383、第三王子様ご予約の店へ 4(恐れと警戒)
アルベラの乗った騎獣が飛び立つ。
エリーはカップを手に持ち窓の外へ向け投げつけた。
「エリーさん?」
ラツィラスが何をしているのかと声を向ける。
「いいえ、お気にせず」とエリーは何事もないように笑んでかえした。
ラツィラスはカップが飛んで行った方を見て、路地を挟んだ向かいの建物の屋根の上、頭を掻く人物を見つける。カップはその人物へ向けられたものなのだろう、という事だけはわかった。わかったのはそれだけ。
よく分からないがおかしな光景に、「危険」と言われる状況の中、王子様はクスリと笑みをこぼす。
「アルベラが先に行ってくれたことはむしろ良かったね。安心して彼らを向かい入れられる。ベイリランに感謝しなきゃ」
ラツィラスが氷でふさいだ入り口の外では刺客が邪魔な壁を壊そうと炎を放っていた。
氷の奥にメラメラと照る火は見えるも、この店を破壊しないように考慮しているのか加減をしているようだった。
外にまわった者と入り口の突破を図る者とで別れたようで、部屋の外では数人が駆ける足音と、窓の外からは下の階のざわつきが聞こえた。
悲鳴までは聞こえないのでやはり店側と何かしらの約束でもしているのだろう。
(スチュートの奴、自分の物を傷つけられるの嫌いだもんな)
きっとこの店も所有している以上、自分の謀りとはいえ破壊まではしたくないのだろう。
「エリーさん、アルベラの所に行ってくれ」
ジーンがそういうとエリーは首を横に振った。
「いいえ。お嬢様の前にまず、こちらをお手伝いしていきますわ。お嬢様、きっとこちらがどう片付いたか知りたがるでしょうし」
「そうか」
「お嬢様と一緒に居れなくて寂しいですがあちらの護衛は十分です。心配はいりません」
アルベラにはガルカにビエー、コントンがついているのだ。それに今は第四王子の騎士もいる。戦力的には自分がいなくとも全く問題ない、とエリーは判断した。
「エリーさんありがとう。心強いよ」とラツィラス。
彼はそう言いながら、ヒビの入った氷壁へ視線もむけずに片手を払った。氷の壁は補強され、初めよりも厚みが増した。
外から「クソ! らちが明かねぇ!」と文句の声が上がる。
「さて。そろそろ外からも来そうだね。僕もちゃんと頑張るけど……二人もよろしく」
王子様は椅子を引くと余裕の表情で腰を下ろした。
どうやら座ったままでも十分だと言っているようだ。
椅子の上ふんぞり返る王子様にジーンは呆れ、エリーは「お手伝いできて光栄ね」と笑む。
(はぁ!?)
向かいの建物の屋根の上、見張っていたビエーは声を上げそうになる。
(鳥!? くそっ! 今追いかければギリギリ飛び乗れるが……)
パリン、と足元に何かが飛んできた。
カップが投げられた方を見ればエリーが大げさに口を動かしている。
(だ……い……じょ……う……ぶ……?)
ビエーは上空へと小さくなっていく鳥を見上げ頭を掻いた。
(あの女が見送るって事は誘拐じゃないな。――ちっ、どこに飛んでった? あいつを探した方が得策か?)
ガーロンの騎獣の背。アルベラは“あの空気”から解放され片手を眺めた。
(あの王子様、また更に……)
ラツィラスといる時の居心地の悪さは、日に日に増していた。まるで教会に居る時のような息苦しさ。なんとなく落ち着かず、なんとなくひりつく肌。
(お祈りを終えた後のスカートンといるときも似たようなのを感じるけど……聖力、に反応してるんだよな、きっと。これはもう神様アレルギーって名付けていいんじゃない?)
「――アルベラ様」
「あ、はい」
「大丈夫でしょうか? お怪我などはございませんか? ご容態は……もうよろしいでしょうか?」
後ろから尋ねられ、アルベラは“素知らぬふり”で答える。
「はい。有難うございます、ガーロン様」
アルベラを抱きかかえるように座るガーロンからは、それはもう激しい鼓動が背中を伝って聞こえていた。
「す、すみません。こうなる事を予想しておらず……鞍も何もつけておらず……」
「いいえ。騎獣のいい勉強になります」
(この間もこんな風に騎獣に乗ったし……)
祖父の騎士団長のガイアンともこのように座ってた事を思い返す。
(異性との相席に緊張するほど私の魂は若くない、若くない……――よし。邪念は捨てた。とりあえず後ろから刺されなきゃなんでもいい)
「第四王子からの命なのです! アルベラ様御免!!」などと急に背後の騎士様が命を狙ってきたら、という警戒だけはしておこうと考えるも、その可能性は極めて低そうだとアルベラは振り返る。
「ガーロン様、先ほどから高度が上がっていますが……」
彼は振り返ったアルベラにはっとし硬直した。顔が見て取れるほどに徐々に赤く染まっていく。
(命狙われるどうこうより安全運転を心がけてもらわないと……)
自分が振り返っては騎獣の操作に支障が出そうだ。そう感じ取り、アルベラは急いで前を向いた。
「ア、アルベラ様」
「はい」
後ろから緊張気味な声がかかる。
「高度はもう少し学園に近づいたら下げます。あの者達が追ってきているなら、一度雲の上に出て居場所をくらました方が安全かと思いまして」
「そうでしたか」
「その……怖い思いをさせてしまい申し訳ございません」
「はい? ガーロン様が謝る事ではないでしょう」
「いいえ……あの者達は、きっとスチュート様が手を回したんだと思います。あの者達はアルベラ様を狙うよう依頼をされているようでしたが、多分依頼主の本当の狙いは……」
「ラツィラス殿下の巻き添え、ですね」
「……! はい! 気づいていらっしゃいましたか」
(流石……美しいだけでなく鋭さまで……!)
「いいえ、はじめから気づいていたわけではありません。ガーロン様がその話をされたので、今気づいたんです。貴族の恨みならいくらでも買っておりますから、さっきは聞いた通り私が目的かと」
心の中で腕の中の令嬢を褒め称え、ガーロンはそれが漏れないようできるだけ声を落ち着かせた。
「ディオール家のお噂は兼ねがね……。ですが公爵への恨みをその娘にも向ける者達の気がしれません。――こうなる事を事前にお知らせできていれば……普段スチュート様のおそばにも居ながら、何も聞いてこなかった私の準備不足です」
「そんな風には思っていません。お気になさらず。それに、スチュート様がガーロン様に伝えなかった事が一番悪いと思いませんか? 私に言わなかったのは、きっと殿下は命令を無視した私への罰としてもアレを準備していたのでしょうから」
(兄弟喧嘩の巻き添えとなり怖い思いをすればいいと。私を標的に殺し屋を雇ったってあたりそういう当てつけを感じる……。本当嫌な奴)
「そう……なんでしょう。きっと私やジェイシ卿がいるという事で、スチュート様もあの者達への依頼が遂行されることはないとお考えだと思います」
ガーロンの口からジーンの名が出て、アルベラは食事の時の騎士二人の空気を思い返す。
「まぁ、ここにいるどちらもスチュート様からそういうお話を聞いてない以上、本当に私を狙ってどこかの誰かが殺し屋を雇ったという可能性もありますが……」
アルベラは冗談めかして笑い「まさか!」とガーロンが怒りを露わに返す。
「帰ったらぜひ殿下ご本人に聞いといてください」
「はい……」
「ところで、ガーロン様はジェイシ卿の事は嫌ってないんですね」
「ええ……まあ……。努力や実力は認めております。付く者を間違えたとは思っていますが」
(この人、私が思っていたより石頭じゃないのかも……)
ではなぜ喧嘩の当事者でない彼が……? とアルベラは疑問に思う。
「ラツィラス殿下の事はなぜそんなにお嫌いに?」
(主人の第四王子様本人はあの王子様の事をそんなに嫌ってる風ではないのに、この騎士様の方がはるかにあの第五王子様を嫌ってるんだよなぁ。なんで? ……まぁ、誰かさんに似ていつもニコニコして、第四王子様の腹の底も十分からないけど)
「もしかして、ルーディン殿下とラツィラス殿下の間でも何か大きな摩擦が?」
アルベラの好奇心が顔をのぞかせる。この機会に、気になっていたあのそっくりな腹違いの兄弟の真なる関係を探ってやろうと。害にならない、程よい娯楽になりそうな程度の情報なら、この騎士様は漏らしてくれそうじゃないかと下心が囁く。
「いいえ」と、ガーロンは間を置かずに首を横に振った。
「ルーディン様がラツィラス殿下を悪く言う事など、私は聞いたことがありません……」
「あら、本当に仲がよろしいのですね」
「いいえ」とまた、彼は首を振った。今回は怒りが籠っていた。
「――あの方は、ラツィラス殿下は……一方的にルーディン様を邪険にしております」
「……」
(……へぇ)
意外……というほどではない。あるのは納得だ。
今までラツィラスから聞くルーディンの話には、いつも警戒が混ざっていた。何かされたという話は聞かないが、「本心が分からない」と第五王子様はよくぼやいていた。
「――……ラツィラス殿下は……第一王子殿下のふりをして、第一妃様との面会を繰り返しておりました。ダーミアス様も、スチュート様も、ルーディン様も、本当の自らの子供の事もわからなくなってしまった第一妃様から、たった唯一認識され、その愛情を独占されておりました」
「愛情を……独占、ですか」
とはいえ、とアルベラは思う。
(第一妃は彼の生まれの故郷を焼き払った、母親や村の人たちの仇でしょう? そんな人から愛情を向けられても嬉しくないんじゃ……)
「そんな状況で、あの方は……」
ガーロンの手綱を握る手に力がこもる。
たった数回だった。……確か三~四回程度の話だ。
ガーロンはラツィラスと第一妃が面会している場に出くわしたことがある。
とはいっても同じ部屋には入れず、第五王子が妃と面会している間は他の王子たちは別室で待たされていた。だからガーロンも、ルーディンと共にそこで待っていた。
第五王子と会うのは、彼が妃の部屋から出てきた後。廊下ですれ違った時だ。
妃と会った後、あの赤い瞳には隠すことのない殺意があふれていた。
言葉を失うような怒りや恨み。
あの目はいつか、本当に妃の命を奪うだろうとガーロンは感じていた。
許せなかった。
あの目を見ると、いてもたってもいられなくなる自分が――。
悲し気な瞳に煽られ、命の恩人ともいえる主の母を手にかけてしまいそうな自分が――。
『ラツ』
妃の治療の棟での何度目かの再会。
まだまだ幼さなさが残る頃のルーディンが、腹違いでありながら自分にそっくりな弟に尋ねていた。
『ラツはいつか……僕のお母さまを手にかけるつもりなの?』
部屋から出てきたばかりの異母弟は、恐ろしいほどに真っ赤に染まった目を瞬きもさせずに異母兄へ向けた。
『……さあ、どうかな』
否定ではない回答。その時傍に居たガーロンには「いつかきっと殺す」といっているように聞こえた。
真っ赤な瞳を見ていると、その色が目の奥に焼き付いていくようだった。
目頭が熱くなっていく。
胸がざわついた。
今剣を抜いてはいけないと思った。今剣を抜けば、きっと自分が望まない方へその切っ先を向けてしまいそうで――
『ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!』
叫んだのはスチュートだった。
『何がさあだ!!! お前のせいで!! お前のせいでお母様がおかしくなったんだ!!!! お前が生まれてきたから!! お前がアジェル兄さまの力を奪ったから!!! なのにまた、お前はまた、兄さまのフリをして――!! お前が、お前が居るせいで――お前が生まれたから!!!!』
スチュートの魔力が暴走した。
騎士達が集まり、共にいた王や他の王子たちを守りながらスチュートを外へと連れ出していく。
兄が怒りを暴走させる中、ルーディンは暴れる力に恐れもせず悲し気にほほ笑んでいた。
『駄目だよ、ラツ』
向けられる赤い瞳は変わらない。収まる事のない悲しみ、怒り、絶望――
『お願い。僕、お母さまにはまだ居なくなってほしくないんだ……』
***
「――その使用人は未遂な事もあり、陛下の指示により王都から遠くに送られました。ラツィラス殿下が指示したという証言も一切なかったため、その者の行動は私的なものとして裁かれたのですが、何か事情があったようで陛下の恩情により処刑は免れたのです」
「そうでしたか」
アルベラはガーロンから、ラツィラスが王都に来た頃に起きた第一妃殺人未遂の話を聞いていた。 ラツィラスを世話していた使用人が、何かをきっかけに寝たきりの王妃に刃を向けようとし話だ。
初耳な話題に興味を示しつつ、アルベラはあからさまに食いつきすぎないよう気を付けて話を聞いた。
「アルベラ様、どうか……あの方にはお気を付けください」
ガーロンの口ぶりはアルベラもいつかその使用人の様に、ラツィラスのために手を汚してしまうのではと心配しているようだった。
(寵愛……)
きっとこの件も、神から与えられた特別な力が勝手をしたではないかとアルベラは思った。
まったく……強すぎる力というのはなんと不便なことだろう。
(その点私の力ときたら、なんて平均的で扱いやすい……――)
自分の魔力について考えていたら不思議と悲しくなってきた。それこれも周りには化け物級が多いからだろうとアルベラは周囲の者達の異常性を内心責める。
学園に着くと先回りしたのか着地場所にガルカとビエーがいた。
多分陰の底にコントンも戻ってきたのだろう。学園へと近づいた頃、騎獣が怯えるように大きく動きを乱したことがあった。足元からぐるる、と獣の唸り声が聞こえコントンの気配はそれきりどっぷりと沈んでしまった。
鳥が地上に降りるとガーロンが「失礼します」アルベラを抱え上げようとした。
アルベラは自分で降りれるから、と断ろうとしたがその前に視界がぐわりと揺れる。
目が回るような急な動きに、まさかガーロンから投げ飛ばされたのかと思ったが違った。
気づけば頭上――いや、目の前に地面があり、自分は干された布団の様にガルカの脇に抱えられていた。





