380、第三王子様ご予約の店へ 1(予期せぬ参加者)
宮殿の一室。ラツィラスの腹違いの兄、第四王子のルーディン・ワーウォルドは、自室にて平民たちの間で流通している新聞に目を通していた。
王都から北の町にて急成長していた商会が密猟密売を繰り返しそれが行政にばれ廃業したというニュースが大きな見出しで書かれていた。
彼らは魔獣や動物だけでなく多人種や聖域にまで手を出しており、捉えられていた「商品」は全て保護された。商会長であるディンラ・ポーチングは事情聴取を終えると早々に処刑され、夫人と一人娘が残された。その一人娘も高位の貴族相手に問題を起こし、捕らえられたまま生死が不明だと書かれている。
――人身売買、聖域荒しの重罪人。しかし家族との面会も叶わず処刑は非道という声も……
――捕らえられたひとり人の娘の生死は……
――残された夫人の直筆の手紙には……
記事には行政を仕切る貴族への反感の色が濃く感じられた。
そしてポーチング商会の件に次いで書かれていたのはとある貴族令嬢の醜聞についてだった。
――平民相手に嫉妬?
――英悟のナイトクロウから生まれたのは盛りのついたニジコトリ……
ニジコトリとは観賞用に流通している色鮮やかな小鳥の総称だ。この国でも多種多様な色鮮やかな鳥が流通しているが、その小型種は「ニジコトリ」とひとまとめにして呼ばれることが多い。
可愛らしくも美しい小鳥たち。普段なら老若男女から好ましく使われるその名称は、たまにこうして「派手で教養のない若人」や「見た目だけ着飾った愚か者」等の皮肉の代名詞として使われる。
件のニジコトリの君をイメージしたのだろう、本物とそうかけ離れてもいない薄い紫髪の女性の横顔が挿絵として記事の合間に描かれていた。
「――ルーディン様」
記事に目を通していた主へ、ガーロンが遠慮気味に声をかける。
「どうしたの?」
顔を上げたルーディンは細い金縁の眼鏡をはずして新聞と共にテーブルに置いた。
「その……明日の件なんですが……」
「あぁ、もしかして心配なのかい?」
言い淀むガーロンに、ルーディンは悪戯っぽくほほ笑む。
「はい。スチュート様のお考えが私には理解できず……。なぜあの方は無関係のアルベラ様を……あのお二方を巻き込むのでしょう」
ガーロンはこの日も、ルーディンの護衛としてスチュートの貴賓室を訪れ、アルベラとウォーフへ命が下される様を見ていた。
王族同士の潰し合いなどよくあるもの。
そして、第一妃を重篤に追い込んだ元凶であり、その上今もずっと第一妃の首を狙っている様子の腹違いの第五王子が、第一妃の実子である第三王子に恨まれるのもなるべくしてなったようなもの。
そう思いこの兄弟の潰し合いについて、ガーロンが思う事は特にはなかった。
そうところはどこの地も変わらない。権力者の周りでは争いは絶えないものだ。自分は何が起ころうと自らの主であるルーディンを守るだけだと、そう思っていた。
しかしガーロンのその考え方は、“彼女”と出会うことで揺らいでしまった。
ルーディンが置いた新聞を一瞥すると、ガーロンは納得いかないと眉を寄せる。
「公爵家のご令嬢を先に貶したのはあの女です。なのになぜ、あの方がこのように攻められなければならないのか……」
「君は本当に、思考も感情も真っすぐだなぁ」
くすくすと笑い、ルーディンは試すように尋ねる。
「アルベラ嬢がジャスティーア嬢にワインをかけた件を、君はどう思ってるんだい?」
「何か理由があったはずです!」
ガーロンの言葉に力がこもる。
「あんなに聡明な方が、感情任せに事を起こすとは思えません!」
「……っ、ふふふ……ガーロン、君ってば本当に……」
「な、なんでしょう」
「――アルベラ嬢の事が好きなんだね」
「……!?」
ガーロンは赤面して固まる。
「そういうの、彼女がラツの婚約者候補の内はあんまり外で出さないように気を付けるんだよ」
「ち、ちちちちがいます!! 私は……そういうつもりではなく……! 私はただ、あの方の高潔な立ち居振る舞いやお人柄にお慕いしているだけで……!」
「ぶっ……!!! ……っくくく……ふふふふっ……」
「ルーディン様、なぜそんなに笑われるのですか!?」
「い、いや、……君があまりにも必死で……嘘も下手だしさ……それに――――……」
「ふぅ」と息をきルーディンは息をついて目に浮かんだ涙をぬぐう。
「ごめんごめん。わかった、明日の件は兄さんに聞いてみようか。まだ寝るには早すぎる時間だし、きっとすぐに返事が来るよ」
ルーディンは手元のベルを鳴らした。
リィーン……――
澄んだ音が鳴ると、窓辺に白い鳥が飛んでくる。
「――そうだなぁ……じゃあ表向きは、君を見張りとしてつけたいってことにして……。ガーロン、時間も時間だしそろそろ護衛を交換して君も休むといい。兄さんから返事が返ってきたら君の元へ使いを送るから。……その真っ赤な顔も、風に当立った方が早く冷ませそうだしね」
くすくすくす……、と笑われガーロンの頬がまた恥ずかし気に染まる。だが対面だけは照れを隠そうと、背筋を伸ばす。
「ありがとうございます。……では、私は本日はこれで」
「うん、お疲れ様」
失礼いたします、と頭を下げガーロンは去っていく。
ルーディンは手紙をしたため、それを鳥の脚に付けられた筒に入れると鳥を送り出した。
先ほどの会話を思い出し、彼はふと天使の様な微笑みを浮かべる。
――『私はただ、あの方の高潔な立ち居振る舞いやお人柄にお慕いしているだけで……!』
「高潔……――高潔、か……」
その言葉は確か「清い」「穢れない」という意味も含んでいなかったか。
「――……あんなに瘴気を抱えてたのに……『高潔』……。ふふ……ははは、変なの……」
***
翌日の休息日。
アルベラは寮の前で待っていた馬車に乗り込んだ。エリーも一緒だ。
学園に申請すれば学園で管理する馬車が借りられ、希望すれば御者も準備してくれる。今日はそのサービスを使用し、学園の馬車と御者を借りたのだ。
護衛は表向きはエリーだけだ。第三者的には腕の立つ護衛には見えず、ただの使用人や侍女の付き添いにしか見えない。だがそれが敵がいた場合油断を誘えるので好都合だ。
ガルカとビエーは姿を隠してついてこさせることとにした。
なにしろスチュート自ら予約した店だ。何かが仕掛けられているかもしれないとアルベラは警戒していた。
馬車の中で待っていると、扉がノックされアルベラはそれに返事をする。
「やぁ、いい天気だね」
とラツィラスが乗り込んでくる。学園服でも「高貴なお方の外行」のような恰好でもなくローブにシャツとパンツというラフな格好だ。
「……邪魔するぞ」
とその後に続いてジーンも。こちらもラフな格好だが簡易的な胸当てをつけており腰には剣を下げている。街で良く見る兵士や傭兵のような格好だ。
どちらも外出時にアルベラが良く目にする格好であり、二人のその服装に変なところがあるわけではなかった。
それに対し、アルベラは日中用のドレスだ。貴族が街を散歩するときに着用するものであり、二人と比べると「貴族」「金持ち感」が随分前面に出ていた。
傍から見ればアルベラばかりが気合を入れているように見えるが仕方がない。普段のただの散歩であったなら、アルベラも二人くらい街に溶け込める格好をしていたが今日は違うのだ。
スチュート本人ではないにしろ、今日は彼側の人間が見張っているかもしれないのだ。
自分という存在を侮ってもらうためにもできるだけ妙な事はせず、相手が期待しているであろう「公爵家のお嬢様」でいようとアルベラは思った。
「お招きありがとう。今日の服も似合ってるよ。エリーさんも」
馬車に乗り込み顔を合わせるなり、ラツィラスは恥ずかしげもなく高等学園入学後久しぶりに見るアルベラの日中用のドレスを褒める。
「あら、有難うございます」とエリー。
「ありがとうございます。殿下も素敵な格好で……何を着てもお似合いですね」と一ミリも社交の表情を崩さずアルベラ。
王子様とエリーに関しては和やかな空気だが、お嬢様に関しては何の感情も感じさせず淡々としていた。その奇妙な褒め合いをジーンは他人事に傍観する。
今回は店に着くまでに事のあらましを話してしまいたいと思っていたため、護衛であるジーンも馬車に乗るよう、アルベラは昨晩の内に手紙で伝えてた。
ちなみに手紙にしたためた内容は「今日共に食事をしてくれ」という話と「店までは馬車で共に行く」という話のみだ。
他は誰かに盗み見られることを警戒して書いていない。
(あれもこれも、第四王子様の目を気にしなくちゃいけないなんてまどろっこしいな……)
ついため息がこぼれてしまう。
「さて……お二方、急にお呼び出しして申し訳ございません」
アルベラはとりあえずと頭を下げた。
「僕はいいよ。どうせ今日は暇だったし。ジーンは訓練に行く予定が潰れて大激怒だったけど」とふざけるラツィラス。
「嘘つくな」とジーンからは感情薄めの突っ込みが入った。
「王子ともあろう人が休日に暇だなんて」とアルベラは思うも、先ずは本題だ。
「とにかく……ありがとうございます。お二人は今日の件、どこまでご存じで?」
ラツィラスは柔らかく微笑み、ジーンはそんな友人を一瞥する。
先に応えたのはジーンだ。
「俺は、スチュート様が絡んでるって事しか知らない。詳しくは馬車の中で聞けるからってこいつに言われてる」
「なる程」と頷きアルベラはラツィラスへ視線を移す。
「僕はね、君がスチュートに呼び出されて、また面倒な言いつけをされてきたってとこまで知ってるよ。スチュートが何を企んでいるかまでは知らないな」
「その言いつけの内容もご存じですか?」とアルベラ。
ラツィラスは頷いた。
「また何か薬か毒かを渡されたみたいだね」
「はい。それがこちらです」
アルベラは躊躇わず見せる。
「サルスリーシェという毒だそうです。致死量をとると、体の筋肉が伸びて動きが取れなくなり死に至るそうです。ちなみにこれで致死量です」
「一人分かい? 二人分じゃないんだね。ジーンの分もないと可哀そうだよ」
「可哀そうじゃない」
「私は殿下に飲ませるようにしか言われてないのでジーンの分はありませんよ。ジーン、飲みたければこの王子様の分を分けてもらって」
「いらん」
「そう?」と二人から視線を向けられジーンは「いいからさっさと話しを続けろ」と不服に告げる。
「そうね。――まぁ、ようは殿下に毒を盛れと仰せつかってきたのみです。指定の店で」
「そう……店も指定なわけか」
呟いてラツィラスは「ふふ……」と小さく笑いだした。
「何が楽しいんです? 私は過激な兄弟げんかに巻き込まれえていい迷惑なんですが」
「あぁ、だよね。僕も“それ”は面倒だよ……――けど、君が前回と違って今回は全部手の内話してくれるから……随分素直だなって面白――いや、嬉しくて」
(面白いって言おうとしたな)
アルベラはむっとする。
「第三王子が企んで、私も企んで、貴方も企んで――前回ほどややこしくて面倒な事は無いでしょう。私も貴方を殺す気なんてないんですし、なら貴方と手を組んで第三王子の目をくらます方がマシです。労力的に」
「うんうん。あの時は僕の事が心配で気が気じゃなかったんだもんね」
(……楽しみやがって)
満面の笑みの王子様が気に食わないがここでじゃれ合っている暇はない。
「喜んでいただけて何よりです。では、店に着いたらどうするか決めましょう。薬を飲まずにただの食事会にするか、一応飲んだ振りをしてみるか、それとも本当に飲むか」
「いっその事このまま店にはいかず遊びに行くって手もあるね」
アルベラはその言葉を聞き首をかしげる。
「たしかに……そういう手もありますね」
「ふふ、君は構わないんだね」
「第三王子様に盟約の件がばれる覚悟はできてます」
「そう……」
終始笑顔の王子様の目がすっと空気を換える。
「――……遊びに行くのは取り消しね
どうして笑顔だけでこうも雰囲気を変えられるのかとアルベラは不思議に思う。
声も表情も先ほどまでとあまり変わっていないというのに、ラツィラスの次の言葉には真面目さが込められていた。
「僕が言っておいてなんだけどあんまりおすすめしない。このままお店には行こう」
「あからさまな反発はNGですか」
「うん、君のためにね。もし堂々と言いつけを破れば、彼は君の事を今以上に邪険にするだろうね。君はその覚悟ができてるようだけど面倒ごとは無いに限るでしょ? 君の学園生活が今より更に窮屈になったら僕も後味が悪いし」
「後味……なら私のためじゃなく殿下の罪悪感のためですね」
「ははは、本当だ。じゃあ後味どうのは忘れて。君の学園生活のためだよ」
「はいはい、有難うございます。ていうか私、今の学園生活を窮屈だなんて思ってませんが」
「君……」
(あんなに周りに敵がいるのに、相変わらず気にも留めてないんだなぁ)
「なんです?」
「いいや。『それでこそ』だね」
四人を乗せた馬車は他の馬車よりもゆっくりと進んだ。アルベラの指示によりエリーがそうするよう御者に伝えていたからだ。
できるだけ到着までの時間を稼ぎ、三人は店についてからの作戦を話し合う。
「――じゃあ、あちらの策には全部乗ってあげるってことで。二人ともよろしく」
ラツィラスは人差し指をたてて軽く振った。
彼は今しがた話し合った内容をおさらいする。
薬は少量を実際に食事に混ぜ残りは処分、ラツィラスは毒に当たった振りをする。寝たふりをするラツィラスをジーンが店から運び出し、癒しの教会へと向かう。
教会では口裏を合わせてもらい治癒したという事にする。
アルベラはあまり教会へは行きたくなかったが、その心配はいらなかった。
ラツィラスからは自分たちとは別れ学園へ戻るように言われ、その際はできれば泣いたふりなり気まずそうなフリなりをして欲しいと。そしてその後、できる限り学園でも関わらないようにしようという事になった。
(仲たがいのフリは中期休暇までの期間付き。その期間を過ぎたら少しずつ接触を増やして元通り。でもできる限りその期間はこの二人との接点を減らして、第三王子に私は使えないと思わせる……。この期間に私が婚約者候補から外されたりしないか心配だけど、そこは公爵家のご令嬢という身分に期待しよう。もし外されたら、お父様に泣きついたりこの王子様に頭を下げるなりして復活させてもらうか……――そんなんで復活させてもらえるかな)
「何か不安?」
ラツィラスが考え込んでいる様子のアルベラへ尋ねる。
(……中期休暇まではあと二ヵ月程度。婚約者候補の件は大丈夫でしょう)
「いいえ……――あ、そうだ! ジーン」
気を抜いてでもいたのか、急に名を呼ばれジーンの肩が小さく揺れる。
「なんだ?」
「ウォーフもあの王子様から命令を受けてるの。彼、明日の騎士団の訓練で貴方に手合わせ願うって言っていたから……――ええと、頑張って?」
それに関しては特にどうした方が良いかの対策はわからない。
「返り討ちにすればいいって事か?」
「できるならそれでいいんじゃないかしら」
アルベラは騎士様の負けないという自信に苦笑する。
「けど第三王子は彼に何かの薬を渡していて……それを飲んで倒せって言っていたしドーピング薬だとは思うんだけど……」
「ドーピング?」
ジーンは腕を組むと暫し沈黙した。
「……飲んでても飲んでいなくても俺は手を抜かない」
無感情に感じるその言葉はどういう意味なのか。「薬で強化していようとも受けて立つ」と言っているとのだろうとアルベラは解釈した。
「そう。お二人ともご武運を」
***
馬車が止まり店に到着した。
安全か確認しようと、車の扉を開けたジーンが開けて早々に動きを止めた。
「ベイリラン卿?」
「やぁ、ベイリラン」
ジーンが馬車を降り、その後に続きラツィラスも降りる。ラツィラスは他の者達へ向けるのと変わらい微笑みをガーロンにも向ける。
「ルーディンの騎士の君が何でここに?」
ガーロンは感情を隠しもせず眉を寄せる。「それは、」と口を開きかけた彼だが次に降りてきた人物を見て一旦その返答を先送りにした。
ラツィラスは予期せぬ客人へ問いをなげつつもエスコートを忘れていなかった。
彼が差し出す手に手を重ね、続いて馬車から降りてきたのはアルベラだった。
その後にエリーも降り御者と帰りについての話をしているがそれはガーロンの目には入ってなどいない。
「アルベラ様!」
「ガーロン様」とアルベラが挨拶をしようと口を開く。だがアルベラが挨拶を述べる前に、ガーロンは足早に、それでいて流れるような動作でアルベラの前へ行き片膝をついていた。
そして彼女の片手、馬車を降りる際にラツィラスのそれに重ねていた手を取りその甲に口付けた。
「アルベラ様、お待ちしておりました」
つい数秒前の疎んずる表情はどこへやら。
ガーロンは嬉しそうに頬を紅潮させ、きらきらした瞳でアルベラを見上げていた。





