392、新たな手駒 8(黒幕の尾っぽ)
小柄な男は見るからに『職人』と言う格好をしていた。今日もガルカに捕まるまで作業をしていたのだろう。毎日着ているのだろう汚れた作業着、腰には皮の手袋をぶら下げ、頭にはレンズが何種類か入れ替えられる特殊な眼鏡を乗せていた。
「ガルカ、ボタン頂戴」
ガルカがボタンを投げ、アルベラはそれを両手でキャッチする。
アルベラはディオール家の紋章が入ったボタンを男へ見せた。
「このボタンを作ったのは貴方でしょう? 正直に答えなさい」
「いっいいえ、私ではありません」
答え、男は机の上祈る様に手を組む。アルベラへ何か言いたげな視線を向けるがそれ以上何も言おうとはしない。
アルベラは男を眺め、何かを考えるようにわずかに目を伏せる。そして確認するようにまた尋ねた。薄く笑いながら脅すような表情で。
「命が惜しくない? 家族は大事じゃない?」
男の顔はどんどん青くなる。
「お、お願いです! 家族には何も……どうか私の家族をお守りください。私は……私はその件に関わっておりません。そんなボタン知りません」
「そう。ボタンについては本当に何も、知らないのね? じゃあアレンという男は? それかセデューという名の男は?」
アルベラは相手の表情に注意する。じっと顔を見られ、男は熱い思いでも込めるような視線でそれに答える。
「申し訳ございません……何も……何も知りません……どうか家族だけどもお助けを……」
「ふーん……」
アルベラはボタンを眺め指先で転がしながら考える。
(口封じ……それともガルカが間違えた人間をつれて……るなんてことは、あんな自信満々な顔でそれはないか。じゃあやっぱ契約でもさせられてるかな。この様子じゃ家族を人質にもされてそうだし)
目の前の職人から事情を聞きたかったが、彼の発言がなくともマリンアーネという少女を誑かしていたアレンという男がこのボタンを隠し持っていた以上、彼が婚約者候補の令嬢たちに嫌がらせをしていた関係者だったのはほぼ確定している。
(……ま、いいか。お母様からアレンて奴の事情聴取内容がそろそろ届くものね。わざわざ城か呼び寄せた尋問官の署名もある証明書つきで)
城の尋問官。彼らが聞きだしたことはほぼ事実だとされている。尋問に関して、国から、王からその能力を認められた者達。彼らが聞きだした内容であり、それを証明する署名さえあれば相手がどう言い訳をしようが関係ない。そこに書かれている内容こそが事実とみなされる。
彼らを呼んだという事は、公爵家相手に言い逃れが可能な相手だという事だろう。ただアレンが握る事実を知りたいだけなら公爵家にいる人間だけでもできる。その上で事実を証明する必要があったという事は、やはり裏にそれなりの貴族が居たという事だ。
アルベラは共に捕まえたと聞く騎士のことを思い浮かべる。
(彼らがどこの所属か分かれば、概ね繋がりそうね)
「わかった……けどもう一度、念のために聞くわよ」
目の前の男は「はい……」と悲しげに頷いた。そんな男の斜め後ろ、壁に持たれるガルカへアルベラは視線を向ける。
「良いわね?」
ガルカは少し嫌そうな顔をし、自分に言われたと思った男が代わりに「はい」と答える。
「このボタンは貴方が作ったものではない」
「はい。私は何も知りません」
アルベラはガルカを見る。ため息をつき、ガルカは首を横にふった。それは男の言葉は嘘だという意味だ。
「貴方はセデュー、またはアレンという男を知らない」
「はい。知りません」
ガルカを見る。ガルカはやはり、また首を横に振る。
「貴方はこのボタンの本当の依頼主を知っている」
「いいえ、知りません」
ガルカは首を縦にふった。それはつまり、この言葉は真実だという事だ。
「じゃあこれで最後。貴方の家族は狙われているの?」
「な、何のことでしょうか。狙われてるだなんて、そんな物騒な」
は、ははは……、と乾いた笑みを浮かべる男。その後方で人の嘘を見抜けるガルカが首を横に振る。
「分かった。もういいわ」
男は深く息をついた。思いつめるような表情で握った拳を見つめる。
アルベラは今の質問に対する回答を整理した。
(この人がこのボタンを作った。アレンも知ってる。工房に顔を出してたのね。……けどその後ろに誰がいるのかは知らない。家族は脅しに使われてる、か……)
「……あ、あの……どちらのお嬢様か存じませんが、私からお願いがあります……それを聞き入れていただければ、私は貴方の欲しい情報をさしあげ、ら れ、……か、と思い……ごほっごほっ……ます……」
掠れる言葉の途中で男はせき込む。エリーが「どうぞ」と彼へ水を差しだした。
「……ど、どうか私の家族を……その……しばらくの間保護して……」
男は恐怖と戦い震えていた。気が弱いだろうに、カチカチと歯を鳴らしながら家族を思い覚悟を決めているようだった。
アルベラは罪悪感に息をつく。
その溜息気をどう受け取ったのか、男は「お、お願いです! どうか!!」と声を震わせ身を乗り出した。
アルベラは浮かべていた笑みを取り払い「良いわ」と答え立ち上がった。
「貴方はこれ以上何も話さないで。これは命令よ。貴女の家族はここに連れてくるし見張りもつける。これでいいわね?」
「は……」
男はテーブルに乗り上げたまま呆然とアルベラを見上げた。
話さなくていい。
家族をここに呼ぶ。
その言葉を脳が理解すると、彼の緊張は少しずつ解けていった。
――死ななくて済む。家族に会える。
その事実に目にはじんわりと涙を浮かべていた。
暫し放心している様子の彼から目を離し、アルベラはビエーを見た。
「ビエー、この人の家族連れてきて。あと工房を調べて。――貴方の工房、他に従業員はいる?」
「い、いえ……わ、私だけです。小さな工房ですので」
「そう。じゃあビエー」
「仰せのままに、」と言って部屋から出ていくビエー。その背を見送ると「なんか小生意気」とアルベラが呟く。エリーがクスクス笑った。
「大丈夫ですよ。ビエーちゃんならちゃんとやってくれますから」
「そうだといいけど。――じゃあ、ガルカ」
「なんだ」
「騎士はどこ?」
「隣の部屋だ」
「そう」
ガルカは部屋玄関と向き合う扉を示す。アルベラはテーブルから離れ、真っすぐにそちらへ向かった。
***
部屋には拘束された五人の騎士達がいた。
「あの人は魔術で縛られてるの?」
隣の扉をちらりと見て、アルベラは先ほどの職人の事をガルカへ尋ねる。ガルカはつまらなそうに答えた。
「奴の舌の奥に焼き印があった。あと魔術の気配がある。この件を話さないよう契約してるのだろう」
「そう」
(さっき咳込んでたのはそれが反応したからかな)
「感謝しろ。俺が無理やり吐かせてればその男は死んでいた。気を利かせて真実を話させず、生きたまま連れてきてやったんだ」
(捕まってすぐに死ぬような魔術じゃ無かったのは幸いね)
アルベラは「気が利くじゃない。よくやったわ」と流すように感心の言葉を告げる。
アルベラのそ適当な態度に「もっと心を込めろ」とガルカが不満を零すがアルベラはそれをさらに流し用件に戻った。
「で、この人たちがセデューだかアレンって人を探してた騎士?」
「あ? ああ」
ガルカはちらりと騎士を見て、興味なく目を逸らしぶすりと答える。
「どうだった? 手ごわい?」
「はっ。こんな奴らなんてことはない。騎士よりも貴族である事に重きを置いてる分類だ。手ごたえもクソもない」
「あら、お下品なお言葉」と零しつつ、アルベラは笑みを浮かべる。
「けどま……大したことが無いってのは十分に分かった」
紫に染められていた瞳に緑の光がともる。
大したことが無いと言われた騎士達は腹立たしげにどこの誰だか知れない金髪の少女を睨みつけていたが、そのうちの一人がアルベラの緑に光る瞳を見て「こいつ、まさか」と呟いた。
正体が分かれどもたかが少女だ。鍛えている騎士が怯える道理はない。「お前になにができる」とでも言いたげな目を前にアルベラは持ち歩きようの小さな香水瓶を一つ懐から取り出した。お気に入りの無味無臭の自白剤と弱い痺れと眠気の効果のある香水を混ぜたものだ。蓋とスプレーの部分を緩めると、それらを軽くずらし瓶の口を直接開く。
「貴方たちなんかいなくたって、どうせお母様が全部暴いているでしょうけど……せっかく自分にもできることが目の前にあるんだもの。なにもしないなんてもったいないじゃない?」
誰に言うでもなく、ディオール家の令嬢は髪と瞳を魔力に灯らせて笑っていた。
「折角だし、貴方たちがどこの誰で、どこの騎士で、誰の命令で何をしてたか、全部吐いてもらおうじゃない」
誰がやすやすとそんなことを話すものか。
反発する視線がアルベラに集まるがそれを受ける彼女はまるで意に介さない。ゆるりと笑むそれは、見下ろされる騎士達の目には妖艶に、そして不気味に映った。
彼女を見上げている間に、彼らの意識がぼんやりとしていく。体から力が抜け、本人たちが気づかない間にもその思考力はあってないものとなっていた。
「今日は職人を捕まえられればそれでよかったのに、のこのこ捕まった貴方たちが悪いんだから。それか、貴方たちに出るよう命じた誰かさんを恨むのね」
騎士達の周りを薄く香水の香りが包み込む。
騎士達がゆるく心地よい眠気としびれを自覚する頃にはアルベラの質問は全て終わっていた。





