390、新たな手駒 6(反省の孤児院訪問)
(噂には聞いていたが、まさか本当に子供だったか。それとも代理……?)
教会に着き、自分の主人が神聖な力に当てられ震える姿を見て、そしてすぐに教会を発ち、どこに行くとも知れぬ馬車を馬で追いながらビエーは考えていた。
「あのメイという少女が聖女なのだろうか」と。
かの癒しの聖女には様々な噂があった。
不老不死だの癒しの力により何度も老いては生まれ変わりを繰り返しているだの子供の姿のままの呪いを受けているだのエルフの王家の血を引くだのと、その内容は地域によっても様々だ。実は前の聖女は暗殺されていて、その後の聖女が幼すぎるため、彼女の身の安全のためにも民へは聖女が変わった事を公表せずにいる……なんて話もあった。
それらの噂が立つのも実際に彼女の姿を見た者達が「幼い子供だった」と話す事が多いためだ。たまに年頃の若い娘だったり、美しい白髪を持つ老婆だったりという話もあるが、それらは顔を隠しており同一人物かが不明だ。
何より、聖女が入れ替われば恵みも清めも民へ公表をするのだが、癒しの教会ではここ数百年それが行われていない。だからこんなおかしな噂が立つのだ。
(いくら若返りの術があるとはいえ四世紀も生きれるヌーダなんて聞いたことがねぇ。……ん? 五世紀だったか?)
癒しの聖女がいつから癒しの聖女を務めているか。それを正しく記録している書は存在する。市民でも閲覧は可能だ。だが聖職者についての記録は教会が管理しているため教会への申請をする必要がある。ビエッダが仕事でもないのにわざわざそんなものを確認することは無く、つまり今の彼にはいくら考えようとも、噂で聞いた曖昧な数字が聖女の正しい年齢なのかどうかなど分かるはずがなかった。
「着きました。ご準備は?」
先導していた馬車が止まり、中から現れたシスターがアルベラ達の乗る馬車の中へと尋ねた。
癒しの教会からゆっくりめの馬車で一時間ほど。そこは平民が暮らす長閑な地域だった。
馬なら半分の時間で来れただろうに、とビエーは割と近くに見える癒しの教会のとんがり帽の屋根を後方に眺めた。
「大丈夫です」とアルベラが答え戸が開く。
先に馬車からエリーが顔を覗かせ、辺りの安全を確認し馬車を降りた。そしていつも通り、お嬢様へと手を貸そうとした彼女は「おじょ……」と言いって言葉を止めると、楽しそうに笑い「ベーラちゃん、お手をどうぞ」と言い直す。
「ベーラ?」
思わずビエーは口に零した。
「結構よ」と定例のように聞こえてきたお嬢様の断りの言葉。その声には若干の不機嫌さがあった。
むっとして出てきた彼女の姿に、ビエーは首を傾げ、エリーはくすくす笑いながら「その恰好も可愛いですよ」と告げた。
「当たり前でしょ」
とやけくそなのか本心なのか、アルベラはツンと返す。ビエーの視線に気づいた彼女は紫色の瞳で彼を睨んだ。
変わっていたのは瞳の色だけではない。淡い紫の髪はくすんだ金髪に、白い鼻筋と桃色に色づいた頬にはそばかすがちりばめられていた。
「いい腕じゃない」
先導していた馬車からいつの間に降りたのか、メイがアルベラの元へとやってきていた。
変装の腕を褒められ、エリーが「恐縮です」と頭を下げる。
「良いわね? 教会でも言ったけど、貴女は男爵家の三女よ。家名は適当に名乗りなさい。どうせあの子たちは貴族の名前なんて知らないわ。王都には肩書だけの貴族なんて山ほどいるしね」
彼女は胸の前で腕を組むと「わかった?」と偉そうにふんぞり返る。
その隣でパンジーが補足する。それは教会でメイが軽く、かなり大雑把にアルベラへと話した内容だった。
「アルベラ様、ご安心ください。ここの者達は貴族のご令息やご令嬢のお相手になれています。大人たちは貴女が貴族であることと、聖女様に遣わされた者だという事を深く理解しております。決してぞんざいには扱われないはずです。子供たちへは大人達から貴族のご令嬢が勉強をしに来るという風に聞いているはずです。何か問題がありましたら、すぐに施設長へご相談ください。ここでは貴族出身の者も務めておりますから、その者を頼るのもいいでしょう」
「はい」
「でもちゃんと施設長にはあなたの身元は話してるから。貴女が下手な事したら園長には即癒しの聖女様とブルガリー辺境伯へ速達を送るようにつたえているわ。覚悟なさい」
「……な」
(何でお爺様!?)
「貴方のご実家へは聖女様から改めて手紙を送らせていただくわ」
「ふ、普通逆では? 先ずは両親へ連絡、その後に必要かは分かりませんがお爺様へと……」
「貴女にはこの方が効果的でしょう」
「――……」
ユリのドレスにワインをかけた件で、ブルガリーが孫であるアルベラは謹慎にしたことは広く知られていた。
(まさかこういう風に利用されるとは……)
アルベラは悔しさに拳を握る。
「メ、メイ様……」
「もうそれくらいにして、」と仲裁するようにパンジーがメイの前に手を出す。メイは側近の彼女の頼みに応えるように「べー」と舌を出すと後ろへ下がった。
「今日は挨拶と大まかな説明だけです。本格的なお手伝いは来週からお願いいたします。護衛は園の邪魔にならないよう二人まで、アルベラ様のお手伝いはしないようお願いいたします」
「そういうことよ。じゃあ、私は馬車で待ってるわ。パンジーあとはよろしくね」
「はい」
「あ、あと……」
と言ってメイはアルベラの足元を見る。そこには変哲もない彼女の影が落ちているだけだ。
(鼻が良いこと……)
何もない地を見てメイは小さく舌を打つ。
「いい!?」
地面から顔をあげ、メイはぴしりとアルベラを指さした。
「変な物! 持ち込むんじゃないわよ!」
そう言って彼女は場所の中へと立ち去る。
アルベラはメイが立ち去った馬車を眺め胸元を抑える。
(――……は? コントンばれてる?)
今日は彼は、アルベラ達が教会に着くかなり前からアルベラの元を離れていた。
もしかしたら街中で、もしかしたら学園で、もしかしたらそのほかの場所で、あの聖女は自分がコントンと共にいる現場を捉えていたのだろうかと不安になる。
「アルベラ様……いえ、ベーラ様、どうされました?」
パンジーの落ち着いた声に我に返り、アルベラは返事をする。
「園長への挨拶は私も同行させていただきます。その後は園の指示にしたがって、どうぞよろしくお願いいたします」
「はい……こちらこそ」
アルベラの様子を見るようにパンジーが一拍置く。
そして何も問題が無いと判断したのか、彼女は馬車を止めた園の門を通っていった。そこにはアルベラが通う学園の様に騎士の見張りなどはいない。
小さな公園付きの共同生活施設は、アルベラの前世にあった幼稚園や保育園になんとなく似ていた。
(そう言えば、正常な状態ではなかったけど孤児院は数年前にも入ったことがあったっけ)
アルベラは数年前に訪れた哀れな村の、高い気に囲まれた閉鎖的な屋敷を思い出す。
(あそこに比べたらここはかなりまともね)
ここへ三か月は通わないといけないのか……、とアルベラはメイの言葉を思い返す。
『一か月……いいえ、休息日だけだもの、三か月ね。長期休暇中もよ! 休んだ分は次の休息日に回すから、無くなったと思わない事ね!』
三か月かぁ……、と面倒くささが首をもたげるも、アルベラへふと希望を感じる発想が降りる。
(中期休暇……もしかしてこれを理由にブルガリー領への誘いは断れるんじゃ……)
鬼教官の祖父もさすがの聖女様の命には孫を譲るだろう。そう考えるといくらか気持ちが軽くなった。
(大丈夫。ガルカの方は上手く行ったみたいだし、新人の護衛もそこそこ使える。マリンて子を誑かした犯人もうちの家門が入ったボタンの犯人も馬車の奇襲を依頼した犯人も、きっと近いうちに全部片付く)





