396、ピクニックとおふざけ 1(一日目の体験)
恵みの教会の端の席、彼は静かに祈りを捧げていた。深くかぶったフードの端からは、肩に乗せるように下ろされたひと房の銀髪が流し落とされている。
神の姿をかたどったといわれる円のモニュメントが、窓から差し込朝の光を受け金銀に輝いていた。もう少し時間が経ち、日が高く昇れば色鮮やかなステンドグラスが陽光を集め神の像を七色に染め上げる。
神の像の周りには弧の教会のシスターとブラザーたちが弧を描いて並び、神への歌を捧げていた。
あれも彼らの立派な修行の一つなのだ。歌を捧げることで体力や魔力が消費される。そして代わりに彼らは払った対価に比べれば微々たる聖力を授かる。単純に魔力量の受け渡しだけで言えば労力に見合わないとも思えるが、魔力を捧げ聖力を受け取るという過程で彼らの魔力を収める器を広げることができるのだ。修行のせいかは人それぞれ。それはがむしゃらに鍛えれば無限に効果が得られるわけではない体力や筋力と同じだった。
歌を捧げる聖職者たちの列、銀光の前列で歌うスカートンは教会の奥に座る「彼」を見つめていた。
今の距離は彼女にとって丁度良かった。近くもなく遠すぎずもなく、落ち着いて彼を眺められる距離。
(今日もいらっしゃってる……)
フードからこぼれる銀髪を見て「本当に恐ろしいくらいどんな装いも似合ってしまうんだな」と彼の美しさに畏怖と感嘆の混ざった感想を抱く。
試しに視界を切り替えれば、彼の周りを飛び交う精霊が彼の姿を覆い隠してしまった。
相変わらず、彼が神から受ける寵愛や恩恵は別格なのだ。そしてそれはここ最近、彼が教会巡りを始めてからさらに増していた。
(前は恵みの教会には用のある時しかいらっしゃらなかったのに……)
神への祈りを捧げるのは良い事だ。
だが、元より人よりも大きな器を持ちそこに多くの力を宿している者がさらに力を得ていく姿は、スカートンに言い知れぬ不安を抱かせた。
(どうしたのかしら――ラツィラス様)
(百何年前だっけ)
ラツィラスは胸の前に組んだ手を緩め像を見上げた。
古くから神を描く際に描かれた円。それは長く神の姿と信じられてきたが、最近では神と人々を繋ぐ環なのではと唱える学者も少なくない。最近と言ってもそれは百年単位で見た歴史でのことで、今の人々にすればその説も馴染み親しまれている物だった。
(ふふ……その頃の話、前にメイク様が話してたっけな……)
懐かしさにフード下のラツィラスの口元がほころぶ。
おっと、と彼は口に手を当て体の力を抜いた。
(そろそろ集中力がダメかな。清めに移ろう)
歌う聖職者たちを眺めれば、真摯に歌を捧げる同級生の姿があった。そんな必要ないだろうに、彼女はぎゅっと目を閉じて歌っていた。
(また逸らされた)
彼女がいつも、自分と目が合いそうになると逃げるように瞼を下ろすのをラツィラスは知っていた。
(もう結構長い付き合いだし、ちょっとは打ち解けてきてると思ったのになぁ)
ラツィラスは席を立ち出口に向かう。
それにしても、と彼は扉に手をかけて考えた。
(この間とは違う格好で来たのにまたバレた……。席もこの間と違うところに座ったのに、なんでだろう。目があそこから見えるわけないし……まさか僕のオーラ……?)
オーラという物は実際この世界には存在しないが、人を判別できる能力というのは幾つかある。魔力を視覚や嗅覚で認識できる者もいれば、聖職者であれば精霊を見れる者も――
彼女がそのどれかの能力の持ち主であれ、ただの勘であれ凄い力にはちがいない。
ラツィラスは念のためと指先を動かした。描いているのは認識阻害の陣だ。
「……やるな、スカートン」
「ふふ……」とこぼれた王子様の微笑み。不幸にも陣が完成する前にそれを見てしまった数人の通行人達は暫し目と心を彼に奪われてしまう。傍にジーンかアルベラがいたならその破壊力に呆れるか苦言を呈していたところだろう。
「おまたせ」
近くの店に預けていた馬を迎えに行き、ラツィラスは清めの教会へ向かった。
***
(クラリスのお嬢様があんなことをしたせいで預かっていた騎士について話せなかったけど……まぁいいか。どうせもう帰った騎士達が経緯については説明しているだろうし。こちらもあの侍女の件で警戒してすぐに騎士達を返せなかったって言い分もある。彼らには一切危害も加えてないし……)
セイレイ園から歩いて二~三十分ほどの場所にある、中央に池が設置された公園。池の周囲で戯れる子供達を眺め、アルベラはエイプリル家の件を少々思い出していた。
ディオール家につく前に殺されてしまった侍女。そしてその見張りとして共に馬車に乗っていた男。
エルゴを殺したのはその見張りの男であることははっきりしているらしい。
だが彼はそんなことをする人間ではないらしい。正しくは彼にそんなことをする動機がない、というべきか。
その監視の男に他の貴族とのつながりは一切なかった。ラーゼンが雇っている傭兵団の一員として長く、他の貴族に買収されるほど金に困っても居なければディオール家への恨みも一切ない。それどころかディオール邸で働く使用人とも仲良くやっていたとか。
ともなると、誰かに操られた説が有力だ。馬車の中に一匹のヘビが居たそうだが、そのヘビからは何も得られるものが無かったという。ヘビが魔術で操られていたなら何かしらの手掛かりは残るが、そうでない方法で動かされていたならその主を見つけるのは苦難の技だとか。
ヘビがただの囮の可能性もあり、そちらにばかり気を取られれば大事なヒントを逃す事にもなる。
ディオール邸では現在進行形で侍女エルゴの殺害についてできる限り手を尽くしているらしいが、今のところ得られた情報はないらしい。
「エリーさん、これどう?」
少し離れた所で少女たちとエリーが戯れる声が聞こえた。
「あら素敵。私には勿体ないんじゃないかしら」
「そんなことない! 今日はエリーさんを世界一の女王様にするって決めてたんだから!」
少女たちは周囲の草花で腕輪や冠を作りエリーを飾り立てる遊びにいそしんでいた。
(女王様ね……エリーがそれを名乗ると違うジャンルの女王様に聞こえてくる……)
真っ赤なヒールと鞭や蝋燭がお似合いだなとアルベラは想像した。
「ビエーのおっちゃん、こうか?」
また別の場所からはビエーを取り囲む少年たちの声。
「まぁそんなもんだ」
「俺は俺は!?」
「お前はもっと足開け。そんなんじゃすぐ動けねぇぞ」
「うす!」
「なーなー! 練習とか良いからもっかいあれやってー!」
「ほらよ」
「うおーーー!」
ビエーに放り投げられ草の上をころがる少年が見えた。
あちらはまるで子犬に群がられているようだ。
(意外と子供好きなのね)
アルベラは子供を邪険にせず言われるがまま相手をしてやっているビエーに感心した。
園での護衛は二人まで。ガルカならこっそり付いてこさせることも可能だろうが、エルゴ殺害の件であの便利な魔族は今日はディオール邸の方へ行かせていた。
(平和ね……)
養護施設の手伝いという事で時間が潰れる事への抵抗はあったが、来てみて別に不服な事はない。
園の体験は今のところ新鮮だった。アルベラがやる事といえばちょっとした手伝いばかりだが、何となく前世の小学校生活と重なる懐かしさがあった。
一日目の今日、アルベラがやった事と言えば午前に改めて子供達との顔合わせとこのピクニックの昼食作りの手伝いくらい。帰ったらみんなで掃除をするらしいが聞いたところまさしく前世の小学校にもあった掃除の時間と同じようなものだった。
「ベーラ様……あの、お時間よろしいですか?」
眼鏡をかけた少女が、緊張気味に本を片手にやってくる。彼女とは午前中にも挨拶を交わしていた。孤児なので正確な自分の年齢が分からないそうだが、園に入ったころに診てもらった医師のみたてで言うと今年で十一歳らしい。
「なにかしら? 見た通り暇してるけど」
(どういうわけか皆あんまり私には寄ってこないし)
周りを見るアルベラに、声をかけた少女は察し「あぁ……」と申し訳なさそうに首をすくめた。
「すみません。皆がベーラ様に近づくと園長がいつも以上に凄い剣幕で見てくるので……」
(正直ちょっと近寄りがたいのはあるけど……)
とツンとした印象のアルベラにビビって近寄らない子がいる事を、シャロンはあえて黙っておく。
アルベラは「そういうこと……」と公園の入り口と池とのちょうど中間あたりの芝生のスペースを見た。アルベラが目を向けた先にはピクニックのシートが敷いてあり、そこで園長や他の大人たちが目を光らせつつ子供たちの相手をしていた。アルベラと目が合うと、園長ムウゴは朗らかな笑みを浮かべた。
(ディオール様と一緒にいるのはシャロンか。あの子なら安心だな)
とムウゴは内心ほっとしながら手を振る。
(大丈夫かな。あの人必要以上に公爵家ってこと気負ってそうだけど……)
園の責任者としては子供達を守るためでもあるのだろう。やや憐れみつつ、これも彼の仕事かとアルベラは笑みと共に手を振り返す。
(園長のおかげで仕事――お子様方の相手――が一つ減ると思えば得か……? けどずっと暇になるのはちょっと……私も次は本でも持ってこようかな)
とアルベラは少女が胸に抱いている分厚い本を見る。
「シャロウは勉強?」とアルベラは今朝聞いた彼女の名を思い出しながら口にする。
「はい。もしよければ教えてもらえませんか? 字の読み書きの基礎の基礎なので、貴族の方なら簡単だと思います」
「それくらいなら良いわよ。――あぁ、ヘラトクスの伝記ね」
「わぁ……ありがとうございます……!」
アルべラが座っていたのは池のほとりに幾つか設置されている切り株のような椅子だ。間隔をあけて三つ一セットとなり設置されているため、アルベラの隣には二人分の席が空いていた。アルベラはトントンと隣を叩き、シャロンがそこに腰かける。
(有名な英雄のお話か。私も小さい頃絵本でなら読んだけど、ちゃんとしたのは文体が固くて読んだことなかったな。それも前世の記憶が戻る前の話しだ。もともと読書は好きな部類だったし、この世界の勉強がてら初歩に戻ってこういうのを読むのも悪くないかも)
「はい。あの、これの読み方が分からなくて……あとここも、字は読めたんですがどういう意味か分からなくて」
シャロウと共にいるアルベラの姿に安心しつつ、ムウゴは他の子たちの様子を見まわした。
他に来ている園のスタッフは三名。皆子供達の相手をしていた。
(さて……一番不安なのはあの三人だが……あぁ、あそこに居たか)
「園長!」
と駆け寄って来た幼い少年がムウゴの背に飛びつく。
「ねえねえこれ見て! いっぱい木の実見つけた! 食べれるかなー? これとかすごいいい匂いなの」
と少年は青く熟した実を舐めようとした。
ムウゴは慌ててそれを止める。
「こらこら、無暗に口に煮物を入れるなとあれほど言ったのに――」
「ベーラ様、こんなところまできて勉強ですか!?」
アルベラがシャロウと本を覗き込んでいると、シャロウと同じ位の年の子供たちが三人やってきた。今声をかけてきたのは三人の先頭に立つ少年その一とでもいおうか。
アルベラの返事を待たずして彼の後ろに居た二人もアルベラへと話しかける。
「折角ピクニックにきたのにー。私たちが案内しましょうか?」と少女その一。
「俺たち今から釣りするところなんです!」と少年その二。
「あら、こんにちは」と答えながら、アルベラはどこか胡散臭いキラキラした彼らの表情を観察した。するとシャロウが小声で耳打ちした。
「マディソンとチェルシーとケイリーです。あの三人はちょっと気を付けた方がいいかもです。いたずら好きで……」
「ちょっとシャロウ! なによ! 内緒話!?」
と声を上げたのは少女その一のチェルシーだ。
「おまえ毎回貴族にすり寄って汚いぞ! いい子ぶってまた何かご褒美が貰えるの期待してるんだろ!」と言ったのは少年その二のケイリー。
シャロウは「すり寄ってるだなんて、私そんな」と慌てる。
「声をかけても相手をしてくれない人だっているし、ただ仲良くなれたらいいなって……ベーラ様、私本当に……字を教えてほしくて……」
シャロウの瞳がメガネの下で潤んでいく。
「いいわよ、シャロウ」
「え?」
「でもそうね……」
とアルベラはシャロウの肩に片手を置いて引き寄せた。
「あなた、あの三人と仲悪いの?」
「仲……は、悪くはないですが……そんなに良くもない……です……」
「そう。正直でいいわね。じゃああなたは好きにして――えぇと、あなたたち」
「え? ベーラ様?」と肩を離されたシャロウは困惑する。
一方、アルベラに声をかけられた三人は「はい!」と元気な返事を返す。
「これは釣りのお誘いって事でいいかしら」
「はい! 勿論!」
答えたのは三人の一番前に立つマディソンだ。いかにもやんちゃそうな彼はにんまりと笑んだ頬にえくぼを作っていた。
「ベーラ様、釣りやったことあります? ここに来たことある貴族の人たち、庶民の釣りはあんまやったことないって人が多いので!」
「庶民の釣り、ね……」
(釣りか……小さい頃にお父様が水槽に魚を入れて室内で安全極まりないのをしたっけ。あとあの二人に誘われて絶景でいい品を使った釣りと、旅の間にそこらの棒に紐と針を付けただけの原始的な竿で釣りをしたことはあるな……)
つまり、それらの間を取った一般的な平民の使用するごく普通の道具での釣りはやったことは無かった。
(経験って結構偏るものね)
と意外にまだやってなかったかとアルベラは納得する。
「面白そうね。ぜひ見学させて頂こうかしら」
「勿論です! よっしゃ、行くぞお前ら! ベーラ様もこっちです!」
駆けて行く少年たちの後を追い、アルベラは歩き出した。どうやら池の中に背の高い草が群生している辺りへ行こうとしているようだ。その反対側に回り込めば、丁度レジャーシートの所で皆を見張るムウゴの死角となる。
ムウゴの方を見れば、一人の少年がか彼に話しかけ何かしているようで、偶然にも今は園長の監視の目が和らいでいる状態のようだ。
これは本当に偶然か、それとも計画的な物か。
(治安いいけど、こういう子達もいたのね。……ガキンチョ共め。エリーの目を甘く見るんじゃないわよ)
アルベラはエリーと目が合い悠々と彼らを追う。
(それに――)
――バフ
アルベラの足の裏をコントンの鼻先が押す。
『ワルダクミノ ニオイ オイシソウ』
嬉しそうなコントンの声が影の底から聞こえた。
(うちのコントンさんの嗅覚もね)





