368、惑わしの建国際 42(反省会を終えるまでが今年の建国祭 1/2)
(キツイ……――キツイ……キツイ……キツイ……キツイ……キツイキツイキツイキツイキツイキツイキツイキツイキツイ、キツイ――!!)
体中の水分を全て汗として出しつくしてしまった。そう思うほどに衣服は汗を吸い重さを増していた。
アルベラは祖父に指示された範囲を走り抜け、どさりとその場に膝と手をついた。
「誰が休んでいいと言った」
それをブルガリーが見下ろした。
「ほら、水を飲め。あと二セットだ」
(ぐっ……このぉ……)
「――はい!」
アルベラは草木の茂る雑木林の中仰向けになり腹筋や腕立て、スクワットと言った筋トレを行う。
筋トレを行い雑木林の中を往復する。距離で言えば五キロほどだろうか。ただの五キロではない。整備されていない野の道の五キロである。それの三セット目を丁度終えた所であり、これからその四セット目が始まる所だった。
(謹慎って静かに己と向き合う時間って言うのが一般的な認識ですのよ、お じ い さ ま )
「お嬢様、今のタイムはぎりぎりでした。あと0.1秒遅ければもう一セット追加となります。お気をつけください」
涼しい顔でそう告げるガイアン。
(大人二人で寄ってたかって……くそぉ……!)
アルベラは返事を返す気力もなく震えて限界を告げる腹筋で何とか上体を持ち上げる。
「お嬢様がんばって~」
エリーが広げたレジャーシートの上から声援を送る。
その隣に座っているのはビエッダだ。新たにアルベラの護衛に就いた彼は目を据わらせこの様子を眺めていた。
彼は勤務初日から護衛対象であるお嬢様が謹慎と聞いていた。というのに――
(想像してた図とちげぇな……)
貴族の謹慎と言うのはこういう物なのか。いやそんなわけがあるか。
己で己の考えに突っ込みを入れ、彼は騎士達が控えるその訓練場所(王都の関門外の雑木林)でやる事もなく暇を持て余していた。
(なんか実感がわかねーな。……いや、いつもならもう仕事を言い渡されて控えてる頃か……。金も払ったしフェリゴラドについての口封じの契約もした。まさか本当に、こんなあっさり脱退が完了しちまうとはな……)
ビエッダが丁度欠伸が出そうになるのをかみ殺した時だ。ブルガリーが彼等の方へ目をやった。鋭い眼光がビエッダを捉え、エリーへと移される。
「エリー嬢」
「はい」
「あの魔族はどこへ行った」
「あぁ、あれでしたら高い木の上にでも居るでしょう。高い所が好きなようなので」
「高い所が」の前の「馬鹿は本当に」という言葉を伏せてエリーは答える。
「一応契約上では、ディオール家の人間の許可がないと好き勝手な行動は出来ないようなので」
「そうか。では呼べるなら呼べ。三人には騎士の相手をしてもらう。愚孫のトレーニングのペースが落ちてきているからな。まだ暫く暇をさせるだろう。――ガイアン、他に二人騎士を呼べ」
「は……は……は……――」
「アルベラ、辛いか」
五セットのトレーニングという名の罰を終えてアルベラは自力で立つのもきつそうに木に背を預け座り込んだ。
「つら、い です」
「なぜそんな辛い思いをしているか分かるか」
「わたしが、ジャスティーアに、ワインをかけたから」
「なぜかけた」
「逆上、したから、です」
「まったく馬鹿馬鹿しい。感情のまま人に当たるなど、愚かで情けない行為だ。分かるな」
「はい、申し訳 ありま、せ……」
「私に謝っても無駄だ。反省の意思を見せるならあと六日、耐える事だな。謝罪ならその後本人にしろ」
「は、い……」
(――――――――――この脳筋爺め!!!)
ぜいぜいと喉に引っかかる呼吸を繰り返し、アルベラは「これ日本でやったら体罰とかパワハラとか色々アウトだから、絶対!」と頭の中声を上げていた。
(大体、ユリに謝るとしたって私の仕事が全部終わってからだし、謝れたとしてその頃には私が相当やらかした後で、簡単には許せる状況じゃなくなってるだろうし……!! ――あぁ、……兎に角まずはこの一週間を乗り切らないと!!)
こんなにも体を酷使したというのに今はまだ昼前である。
この後昼食を食べ学園の授業範囲を勉強し、その後また何やら体罰的なもの(過酷なトレーニング)が待ち受けていると聞く。
(エリーに週四で鍛えて貰ってるとはいえ、こんなでたらめに体力を尽くさせるやり方流石にキツイ。体壊したらどうするわけ? ひどすぎる、人道的じゃない……。鬼……鬼畜……耐え抜いた私凄い、偉い)
「ほら、それを飲んだらさっさと馬車に乗れ。昼食の前に汗を流す時間くらいはくれてやる」
「あ、有難うございます……」
アルベラは恨みがましく礼を言い祖父から渡された回復薬を飲んだ。
「あぁ~、いい汗かいたわぁ。流石騎士様ね」
エリーは程よい運動程度で済んだらしく清々しく笑っていた。
ビエッダも程々で済んだらしい。
「ありがとうございました、いい勉強になりました。良ければまた手合わせをお願いします」
と相手をした若い騎士に頭を下げられ何とも言えない顔をしていた。
アルベラとエリーは馬車に乗り、ビエッダは他の騎士達同様馬に乗る。そこに木の上から他人事にあのトレーニングを眺めていたガルカが戻る。
「ご苦労だったな」
ガルカはそう言ってビエッダから騎手の居ない馬の手綱を奪いとる。
エリーや騎士の呼びかけを無視した魔族に、ブルガリーが腹を立てる事はしなかった。魔族とはそういうものだと年の功で知っていたから。人の言葉に従ったり空気を読む事など端から期待していなかった。
「揃ったな。行くぞ」
王都への道ブルガリーが先導を切って馬を走らせる。
馬車のなかでは体力の限界にアルベラが舟をこいでいた。回復薬を飲んで体力や疲労は多少回復した。体は楽になったが、辛い時間を堪えた分眠気が来るのは仕方のない事だった。
コンコンと馬車の中にノック音が上がり、「お嬢様、失礼します」と声が聞こえた。ガイアンだ。
エリーがそれに答えカーテンを持ち上げる。
「ラツィラス殿下が本日の放課後、昨日の件でお話を伺いに来ると――」
馬車のなか、窓越しに口元で人差し指を立てているエリーに気付き、ガイアンは言葉を切った。エリーが持ち上げたカーテンの隙間から、眠気に負けぐたりと眠りこんでいるお嬢様の姿を見つける。
伝達事は伝えきった。ガイアンはほんの少し音量を下げ「では、お嬢様にお伝えください」とやり取りを終わらせる。
「承知しました」
エリーは返し、持ち上げれれていたカーテンが下ろされた。
(本当に……)
とガイアンは疑問に思う。
ついこの間(あの旅行に行く前まで)噂で聞いていた印象と、実物の伯爵の孫娘であるお嬢様の印象は違っていた。多少の我儘はあれどそんな物は人並みの域だだった。そして聞いていたよりも、実物の彼女の思考は柔軟だと感じた。
ダークエルフと敵対した時に彼女が見せた行動。人に任せるのではなく自らも動こうとした積極性。そしてあわよくばと学びを得ようとする貪欲さ。旅行で起きた全てを知っているガイアンは疑問を持たずにはいられられない。
(死に直面する出来事を耐え抜いたお嬢様が……あの旅の中でも常に理性を保てていた人間が、宴会での小さな出来事で感情的になって人に飲み物を……?)
城につき馬車の扉が開かれる。
馬車の中、アルベラは口を半開きにしてすっかり熟睡していた。
「……。叩き起こせ」
ブルガリーは孫の寝顔を見るや否や眉を寄せてそう言い放った。
「お嬢様ぁ~、ほらぁ着きましたよ~。起きないなら~……私が丁寧に優しく汗を流してさ し あ げ る ♡」
――ガンッ!
アルベラは瞼を持ち上げると共に壁に額を打ち付けてた。
「覚めた。お風呂」
眠気はまだ残っているがそう言い切るお嬢様に「あぁ~ん、ちからわざぁ~」とエリーが燥ぐ。
回復薬を飲んだおかげで小鹿のように震えていたアルベラの脚の筋肉はすっかり癒されていた。
「アルベラ、回復薬は午後のトレーニング後まで飲むな。ある程度は自己治癒させないと体は強くならんからな」
「はい」
(回復を薬任せにしちゃうとトレーニングの効果を潰しちゃうって、エリーも良く言ってるな――)
時にためになる助言をくれるエリーは今はおふざけモードでまともに相手をしてもイラつくだけだ。「お疲れよね、お嬢様~」「あぁん! 恥ずかしいけど今日は特別私がお背中お流します~」と絡んでくる彼女を無視し、アルベラは騎士達に包囲されながら祖父の後についていき部屋へと戻った。
この調子で騎士達の監視の下、午後は一時的に雇った家庭教師の元学園の教科書を使い学科科目の授業を行った。座学を終えると十七時頃まで魔法を使った対人の訓練を行い――
そして――ようやくアルベラの謹慎一日は終わろうとしていた。
訓練後に本日二度目のシャワーで汗を流し、夕食まで一息つこうかとアルベラが思っていた頃、彼女の元に客人の訪問が知らされた。
「お嬢様、お客様がお待ちです」という騎士の声掛けにアルベラは誰にともなく呟く。
「謹慎中でしょ……人に会って良いの?」
「あら、そういえば」
エリーが注意を引くように両手を合わせて音を立てた。
「今日の放課後、ラツィラスちゃんが昨日の話を聞きに来ると言伝を預かっていたのを……忘れてました♡」
「……え゛」
アルベラはエリーを振り返る。
「あんた、何でそれを今……」
「すみません、忘れてました。本当は午前のトレーニング後に連絡を頂いたんですが、お嬢様お疲れで寝入ってましたので」
「だからって直前に報せるなんて……! 何でもっと早く……!」
「あぁん! ごめんなさ~い♡ 罰として明日は一日お嬢様の椅子として――」
「ていうか放課後って、授業終わってから一時間半は経ってるじゃない! あの王子様ずっと待ってたわけ!?」
エリーの気持ち悪い冗談か本気の希望をアルベラはかき消す。
「……。まぁラツィラスちゃんからしたらここはご実家なわけですし、自分の部屋でゆっくりしてたのかもしれませんね」
「しれませんねって……あぁ、もう! 今から身支度しないといけないの!? すっっっっっっっっごく面倒くさいんだけど!!」
「大丈夫ですよ、私がパパっと準備しますわ。ほら、お嬢様、こちらにお座りになって」
「――いい。今日はお断りして後日にしてもらいましょう。私の筋肉痛が酷いとか何とか適当に理由付けて断ってきなさい」
「まぁ、可愛い我儘ですこと。『殿下の御命令とあらば』じゃなかったんですか?」
「あんなのその場の空気で言っただけよ!」
アルベラはベッドに倒れ込み、もう動きたくないと枕にしがみつく。
「王子様が何だって言うの? 私がこの部屋から出るのを拒めばそのうち諦めて帰るでしょう。事情ならユリの件もマリンアーネって子の件もお爺様が把握してるんだし、どうしても何か知りたければお爺様からだって聞くことが出来るじゃない。私が拒んでいればそっちから話を聞いて満足するわよ。大体、何が『直接話を聞かせて欲しです』よ。お説教でもする気? あれをその場で見たなら大人しく軽蔑でもしてればいいじゃない。勝手に臣下としての内申点でもなんでも落としいてくれればそれでいいじゃない……」
行きたくないという気持ちを前面に出し、体を丸めて言い訳がましい言葉を並べるアルベラ。
「お嬢様ったら、お疲れね」
とエリーが苦笑する。
「ガキか」というソファーに寝そべったガルカの言葉に、「うるさい!」とアルベラは枕に顔を押し付けながら返す。
来たばかりでまだ己の職場の空気をつかめきっていないビエッダは「賑やかなもんだな……」と呆れ交じりの感想を心の中で零していた。
アルベラが王子様との面会を拒否している中、アルベラ以外の三人が部屋へやってくる人の気配に気が付いた。
エリーは扉を細く開け外を確認し、外の人物と目が合うとほほ笑む。その人物に頭を下げて入室可能の合図をし、扉を細く開けたままにしてその場から離れた。
顔を枕に押し付けているアルベラは周りの人物の動きには気づいていない。
だからその人物が扉の前に来て、怒りに目をギラリと輝かせたことなど当然知りもしなかった。
――ダンッ!!!
「――!?」
扉が上げた大きな音に、アルベラは驚いて身を起こした。
「アルベラ!!」
(お爺様!!!)
「何をしている! 殿下がお待ちだ、さっさと支度をして行け!」
「――……」
祖父が怒鳴りこんできては出るしかない。
アルベラは祖父の機嫌をこれ以上損ねないようにと素直に頷く。やけくそのサービスで微笑みをつけたが頬はやや引くついていた。
「扉の外で待っている。いいな、できるだけ早くだ」
「はい……」
拒否権はないのだ。
アルベラは扉が閉まると共に抱えていた枕をベットに投げつけ、「行くわよ!」と誰へともなく言い放った。





