391、新たな手駒 7(セキレイ園の訪問)
「それではディオ……ベーラ様、よろしくお願いいたします。私の事はお好きにお呼びください。園の者達は大体は“園長”か“ムウゴさん”と呼んでいます」
孤児院の接待室にて、癒しの聖女の側近であるシスターと彼女と共に訪れた貴族の客人、アルベラ・ディオールを前にこの孤児院(セキレイ園)の園長は緊張した面持ちで頭を下げた。園長は聖女からの手紙によりアルベラの本名を知っているだけにで少々やりづらそうだ。
「分かりました、ムウゴ園長。よろしくお願いします。因みに皆さんの前ではベーラ“さん”でお願いします」
アルベラは貴族達へするのと同じようにスカートを摘み平民相手にするには少々深めに頭を下げた。平民相手でも他人と言う大きな括りで敬語を使う貴族はいる。アルベラもそのタイプで他人である全員に敬語で接していた。そうしていれば当たり障りもなく単に楽だからそうしてるにすぎないが、今回はそれを抜きにして相手は聖女側の人間だ。聖女を相手にしているくらいの礼節は必要だろうと考えていた。
そして愛想笑いも浮かべずにいるのは、園長の背に小生意気な少女姿の聖女の幻影を見ているからだ。
大袈裟に感じる位丁寧にふるまっているのにどこか不機嫌そうな空気を漂わせる公爵令嬢に、園長は内心委縮していた。
――公爵家だろうが何だろうが人たるもの反省は必要よ。今までのご令嬢ご令息と同様に接して、そこでの様子は些細なことでも報告なさい。貴方も相手の爵位に圧されて丁寧になり過ぎないよう気を付けて。特別扱いは厳禁よ。
聖女からの手紙に書かれていた内容を思い返し、ムウゴは「聖女様、今回のご注文は結構難しいかもしれません」と心の中で弱音を吐いた。
「で、では、ここで働く者達の紹介も兼ねて園を案内いたします。今日は何も手伝っていただかなくて大丈夫ですので……何かありましたら遠慮なくお声がけください」
パンジー同行で園を周り、アルベラは園の大人達との挨拶を済ませ応接室へと戻って来た。園では食事の担当の者達が夕食の準備を始めており、子供達は自由時間を過ごしていた。大人たちはアルベラを紹介されると「お話は伺っています」と頭を下げた。子供達は外部の人間に慣れているようで、アルベラをみると自分達から「こんにちはー」「よろしくお願いします!」と声を掛けた。
「今度は誰だっけ?」
「男爵家のお嬢様だって」
とそんなやり取りを小声でし、遠巻きに、又はどうどうと近くからアルベラを観察するように眺めていた。
園長はそんな子供達に、その場その場で釘を刺した。
「いいかい、お手伝いとはいえベーラさんは社会勉強でここに来ているんだ。皆失礼の無いように。ベーラさんが何か困っているようだったら、ちゃんと声を掛けてあげなさい」
園長のその注意は毎回言っているものなのか。子供達は「はーい」と素直に答えて各々の自由時間を味わうべく散っていく。
そんな光景を見て、アルベラは「治安良いな」という感想を抱く。
(聖女の意地悪で酷い場所に送られるのかと思ってたけど、想像以上に平和ね。何も知らない貴族のお嬢様に社会勉強をさせる場所≪導入編≫にはもってこいて感じ。――年の功? やっぱりあの聖女結構な年齢ね)
本人に言ったならまた相応の怒りをかったことだろう。
アルベラは「それでも折角の休息日が潰れるのは痛いなぁ……」等と考えながら、服装や髪形など園長からの説明を聞いた。
「それでは、私はこれで。ディオール様、どうかよろしくお願いいたします」
パンジーの色素の薄い瞳がアルベラを見下ろす。
女性の平均身長より高めのアルベラを、このシスターは数センチ上から見下ろせる身長を持っていた。黙っていれば綺麗でおだやかそうなマダムだが、背が高く細く、そしてアルベラの前ではあまり笑わないせいでアルベラは彼女に「尖った印象」を持っていた。
(まるで『躾の先生』を具現化したようなシルエット……。あ、癒しの聖女が“ああ”だから、彼女みたいな人がそっきんになったのか。それとも、もともとこうじゃなかったけどこうならざるを得なかったとか……?)
「――……なにか?」
と視線に答えるアルベラに、パンジーは「いいえ……」と首を横に振った。
「三か月頑張って下さい。では失礼いたします」
パンジーが園の前で待っていた馬車に乗り込むと、待っていた癒しの聖女メイクが彼女を迎え入れた。
「お帰り~。どうだった? あのがきんちょ」
「聖女様、まっていらしたんですか」
パンジーは緊張が解けたように息をつく。
「なぁに? 先帰ったと思った?」
「はい。まだ見終わってない祭典の企画書が山積みでしょう。今日はそちらを片付けるんだと仰っていたではありませんか」
「次期が近い物から捌いてはいるから大丈夫よ。帰ってからでも続きはできるわ」
「最近穢れの報せもあるではございませんか。そちらの様子を見に行った者の報せも早く見ていただかないと」
「あなたどうしても私を働かせたいのね」
「働くと言いながらよくサボってらっしゃるじゃないですか」
「サボってるとは失礼な。最近のは大事な後継者を見守っての事よ」
「ユリさんの事なら彼女はお婆様の後継者ではありませんよ。清めの聖女様の邪魔にならないようお気をつけください」
「まあ! お婆様ですって?!」
メイは頬を膨らませた。
「パンジー、私がその呼び方嫌いなの知ってるでしょう? 次また呼んだらあなたにもお仕置きを考えないと!」
床に届かない両足をパタパタと振る聖女に、パンジーはため息をつき「お行儀が悪いですよ、メイク様」と抑えるように少女の膝に片手を置いた。
「もう。気を付けてよね。で? どうだった、あの子」
メイは園内でのアルベラの様子を尋ねる。
「はい。落ち着いてました。特に文句を言う様子もなく、ムウゴさんの話も真面目に聞いているようでしたよ」
「本当。一体何を企んでいるのかしらね。無難にやり過ごそうって魂胆かしら。堂々と文句の一つでも言ってくれればもっと罰をおまけして上げるのに」
聖女は無邪気な子供の顔で唇を尖らせる。
「メイク様……」
どこか不安げなパンジーの呼びかけにメイは顔を上げた。
「あの方は大丈夫なんでしょうか。この間まで、あんなに瘴気を纏っていたというのに……」
ついこの間、あの令嬢が癒しの聖女に他種族の友人の治療を依頼しに来た時。彼女は顔に大きな火傷をつくり、ローブの下には黒い靄を隠していた。それが今、跡形もなく消えているのだ。聖女が言うには消えたのは靄だけでその本質は変わっていないのだそうだが、パンジーはそんな者をこんな人の多い場に野放しにしていて良いのかと疑問に思っていた。
しかも、次期聖女であるユーリィ・ジャスティーアにあの令嬢は何かと因縁をつけて絡んでいると聞く。今回この孤児院へ来ることになったのもそのせいだというのに。
「大丈夫よ、パンジー」
メイは遠くを見るように目を細め膝に置かれた数代離れた孫の手に己の手を乗せる。
「あなた、あの子がもう狂ってしまってるんじゃないかって不安なのね。真人間のふりをしている狂人は怖いものね。それがまともそうに見えれば見えるほど……」
「はい」
パンジーは素直に頷く。
多くのシスターが清めの教会で起きた事件を知っていた。それは口伝で尾ひれがついたり歪んだり、形は様々だったが、聖職者たちの間では瘴気に狂った人の恐ろしさを伝える話の代表例となっていた。
パンジーが聞いているのは「一人の子供が瘴気に触れて、人を餌に何か恐ろしいモノ――『魔』を育てた」というものだ。その子供はどこから連れ込んだか知れない『魔』を残しどこかへ消えてしまい、残された魔を消滅させようと清めの聖女自らが動くも駄目だった。神の力を預かり扱う聖女に払えない魔獣を、そこらの人間が払えるわけもない。被害を抑えるためにも清めの教会はその魔を閉じ込める事しかできなかった。
また同じことが、または似た事が起これば?
(聖女の力を持っても封印までしかできない物が生まれてしまう。それがどんなに恐ろしい事か――)
そんな物が幾つも生まれてしまえば、この国は一体どんな速さで滅んでしまうか。この大陸の命がどれだけ脅かされる事か――
「魔力は過去に、何度も人の想像を超える奇跡や災害を生んできました……」
パンジーの不安の籠る言葉に、メイは「ええ、そうね」と頷く。
「――大丈夫よ」
正直な所、癒しの聖女もまだあの魂――アルベラについては測りかねていた。 だがそんな事、こんなに怯えた可愛い孫に言えるはずもない。
(あれは狂人の目じゃない。確かにまともな状態よ。なのに、あの時の瘴気は消えててもやっぱり一切のご加護を感じない。偶然神様の懐から零れてしまったなら哀れな話だけど……)
アレは善か悪か、神に許された存在か、それとも仇なすものか。
「大丈夫」
時に魂は、その本質とは異なる性質を持った肉体を授かることがある。善なる者が真っ黒な色を持って生まれるように、邪の者がまるで聖人かのような純白の色を持って生まれてくるように。――人は見かけによらない。まさにその言葉だ。
(神に使える者として、見誤って罪のない魂を消してしまうわけにはいかない。けど……)
もしアレの本質が邪なる者なら――
(その時は私が何としても消してあげる……だから)
「大丈夫よ、パンジー。今はまだ様子を見ましょう」
聖女の心強い笑顔に、パンジーは「はい」と静かに頷いた。
***
「さて」
アルベラは変装した姿のまま馬車を降りた。ビエーを後ろに連れ、エリーの案内を受けとある建物の一室へと入った。
簡素な家具が置かれた部屋には、退屈そうに地に腰を下ろし壁に背を預けたガルカと、椅子に座りテーブルの上で手を組み緊張した面持ちの男がいた。
「やっと来たか。ふん、嫌な臭いを付けてきやがって」
――バウ
ガルカの言葉に同意するように影の中コントンが低く吠えた。
(コントン、ガルカのとこに行ってたのね)
アルベラの影の中、一瞬濃い黒が混ざって馴染む。コントンが自分の元へ来る気配に、アルベラは足元へ視線を落としすぐに顔を上げた。
「お嬢様、彼が例の」
「ウチの紋章の偽物を作った職人ね」
アルベラはテーブルを挟んで男の正面、椅子を引いて腰かけた。
アルベラの言葉に男はおどおどと口を開いた。怯えているようだが、どこか祈るような目をアルベラやエリー、ビエーへ向けた。
「わ、私は……その、あなた方に話すような事は何も……! 貴方方が何を言っているのか分かりません、私は何も……や、やってないです!」





