388、新たな手駒 4(紛い物)
その日その部屋には光が差していた。
最近ここは真っ暗か眩しいくらいに明るいかの両極端だ。
明るい部屋を見て、スチュートは無意識に胸をなでおろしその彼女の部屋へと脚を踏み入れた。
「お母様、お加減はいかがですか?」
「スチュート……また来てくれたのね」
彼女――第一妃はうつろな瞳で柔らかい笑みを浮かべて我が息子を向かい入れる。
今までその笑顔は、笑みを向けられる資格のない人物へのみ向けられていた。彼女の命を脅かし狙う者。第一王子のフリをした罪深き偽者へ。
スチュートは促されるままベッドの横の椅子に腰かけ、母の手を取った。握りしめた片手は細く冷たい。まるでもうすでに死んでいるかのような冷たさだ。
「ありがとう、スチュート……貴方たちのおかげで今日は随分体が楽なの」
母はまだ死に近い場所にいる。それを嫌がおうにも感じとり、スチュートは震えそうになる声に喉へ力を入れた。
「……それは良かったです」
「ルーディンもこちらへいらっしゃい」
「はい、お母さま」
扉の前で従者たちと様子を見ていたルーディンは笑顔を浮かべて母へ駆け寄る。
「お母様、抱きしめてもいいですか?」
「ええ……もちろんよ」
ルーディンは枯れ木のような母の体を壊れないよう抱きしめた。
「あぁ、ルーディン……」
大きくなった息子のぬくもりに第一妃は目に涙を浮かべる。
「貴方……本当に……アジェルにそっくりに育ったわね」
このセリフは何度聞いたことか。スチュートの拳に力がこもった。弟への嫉妬心を彼は自覚していた。だがそんな嫉妬はほんの些細なものだともわかっていた。
(どうせ……ほらな)
母と弟を見ていれば己の嫉妬がどれほどつまらない物なのかわかる。
椅子に座りなおしたルーディンの瞳をみて、母ややはり……物憂げに表情を曇らせるのだ。
誰にも本物の兄、アジェルには敵わないのだ。王太子と謳われ期待されていた兄。不慮の事故で失われた兄。母は今もその幻影を追っている。
「お母様、お腹は空いていませんか?」
ルーディンが尋ねた。
「ありがとう。今はまだ……――いいえ。ほんの少し……空腹ね……」
「そうですか」
ルーディンの瞳は母の胸元に垂れ下がる装飾品へと向けられていた。まるでそこに填められた石へ尋ねるように。
他の何色も踏み込ませないような真っ黒で滑らかな石。それから目を離し、ルーディンはくすりと笑う。
「お母様、何か聞きたい話はありますか? 城の外の事、気になる事があればお話ししますよ」
「はなし……」
王妃は音程を下げた声で呟きうつろに窓の外を見た。
「あの子はどうしてるのかしら」
あの子。それが誰のことを指しているのかはスチュートもルーディンもわかっていた。
「あの……憎きルクリウスの子は……アジェルの座を奪ったあの子は」
「お母様……」
ルーディンは目を細めた。その表情は母をなだめようとしているようにも憐れんでいるようにも見える。だがその実の心境を知るのは本人のみ――。
「学園のお話をしましょう」
「忌まわしい……あぁ、なんて忌まわしい……」
第一妃はスチュートの手を振り払い両手で顔を覆っていた。細く節くれだった指の間からは白目の目立つ目が、自分の頭の中を掻きまわしているかのようにぎょろぎょろと動き回っていた。
「――お母様、学園は楽しいですよ。本当にいろんな人がいて……。そういえばあのアート卿のお孫さんがいる話はまだしてませんでしたよね。それに恵みの聖女様のご令嬢がいる話も……。この間の魔術学ではそのアート卿のお孫さんと同じグループで魔術用のインクの調合をしたんですが……――それで――くすくす――――嬢がミーヴァ君のインクに悪戯をしていて……」
聞いているのかどうかも分からない相手へルーディンは無邪気に話しかける。まるで相手が聞いていようと居なかろうと関係が無いように。
「イマワシイヒカリ……イマワシイ子……」
扉の前では真っ黒な鎧のガーロンと真っ白な肌に真っ白な髪と服のエルフが対になるように立ちその様子を眺めていた。
真っ白なエルフ――落ち人となり奴隷となり、そしてヌーダの国へと流れ着いた彼ズエディダは無表情に彼らを眺めたまま隣の騎士ガーロンへ問う。
「匂わないか」
問われたガーロンは良く顔を合わせる護衛仲間ともいえる相手へ「何も」と無表情に返す。
「そうか。やはりヌーダは……」
どこか蔑む言い方だがガーロンが気にすべきはそこではない。
「ズエディダ、匂いとはなんだ」
ガーロンが気にすべきはその危険性だ。このエルフが感じた何かが自分の主にとって危険でないかどうか。それを確かめるのが己の使命。
「気にするな。お前の主に害のある話ではない」
むしろ……、とズエディダは心の中続ける。
「アレこそが害になろう」と――
***
日差しが差し込む木々の中、黒い木霊マンセンが身にまとった葉を風に揺らした。
「アリャ、あの石もうダメだナ」
「どうした、マンセン」
木の下にいたダタが問う。
ころころと転がるように枝から枝に移り、マンセンはダタの頭上近くの枝で止まって横になる。
「前に話したロ。城にあった紛いもんダ」
「あぁ、お前が欲しがってた竜血石のか」
「あア。あっちもあそこまでもろくなってなきゃ、一応コレクションに入れといてもよかったんだがナァ。あーア、やっぱ紛い物は紛い物だナ。全然もちやしネー」
「あれでも持った方だって言ってなかったか」
特にと言った用もなく、昼間から濃い目の酒を舐め、街を行きかう人々を眺めていたダタは素面から光のない暗い目を若干頭上へ向けた。
「まあナ。だがそろそろ器(石)も限界ダ。漏れた瘴気がここまで匂ってきやがル。あれを使ってるやつも石が無くなりゃどうなるカ……――オウ! あれを使ってるやつがどう壊れるか見るのは面白そうダナ!」
「また盗み見か」
マンセンは嬉しそうに「あア!」と返す。
「俺は少し暇だな。どこかに面白い話はないのか?」
「面白い話カ。無くもネェ」
「なんだ」
「西の******ダ」
「聞き取れない、なんていった?」
「アー? ヌーダの言葉だとなんダ? ……『ミュルベ』? だそうダ」
「そこが何だ?」
「最近汽車の調子がいいんだとヨ」
「それだけか」
「おイ! 汽車だぞ汽車! あの意味のわかんねー真っ黒な岩の塊! あれが煙上げて動いてるだけでもうぞわぞわすんだロ!」
「木霊の感覚は分からないな。そのぞわぞわはいい意味か悪い意味か?」
「どっちもダ! おもしれーし不吉なんだヨ!」と興奮気味にマンセンは返す。
「へぇ、そうか。汽車は別にな……前にも何度か乗った事あるだろ」
「まぁナ。そっちがピンとこねんなら、あとはアホな人間が魔族とつるんで愚を放った話カ」
「愚か」
「まだちっせーから見つかってねーみたいダ。あと数か月もすりゃ大騒ぎになってるだろうナ」
「どこの馬鹿が何のためにやったんだ?」
「ありゃ私怨だな。丁度魔族と人間のやり取りを見てる奴が居たんだガ、あれは誰かを落とし入れようとしてる顔だっタ」
「へぇ。じゃあその内見に行く」
ダタはあまり興味はそそられなかったのか、コップを口に運び酒を舐める。
「ケッ! 折角人が話してやったのにヨ!」
「どうせ未完成品だ。もうアレほどの愚は当分見られないんだろ」
「まぁナ」
「じゃあいい。愚なんてそんなに珍しい物でもない。どうせその内ラーノウィーかズーネあたりから小競り合いの加勢の連絡でも来るだろ」
「てめぇ俺に聞いといて結局それカ?」
「悪いな」
ダタの口端が小さく持ち上がる。
街を行きかう人々はぶつぶつと独り言を零すかのような彼を気味悪げに避けて歩く。彼らが自分を不審者と見て遠巻きにしている自覚はダタにもあった。
これくらいなら構わない。
変に構ってこないなら、こちらを探ってさえ来なければ。
「ヌーダの国ってのは本当に楽だナ」
人々に存在が気づかれてもいないマンセンがこぼした。
他の人種がいる国なら、ダタも『不吉の匂い』のせいでこうして平穏に酒など飲めていないのだ。
「おメー、あれが消滅してから肩の荷下ろしすぎだロ」
「前からこんなもんだったろ」
「――ン?」
視線を移し、どこかを見てるようにマンセンはじっと静かになる。そんな彼の様子に、またほかの個体を通して盗み身をしているのだろうとダタは暫く声をかけないで置いた。
「ハハッ」
「どうした」
すこしして、マンセンはこちらに戻ってきて笑いを零した。
「あのガキ、また聖女に呼び出されてやんノ。本当学習しねーなァ」
「またか。聖女も何でまだあれを生かしてやってるのか……」
ダタは嘲笑を浮かべ「相変わらず、馬鹿みたいに慈悲深い……」とうんざりするように呟いた。





