385、新たな手駒 1(先輩二度目の突撃)
「それで昨日の件だけど」
学園から借りた一室、アルベラはウォーフとテーブルをはさんで向かい合う。
アルベラの後ろにはエリーとニーニャが控えており、ウォーフは護衛は不要といつも通り誰も連れていない。お茶や菓子はこちらが準備するとアルベラが伝えていたのもあり全くの手ぶらだ。
気楽にカップを手に取り、ウォーフは「カカッ」と笑った。
「あの野郎……違和感には気づいてたようだが見ないふりだ。こっちの事情なんか知ったこっちゃねーって全力投球できやがった」
ウォーフの肩が小さく揺れる。
それは次第に大きくなり、彼が楽しそうに笑っているのは誰の目から見ても明らかだた。
「あの犬野郎、前はもっとビビりだったのに随分豪胆になりやがった。――……見てろよ、この二勝絶対取り返してやる……こっちだって大人しくやらっれっぱなしで耐えられるほど人間出来ちゃいんねぇんだよ、頭の一つ二つはふっとばさせてもらわねーと……――」
頭は一つだ。
ぐちぐちとした呟きを聞きながらアルベラは胸中でそう突っ込み「――つまり」と切り出した。
「派手にやられたって事でいいのね。命令に背いて、体調がすぐれない中勝負を挑んで」
ウォーフは顔を上げぎらついた眼をアルベラに向ける。
「あぁその通りだ、嬢」
――『飲んでても飲んでいなくても俺は手を抜かない』
そういえばジーンはこんなことを言っていたなとアルベラは思い出す。
(こういう意味だったかぁ……)
と若干目を細め、それが彼なりの礼儀か何かだったのだろうかと考える。
「とりあえずご愁傷様。次は勝てると良いわね」
「カッ! なんだ嬢、そんなに俺が勝ったとこを見たいならすぐにでも見せてやるぜ。特等席を準備してやる。んで俺が勝ったら頬にキスしてお祝いしてくれ」
「冗談よ。それにお祝い役なら間に合ってるでしょ」
「嬢が約束してくれるなら他の令嬢の事は考えてやらなくもねーのに」
「結構よ」
「それは私の役じゃないし」と、口には出さずツンとした態度で示しアルベラはエリーとニーニャに視線を送った。
事前に指示されていた二人はアルベラとのアイコンタクトで部屋を出ていく。
「ん? どうした?」と流石戦士として鍛えられたウォーフは場の空気に気づいたようだ。
「じゃあ私の番だけど――一昨日、命令を破ったのは確かよ。けどね」
盟約から解放されていることについて、その方法について、アルベラは伝えておくべく話始める。
できるだけ変な噂の元になる行為は避けたいが、「盟約」に触れる話になる以上自分たち以外はこの場に居ない方が良いと思った。
何かあるたびに相手に苦しまれてはまどろっこしくなってしまうだろうからと。
外に出たニーニャは部屋の前、廊下を挟んで窓際に立っていた人物に目を丸くした。それが学園の生徒であり、つまりはどこかの令嬢であるとわかっていた彼女は反射的に頭を下げていた。
「何か御用でしょうか、オローラ・カメオーレン様」
お辞儀を済ませたエリーが和やかに尋ねる。
相手ははっとし「私の名前……やっぱり……」と零す。
「ま、ままま……また……ウォーフ様はディオール様と……?」
既に涙声になっている彼女はウォーフに持てあ遊ばれ「た」なのか「ている」なのかの令嬢だ。
この間同じような状況でアルベラへ「こんなアバズレー!」と叫んだ彼女。エリーはそんな彼女への好奇心から使用人たちのネットワークを使い調べていた。そんな折アルベラからも「一応どんな人物か知っておきたいから」と言われ、後から主からの指示と言う名目もありきとなったのはここだけの話だ。
(三年生……二個上の子をこんなに夢中にさせるなんて、ウォーフちゃんたら悪い男♡)
冗談半分な内心とは異なり、それ以外の事情もある程度まわりから聞いていたエリーは相手を刺激しないよう表情を整えた。
「あなた、この間の使用人ね」と令嬢はエリーを見上げる。
カメオ―レンはアルベラにナイフを向けようとした日にもいた派手な使用人の事を覚えていた。
声が震えてしまうのを耐え、彼女は何とか言ってやりたかった言葉を口にする。
「あなたは全部知ってるの? あのアバズレが何をしたのか……あ、あの女と一緒に私を笑っていたわけ!? ……殿下婚約者候補から外されて……その上ウォーフ様も奪うなんて…………うっ、うぅっ……――あなたたちの主は最低な人間よ!! 聞こえてるんでしょう、出てきなさいよ!!! 何でこんなひどいことをするの! 返して! 私のウォーフ様を返してよぉ!!!」
『――出てきなさいよ!!! 何でこんなひどいことをするの! 返して! 私のウォーフ様を返してよぉ!!!』
外から聞こえてきた令嬢の声にアルベラは息を吐いた。頭痛は無いが額を抑える。
「あの子……もしかして……」
「カカッ。オローラ嬢、また来てたか」
「あなた……あの子とどこまで……――いえ、あの子の事どう思ってるの? 多少なりとも感情はあったんでしょうね」
人の恋路に口出しするつもりはないが、信頼性の評価基準の参考までにアルベラは尋ねてみた。
「ちょっと寂しそうだったから声をかけただけだ。あっちはベルルッティの名前の側に寄れて満足してたみてーだしな。それだけでwinwinってもんだろ」
そこらの大人より背だけは高いが、ウォーフはまだ十六歳だ。十八歳で成人と言われるこの国ではれっきとした未成年。
(この……)
同じ女性という立場から、アルベラは「何様だ」という怒りよりの感情も抱くが、公爵という地位に目がくらんで寄ってくる相手も相手なのは身をもって知っていた。そして目の前の少年も賢者の力により原作のキャラの性格をなぞらされているだけ……。こうなったのは一体誰のせいかと考え込んでしまいそうだ。
二人は少しの間扉の外に注目していたが、エリーが適当になだめたようでそれ以上の騒ぎが起きる様子は無かった。
「――じゃあ、話を戻すけど」
呆れながらアルベラが向き直ると、その切り替えが面白かったのかウォーフが「おう」と言いながら口端を持ち上げる。
「輸血よ」
「輸血? カカッ、そういや兄貴にやってみろって言われたな」
「あら、お兄様が? 賢明な方ね」
(……けどこの子の兄って継承権問題で不仲説があったんじゃ……。手紙のやり取りはする仲なのね)
「兄貴の話はどうでもいい。んで? 嬢は血を入れ替えたってか。いつだ?」
「前期休暇の時よ」
「旅行に行ってたんじゃないのか?」
「旅行に行ってたわ」
「じゃあなんだってそんな時に思い立ったんだ?」
「細かい話は良いでしょう。とにかくそこで私は血を入れ替えたの。そしたらほら、この通り。王子様の命令なんてへっちゃらよ」
「まだへっちゃらかどうかは知らねぇが、それが本当なら今まで従ったフリをしてたのか?」
「ええ。躍起になって他の手を持ち出されたくないもの」
「そりゃあ俺としてはありがたい。感謝するぜ」
「私が何かすれば、ディオールとベルルッティじゃ扱いが違うかもしれないけど、あなたも道連れになるかもしれないものね」
「そういうこった。カカカッ! 礼だけじゃ足りねーな。今度どっかのパーティーでエスコートさせてくれ」
それが礼になると思っているあたり、やはり自己評価が高い男だとアルベラは呆れる。今の自分も人の事はいえないが、と思いつつ。
「結構よ」
「ハッ、振られると思ったぜ。あーあ、」
ウォーフは頭の後ろに腕を組み、天井を仰いで笑う。
「なぁ嬢」
「……?」
「もっと男への甘え方も覚えといた方が良いぞ。世の中弱音を吐けない女にたかるせこい奴らもいるしな。そういうやつらに頼られて喜べるのは初めのうちだけだぞー。相手の欲求が重なってった頃には情けなくなって人に相談できなくなってって、て」
「な……」
一瞬アルべラの前世の記憶がフラッシュバックする。社会人になってからの数少ない恋愛経験――どれも失敗に終わったあれこれだ。
その中には堂々と金を借りてくる甘え上手な男が居た。勿論そう長続きはしなかったが……。
(……くっ……私は何であんな男に……)
結局その人物に貸した数十万は取り戻せなかった。
情けない記憶にアルベラの腸が煮えくり返る。今の彼女なら堂々と仕返しもできたかもしれないが「世界」が異なる以上会うことは叶わない。
「ん? 嬢……?」
ウォーフはいつも飄々としている令嬢の表情が強張ったのを見落とさなかった。
「カッ……カカッ! なんだ嬢、まさかもう経験済みか?」
「ち、ちがうわよ! ただ知り合いの話を思い出して」
「カカカッ! そうかそうか、知り合いか! ――嬢も可愛いところがあるじゃねーか、く、くくっ……」
「違うって言ってんでしょーが!!!」
――リリーン……
部屋の中からハンドベルの音が聞こえた。
部屋の使用を終えた合図だ。魔道具である鐘が鳴らされたことで、申請していた学園の使用人が今頃片付けへとこちらに向かっていることだろう。
エリーが待機していると、部屋の扉が開きアルベラとウォーフが出てきた。
「お客様がお帰りよ」
出てきた二人を交互に見て、エリーは「随分と楽しまれたようね、ウォーフちゃん」と言った。
「おう。いい茶会だった。嬢、俺はいつでも相談に乗るぜ」
「だから違うって言ってるでしょう」
笑みを浮かべているウォーフとは対照的にアルベラはうんざりした様子だ。
「あらあら、一体何のお話を?」
「俺の口からはちょっとな」
「あの話(盟約の魔術について)しかしてないわよ」
とアルベラがぴしゃりとその話を終わらせる。
「エリー、あのご令嬢が来ていたようだけど」
「はい、彼女でしたらお部屋に。ニーニャが一緒に行ってますわ」
「そう。――ウォーフ様」
「『ウォーフ』だ。嬢、前にも言ったよな」
「……ウォーフ」
「おう。なんだ」
「勿論、今日の話は他言無用よね」
脅しの笑みを浮かべる令嬢にウォーフは胸を張る。
「カッカッカ! 安心しろよ、公爵家同士の約束だ」
アルベラの影のかかった微笑みを見て、やはり面白そうな話をしていたのだろうエリーは嗅ぎ取った。
(あとでウォーフちゃんに話を聞きに行かなきゃ)
「エリー」
「はい」
「変な事考えるんじゃないわよ」
「勿論」
なんて信用できない「勿論」なんだ。アルベラはエリーへ釘を刺し、その場を解散させた。
***
部屋に戻ると、アルベラは部屋に居た人物に言葉を失った。
彼女は椅子に腰かけ目を泣き腫らしていた。
「……カメオーレン、先輩」
なぜ彼女がここに。とアルベラはニーニャに目を向ける。
「わ、私はエリーさんに言われて!」
ニーニャは体の前に両手を突き出しぶんぶんと振った。
「エリー」
アルベラはエリーを見る。
「彼女、部屋に帰ったんじゃ」
「まあ……、私は『お嬢様の部屋へお連れした』とお伝えしたつもりだったんですが……」
「あんた、わざと分かりづらく言ったでしょ?」
「いえいえ、そんなことと」と笑うエリーはどこかわざとらしい。やはり、自分を驚かそうとわざと勘違いさせる言い方をしたのだろうとアルベラは理解した。そして悔しいがエリーの目論見通りである。
「はぁ……、なんでこうどいつもこいつも……」
「お嬢様、お疲れのところごめんなさいね。ちょっとお時間を」
エリーは言ってカメオ―レンの前の椅子を引くと自分が座った。
「オローラちゃんに私から幾つか聞きたいことがあるんだけどいいかしら?」
「オローラ、ちゃ……」と突然ほぼ初対面の人間から「ちゃん」付けされたオローラは顔をしかめる。
「お遊びやおふざけじゃないんでしょうね」
「はい」
エリーは「きっとそれなりに大事なことよ」と言って微笑む。
彼女はニーニャにリラックスできるお茶を頼み、アルベラには透明な液体の入った瓶を一つ借りて……準備を整えるとオローラとの話を始めた。
***
(見てはいるが寄っては来ないか。用心深い奴らだ)
ガルカは日の暮れの街を適当に歩き回っていた。
整った顔をほどほどに隠し、見る人が見ればその人物だとわかるように――。
(あの量ならひと月は持つだろうが……その前に俺が持たん)
“血の記憶”が先か“己の飽き”が先か。長引く狩りは苦手だと彼はごちる。
(年単位の古い物は無理だが数か月以内の若い記憶ならそこまで外れることもないというのに)
あの時口にした血が体の中で遺物として蟠っているのが感じられた。それは他人の体の中で居心地悪そうに身を縮め、少しずつ少しずつ、ゆっくりと吸収され消えていっていた。
これが全て消え去ってしまえば、ガルカはもう“今の姿”を使うことはできなくなってしまう。
(今日は潮時だな)
あいつも用を終えて部屋でくつろぎ始めている頃か。と見慣れた柔らかいウェーブの髪を想像すれば切り上げたい気分に駆られる。
(……帰るか)
時間的にも日も届かなくなった暗い路地、店の看板がぽつぽつと照らされ始めていた。
丁度ガルカが踵を返し通りがかったその店も、店の前の小さなランプを灯したところだった。
そこの扉がぎぃぃ、と音を立てて開く。出てきた人物は、店先で淡く照らされたガルカの顔を見て「おや」と声を上げた。
「なんだ兄ちゃん、また来たのか。次はどんな用だ」
釣れた。……いや、当たったと言うべきか。
やはり“この男”は数ヶ月以内にこの場所を訪れていたのだ。血の記憶に間違いはなかった。
(だが何で今……)
「……」
ガルカは不機嫌にその男を睨みつけた。
今はもう帰る気分だったのだ。いまさら手がかりがひょっこり出てこようと、己の気分を譲ってやるつもりはなかった。
「ん? どうした。今日はやけに機嫌が悪いな。いつもは胡散臭いくらいへらへらしてるってのに……んん……?」
「兄ちゃんここに黒子なかったか? とったか?」という男の言葉を無視して「今日はいい。丁度帰ろうと思ったところだ」とガルカは素っ気なく返す。
「帰る? あぁ。ご主人様から呼び出されたか?」
「そんなところだ」
「どこの誰だか知らんがまたよろしくと言っといてくれ。じゃあな、マドの兄ちゃん」
「待て」
「ん?」
「明日、また同じ時間に来る」
「そうか、わかった。店長にも伝えとくよ」
「あぁ、よろしくな」
(『マドの兄ちゃん』か。こいつ……セデューだったか。アレン以外にもやはりながあったな)
帰る中、ガルカはショッピングウィンドウに映った今の己の顔に目をやる。
そこには猫っ毛で肌の白い美少年と呼ばれる類の人間が映っていた。オレンジの髪は後頭部に向かうにつれ色が濃くなっているのだが、フードを被っておりそのグラデーションが人目につくことは無い。
(そろそろ戻すか)
ガルカの瞳孔の周りが輝くと共にフードの下の顔はもやがかかったように揺らめき、隣の店の窓に映った時にはいつもの彼の姿に戻っていた。
学園に戻り、寮の廊下を歩きながらガルカは想像する。
この報せを聞いたあいつらは一体どんな反応をするだろうかと。
きっとあの女男は悔しがるのだ。そして少女の姿をしたあの女は、きっと――
(あいつ、きっとまた目を丸くするな)
あの緑の目は、この話を聞けばきっと驚いてまあるく見開かれることだろう。
それが起きるのはだいたいいつも僅かな時間だが、何かあって彼女が目を丸くするたびに、ガルカはあの緑の部分は飴玉のようで甘そうだと想像した。
実際の飴玉は大して好きではないが、あの緑はどういうわけか魅惑的だ。できることなら一度でもいい。早く味見をしてみたいと思った。
目玉を舐めることなど、彼にしてみればキスをするのと同じくらいの難易度のはずだった。そしてキスをすることなど、彼にしたら挨拶をするのと同じくらいに容易い。
だというのに、である。
(くそ。あれは何で俺に心を許さない。敵意はもう全くない。俺の事を信用もしている。だというのにやたらに警戒はしてくるな)
建国祭の舞踏会に出た時だって衣装は似合ってると言っていた。だがそこまでだ。他の女達から向けられる好意の熱を彼女から引き出すことはできなかった。
(やはり無理やりにでも踊るべきだったか? いや……、やはりあいつの目的のせい……)
アスタッテの従属か何かであろう彼女はいつも何かに追われている。きっと忙しすぎるのだ。だが、それを止めることは彼女の命に関わるらしい。なら、それをさっさと終わらせるか、その最中にでもじっくり自分に気持ちを向けさせるかすればいいのだ。――と思って実行しているというのに、全く前に進んでいる気がしない。
(ふん、魔族の寿命を舐めるな。ヌーダの数年など俺にすれば一瞬。この学園とやらから出る頃には貴様など、骨の髄まで俺に夢中になって……――)
窓の外にはもう月が上っている。視界の端に入った明るい光にガルカはふと足を止めた。
「――……ちっ」
似たような明かり。記憶の中甦ったのは初めて参加した舞踏会だった。
そしてその時――
(あの時……あの赤め……)
あの時はただ、生意気なヌーダの餓鬼を困らせてやりたかっただけだったのだ。手近な者を適当に誘惑し、場を乱して揶揄ってやろうと。だがあれは悪手だったと、今更ながらにガルカは思った。
(あの時に消しておくべきだった)
自分を縛る魔術の事も忘れガルカはそう考える。
自分にはあんなに警戒するのに。なぜそれと同等のものをあちらには向けないのか。なぜ自分の時より過剰に、あの心臓は反応するのか……。
「気に食わんやつだ」
吐き捨て足を持ち上げる。
廊下にはまだ数人の生徒や使用人が行きかっていたが、ガルカの呟きを拾ったものはいなかった。
ヌーダの中に完璧に溶け込み、誰からも疑われることなく廊下を歩き、彼にしては珍しく多くの者達がそうするようにお嬢様の部屋へ扉からの訪問を果たすのだった。





