366、惑わしの建国際 40(公爵令嬢の退場)
「やあ、アルベラ」
「ディオール様!? ご、御機嫌よう。新しき年の、は、繁栄をお祈り申し上げます」
いつも通り気軽い挨拶を口にするラツィラスの横、ガチガチに強張っていたユリはアルベラの登場に素っ頓狂な声で挨拶をしつつ頭を下げた。
「ご、ご機嫌よう。繁栄をお祈り申し上げます」
「ふん……。繁栄を」
と、リドとミーヴァも二人の後ろで頭を下げている。
更に彼等の後ろ、彼等と共にラツィラスを待っていたジーンも「繁栄を」と頭を下げていた。
アルベラはニコリと微笑み口元で扇子を開いた。
「……」
「……?」
ユリを見つめたまま、アルベラの動きが止まる。
「……」
「……あ、あの?」
とラツィラスと踊った緊張も落ち着いてきて、ユリは不思議そうにアルベラを見上げる。
「アルベラ? どうかした?」
とラツィラスはもとよりいつも通り。用があった様子の友人に首をかしげる。
(――……セ、セリフトンダーー!!)
アルベラはどっと冷や汗が浮き出るのを感じた。
二人の前に来て頭が真っ白になってしまった。
自分がここに何しに来たのか、この手のグラスをどうにかしなくてはいけないのだが何だったか……。
落ち着け落ち着けと自分に言い聞かす。
「お、お二人とも……」
「はい」
「うん?」
「と、とても素敵なダンスでしたわ」
「あ、ありがとうございます!」
驚き、照れながら返すユリ。ラツィラスはアルベラの話し方に違和感を覚え目を細めた。
(よ、よし)
アルベラは無理やりに脳内をなんとか落ち着かせ、これなら大丈夫だと息を吐く。
そしてラツィラスの視線に気づき気を引き締めた。
彼に気取られて邪魔されてはいけない。
「殿下も流石でしたが、ジャスティーア。貴女も目を引いていたわよ」
「そ、そうなんですか……?」
「ええ、とても。――そのドレス素敵ね」
「ありがとうございます。で、ですが私なんかより……ディオール様も、今日もとても――」
――パシャ
アルベラも、今日もとっても綺麗。
それを伝えようとしたユリは簡素な水音に何が起こったか理解が追い付かなかった。
「分不相応よ。身の程を弁えなさい」
そう言ったアルベラの片手には空のグラスがあり、それはこちらへ向けられていた。
ユリは「え?」と零しアルベラを見上げていた。
一拍の間の後「お前!!」とミーヴァが前に出てユリは理解する。
ドレスに広がる赤い染み。コレをアルベラがやったのだ。
「失礼、」
とラツィラスがユリのドレスを覗き込み魔術印を描く。
「あ、そうか。これだと乾燥させちゃうから駄目だよね……。ユリ嬢、染み抜き用の印か陣わかるかい?」
いつもの調子のおどけたような笑みを向けられユリは我に返った。
「は、はい!」
ユリはわたわたと印を描き始める。
その隣に来て何もできずただ焦るだけのリド。
この現場を目撃してしまった周囲の人々は好奇心から目が離せなくなっていた。
アルベラに掴みかかろうとしたミーヴァがガルカに邪魔され「どけよ!」と彼の胸倉を掴む。そこへ急いで仲裁に入るジーン。
「フォルゴート、落ち着いてくれ」
「ジーン様、あいつ。やっぱり頭がおかしいんだ。何でこんな、ユリがお前に何したんだよ」
ミーヴァは怒気を前面に出してアルベラへ腕を伸ばした。
「別室で話をしよう。だから今は抑えてくれ。アルベラも、いいな」
彼を抑えながらジーンが問う。
ガルカを退かしアルベラへ掴みかかろうとするミーヴァ。だがその手がジーンとガルカ、二人の壁を越えてアルベラに届くことはない。
「話し? 話しが必要かしら」
「……?」
変わらず扇子を開き、他人事の様にこの惨事を眺めるアルベラ。
自分で事を起こしておきながら怒るミーヴァを平静と見ている彼女へジーンは言葉を失ってしまった。
「お前、何言って……」
「――やっぱり」
まったくの無関係な第三者の声。
その人物はこの場に突如現れてそう言った。
「やっぱり、やっぱりね! やっぱりだわ! あはははは! アルベラ・ディオール! この悪女!! 噂通りの最低女!!!」
顔も名前も知らない派手な装いの少女。
彼女はギャラリーの前に出てアルベラを指さす。
(……あの子、)
事を起こしてしまい避難の目を浴び。アルベラは一週回って緊張など吹き飛んでいた。
後は悪者らしく言い訳をして、情けなくこの場から逃げるだけ。
その準備をしていたのだが、現れた人物に目を見張る。
ひらひらとした装飾の多いドレス。そしてあのボリューミーな巻き髪。彼女はまさしくあの建国祭一日目に話しかけてきた少女だった。
そして街でガルカを売れと声を掛けてきた少女。
どこかの商会の娘だという少女。
(どうしたのかしら。顔がやつれて見える……)
化粧をしているだろうに隠しきれていない目の隈や充血した目を見て、アルベラは眉をひそめた。
「なんだ、あいつ」
ミーヴァが手を止めそう呟く。彼は一目みてマリンアーネを嫌いな人種と振り分け、邪魔物の登場に目元を更に険しくしていた。
「皆さま聞いてくださいませ!」
その少女――マリンアーネは注目を集めるべく両腕を広げた。
「この女のせいで私のお父様は殺された!! この女が、私のお父様を殺したの!!」
ざわり、とどよめきが波となり広がる。
「何の話?」
アルベラは口の中呟いた。
「それだけじゃない! この女のせいで婚約者を失った令嬢が抗議しに行ったきり行方不明になったという話はご存じ? 彼女の行方を探っていた両親は野盗に襲われ死亡、弄ばれて捨てられた令息はショックのあまり自殺!! そして……ホラ!! これが公爵令嬢の本性よ!!」
「は?」とミーヴァが目を真ん丸に見開いて零す。
辺りはしんと静まり返り、いつの間にか音楽も止まっていた。
(この子、一体何を……)
アルベラの頭が冷静に動き出す。
ここでの会話は不要だ。ここで自分が弁解の言葉を叫べば情けない絵が出来上がるだけ。それに、実際に行ったユリへの悪事もあるのだ。
(この場での対応はややこしくなりすぎる)
「ガルカ、そちらのお嬢さんをお連れして」
「ふん」
「今日は休みのはずだ」と文句を溢し、ガルカはミーヴァから離れてマリンアーネの元へ向かった。
「はぁ……」とため息を吐くと切り替えるように営業スマイルを振りまいてガルカはマリンアーネをお姫様抱っこで抱え上げる。
「失礼」
「キャア!!」
顔のいい男に抱え上げられ一瞬マリンアーネは頬を染めた。だが、その金色の鋭い眼に見下ろされ彼女の背筋は冷たさに凍り付く。
「クソガキが、余計なことを。――『動くな。口を閉じろ』」
良くも仕事をさせてくれたな。そんな怒りを込めてガルカは囁く。魔族の言葉への抵抗の仕方も知らないマリンアーネは、容易くガルカの言葉の縛りに堕ちた。
「皆さま、お騒がせをいたしました。どうぞ舞踏会をお楽しみくださいませ」
優雅にドレスを広げ、ショウの終わりを告げるようにお辞儀をした。
彼女の優雅な動作には、そもそも他人の言葉に耳を貸すきが無いのだということが伺えた。ギャラリーからアルベラへ掛けられる言葉はなく、アルベラはその場を後にしようとする。
辺りの静寂が崩れる。何が起きていたのかと、見えていなかった者達が情報収集をし始めざわつきは大きくなる。
音楽もタイミングを見ていつの間にやら復活していた。
ほどほどに元通りとなった(ざわつきの内容は随分変わってしまったが)会場を見届けると、アルベラはもう事が終わったかのように肩の力を抜いた。
「行くわよ」という静かな指示にガルカがうんざりとしたため息で返した。
堂々とその場を去ろうとする彼女の手へジーンが腕を伸ばす。
「……?」
アルベラは手首を掴まれ足を止めた。
「待て」
何でユリ嬢にあんなことをした。さっきの話はなんだ。どうしてお前はそんな平然としている。また誰かに嵌められたのか。ユリ嬢の事はお前の意思か、それとも事情があってやった事なのか――
(なん で……)
――『分不相応よ。身の程を弁えなさい』
――『……ホラ!! これが公爵令嬢の本性よ!!』
「アルベラ……」
「……」
「頼む。来てくれ」
相変わらずに、正義を貫くようなまっすぐな目。それでいて切に頼み込んできているような目。
アルベラは気圧されるように肩を揺らしてしまう。だがすぐに視線は逃げるように掴まれた手首へ落とされた。
「断るわ」
「……?」
「だって……私は悪くないもの。悪いのは、他の貴族や婚約者候補を手前に何も考えず、見せつけでもするように殿下と踊ったあの子でしょう」
自身は潔白でしかない。そんな自信に満ちた花の咲き誇るような笑顔をアルベラは浮かべた。
ジーンは言葉を失う。視線がほんの少し下へ落ち、一瞬彼の表情に悲しみがよぎった。
ジーンは小さく諦めの息をついて私情を捨て去る。
「……分かりました」
「ええ、では……」
「アルベラ嬢、今すぐ別室に移動していただきます」
「……私に命令するの?」
「はい。殿下、そちらは?」
「うん。……ユリ嬢、お時間は?」
「はい……私は大丈夫ですが……」
今まで片膝をついていたらしいラツィラスはぱっぱと膝を払う動作をし、立ち上がる。
ユリへ片手を差し出し微笑みかければ、ユリは今しがたの出来事もあり両手を振って必死に王子様手を遠慮した。
「では皆様でどうぞ。私は忙しいので、これで帰らせていただきます」
「そちらのお客様を待たせてしまいますし」とアルベラはマリンアーネを視線で示す。
(見覚えのない噂も気になるけど、彼女の父親が私のせいで死んだって話は特に……)
「ほら、邪魔だ」
ガルカがアルベラの手首をつかむジーンの手を叩き落とした。
何かを言おうと、ラツィラスもアルベラの名を呼び掛けた。しかし――
「――アルベラ」
次に彼女を呼んだのはラツィラスの声ではない。地を揺らすような怒気を孕んだ、積み重ねた年を感じさせる低い男の声だった。
何かが、とてつもない圧迫感のある何かが彼等を見下ろしていた。
そこに突如崖でもそびえ影を落としたのかと思うような圧。
人垣をかき分けアルベラの背後に現れた彼を見て、ラツィラスは「あ、」と零した。
その大きな人物は目が合ったラツィラスへ素早く敬礼をすると、挨拶もそこそこにガツリとアルベラの右耳を鷲掴みにして捕らえた。
「いぃ……!?」
(痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!! ――何!?)
アルベラは手にしていた扇子を落とす。張り付けていた余裕の笑みは崩れるも、情けない声は何とか喉の奥でせき止めた。己の耳を掴む大きな手に自分の手を添え振り向けば――
「お、おぉ……お爺様……?」
そこには凄い剣幕のブルガリーがいた。
そしてその後方には数人のブルガリー騎士団の騎士達がいて、その中には着飾ったカスピとガイアンもいたのだがアルベラが気付ける状況ではない。
「一体これは何でしょう?」
アルベラが痛みに耐えながら落ち着き払い尋ねれば、ブルガリーは眉間にしわを寄せ眉を吊り上げた。
「『何でしょう』? 分からぬほどに酔っぱらっているか? それともやはりあの頭の腐った奇人の影響か?」
「いえ、私は酔ってなどな……」
「やはり一週間やそこらの訓練では足りんようだな。前より大分マシになったかと思っていたが、私の目が甘かったようだ」
「な、あの、ちょっと……」
「ご令嬢、そして殿下」
ご令嬢、と言われユリは自分の事と思えず反応が遅れる。
「この度の愚かな孫の行為、私からも賠償を。此度の件、どうか多めに見ていただけたら幸いです……」
「伯爵が代りに頭を下げちゃったか……」
ラツィラスは苦笑する。
「だってさ。どうする? ユリ嬢」
ラツィラスの言葉によりユリへ注目が集まる。
「は、はい! えと、弁償なんてそんな……。ドレスならラツィラス殿下のお陰で綺麗に元通りになりましたから……」
と言う彼女の脇腹をリドが小突いた。「何甘い事を言っているのだ」と非難しているのだ。
ユリはリドと視線を交わし「わかっている」と頷く。
「ですが、良ろしければ……その……事情を聞かせて頂ければと思います。直接、対面でなくていいので。人伝手や手紙ででも構いません。理由やお考えをお聞かせいただけたらと思います」
(理由て……私またあのいちゃもん口にしないといけないの……? いくら理由を聞かれたってあれが全てなのに!?)
「事情か……承知した。ご令嬢の寛大なお心に感謝いたします。慰謝料の方は後程使いの者に送らせて頂きますので受け取っていた抱ければ幸いです」
「……!? い、慰謝料……?」とユリは驚きの声をあげ「慰謝料!?」とリドは歓喜の小声を溢す。
「伯爵」
「なんですかな殿下」
「その事情聴取、僕に預からせて頂いても? 僕は人伝や手紙では納得できませんから、直接話を聞かせて欲しです。僕が聞いた話は責任もってユリ嬢へ伝えさせていただきます。よろしいでしょうか?」
「ふむ……」
今から、場所を改めてすぐにでもアルベラの口を割ってやろうと思っていたブルガリーは二度手間では、と思ったが当事者として本人の口から話を聞きたい気持ちも理解できた。ならばアルベラにとって二度手間になろうとも、当事者たちが納得するまで何度でもその場は設ければよいと彼は首を縦に振る。
「承知いたしました。ではそちらは殿下にお任せいたします。いつでもこの愚孫をお呼び付けください」
「有難う伯爵。じゃあ、そいういう事だからよろしくね、アルベラ」
「……はい。殿下の御命令とあらば」
アルベラはブルガリーに耳を掴まれたまま苦々しく返す。
もう堂々としていられるような状況ではなかったが、できる限り表情を崩すのは最低限にとどめていた。
「さて。行くぞ、この阿保め」
「……」
「離してください」と言おうものなら「うるさい」としか返されなさそうなのでアルベラは何も言わず祖父に従う。
「――マラーキオだけでいい」
ついて来ようとした騎士達へ向けブルガリーはそう言い放つ。騎士達は敬礼し足を止め、代わりに一人の男性騎士が出てきてブルガリーの後に続いた。
固そうな緑の長髪を短い三つ編みにし背中に垂らす四~五十代の騎士。ブルガリー騎士団の団長の一人だ。
首を掴まれ連行されていくアルベラの横からガルカが「無様だな」と茶々を入れる。
うるさいとも何も言わず、アルベラはすべてがもうどうでもよくなったかのように無言だった。
「アルベラ、オ・ザン(晴れた海)へ向かう。今晩は城に泊まっていけ。オ・ザンの隣に物置よりはましな程度の部屋があるから安心しろ。着いたらすぐその子からも事情を聞く。良いな」
オ・ザンは城の端に備えられたブルガリー家専用の宿泊部屋だ。
大昔に国の辺境を開拓し、攻め込む他国を制圧し海沿いまで国を広げたブルガリー伯爵家のためにと当時の王が専用に設けた誉れの部屋。
そんな由緒あるオ・ザンへの初の訪問がこんな形になるとは。……と、思うも――
「はい」
建国祭最終日の舞踏会、耳を掴まれて連行されるという誰から見ても無様で滑稽な退場光景。彼女は自分のこの情けない退場に、胸の奥底でほっとしていた。





