4、始めの一歩 3(彼は騎士見習い)◆
(ヒィ!)
「だ……!」と大きな声を上げてしまい慌てて「だれ?!」と声音を下げて言い直す。
ふり向くとそこには鮮やかな赤髪の、腰に剣を下げた少年がいた。
アルベラと同じ背丈の赤髪の少年は、不審者を見るような目で彼女を見ていた。
「あんた、さっきの誕生日会のお嬢様だよな? こんなところで何してんの?」
二階の部屋へ繋がっているであろうロープを握りしめ、大胆に壁に足をかける少女の姿は淑女とはかけ離れた物だった。
「え、ええ、そうよ。ここここんばんわ」
アルベラが何とか捻りだした声は、彼女自身今までに聞いたことがないくらい裏返っていた。心臓の音がバクバクと耳のすぐそばで聞こえる。
「あの、申し訳ありませんがどちら様でしょう?」
「ジーン・ジェイシ」
少年は愛想無く答える。
「ラツィラス様の側付きで護衛だ」
「護衛?」
(こんな子供が?)
というアルベラの疑問が伝わっていたのか、ジーン少年は若干むすりと続けた。
「騎士見習いだ。ちゃんと訓練はしてる」
「そ、そう。失礼しました、ジェイシ様。……ところでラツィラス様はまだいらっしゃったんですね」
(てっきり帰ったのかと)
「今、公爵と話してる」
「お父様と? 一体何のお話を?」
「あんたには関係ない」
ジーンは静かに答えた。
(つれないなぁ……)
教えてもらえないなら仕方ないし、とアルベラは他に人がいないかあたりの様子を見る。その様子にジーンはなんとなく察したらしい。
「俺だけだ。あっちとあっちに警備がいるみたいだったけど呼ぶか?」
「結構です」
「ふーん……。で、何してるんだ?」
「ひ、秘密です」
アルベラはにこりと微笑むが、ジーンは「人を呼ぶぞ」と淡々と返す。
「ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛……?」
「君は何を言い出すのかな?」と口にしない代わりに、変に濁点のついた疑問の声がのどから絞り出された。
もちろんこの屋敷のお嬢様の喉からだ。
同世代のお嬢様からは聞いたことのない可笑しな、または荒々しい声に、ジーンの片手は本気か冗談か腰の剣を触れる。
「あ、あら~……。驚かせてしまってすみません。どうか切らないで頂けると嬉しいですことね」
ほほほほほ、と誤魔化す様に口に手をあてて微笑む。
口調がおかしくなっていることぐらい自分でも分かっていた。
色々と逆効果だったようで、ジーンは身を低くし、更に本格的に警戒の姿勢となっていた。
「あんた怪しいぞ。本当にここのお嬢様か?」
(おま、いう………)
微笑みをたたえながら怒りの色も漂わせるその表情は、アルベラの母が怒っている時に浮かべる表情と物と瓜二つだった。流石親子。だがそのことにアルベラ本人が気づくことは無い。
このまま時間を食っていても仕方ない。
アルべラはロープを見上げジーン少年を見やり小さく息をついた。
「分かりました。ジェイシ様、聞いてください」
降参の意を伝えるように、ストンとその場に腰を落とす。招くように手を振って、口に手を当る。声を潜めたいのでもう少しこっちへこいというジェスチャーだ。
「……?」
あまりに潔い彼女の様子に、ジーンは釣られて彼女の方へ寄りしゃがみ込んだ。
(王子様の連れね……。良かった。こっちはぶっきらぼうではあるけど年相応って感じ)
ならば――こちらのペースに乗せて口封じをするまでである。
「実は、誕生日という事で浮かれてしまいまして、親の目を盗んで屋敷を抜け出したんです……」
興味本位で外に出たはいいが、別にこれ以上は何かしたりどこかに行ったりする気はないこと、すぐに部屋に戻ろうとしていたことを伝える。
「だからお願いです。誰にも言わず、秘密にしといて下さい。もうこういう事はしないと深く反省しました……。お父様にばれたら私、きっとこの先ずっと外には出られないかも……――」
どうか、と手を組んで祈るような姿の少女。少々演技がかって見えなくもないが、真の十代の少年にはどう映っていることか。
アルベラはつむった目を薄く持ち上げ相手の様子を盗み見る。
話を聞いている間、ジーンは特に責めもせず何かを言うでもない。静かに座っていただけだった。表情も薄いのか固いのか、何を考えているのかよくわからない。
そんな彼は、黙って窓を見上げ頭をかいた。
軽く目を伏せるその横顔は、一見何にも考えていなさそうでもあるがどことなく悩んでいるようにも見える。
ジーンは視線を落としたまま小さな声でボソッと呟く。
「まあ……ずっと家にいるって暇そうだもんな……」
(よし!)
アルベラは思わずこぶしを握った。が、ジーンが視線を上げる前に素早く下した。
ジーンは「これくらいあいつだって良くやってるし」とも零していたが、その言葉をアルベラは聞き逃す。
「もうするなよ。危ないから」
「え? ……は、はい!」
「先生が言ってた。『人を助けるのがわれらの使命だが、世の中みずから問題を起こすバカ者がいるからウンザリしてるって」
「はい……」
(し、しんらつ~)
その先生とやらは、きっと地位や権力というものに挟まれ理不尽に振り回されて苦労をしてるのだろう。
(騎士も大変なんだなぁ)
アルベラは立ち上がりながらスカートを叩いた。その様子をジーンがじっと見つめる。
(ん? あぁ……)
スカートの下にズボンも履いていたのでそれも気になったのだろう。
気が向けばテンションのままに街にでもと思い、その時はズボンを脱いで適当な場所に置いておこうと思ったのだ。とはいえ本当に街へは行く気はなかったし、その気が変わることもなかった。
「変な格好だな」
と呟くジーンに、アルベラはただ「そうですよねぇ……」と目をそらす。
「敬語、」
「……?」
「あんたの方が上なんだろ。だから敬語じゃなくていい。あと『ジーン』でいい。……ジェイシって呼ばれるの、あんま慣れてないから」
「そ、う……ジーン様」
「『様』もいい」
「そ、そう……けど『上』って……」
「生まれだよ。あんた公爵令嬢だろ」
「ええ……」
そうだけど、とアルベラはジーンの目をみた。
その瞳は髪同様に赤い。しかしあの王子様とは違い虹彩に沿って鮮やかな赤や金の筋がまばらに走っていた。
赤い瞳と言えば王族の象徴のはず。これも授業で以前学んだ事だった。
(そういう貴方は私を上って言う割にずっとため口だし、てっきりラツィラス王子の従兄弟か何かかと。他の公爵家じゃないってことは派生した家系とかかな)
王の子らで、王にならない者達は公爵の爵位が与えられる。そして公爵の跡取り以外の子らは大伯となり、更に大伯の跡取り以外は中伯となる。中伯の跡取り以外は準伯。準伯の跡取り以外は男爵。男爵の跡取り以外は平民。と貴族の子供たちは爵位を手にし、又は失っていく。
中伯の生まれで後継ぎではないから成人したら準伯の爵位を賜れる……と全員が全員順当にそうなるわけではないが、一般的なケースである。
(王族の血筋で遠い親戚……? 大伯以下の爵位かそもそも爵位がないとか)
アルベラの視線にジーンは顔を伏せて瞳を隠す。
「……俺は王族じゃない」
ジーンがぼそりとそう言う。
彼は伏せていた顔を静かに上げ、真顔にも見える複雑な表情でアルベラをまっすぐに見た。
「俺は王族じゃない」
「え? そ、う……」
とアルベラはそれだけ返す。
(そうか。王族じゃなくても赤い目って生まれるんだ)
知らなかった。だがまぁ、人間も動物だ。体の色なんてそんなものか。
彼女が思ったのはそれだけだ。だからなんとなく気まずく感じた空気に、なんとなくでフォローを入れていた。
「ええと……、鉱石みたいでカッコいいんじゃない?」
「――は?」
「王子様の方はルビーみたいで綺麗だとは思うけど……まあ、どっちもどっちという事で」
「は? 何言って……」
ジーンは暫しどう返したらいいか迷っている様子で、目を丸くしていた。
ぶっきらぼうな彼はふいと顔をそむけた。だが月が出て明るく照らされたアルベラの視界、彼の耳が赤くなっているのを見つけた。
(照れたのか)
素直じゃない少年の行動にアルベラの口元が揶揄うようにやける。
「なんだよ」
「いえ、何も。ではジーン様、私はこれで。ご心配をおかけしました」
「してないけど」という呟きに「あぁそうですか」とアルベラは内心で返す。
「登るのか?」
ロープを掴んで様子を見るアルベラ。
ジーンは壁から少し離れて尋ねた。
「さぁ……」
「『さぁ』?」
「けどやってみるわ。――じゃあね、ジーン様。街に出た際は騎士様の手を煩わせないよう気を付けるわ」
「おう……」
「よし、」と心の中で気合を入れロープを握る。
(降りてこられたんだもの。……大人に見つからないうちに、急いで、ぱぱっと、……ぱぱっと……――)
「――……?」
両足を壁につき、両腕でぴんと張ったロープを掴んだままアルベラは静止する。
――はて、……この使ったことのない筋肉はなんだろう?
そして両腕が限界を告げるようなこのプルプルとした震えは……?
***
(ふぅー……間に合ったー……)
その後、ロープでの帰宅を諦めたアルベラは、鍵の壊れた窓の存在を運よく思い出すことができ、そこから屋敷へと入ることに成功した。
使用人が会話の中で「一階の廊下の窓の鍵を明日修理する」と聞いただけなので、アルベラはその窓がどれを指すのかは知らず、死に物狂いで探す事となった。
ジーンも呆れていた様子だが探すのを手伝ってくれた。おかげで意外とすぐに見つかり、無事に帰ることが出来たのだった。
勿論ジーンには再度しっかりお礼を言っておいた。
(ぶっきらぼうだったけど、騎士目指してるだけあって根はいい子だった……のかな。……にしても、ロープを上るのがあんなに困難だったとは……知らなかった……)
想像していた時は梯子や木と同じような感覚でいたがあんな簡単なものではない。
体を持ち上げる筋力なんて、確かにこの十年使ったことなどなかった。お嬢様な生活しか送ってこなかったのだから当然だ。
(いつかの日のため、筋力トレーニングも必要かも……)
自分の二の腕をつまみ、「明日から少しづつ始めてみよう」とアルベラは呟く。
(――……ていうか待てよ。帰りは窓からじゃなくても良かったんじゃ……。こっそり散歩してただのなんだの適当な事言って、玄関からでも勝手口からでも帰れたんじゃ……)
「――――――――寝よう」
終わりよければすべてよしだ。
何事もなく誰にもばれることなく部屋には戻れ、お風呂にも入ってすっきりしたのだ。余計なことは考えなくていい、とアルベラは瞼を閉じた。
(これからはもっと筋力つけなきゃ……少しずつ筋トレ頑張ろう……)
アルベラはあっという間に眠りに落ちた。
その数時間後、ジーン・ジェイシが攻略キャラの一人である事を思い出し飛び起きる羽目になるのだが――安らかな顔で眠りにつく彼女はまだ知らない。