367、惑わしの建国際 41(お叱りの時間)
(ギャッジ……は、呼ぶほどじゃないか)
「ねえ、君」とラツィラスは一番近くに居た騎士へ声をかける。騎士は「は!」という返事と共にぴしりと敬礼をした。
「さっきの女性が誰か調べといて。あと彼女の家族についても。よろしくね」
アルベラへ強い恨みを持った様子の少女。彼女に父を殺されたと言い放った少女。
彼女の調査を請け負った騎士はまた短く切れのいい返事を返して早速その場を後にする。
騎士が立ち去るとラツィラスはユリ達へと向き直った。
「落ち着いた? ミーヴァ君」
先ほどまで怒りを堪え息を荒くしていたミーヴァは、怒りの対象が消えて感情のやり場を失っていた。
「殿下……ご迷惑をおかけし、すみませんでした……」
目元が険しくもミーヴァは静かに頭を下げる。先ほどまでのミーヴァの形相は魔力を爆発させるのではないかと思えるほど切迫したものがあった。
そんな怒りをまき散らすことなく堪え切った彼にラツィラスは柔らかく笑む。
「謝らないで。ところで、少し静かなところでゆっくりしたかったりしない?」
辺りからは好奇心の目が多く向けられていた。
ユリは聞こえてくる彼らの会話を拾い上げ、その変化に胸がむかつくような感覚を覚える。
つい先ほどまで、アルベラが現れるまで聞こえいた自分への悪口が全く聞こえなくなっている。
――『分不相応よ。身の程を弁えなさい』
アルベラが言っていたのと同じような言葉が確かに幾つかは聞こえていたのだ。だというのに、今はそれらの一切が消え去り、誰も彼も公爵令嬢の悪い噂でもちきりだ。
地位が低い自分をあざ笑っていた声が今は地位の高い者を笑っている。
関係ないのだ。結局は人を蹴落とし蔑む材料が欲しいだけ。
小さな違いがあるとすれば、地位が高い相手には正面切って嫌味をいう者が、低い相手のそれに比べて減るというくらい。
『やっぱり甘やかされて育ったのかしら』
『ディオール公爵は気さくで良い方だと聞いていたのだが……娘があれでは気苦労も絶えないだろうな』
『公爵家のお嬢様が我儘で身勝手って話本当だったのね。人のドレスにあんな堂々と飲み物をかけるなんて』
『知ってる? ほら、王都の学園。あのお嬢様率先して平民を差別して虐めているらしいわよ』
『怖いわね。あんなんじゃ誰も逆らえないわよ。きっと皆委縮して言う事を聞いてるんじゃない?』
『あんな子が婚約者候補ぉ? 無理無理、流石に公爵家だからってありえないでしょう。それにディオール家なんて――』
アルベラがしたことは確かに非常識だ。相手が誰だろうと無礼な行為だ。
それに対して自分は怒るべきであり、謝罪を要求するべき……なのだろう……。だが、それをなぜ無関係な彼らが、あの場に割って入ってくる様子もなかった人々が、好き勝手にありもしない話まで引っ張り出して笑い草にしているのだろう。嬉々として貶しているのだろう。ユリは胸を抑えるように拳を握る。
(こうゆう空気、苦手だな……)
悪意の透けた嘲笑がどうにも気持ち悪い。空腹なのに胃が膨れる不快感。喉の奥が圧迫される感覚。
なぜアルベラは自分にワインをかけたのか……。いや、確かに平民と言う立場で一国の王子と踊った事は不相応だったのだ。だがそれはワインをかけられる程悪い事なのだろうか。
(殿下のお誘い……やっぱり断るべきだったのかな。けどそうすると殿下に失礼だし……)
――『ユリ嬢、良ければ僕と踊らない? ついでに少し話があってさ』
(殿下のお話も幾つか質問されただけで)
――『最近城から連絡があったりしてない? 癒しの聖女様とは最近どんな話をしたのか聞いても良いかい?』
(けどあの内容だったら、ダンスを断ってても普通にお話頂けてたかもしれない……。やっぱりダンスは断るべきだった? けどそんなの結果論だもの。殿下のお誘いを断ること自体が不敬だとあの時は思ったから……)
このドレスも、本来なら自分では手の届かない品だ。学園で何人かの生徒達に聞かれた。アレはどうやって手に入れたのかと。彼等は自分が悪事に手を染め、又はみっともない行為や後ろ暗い何かをして手に入れたという答えを希望しているようだった。
高価なドレスを着た事も、王子様と踊った事も――平民の私がしてはいけない事だったのだろうか――
(ならどうしたら……。いや、この事自体は悪い事なわけない。きっと順番が悪かったんだ。殿下と踊る順番がもっと後の方だったなら……)
『――幾ら頭に来たからって殿下の目の前であんなことをするなんて頭がおかしい……』
聞こえてくるアルベラへの嘲笑と先ほどの出来事がユリの頭を重たくしていく。今すぐ楽な格好になって自室のベッドで布団をかぶりうずくまりたい気分だった。
「――ユリ――ユリ!」
「……!?」
リドの声に我に返り、ユリは驚いたように顔を上げた。
「ユリ、大丈夫? ……ていうか、話聞いてた?」
「え? ごめん、ぼーっとして」
「大丈夫? ラツィラス殿下が休憩室を準備してくれるって。騎士様が案内してくれるんだって」
「そ、そっか」
リドに手を引かれユリは歩き出す。先頭を行く騎士の後をミーヴァが歩き、心配そうにユリを振り返っていた。
「大丈夫? この間から結構疲れてるみたいだし」
リドが尋ねる。
「この間?」
「ほら、魔族の……。ユリが退治した日」
「あぁ……」
――ユリ
癒しの聖女の声が甦る。ユリが思い出したのは魔族を退治した後のやり取りだった。
この城の地下深く。一万年近くも前に作られたのだという古の陣を背にした癒しの聖女メイク・ヤグアクリーチェに言われた言葉。
――神のご意思よ。貴女は次の清めの聖女になるの。
思い出せばまた違う不快感が、不安が胸を締め付けた。
ユリは表情が曇らないよう気を付けて笑う。
「お祭りに浮かれてるだけだよ。気持ちが高ぶって、最近眠りが浅かったから」
「そう? ……あのさ、もしかしてあのチビ達がユリにちょっかい出して起こしてるんじゃ……」
声を潜めてそう尋ねられ、ユリは自分よりも早く眠りにつく妖精たちを思い浮かべた。森とは違う環境のせいだと彼らは言っていたが、彼らの夜の眠りは深かった。つつこうともくすぐろうとも転がされようともされるがまま、なかなか起きないのだ。
ユリはつい吹き出してしまう。
「ははは、違うよ。ないない」
「そか」
ユリの表情が明るくなった気がしてリドは胸を軽くする。二人のやり取りをちらりと振り返り、見ていたミーヴァも少し安心した面持ちになる。
三人が騎士に案内された一室で暫し休息をとり会場に戻ると、舞踏会は連日と同じような煌びやかに賑わう空間へと戻っていた。
***
オ・ザンの隣室。アルベラは舞踏会用のドレスのままソファに腰かけた。
(何が物置よりマシな程度よ。大分マシじゃない。脅してくれちゃって)
ちゃんとした客人用の一室をアルベラは見渡す。
祖父の寝泊まりする大きな隣室「オ・ザン」は濃紺と銀の装飾が印象的な部屋だった。
港の景色を模したのだろう波や海鳥や船の装飾やケルピーやマーメイのレリーフが天井や壁に施されていた。
『アルベラ、先ほどの行いはなんだ』
部屋について早々椅子にどすんと腰掛け、立ったままのアルベラを見下ろすように見据えるブルガリー。
来る途中にマリンアーネは別室へと連れていかれ、その部屋にはブルガリーとアルベラとガルカの三人のみだった。
アルベラは祖父をじっと見て、覚悟を決めると薄い笑みを浮かべた。
『見た通りです』
『あのお嬢さんが気に入らないから飲み物をかけたというのか』
『はい』
ブルガリーは表情を厳しくし、堪えるようにため息を吐く。
『あの子はお前とどういう関係だ』
『学園の……同級生です』
『いつもあんな事をしているのか』
(……―――)
アルベラの脳裏に「はい」という返答と「答えたくありません」という返答が思い浮かぶ。そしてそう答えた時の祖父の反応を予想し出した返答は――
『――いいえ。ここの所虫の居所が悪く……つい……』
『八つ当たりだったとでも?』
ブルガリーは険しい表情を崩さず淡々と返していく。
『はい。この間の件(刺客に襲われた件)もあって考えることも多く……余裕がなくなっておりました。楽しそうに殿下と踊っている彼女を見ていたら、気づいたら体が動いていました。反省しております。今後はもう、このような事が無いように――』
『ほう……無意識にやっていたと』
『はい。無意し……き に……――!?』
ブルガリーは魔力を爆発させその波はアルベラを押し倒して室内の物を揺らした。力は加減しているのか、物の壊れる音が上がることは無かった。
『一週間……』と彼は目をギラギラと光らせて低く言う。
『はい?』
アルベラはしりもちをついたまま彼を見上げる。下から見た祖父の迫力は三倍増しだ。
『一週間、お前は学園を休め』
『は――?』
『その間に反省以上の後悔をくれてやる。二度と一時の感情で愚かな行動を起こさないよう、徹底的にな』
またも魔力で空気が波だった。
ヒッ、と零しかけてアルベラは平静を取り戻すよう努める。立ち上がり、呼吸を落ち着かせて口を開く。
『お、おじいさま……私はもう、十分反省して……』
『反省? 貴様の内で勝手に消化しただけのそれが何になる。反省したという証拠はどこにもあるまい』
(それは――――――……そう)
頭の中、アルベラは喉からひねり出すように祖父の意見に肯定していた。
『……』
『何も言えぬか。戯け』
深く重い息をつき、ブルガリーはぎろりとアルベラを睨みつける。
『それで、もう一人のあのお嬢さんとはどういう繋がりだ。あの聞くに堪えん話はなんだ』
話はユリからマリンアーネの件へと移った。
『私も何なのかは存じません。彼女の父親の話は初耳です。他の話も……』
『そうか。――まぁいい』
『え?』
『そちらについてはあの子にも直接聞く。お前はどうする』
『……』
『何だ。言いたい事があるならはっきりいいなさい』
『彼女の話について……もっと怒られるかと……』
『なんだ、事実か?』
祖父の周囲の空気が急に怒りの色を濃くし、アルベラは急いで『いいえ!!』と否定した。
(ころころと器用な!)
『み、見覚えがありません! そもそも生まれて十六年異性と付き合った事さえありません!!』
立場上警戒第一なんだから近づいてくる男は簡単に信用しない。そういう意味で発した言葉に「ぶっ……!」と吹き出す声が扉の方から聞こえた。
アルベラが振り返るとブルガリー騎士団の団長の一人、マラーキオと呼ばれていた男が立っていた。
吹き出したのは彼なのだろうが、アルベラが振り返った頃には既に身を正していて笑った形跡も残していなかった。
『お話し中失礼いたします。連れて来た少女、マリンアーネ・ポーチングですが落ち着いてきましたのでお知らせに。いつでも聴取の方は可能かと』
『そうか』とブルガリーが返す。
アルベラはじとりとマラーキオを睨むが、マラーキオは騎士のお手本のような姿勢の良さとポーカーフェイスを崩さない。
『アルベラ』と祖父に呼ばれアルベラはそちらに顔を戻す。
『その身の固さは、己の立場をある程度は理解しているようだな』
『……はい』
(まぁ……そりゃある程度は……)
『お母様だけでなくお父様も口を酸っぱくして言っていらっしゃいますから……』
『ほう。あの変態も全てとはいかずまともな教育をしていたか』
(でた、隙あらばの娘の夫下げ……)
『それはともかく……、お前の訓練はここ最近になってだがちゃんと見て来たつもりだ。お前は文句は言うが言われた事はやる。そして言われた事をやっている時怠けようとはしなかった。人のアドバイスに耳を傾け、次の訓練ではそれを意識し取り組んでいた。アルベラ、お前の根は素直で真面目だ。多分な』
『……』
(怠けて無くて良かった!)
アルベラは胸の中拳を握る。今までの訓練、ブルガリーに言われ行っていた物は祖父の監視があると知っていたから怠けられなかっただけだ。見られていなかったなら絶対どこかで怠けていただろうと、旅行中のタイガーやガイアン達との訓練も祖父への報告を警戒し真面目な態度を見せていた自分を偉いと褒める。
『それに雪山でのあの救助。お前は誰とも分からず殿下を引き上げただろう』
『……そんな事もありましたね』
『あぁ。だからだ。お前が人の男を取っただのどこかの令嬢を行方不明にしただのという話が事実とは思えん。なによりそんな話があればレミリアスが気づかないはずがないからな』
『結局そこですか……』
(お母様の情報察知能力高すぎない?)
『さて。あの子の父親が殺められたという話も気になる。あちらに事情を聞きに行こうと思うが……アルベラ、あのお嬢さんと話したい事があるならお前は後だ。先ずはお前抜きで話をする。興奮されては話が長引くからな』
『はい』
『――では行ってくる。着替えや日用品が必要なら城の使用人を借りるなり自分の使用人を呼ぶなりしなさい。あと、お前の部屋には風呂が付いていないから城の者に言いなさい。客人用のバスルームに案内してくれるだろう』
『はい……』
『あぁ、あと』
『――?』
『学園には私から連絡しておく。一週間の謹慎の間、授業においてかれる事は無いから安心しておけ』
「日用品は……ニーニャに頼むか……」
エリーに頼んでも完璧な荷造りをしてくれることは間違いないが……少々の気持ち悪さが残るのでニーニャが良かろうとアルベラはドレスのままソファに仰向けになる。
共に来ていたガルカも正装のままだ。ガルカは窓に腰かけ外を眺めていた。
「あんた……その服どうしたわけ?」
アルベラはずっと気になっていたことを尋ねる。
「貴様等からの報酬で買った。何も後ろめたい物はないぞ」
「魔族が人の世で服をオーダーメイド……順応力が高いわね」
「ヌーダは鼻が悪い。混ざるなど動作も無いからな。疑われる事も無いのだからそれらしく振る舞ってればいいだけだ」
「舞踏会に興味ね……そんなに人間が楽しそうだった? 初めて参加した感想は?」
「ふん……見ているのと何ら変わらん。女共が普段の服より群がってきたくらいだ。だがまだ……――」
――まだ、一番の目的は果たせていなかった。
いつも外から眺めていたあの輪。
揺れるドレスの裾。向き合って言葉を交わしながら、曲が終わるまで決まった動きを繰り返す。ダンスの出来などは次いででしかなく、互いの呼吸や体温に鼓動を高鳴らせる人々の群。
それに彼女を誘えばどんな顔をするのだろうと、ただ興味が湧いただけだった。
「……馬鹿ばかしい」
「ん?」
「貴様の謹慎は既に始まっているのだろう」
「そうね……」
とアルベラはため息交じりに吐く。
「……ふん。こんな服息苦しいだけだ。もう止めだ」
窓から出て行こうとするガルカを「ちょっと待った!」とアルベラが引き留める。
「着替えに行くの?」
「ならなんだ」
「なら、ついでに寮に行ってニーニャにこの事伝えて。一週間分の荷造りを頼んどいて」
「気が向いたらな」
さっと窓枠を飛び越え外に消えてしまうガルカ。
「念のため鳥借りるか」とアルベラはぼやく。
ベルを鳴らし使用人を呼べば手紙一式と鳥がセットで運ばれてきた。
――『私は昨日と一昨日舞踏会に参加させて頂きましたし、今日はもう良いかなと……。今日は最終日で人もとても多いでしょうし……お嬢様がお出かけになったあと、少し街を散歩して学園へ戻ってようと思います』
もう学園に戻っているであろうニーニャへ手紙をしたため、彼女の魔力片を鳥が首にかけているロケットに入れる。窓から鳥を放ち、アルベラは辺りを眺めた。
小綺麗に整えられた庭園と目隠しの垣根。ここからは会場は見えないが、街の音楽やざわめきは届いてきて建国祭最終日のお祭りの空気は感じられた。
『聞いたか? また舞踏会で喧嘩があったって』
『またか? 昨日は浮気した女と一緒に居た男が、夫に殴られたんだったか? 夫が感情的になって魔法まで使いだしたっていう』
近くを歩いてる……騎士かどこかの貴族達の会話だろうか? とアルベラはその話に耳を傾けていた。
『いいや。見間違いだ。酔っぱらった男が傍にいたペアの女を自分の妻と見間違えたんだよ。髪色が同じだったからって』
『ははは。勘違いで魔法まで使うか? 平民が参加するといつもと違う事が起きてちょっと面白いよな。で? 今日は平民の奴ら何したんだ?』
『いや。それが貴族がやらかしたんだよ。平民のドレスに赤ワインをぶちまけたんだと。しかもラツィラス殿下の目の前で、殿下の友人らしい平民に』
(……)
聞いていたアルベラの笑みが深まった。
『貴族が? あんな人の集まった場所でよくもまぁ……』
『だよなぁ。しかもその貴族ってのが公爵家の令嬢だそうだ』
『公爵家で令嬢というと……まさかディオールか?』
『あぁ』
『平民嫌いは本当だったか』
『公爵家だから婚約者候補から落とされるって思ってもいないのか、殿下の目の前でよくやるよな』
アルベラは窓枠に腕を乗せ彼等が通り過ぎるまで彼等の会話を盗み聞いた。
どうせ垣根があってこちらは見えないのだ。
(噂の本当に早い事)
小さくなり聞こえなくなっていった会話。アルベラは窓を閉じソファに腰かける。
(候補、落とされるのかな……。そしたら困るなぁ。候補継続の上での悪役令嬢の仕事が残ってるし……。もし私が婚約候補じゃなくなったら、この内容も変わるのかな)
ユリへの嫌がらせに頭の中で目を通し、今日果たした「舞踏会でヒロインのドレスに飲み物をかけて貶けなす」の項目が無くなっていることを確認する。
(うん……これでまた一つ命の危機から脱した。よしよし……――)
「よしよし……」
――『ディオール様も、今日もとても――――――え?……』
ワインをかけた時の驚いたユリの顔が頭に浮かんだ。ミーヴァの怒りの声も、周りの皆の呆然とした顔もありありと記憶に残っていた。
自分を見上げていたオレンジの瞳は現実をよく理解出来ていない様子だったが……――
「はぁ……――――――――ユリ、悲しんでるのかな……」
――悲しむくらいなら怒り狂ってくれてれば良いのに。憎しみ、抗おうと奮い立ってくれてたらいいのに……
アルベラは天井を振り仰ぐ。





