384、第三王子様ご予約の店へ 5(第三王子様からの有難いお叱り)
「世話になったな、貴様はもう帰っていいぞ」
虫を払うように手を振りガルカはガーロンを追い払う。
「あのねぇ、私はものじゃ……」
アルベラはそこまで言って怒りを抑えた。
(だめだめ……私は淑女。キレ散らかす姿を見られる前にあの騎士様には第四王子様の元へお戻り頂かないと……)
「下ろしなさい」
お嬢様が猫を被って……いや、寛容さを発揮して笑顔を向ける。だがガルカはそれを無視しガーロンを睨んだ。
ガーロンはその視線に覚えがあった。思い出したのは今日店の前で感じた殺気だったあの視線だ。
「あの時の殺気はお前だったか」
騎士でも貴族でもないガルカを、ガーロンは「お前」と言って警戒する。
「ふん。何を言ってる。さっさと主の元へ帰れ、第四王子の犬が」
「ガルカ」
というアルベラの声は届かない。
「貴様……使用人の分際で騎士を侮辱するか」
(ふん。やはり扱いやすい……)
安い挑発に容易く釣られたガーロンをガルカは鼻で笑った。それが分かりガーロンのガルカに対するイメージはさらに下がる。
「はっ! 騎士とは女に鼻の下を伸ばして浮かれている者の呼び名だったか? それがそんなに偉いとは知らなかったな」
「ガルカ……」
アルベラの声はまたも届かない。
「くっ……た、確かに緊張はしていたが鼻の下を伸ばしていたなど。私はただ純粋にアルベラ様の身の安全を」
「どさくさに紛れて抱き着いたいいわけがそれか。身の守り方なら他にもあっただろうこの変態が」
「――コントン」
――グルゥ……!
ガルカの足がずぶりと沈みかける。
コントンは姿を現さず、影のみがぬかるみになり沈んだガルカの足に絡みついた。
「このっ――貴様!」
ガルカの意識がコントンへ向いた隙にアルベラは風を起こしガルカを払いのけた。
ようやく自分の足で立つことができた。もたもたと足元の影と葛藤しているガルカを背に隠し、アルベラは華やかに笑った。
(貴重な敵側の情報源をやすやす逃してたまるか)
敵とは気に食わない人間の事であり、この場ではスチュートを示した。
アルベラはスカートを摘まみ上げ礼儀正しく頭を下げた。
「ガーロン様、この度は色々と有難うございました」
「い、いえ……アルベラ様が頭をおさげになる程の事は……」
一体今何が起きたのか。ガーロンの意識は気に食わない使用人に向けられていたが、そこから突然前に出たアルベラに奪われ事の顛末を捉えられなかった。
一瞬妙な魔力か気配を感じた気はしたが、それは気のせいと思えるほどの物。目の前で女神のような存在が微笑んでいるともなれば、ガーロンにはそんな些細な気配に気を回せる余裕はない。
「いいえ。先ほどの家の使用人の非礼もお詫びいたします。申し訳ございませんでした。どうか“アレ”の言ったことはお気になさらないでいただけると幸いです。“アレ”には後程私から強く言い聞かせてきますので」
「アルベラ様がそうおっしゃるのでしたら」
「おい、貴様なぜその変態に媚び……ぐっ」
アルベラは片手でガルカの口を鷲掴みにするように塞ぐ。
「ガルカぁ、これは『媚び』ではなく『礼儀』よ。わかった?」
うんもすんも言わず目を据わらせ睨み返してくる魔族。「これは後だ」とアルベラはガーロンへ視線を戻し微笑んだ。
「ガーロン様、有難うございました。私はもう大丈夫ですから、ルーディン殿下の元へお戻りになって差し上げてください。きっと殿下も寂しがっておいででしょう」
あの王子様も今年で十六だ。幼い子供ではない。それにそれなりの自立心を持っていることを、彼の傍に仕えてきたガーロンは知っていた。
実際に見ることは叶わないだろうルーディンが寂しがる姿を想像し、ガーロンはクスリと笑いを零す。
「殿下が寂しがってくれていたら、それほど嬉しい事はありませんね」
その微笑みをみて、アルベラは「この人は本当に悪い人じゃないんだろうな」と思った。
(まぁ、私の人を見る目なんてたかが知れてるけど……。この人が良い人でも悪い人でも、あちら側の人間であることには変わりはないんだよな――)
「ではアルベラ様、また学園でお会いできるのを……た、楽しみにしております」
「はい、私も。送っていただきありがとうございました。お気をつけてお帰りください」
騎獣へ乗り、主の待つ城へと飛び立つガーロンへアルベラは手を振る。
もういいだろう、とアルベラは振っていた手を下ろした。彼女のもう片方の手の平を、柔らかい湿り気がぺろりとなぞった。
(――!?)
驚きに鳥肌が立つ。声を上げそうになるも、そうすれば相手の思うつぼだとアルベラはただガルカを睨んだ。ガルカも気に入らなげに金色の瞳をアルベラに向ける。
「何でお行儀よくできないのかしら。――いい? 私は物じゃないの。ご主人様なの。もっと丁寧に扱いなさい」
アルベラはガルカの両頬を掴んだ手に力を籠めた。両頬を押して不細工な顔を作ってやると……「パシッ」と音をたて同じ事をガルカもやり返してきた。
両手が開いているのだから当然か。ガルカは自分の顔を掴む手を払いもせず、両手でアルベラの顔を挟み込み同じような不細工顔を作ってやる。力は加減しており痛みはない。
「……」
「……」
――イラッ
アルベラは一瞬手を離すと空いてた片手も追加してガルカの顔を「パンッ」と挟みなおした。こちらも痛みを与えることが目的ではないので力は加減していた。
お互い無言で相手の頬を押し合う。どちらも相手が先に折れるのを待っているようだ。
――クゥーン……
ガルカの足を飲み込んでいたコントンは、二人の謎の行動に困惑し鼻を突きだした。ガルカの足も、もういいのだろうか、と迷いながらと言った様子で解放する。
「……――何がしたいんだあんたら」
眺めていたビエーが堪えきれず尋ねた。
その謎の我慢比べは、数分後のこの場所の別の使用者(騎獣を下ろしに来た生徒)が来るまで続いた。
***
――パシャン!
「役立たず共」
紅茶を頭からかけられ、アルベラは笑みを浮かべたまま固まった。
怒ってはダメだ、別の事を考えよう、と笑顔はそのままに目の前の第三王子様を見上げる。
(熱々じゃなくて良かったじゃない。週の初っ端から火傷なんてごめんよ。そうそう、そういえば次のユリへのクエストは何だったかしら。うーん……? へぇー、食堂で『ごめんあそばせ?』って? その後は結構間が開くのね。基本一年時は長期休暇中の接触はないって八郎からは聞いてるしその通りになるのかしら……)
「ディオール、一昨日は何で俺の命令を破った」
すっと現実に頭を戻しアルベラは答える。
「申し訳ございませんでした。……その……やはり、どうしても心が痛んで……」
「ふん。もっと利己的な奴かと思ってたがガッカリだ。やっぱり準伯だな、子供の教育も上手くできないとは」
(なんかお父様も馬鹿にされてる……。ごめんね、お父様)
でも気にすることはないわ。一人の馬鹿が安い嫌味を言っただけよ。とアルベラは心の中の父を励ました。
「ベルルッティ、てめぇはなんだ? 薬はどうした」
「カカッ。申し訳ございません殿下。飲みましたが運が悪かったようで」
――バシャッ
「負けたってか? ――お前、それでもベルルッティの血筋か?」
スチュートは逆さにしたティーポットを放り投げた。ごとりと重い音を上げ床に転がったそれを、部屋に居た使用人が拾い上げる。
「ベルルッティ、正直に答えろ。お前、本当にあれを飲んだんだろうな」
命令か、とアルベラは微笑みを薄めスチュートを見た。王子様は鋭い視線でウォーフを見下ろしている。ウォーフはと言えば、口端をついと持ち上げ堂々と答えた。
「勿論です、殿下。俺はアレを飲んで負けました」
答えたウォーフが苦しむ様子はない。
スチュートは暫く待つと「チッ!」と舌を打った
「今日はもうお前らに用はない。下がれ」
アルベラとウォーフは頭を下げると部屋の出口に向かった。
二人が立つとすぐに彼らの居た場所に使用人達がやってきて、紅茶が染み込んだ絨毯にシミ取りの処理を施していく。
部屋を出るとそこにはルーディンとガーロンが待っていた。
「ガーロン」というルーディンの呼びかけに、ガーロンは返事をして空に印を描く。
「失礼いたします」と言い、ガーロンは魔術を展開した。
始めに水が渦を巻くように二人を囲う。全身ずぶ濡れになったかと思うと、水気は一瞬で引き微量の暖かい風が余韻の様に体の周囲をめぐって消えていく。
かけられた紅茶は跡形もなく綺麗に消え去っていた。
乾燥させ過ぎないよう考慮したのか、ほんの少ししっとりしている部分もあるが気になる程ではない。
「お部屋まではこれで我慢していただけると幸いです」
「それか気になるところは自分たちで乾かすって事で……――兄さんがごめんね」
申し訳なさが滲み出る王子様の苦笑。
アルベラとウォーフは「ありがとうございます」とそれぞれ言いその場を立ち去る。
週頭の月の日の放課後、スチュートに呼び出され、早々に用が済んだ二人はかつかつと無言で寮へ続く廊下を歩いていた。
先に口を開いたのはアルベラだ。
「ウォーフ様、これからお時間いいかしら。その前に一旦部屋へ戻らせては頂くけど」
(綺麗にしてもらったけど、やっぱ着替えておきたいし)
「奇遇だな。俺も嬢に訊きたい事がある……」
互いに互いの失敗――スチュートの命令が達成できなかった事――を先ほど知ったのだ。
膝をついた隣の人物が茶をかけられるのを目にするまで、互いに「当然あっちは言いつけを完遂しているのだろう」と思っていた。
(騎士見習い組がジーンやウォーフを目にした時のあの様子はこういう意味だったか。……よく考えたらわかる事だったのかも。ジーンが負けてたならもっとあからさまに嬉しそうな顔で話す奴がいただろうし)
ジーンやウォーフを目にした騎士見習いの生徒たちは、ただひそりと共にいる見習い仲間に耳打ちする程度の者が多かった。ジーンを気に入らない者達の中にはいつもと変わらず嫌味を言って仲間内で笑っている者もいたし、表立って騎士団の訓練の話が噂になっていなかったため、アルベラにはその結果が判断しずらかったのだ。
(騎士団で口止めでもされたのかな。ベルルティ家の名誉のためとか)
ふぅー……とアルベラの隣から長い吐息が漏れた。
「――顔色が悪いわよ、ウォーフ様」
「気にするな」
ウォーフは不調を思わせない強気な笑みを浮かべたまま答える。
「体が重そうね」
「カカッ、気のせいだろ」
と言った彼は先ほどより背が高くなったように感じた。というより、先ほどまではきっと体が強張っていたのだ。全身を駆け巡り内臓をかき混ぜられるような苦痛を堪えていたからに他ならない。
(盟約の苦痛……? 薬を飲んで負けたっていうのは嘘だった……?)
痛みのピークはきっとスチュートの問いに答えた後だっただろう。そしてガーロンの魔術を受けた時はまだ苦痛の最中か終わりかけだったはず。
先ほどの長いため息でようやく解放されたと言ったところか。と推測しアルベラはポケットを探った。
「どうぞ。痛み止めと回復薬よ」
「おいおい、嬢からの初めてのプレゼントが薬とは味けねぇだろ。今は遠慮しとくぜ。もっと色気のある物が貰えそうな時に受け取る」
「そう。素直じゃないのね」
(それとも単純に痛みになれてるのかしら。戦で名の知れたベルルッティ家だし)
「色気のある物なんて上げる予定ないわよ」
「そんなの今から分かんねぇだろ」
「元気そうね」
「だからさっきからずっと元気だっての」
この件について今はしつこく聞く必要もない。どうせ後で詳しい話を聞くのだから。
アルベラは呆れながら「あぁ、そうだったわね」と早速血色が元通りになり始めていたウォーフへ返した。





