395、新たな手駒 11(ヘビの間者)
――「まさか……今のディオール嬢が?」
――「どうしたんだ? なんでクラリス様が倒れて……」
周囲の生徒達が突如水に押しのけられ床に転がったクラリスと、その彼女がつい先ほどまで縋っていたアルベラを見てざわめく。
「ごめんなさい、ごめんなさいディオール様……どうかエルゴを処刑するだなんていわないで……!」
同級生たちの助けにより水を乾かしてもらったクラリスは、仲のいい女子生徒に支えられながら涙を流していた。
手を貸していた友人たちはエルゴの名と処刑という言葉に血の気が引く。
「エルゴってクラリス様の……」
「クラリス様、どういうことですか? ディオール様と一体何が?」
――はぁ……
アルベラは辺りに聞こえないよう音を殺してため息をついた。
目の前の「可哀そうなクラリス様」を眺めていると強い呆れから頭が冷めていくのを感じた。
(何の弁明もしないのはだめ……言い訳がわしいもはだめ……堂々と事実を――)
今、自分は早くエルゴを連れたエリーたちの元に合流したいのだ。とアルベラは考える。
エルゴにはまだ聞いておきたいことが残っていた。だから、彼女を乗せた馬車が発ってしまう前にここを立ち去りたかった――
「クラリス・エイプリル様」
クラリスの前へとアルベラがやってくると場は更に静まり返った。
アルベラはまだ床に座り込んだままのクラリスを見下ろした。そして左右の見覚えのある生徒(令嬢)とクラリスの後ろに駆け付けた数人の生徒達(令息・令嬢)の顔を順々に見た。
「皆さん、気になっているようなので簡単に説明いたします。この方の侍女“エルゴ”は私を暗殺しようとしました」
静まり返った場に数人の息をのむ音が聞こえた。
「こちらには城の尋問官の書類もあります。王家の印もあります。エルゴさんの処刑の話はその対処です」
「尋問官……ですって……?」
クラリスを支える生徒が呟く。
――「捏造じゃ……ないのか?」
――「王家の印が入ってたなら捏造は無理だろ」
――「でもディオール家だぞ……」
――「王家の印なんて捏造したら公爵家だろうと誰だろうと重罪よ? 無暗にそんな罪を犯すかしら?」
集まってきた生徒たちにひるむことなく自分を見下ろすアルベラを見上げ、クラリスは小さく息をついた。そんな彼女の頭もどこか冷静だった。
いや……怒りはあった。
だがこんな人目の多い場所でその怒りを露わにするのはあの大伯家では御法度も当然の行為。
(――エルゴはもう駄目ね。あの馬鹿……なんてへまをしてくれたのかしら……)
クラリスは顔を伏せ、唇をかみしめた。その彼女の姿は、周りからは“大事な侍女の死に悲しむ可憐な令嬢”としか映らない。
「説明はこれで十分ですね。私はこれで……あ、ちなみに先ほどの水は私ではありません。その方は自分で自分を吹き飛ばしたので勘違いの無いようお願いいたします。誰が何をしたか、判断をするのは自由ですがどうぞ慎重に。大伯家と公爵家の問題に軽はずみな発言をすれば、あなた方の家門が辛い思いをすると言うことをお忘れなく。――では、失礼いたします」
自分の軽はずみな発言が自分の家門に響く。
そう言われて容易く口を開く生徒はここに居なかった。
クラリスが誰の魔法で吹き飛んだのか、各々思うことはあってもこの場では隣にいる友人と顔を合わせるのが精いっぱいだ。
その場を去りエルゴの元に向かうアルベラの背に、クラリスの泣き声だけが届く。
「……そんな……そんな、エルゴが処刑だなんて……暗殺だなんて……信じられない……。……うぅ……エルゴ……何でなのエルゴ……」
「クラリス様……」と誰かが彼女をいたわる声が聞こえたが、アルベラは振り返らず階段を降りて行った。
馬車に乗せられたエルゴは大人しくそれが動き出すのを待っていた。
縄で拘束された両手で開けられたカーテンを小さく持ち上げる。外を覗けば見覚えのある小鳥が枝にとまっていた。
(見てるわね)
小鳥に自分の顔を良く見せるように、エルゴはできるだけカーテンを持ち上げたまま外を眺める。
「手を下ろせ。何もせずに座ってろ」
馬車の扉があき、男が乗り込んできた。きっと見張りだろう、と馬車に乗る際に魔力を封じられたエルゴは相手の装備を見て大人しく言葉に従った。
膝におろした両手をつなぐ不快な拘束を眺める。
――ヘビ
ぽつりと、正面からそんな呟きが聞こえた気がした。
エルゴが顔を上げると、監視の男が何もない様子で扉を閉め両腕を組んだところだった。
「あなた、今何か言った?」
「……」
男は無言で視線だけを返してくる。
平民の傭兵ごときに無視され、エルゴは不快感に目を細めた。
「良かった、待っててくれたのね」
階段を降り二年の寮の玄関前に行けば一台の馬車が止まっていた。
馬車の前にはエリーとエイプリル家の騎士達を送り出したときに見た傭兵が数人いた。ビエーはその傭兵の一人に捕まり世間話をしているようだ。
アルベラが馬車の戸を開けると中にはエルゴと監視の男が一人。
「貴女に聞きたいことがあるの」
アルベラは尋ねる。
「なんでしょう」とエルゴ。
「アレンて人の記憶に花冠のことが書かれていた。あなたの指示で大伯から送られてきた呪いの品をキリエに渡したって。あれはなんだったの?」
しかも、怪しまれないようにとわざわざ一般人まで使ったのだ。その人物はアレン(セデュー)との契約の際に交わした魔術により死んだとも書かれていた。
「記録には『呪具』としか書かれてなかったけど、アレをキリエへ渡した目的はなに? あの花冠にどういう効果があったの?」
「はぁ……」
エルゴはため息を吐き尋ねた。もう礼儀正しい侍女のふりはやめたのか、部屋に居た時よりもその態度は威圧的だ。
「あの花冠はどうされたんですか?」
「壊して捨てたわ。で? 私の質問の答えは?」
「さぁ、何だったんでしょうね。私はただ、大伯様から『クラリスお嬢様の為に使うように』といただいた品を活用したまでです。その効果までは教えていただいてはおりませんでした」
「私に被せようとしていた辺り、そう言う風に使うものだとは知っていたようだけど」
「ふふ……ええ、その通りです。あれは『思いどおりに行かない人間に被せる物』だと、そうは伺ってはいましたから。私が知るのはそこまでです。もういいでしょうか?」
なんで私がこんなガキと話をしなければいけないのか。そんな冷めた視線をアルベラは感じていた。
「そう……もういいわ、行って」
扉が閉められ馬車が動き出す。
(馬鹿らしい……ディオール家の餓鬼が……)
自分が全てを話してやる義理はない。
あの花冠について詳細を知らないのは事実だった。だが、それが被されたものが被せた者に従順になる系統の道具であることは予測していた。
(閣下はアレをクラリス様がその手でアルベラ・ディオールにかぶせることを望んでいたのかもしれないけど……どう使うか、閣下が望むならその時はその指示がある。今回は無かったのだし、私もクラリス様も責められることは無いわね)
カーテンに窓を覆われた薄暗い車内。
自分の見張りの者は正面に座り腕を組んでいた。
眠ってくれていたなら楽なのだが、とエルゴが正面を見れば男は瞬きもせずに自分を見ていた。
(助けが来るとしたら、きっとあの平原ね。それとも牢屋にはいってからかしら)
エルゴがエリーに連れられ馬車に向かう道中、よく知る使用人と廊下ですれ違った。エイプリル家が学園に送り出した密偵だ。その人物とすれ違う時、身に着けていたイヤリング型の魔術具を通してメッセージが送られてきたのだ。
――伝言です。『大人しく待て』と
そして馬車に乗る際から外にいたあの小鳥。屋敷で育てられる監視鳥の一羽に間違いなかった。
(白い体に水色の尾。間違いない、奥様が気に入っている子だわ)
大伯本人でなかったとしても、エイプリル邸の誰かが自分を見ていることを間違いない。
(このまま私がディオール邸へ運ばれてしまえばセデューのように記憶を盗まれてしまう。そうなればクラリス様だけでなく閣下や旦那様、奥様の情報もディオール家の手に渡ることに……閣下は絶対にそれを望まないでしょうね。奥様が手配してくれているとすれば、きっと私はこのあと保護されて奥様の元で――)
さ……、と顔の周りの髪が揺れ小さな風を感じた。
(え――?)
声を出そうとしたが出ることは無い。
首からじわじわと広がる熱に、エルゴは状況が読み込めないまま拘束された両手を持ち上げた。
(なんで)
叫びも出来ず逃げまどうこともできず、首元へと落とした彼女の視界に短剣が現れ突き立った。それは深く深く……エルゴの胸へと沈んでいく。
「ぁ……ぇ……?」
なんで?
崩れる彼女の視界、監視の男が軽く腰を持ち上げ短剣を抜いていた。
その顔は先ほど同様、瞬きもせずに彼女を見ていた。
エルゴの視界がかすんでいく。喉と胸の熱が全身をむしばんでいく。
「ジジョヲ コロス……」
意識が遠のく中、監視の男の力のない声がエルゴの耳に届く。するとすぐに男はエルゴの胸からナイフを抜き取り、自分の首を掻っ切った。
一瞬、彼が浮かべた驚きの表情まではエルゴには捉えられなかった。
彼女の視界で男の体が頽れ、その手からナイフが滑り落ちる。男の胸が首から噴き出す血に染まっていく。
「ズーネカ」
聞いたことのない声が聞こえた。エルゴの視界はもう機能しない。
『シュー……マンセン。いたのか』
「おウ。オメーなにしてんダ? 仕事カ?」
『仕事だ。大伯のジジイに頼まれた』
「ハ~。ったく、あのジジイ完璧勘違いしてんナ」
『勝手に勘違いさせておけばいい。どうせ直接使われてんのは“教祖様”だ』
「教祖様カ」ともう一人が嘲笑う。
『けど今回はそのおかげで――』
「ン? 待テ、こいつまだ生きてル」
『もう死ぬだろ』
エルゴは二つの視線が自分に向けられるのを感じだ。
だが誰かの言葉の通り、彼女の呼吸も命の灯火も静かに緩やかに終わりを迎えた。
最期に彼女が理解できたのは、自分が自分の主(エイプリル大伯)に殺されたのだろうという事だけ――。
椅子に腰かけたままの女と男の遺体を横に、マンセンと一匹の蛇が向き合っていた。
「死んだナ」
『だから言ったろ』
「んデ? おかげでなんダ?」
『あ? あぁ、おかげで噂のガキを見れた。さっきのがそうだろ? あの双子どもを片づけたっていう新顔』
「あァ」
『けど全然そうは見えなかったな』
「自称教祖よりも何倍も弱そうだ」とヘビは笑う。
『魔力も瘴気も(俺が見てきた奴らの)平均以下。そこまで狂ってもなさそうだったし、お前が居なきゃ分からなかった。直ぐ死ぬんじゃねーか?』
「まぁ、瘴気の方はヴェラー・ニエ共を殺った後塔に行ってるしナ」
『なんだ。瘴気の処理は知ってんのか。ふーん……――あぁ、そうだ。今回報酬でかなり古い魔術具を貰ったんだ。お前が好きそうなやつ』
「へェ。だからなんダ。自慢カ?」
『ちげーよ。これやる代わりに木霊一匹分手貸して――』
ヘビが振動に集中するように首をもたげる。
マンセンもさわさわと身にまとった葉を揺らしじっと外を見た。
「オメー穴の中にいるだロ。話があるなら外にでロ。じゃあナ」
『あぁ、すぐ出る』
マンセンはぴょんと後ろに飛び姿をくらました。
ヘビもするりと椅子の背もたれを上りカーテンの裏へ身を隠す。
木霊とヘビが身を隠してすぐ馬車の扉があいた。
真っ赤に染まった室内に夕暮れの光が差し込む。
「おい、何で魔術をつか――」
扉を開けた人物は言葉を失った。
扉を開けたのは馬車の護衛をしていた傭兵仲間だ。車内の音や気配が掴めない事に気づいた彼は、中で仲間が遮音系の魔術でも展開したのかと思った。だとしたらなぜ勝手に魔術を展開しているのかと、仲間を咎める気でいた。
だが――扉を開けると共に魔術は解かれ、それと共に車内に籠っていた濃厚な血の匂いが溢れ出る。
「クソ! 死んでるぞ」
「血の匂い……獣共が寄ってくる。一旦閉めろ」
「待て」
戸を開けた男は仲間の遺体の後ろにあるカーテンを引いた。
そこに居たのは一匹の灰色の蛇。男は迷わずそのヘビの首を落とすと、ヘビの死骸を掴んで馬車の扉を閉じた。
「とりあえずこのまま持って帰るぞ。保存の魔術をかけろ」
彼の言葉で仲間が馬車に魔術を施す。
「それは?」と別の傭兵が尋ねた。
「土ヘビだな。そこらに居る奴だ」
「もしかてこいつが二人を?」
「さぁな。分からねーけどこいつも持って帰ろう」
「見た所普通のヘビだな」
「だがこういう動物を自在に使える奴もいる。警戒しろ」
「そうだな」
男は持っていた袋にヘビの亡骸を入れ保存の魔術がかけられた馬車の中にしまった。
***
「ちっ。もうちょっと見てられると思ったんだがな」
地中に堀った穴の中、男が一人ごちる。
穴の中の光源はたまに小さなキノコや石が光っている程度。あとはそのキノコを食べているのだろうミミズのような生き物がキノコを食べたことで内側から光りを発しながら木の根の突き出る土の壁を張っていた。
それ以外の光源が無いどころか、そこには人が暮らすための家具の一切もなかった。
「まだ消化中なんだがな」
とぼやきながら男は頭を掻き穴の外へ向かい這いずる。
長い体を引きずり進むこと数分。
やがて長い穴の出口が見えてきた。
外の明るさに目を細め、彼は尻から上を穴の外に出し地に腰かける。深い森の中、獣の穴のようなそこから出てきたのは銀色の男だった。長い銀髪に、ヌーダと同じような肌には若干つるりとした光沢がり、ところどころ銀色の鱗が生えていた。そのほとんどは首や額など、急所となる部位だ。手にも頑丈な鱗が生えており、そちらは彼が穴を掘ったり狩をするのにかっていた。
「マンセン! いるな!」
男は人気のない森で声を張り上げる。
「おウ、ここにいたカ」
と木々の中から声が返ってきた。
穴から出た男の目の前に、木の実が落ちるように一体の木霊が木の上から落ちてきた。
「よウ、ズーネ」とマンセンは顔見知りの蛇の獣人に片手をあげる。
「おう、久しぶりだな」
「直接会うのはナ。んーデ? 魔術具ってなんダ」
「せっかちだな。まぁいい、先に見せてやるよ。ほれ」
「へェ! 首飾りカ!」
マンセンは重たい首飾りを受け取るとペタペタと触り様子を調べる。
「んで話だがよ……――おい、聞いてるか?」
「ンー? オウ! 聞いてるゾー……」
ズーネは魔術具に夢中になっている木霊に呆れつつ話を進めた。





