365、惑わしの建国際 39(ドレスにワインを)
***
「貴方はどうしたいの?」
少女の緑の瞳に見下ろされ、ビエッダは自分がこのまま生きて帰りたいかを考えた。
生きて帰って、また今までと同じ仕事を続けたいか。
傭兵や冒険者というまだ真っ当と呼べる仕事に比べて報酬のいい今の仕事。
慣れきった仕事。
理不尽な死に心が一切動かなくなってしまった仕事……。
「俺は……あんたらが良いなら、フェリゴラドより良い値をくれるならその話乗らせてもらう」
殺しが嫌なわけではない。
初めの頃は身勝手な依頼があれば苛立ちを覚える事もあった。
だがそれも数回経験すれば「そういうものだ」と呑み込んでおり、むしろ獲物が大した抵抗もできない非力な子供や老人だった時は「楽な仕事だ」とラッキーだと思うようになっていた。依頼理由がどんなに利己的で我儘なものであろうとも自分には関係ない事だから。
ただ少しでも生活に余裕が欲しくて。
貧しかったあの頃には戻りたくなくて。
ひたすらに、ひたすらにただ、金が欲しくて――
「――もっとも、自分を殺そうとした人間が護衛になって安心できるかって話だけどな」
こんな自分を雇って、本当に後悔はないかとビエッダはあざ笑った。
だがそんな嘲笑もどこ吹く風で少女は「そう」と頷く。
使用人は「助かるわぁ」と微笑み、その後も彼女達との会話は続いたのだった。
「さて。奥様からの許可も得ましたし、私はお嬢様の所へ向かうわね。ビエーちゃん、後はそちらの処理をよろしく」
「おう……」
ビエーはあれから、半ば現状に追いつけないでいた。
この娘を殺せ。
そんな依頼の遂行のため出てみれば、あまり拝むことのない珍しい……その上凶悪と言われるような魔獣と敵対する事になり、気づけば自分が生け捕りにされ、自害しようかと思えばそれは未遂にさえなる事もなく叶えられず。同僚たちは二名を残し絶命し、自分も情報の為に拷問されるかと覚悟すれば護衛にならないかと勧誘された。どういうつもりかと身構えてはいたが、その後も事はどんどん進んでいき、自分の主になるらしい獲物だった少女と言葉を交わす事になり、それが終わるとエリーと言う使用人に丁度王都に来ているという公爵夫人へ顔合わせをしようと城の敷地である宮殿へと連れていかれた。
ビエーは煌々と明かりを灯す舞踏会会場の方へ去っていくエリーの背を眺めながら、暫し自分が取るべき行動を忘れる。
『アルベラがそれを望んだのでしたら構いません。今回の依頼については……今あの二人から聞いているところです。そちら(ビエッダ)から無理に吐き出さす必要もないでしょう』
あの少女に似た公爵夫人はセンスに口元を隠してそう言っていた。舞踏会用の煌びやかなドレスを纏った彼女と共に居た彼女の父(ブルガリー伯爵)は、刺客を雇うという話に少々眉をひそめていたが、それよりもまず刺客を放った依頼者へ苛立っているようだった。
「飽きれたものだ」と言ってコーヒーを飲み、話の邪魔にならないよう伯爵は殆ど黙っていた。
『ビエッダ、まずは今の職場の退職処理を済ませなさい。そちらが済んだ後に雇用について細かく話しましょう。その際に契約(魔術的な)も交わしてもらいます。あと、彼の雇用契約が終わった後、そのギルドから幾つか情報を買い取りたいのです。品があればの話ですが……。エリー、その時は彼と一緒に行ってきてもらってもいいですか?』
『はい。承りましたわ』
(そうだ。フェリゴラドにいかねぇと……)
ビエーは足を持ち上げる。
だがこのまま手ぶらで行っても抜ける事が出来ないのを思い出し筒屋(この国の銀行の名称)へ向かう事にする。
――『はぁ? なんで?』
と続いて思い出されたのはアルベラと言うあの生意気な少女の顔だった。
『何で私がそのお金を準備しなくちゃいけないの? 転職をするかどうかは貴方の選択よ。エリーはただ、このまま帰るか、この機会にこちらで働いてみないかって誘っただけ。私からどうしてもと頼んでるわけじゃないの』
彼女がそう言ったのは、殺しや情報と言った後ろめたい職業ではお決まりの『脱退金』について話した時だった。
『――抜けるにはお金を払えばいい、ね。それって私が貴方をギルドから買い取るって事かしら? それって不法な人身売買に手を染めろってこと?』
『いや、違う。金ってのは俺がギルドに支払う金だ。あとお前さんが俺に払う契約金だよ』
『あぁ、そういう事。傭兵を雇うのに契約金がいるのは知っているけど、ギルドを抜けるのにお金を払うのは知らなかったわね』
『俺らもギルドに入る際、ギルドから契約金を受け取ってるからな。こういう業界じゃ“脱退金”つって、その契約金と同額の金を返すことになってんだ。あと情報を漏らさないための契約も交わすからその処置代も個人持ちだ。表に看板出してるような職業ならこんなもの存在しないから知らないのも当然だ』
『そう。じゃあその脱退金、ちゃんと準備していく事ね。貴方の退職の不備で私に火の粉が飛んで来たら迷惑だもの』
『……は?』
『は?』
ビエッダはさっと視線を逸らせた。思っていた流れと違う。そう。自分はあの使用人に求められて誘いを受けたのだから、その主人であるあのお嬢様が脱退金も準備しておくものと思っていたからだ。
『……もしかして貴方、その手続き諸々……全部こちらが引き受けてくれるとでも思っていたのかしら?』
『……お、俺は別に……何も……』
緑の瞳が威圧的な光を灯した。先ほどから見下ろしているが、アルベラは顎をくいと持ち上げさらにビエッダを見下ろす角度を作った。そしてあのセリフ――
『はぁ? なんで? 何で私がそのお金を準備しなくちゃいけないの?』
あの偉そうな少女の顔を思い出し、ビエーは「くそ」と呟く。
(俺……本当にフェリゴラドを抜けるのか?)
こんなことになるなどとは一切予想してなかったのだ。
思い描いていた彼の未来は、体の限界を感じた頃にあの職場を抜け溜めた金で老後を過ごすというものだった。
人を雇って酒場を開き、少ないながらも収入を得て穏やかに暮らせていけたらと思っていた。
それがまさか、働き盛りの今職を変えるなどと。
(良いのか? あんなよくわからない奴らの下について。公爵ってブランドはスゲーが、一介の傭兵にはんな物関係ねーだろ。いくら名前が凄くたって、まともに扱ってもらえるとは限らねーんだぞ……。いいのか? どうする……?)
ビエッダは祭りに浮かれる者達を邪険に思いながら避けて進む。
(くそ……。女主人とまで話をしてバックレても仕事場が割れてる。フェリゴラドに戻ってのうのうと今まで通りと行くとは思えねぇ。金さえありゃ、フェリゴラド全体を俺の敵に回すことくらい簡単だ。貴族から逃げて職も失う? チッ、損しかねーじゃねーか……なら……)
なら……フェリゴラドを失う代わりに新たな職を得るべきではないのか……。
――これくらい生きていればよくある賭けだ。そう。二択のくじ引きだ。
ビエーは自分を納得させようと思考する。
本当にただの護衛で相応の金額がもらえるなら当たり。平民だからと額を低くされたり額以上の労働を強いられたりその他面倒な趣味を押し付けられるようなら外れ。
外れであれば直ぐ逃げられる準備をしておかなければ。逃げ切れたとして、もうフェリゴドラには戻れない……。
「チッ……」
(もうなっちまったんだ。なるようになれだ)
考えていても仕方ない。
彼の視線の先に筒屋の看板が見えてきた。ビエーはガシガシと頭を掻く。
そしてたどり着いた店の前、ためらいを捨て扉を開いた。
***
建国祭の最終日を彩る様に光の粒子と花弁が舞い落ちる舞踏会会場。花弁は魔術で生み出したもので床に触れる事無く消えていく。
そこでは今、ユリとラツィラスが同級のよしみでダンスを踊っていた。
平民と王子様とのダンスは、その事を知る人々の目を集めていた。その事を知る人々とは、主に学園の者達である。親と来ている令息や令嬢はユリの身分を親へ耳打ちし、それを聞いた親たちもまた周囲へと「平民ですって」という言葉を小声で広めた。
『どうして平民なんかが殿下とダンスを!』
『殿下もなんてもの好きな』
『殿下らしいですね。ええ、本当に……誰にでもお優しい』
『だとするとあのドレスはどうしたのかしら……。ただの平民が手に入れられるようなものじゃないでしょう』
『……えぇ? えぇ、えぇ、私も思いました! あの花の装飾、それに銀の刺繍……やはりピビン・ファンのドレスじゃ……』
『ほほほほ……、きっと涙ぐましい努力をされたのよ。ドレスに靴に、髪のセットや装飾品まで。いったいどれだけの人に取り入ったのかしら……』
(集めてる集めてる……)
辺りのヘイトを聞きながら、アルベラは扇子を口元に開いてユリのダンスが終わるまで彼等を目で追う。
やじ馬たちの最前列に立ち、それはもうわざとらしい位にあの二人へ視線を送って――
二人の踊りを眺めながら、アルベラは少しずつ大きくなっていく自身の鼓動を聞いていた。
正々堂々――己がこれから行おうとしているのは悪行だ。
人々の前で、そしてあの王子様の前で。平民が出過ぎた戯れを、と彼女のドレスに――ピリの治療の件で自分が癒しの聖女へ礼で送ったドレスにワインをかけるのだ。
これでも、アルベラの中ではある程度ハードルを低くした方だった。
なにしろこの場には国王が居ない。聖女もいない。自分の両親もいない。
いるのは名も知らない、今後個人的な関りは多分ないであろう平民たちに、自分の事を一方的に知っているだけの貴族。――そして……同じ学園の名も顔も知る同級たち……――。
正直……同級生が居るのはそれなりの精神的ダメージだが、前者に上げた権力者たちに直接見られるよりはマシだと思った。
どうせ聖女や両親の耳にこの事は入るだろうが、己の目でその現場を見てしまうのと噂で知るのとでは彼等が受ける衝撃や感情の起伏は大きく異なる筈だ。
この場に父母が居たらどんな反応をするか……。怒られるだろうか、悲しませるだろうか。それとも冷静に事情を聞きに来るだろうか。それとも見て見ぬふりを……?
想像するもどれも良い気分ではない。
(そろそろ曲が終わる……――。大丈夫……大丈夫……『貴女、調子に乗り過ぎじゃなくて? 身の程を弁えなさい』『婚約者候補の私を差し置いて殿下とダンス? どういうつもりかしら?』『平民がなぜ殿下とダンスを? 恥ずかしくないの?』……よし……幾らでもいちゃもんは付けられる……)
アルベラの持つグラスが、本人も気づかないうちに小さくふるえ始めていた。
ガルカがそれを見つけ、震えを抑えるようにアルベラの片手を片手で覆うように掴んだ。
さらりとしたシルクの手袋の感触と低めの体温が右手に被せられアルベラははっと顔を上げる。
「なに?」
平静を装ってアルベラはガルカを睨んだ。
「何故緊張している」
「何も、緊張してないけど」
「嘘つけ」
「……ええ、そうよ、嘘。けど少し黙ってて。そろそろ大事な用事なんだから」
(そう。かけちゃえばいいの。後は人の注目があつまるだけ。けど私は公爵家。堂々としてればいい。我儘で高慢なお嬢様だって、周りに見せつけて退散。それだけ)
あの王子様も、何か言ってくるかもしれない。
それなりの小競り合いになるだろうか、ならないだろうか。
だがその時はその時に合った対応をすればいいのだ。
(大丈夫、大丈夫……。処罰されるなら処罰されたでそれでいい。今やるべきはクエストの消化。『悪役令嬢』としての振る舞い、役の完遂――)
「――!」
曲が終わった。
ダンスをしていた者達がお辞儀をして中央から散っていく。
ユリは顔を真っ赤にしてラツィラスにエスコートされるまま、待っていたリドとミーヴァの元に向かっていた。
アルベラは考えるのをやめて覚悟する。
ガルカの手を払い、つかつかと靴の踵を鳴らしてユリの方へ歩いていく。
優美に見えるように。
決して急いでいるようには見えないように。
そして――
「御機嫌よう。殿下、ジャスティーア」
これぞ悪女、強い女の象徴。そう思って塗ってきた真っ赤な口紅を乗せて、アルベラの唇は緩やかな弧を描いた。





