間味があった。
アルベラは我に返り「あ、すみません」と目をそらす。
(影になっていただけ……だよな)
「ベーラ様」
「はい」
「気のせいだったらすみません。何か言いかけてませんでしたか?」
「いえ……あ……私の友人が今後セキレイ園の見学に来たがっていて。勉強熱心な子なので……こういうのってムウゴ園長に頼んだらご許可いただけるでしょうか」
その友人とはスカートンだった。件の罰で休日に養護施設にいっているという話をしたら、癒しの教会の支持する養護施設を見てみたい、と興味を持っていた。なんだかんだで中期休暇に入ってからの話となってしまいそうな気配だが早めに聞いておいて損はないだろう、とこうして訊いてみたわけだが。
「へぇ……お友達……」
とブレントは目を瞬かせる。
「セキレイ園に来る貴族の子達は、大半が何かしらの罰で嫌々来てたからこういう例は初めてでして……。あ、でもきっと園長は喜んで受け入れてくれると思います」
(私も罰できた内の一人だからな……。あんなことがなければ自らここに来ることなんてなかっただろうし。あの聖女様の指示でっていう事実がなければ、ここでの学びも素直に受け入れられるところなんだけど)
「ありがとうございます。近々園長にお願いしてみます」
たわいのない話をしながら二人は買い物を済ませ園への帰路をたどっていた。
途中、土手下に地下へと続く水路の入り口が見える道を通りかかったときのことだ。
――どん
後ろから駆けてきた子供がアルベラへぶつかった。
「わぁ」と声を上げた子供は十歳前後の少年だった。少々痩せ気味であるがそれよりもどこかうつろな目をしているようにも見えるのがアルベラは気になった。
「大丈夫かい?」
とブレントが子供を持ち上げ立ち上がらせた。
子供は視線をふわふわとさせながら「あっち」と指さした。彼が示したのは地下水路への入り口だ。水路の奥からは水が流れ出ており、その左右には水路に沿って人が通る用の道が設けられている。大きな蒲鉾上の入り口は、通常なら関係者以外入れないよう太い格子で塞がれているのだが、よく見たら端の方の格子がひしゃげていた。
少年はふらふらと定まり切らない指先で、その穴のあたりを示そうとしているようだった。
「あそこ、妹……さがさなきゃ」
ぐい、と手を引かれ、アルベラはいつの間にかその少年が自分の手をつかんでいることに気が付いた。
――ぐ……
「……」
――ぐぐ……
「……」
――ぐぐぐ……
「……」
引っ張る少年。だがそれに逆らいその場にとどまろうと堪えるアルベラ。
幸いにも少年の力はそれほど強くもなく年相応で、アルベラの力でも簡単に逆らうことができた。
「あそこに妹がいるのかい?」
と困った様子でブレントが尋ねる。少年は無表情な顔をブレントへ向けこくりとうなづいた。
「ベーラ様」
「そうですね、ブレントさん。ここは警備兵に任せましょう。ビエー、子供が地下水路に入って迷子らしいわ。警備兵を呼んできて!」
後方へ声をかければ合流しかけていたビエーが「へいよ」と反応し、エリーはそのままアルベラのもとへとやってきた。
「あ、……まぁ、そうですね。それがいいか」
とブレントはアルベラの手早い指示に頭をかく。
「けど」と彼は子供を見下ろし、舗装された土手下の水路へと視線を移した。
「ちょっと心配なので軽く見てきてもいいですか? 手前の方で呼びかける位にとどめますから。もしかしたら警備兵が来るまでに見つけられるかもしれませんし」
「そんなにどこの馬の骨かもしれないその子が心配ですか?」
明らかに良しとしてなさそうなアルベラの表情にブレントは苦笑いをこぼし「そんなに奥まで行きませんから。職業柄心配で」と許しを請う。
アルベラは厳しい視線を子供に向けるも、少々考えてから口を開く。
「――では、私は入り口で待ってます。エリー」
「はい。私もお嬢様と共に」
エリーの返答にアルベラは「それでよし」と頷く。そして、
「今日、ガルカがついてきてるんですってね」
「え?」
エリーは初耳の様子だった。養護施設での護衛などつまらないだのなんだのさんざん言っていたあの魔族が来ているとは気配の一つも感じていなかった。
「コントンが言ってた」と小声でアルベラが伝えると、エリーも「それなら間違いないだろう」と納得する。
「ガルカ! いるなら出てきなさい! 出てこないなら無理やり(コントンが)引っ張り出すわよ!」
ぽかんとしているブレントにアルベラは「もう一人の護衛です」と伝え数秒待つ。
「うるさいぞ貴様。恥ずかしくないのか」
声がしたのは地下水路の上に構えられた歩道のほうだ。見ればずっとそうしていたかのように、歩道の手すりに肘を乗せ、こちらを眺めているガルカの姿があった。
「恥ずかしいのはどっちよ。あんなに養護施設への護衛を馬鹿にしておきながらついてきてるなんて。気になるなら素直にそういえばいいでしょ」
ガルカはが四人のもとへやってくる。もの言いたげなエリーから刺し殺すような視線が向けられるが彼はそれを当然と無視した。
「違う。散歩のついでに見ていただけだ」
「そう? まあ何でもいいけど命令よ。こちらのブレントさんを少しの間護衛しなさい」
ガルカから「はぁ?」という嫌そうな声が返り、ブレントからは「私は一人でも大丈夫ですよ」という遠慮が返る。
「こう言っている。いらないそうだ」
「いいえ。ここで何かあったら我が家の責任問題よ。なによりあの聖女がまた難癖をつけてくる材料が増えるじゃない」
「貴様はそちらが重要なんだろう」
「それは当然……ごちゃごちゃ言わない! あんたなら鼻が利くし子供一人いるかいないか確認するくらい楽勝でしょ」
「ふん」
「ということでブレントさん、こいつを護衛にどうぞ。いざとなったら盾にして逃げてください」
「は、はぁ……」とブレントは困惑しながら頷く。
「嫌だ。俺はいかない。なぜ知りもしない人間の護衛を俺がしなきゃいけない。そんなにこいつが心配ならそのオカマおと……ぐぐっ」
「あんたねぇ」とエリーがガルカの頭をつかむ。
「外でしかも人様の前でレディをそう呼ぶのは失礼ってもんよぉ~」
エリーはニコニコと笑んではいるがガルカを掴む腕は先ほどより若干太ましく、立派な血管が浮いていた。
「貴様こそそこらの人間よりは鼻も夜目も聞くだろう。そんなにオジョウサマの命令が大事なら貴様がいけば済む話だ」
「あんたねぇ、我儘も大概にないとそろそろ本気で割るわよ……」
ガルカの頭蓋が悲鳴を上げるが、エリーの片手を掴むガルカの両手もそれを何とか防いでる様子。
このままではらちが明かないとアルベラは「エリー」と諦めるようにその名を呼ぶ。
「お嬢様、そんな!」
とエリーが悲しげにアルベラを見る。同時にガルカから手を放し、解放されたガルカは地面へ落とされた。
「く、くく。ということだ、オカ……」
オカマ男、と言われる前にエリーがガルカの顔面を踏みつけようとし、それをガルカの片手が防いだ。そのまま踏みつけようとする足と、それを押し返そうとする手が拮抗する。
「ということでブレントさん、エリーをよろしくお願いします」
「は、はい……」
整備された細い階段を下りた土手の下。ブレントはエリーと共に「すぐに戻りますから」と言い少年をアルベラとガルカに任せ地下水路へと入っていった。
小川のような水路を横にアルベラとガルカと少年はブレントが入っていた格子を眺める。
ひしゃげた格子を眺め「なんでこうなったと思う?」とアルベラはガルカへ問う。「さぁ」とガルカは興味なさそうに答えともにいる子供を見下ろした。
「……こいつ、静かだな」
「そうね。この年の子にしては元気が」
「いいや。こいつの体の音の話だ」
「体……って、」
「――お待たせしました!」
若い男の声が割り込む。ビエーが四人の警備兵を連れてきたのだ。
ビエーはガルカを見て「あれ? なんでこいつが」と不思議そうにするが細かい説明は後だ。
少年が「妹がでてこない」と水路の奥を指さし、「確認してきます」と三人の兵士達が中に入っていく。一人の兵士は残り「あとは任せてください」と少年を預かった。
少年のうつろな目がじっとアルベラを見つめる。その瞳にはつい先ほど見たような既視感があった。
なんとなくだが早くこの場を立ち去りたいという思いにアルベラは駆られた。だが、まだブレントとエリーが戻ってきていない。
「連れが二人中に入ってるんです。彼らが戻ってきたら帰ります。ありがとうございま――」
水路から流れてくる水がアルベラに言葉を忘れさせた。
共にいた兵士も同様に、流れ出てくるそれから目が離せないでいた。
水路の水が赤く染まっている。
――これは一体何の ”赤” か。
ガルカ以外の一同がその光景に目を奪われる。
「何か来るぞ」と誰かが言った。多分ガルカだ。だがアルベラにとってそれはあまりにも一瞬で本当にそう聞こえたかも曖昧だった。
大量の水が水路から、静寂とともに噴き出す。前兆が聞えててもおかしくなかった、そんな量が音もなく突如あふれ出しその場にいた全員を飲み込んだ。
水に飲まれるまでは音など一切なかったというのに、飲まれた途端にアルベラはせわしない激流の音と衝撃に揉まれた。魔法でその身を守ろうと藻掻くが果たして役に立っているのかはわからない。誰かが自分の腕を強く掴んでいる。それが誰なのか、目を開けて確認することは叶わず、とにかく藁にすがる思いでその細い腕を握り返した。
――どっ……!
一拍おいて水が大きな音を立てて設けられた溝を凄い勢いで流れていった。
何の前触れもなく土手に大量の水が現れ、周囲にいた人々は驚き言葉を失う。だが、すぐに引いて行った水嵩に「おどろいたな」「いったいどうしたんだ?」「誰かが魔法でやらかしたか」とざわめきが戻ってきた。
――「おーい、大丈夫か? 誰か流されていないか!?」
――「水路に置いていた荷は!? どうだ!? 無事か!?」
――「ねぇ、さっきあそこに人がいなかった?」
――「人が流されたぞ! 警備兵を呼べー!」
あたりは元よりも騒々しさを増す。
人々はその水路の下流ばかりを気にし、水に飲まれた五人が上流側の地下水路の中へ引きずり込まれたなどとは誰も思いもしなかった。





