364、惑わしの建国際 38(建国祭最終日、休日の使い方)
誰かから依頼を受けてアルベラを狙った刺客の一人――ビエッダ。
彼を前にアルベラは腕を組んで見下ろすポーズを取った。腹の虫が収まらない。そんな顔をしていた。
「エリー」
「はい」
「貴女的には、この人は『おすすめ』なのね」
「はい。私的におすすめです」
「そう……――じゃあ、話は聞くとしてその前に一つ」
「はい?」
「エリーにじゃないわ。ビエッダ、だったかしら。用っていうのは貴方に」
「俺?」
「ええ――」
――ぱぁん!
平手打ちの音が倉庫内に響いた。アルベラは痛みを払うように片手を振って、感情があふれ出るままに口を開いた。
「昨日は良くもやってくれたわね!! 私がどれだけ怖い思いしたか分かる!? しかもあのぼろ布、埃吸って喉の調子が最悪よ! なんで私があんな走り回らなきゃいけないのよ! 意味が分からない、私が貴方に何かした!? どこのどいつの仕業よ!! あぁぁぁ腹が立つ!!!」
「ふー……」と息を吐き、アルベラは気持ちを切り替えたように表情を落ち着かせた。準備された椅子にすとんと腰かける。
「はい、じゃあ話を続けて」
「あぁもう、流石お嬢様!」
(流石ってなんだ……)
突然横っ面を叩かれ昨日の事でまくしたてられたビエッダは茫然としながらそんな疑問を頭の中浮かべていた。嬉しそうに頬を高揚させるエリーの反応と、貴族らしいたたずまいで二重人格か何かのように落ち着いた視線を向けてるくお嬢様。
(昨日から分かっちゃいたが……こいつら少しイカれてるな……)
ビエッダは自分が常識人になったかのような気分でそんな感想を抱いた。
***
「それで、この人とどんな話をしたの? 本当に大丈夫なんでしょうね」
「ええ。大まかにはここで死ぬかあとで死ぬか選ぶかたちで」
「選択肢『死』しかないんだけど」
「ふふふ、けど大きな違いですよ。ではご説明を――」
エリーがこのビエッダという男について話しだす。アルベラは大人しくその話を聞き、彼を護衛として認めるべきかどうか考えた。
「へぇ。依頼が失敗してもギルドで貴方達が殺されることは無いのね」
「んなことしてたら人手が減るだろ。稼ぐために人手は必要だってのに、そんなに替えのきく消耗品みたいに働き手を処分しねぇよ。それにそこそこ動きの取れる人間は重宝されるんだ。大きなヘマが無きゃそう簡単に命はとられねぇ」
「そう。もっとシビアなものかと思っていたから……。ていうかあなた、自分はそれなりの実力だっていう自信があるのね」
「あぁ? まぁ……それなりに長くやって来たからな……。あくまで今までの傭兵仲間とあのギルドの中での評価だがな」
「そう。頼もしい事」
アルベラはいつの間にか準備されていた紅茶を口に運ぶ。エリーとニーニャも共に椅子に座り、拘束されたビエッダを見下ろして三人はマイペースにもティータイムを始めていた。
「『フェリゴラド』ねぇ。この間丁度授業で出たっけ。たしか小型のドクトカゲの一種だったかしら」
アルベラの言葉にビエッダは「そうだ」と答えた。
「フェリゴラド」それはビエッダが所属している暗殺や情報を扱うギルドの名だった。
都内に三つの店舗を構えているが表には看板も何も出ていないので一見すると民家か物置にしか見えないそうだ。
因みにこの国で「ギルド」と言えば国や地域に正式にその存在や活動内容を認められている団体(冒険者や医療系、職人系等)、そしてその地域の特定の業種の人々を纏めたり繋いだりする役割を担っているが、勿論フェリゴラドはそういった「ギルド」ではない。集団、会社等の意味合いが強い「ギルド」だった。だが、自分達をギルドと呼ぶ位には人も多く統率も取れているらしい。
「こういうお仕事って足を洗えない物だと思ってたんだけど違うのね。それともこのまま無断でばっくれればそれで完了?」
その場合この男が生きてる事を知れば、彼を狙って元仲間達が押しかけてくるのではアルベラは考えた。それは自分も巻き込まれるのではと、御免こうむりたいと思っていたアルベラだが、ビエッダは彼女の思考を汲んで首を横に振る。
「いいや。金さえ払えば抜けることは出来る。今までそうやって抜けてった奴らも見て来たからな。だが、そいつらが抜けた後どうなったかまではしらねぇ。――あとバックレるのは最悪な手だ。ギルドを逆なでする。俺がどんな情報をばらしてるか分からねぇからな。抜けるのは金さえ払えば自由だが裏切りは処刑だ。そこのエリーて姉さんが言った『ここで死ぬ』は裏切りとみられて仲間に殺させるかって話だ」
「じゃあ『後で』は?」
「貴族の下でそこそこの報酬を貰いながらこき使われて死ぬか、だ」
「ふぅん……なるほど。エリーとの話はともかく、そう言う業界にも表向きはちゃんと出口を準備してくれてるのね」
「あくまでフェリゴラドはな。他には他のルールがあるだろうが」
「けどその正当な手順での退職をしても、もしかしたらギルドが何かしら手を出してくるかもしれないって?」
「定かじゃないがな。ボスにその気は無くても、元同僚共がどう出るかは分からねえ。抜ける事を良く思わない奴らが勝手に動いて裏切り者を始末してても誰も文句は言わねぇ」
「まるでそれを見てきたようね」
「見てはねぇが話は聞くからな」
「そう。それで――」
アルベラはカップをテーブルに置き、自分と大人しく言葉を交わすビエッダを見下ろした。
「貴方はどうしたいの?」
笑みも蔑みもしない緑の視線。蚊帳の外から見守っていたニーニャが固唾を飲む。その小さな音がやけに倉庫内に響いた。
「俺は……」
ビエッダが口を開く。
***
アルベラは煌びやかな会場に足を踏み入れた時だった。
「ディオール公爵家、アルベラ・ディオール様がいらっしゃいました!」
コールマンの声を背に人々の注目を集めた彼女は、いつもの通り堂々とその人並みの中を進んでいった。
自分に向けられる興味の目。「ペアでの入場」に昔ほど拘らなくなっているため一人での入場は珍しくもないが、それをネタに気に入らない相手を突こうとする輩が絶えないのも事実。
「公爵の令嬢ともあろう者がパートナーも準備できないとは」とあざ笑う貴族が居るなか、「あんな事をしておきながら、結局殿下のパートナーにはなれなかったのね」というやり取りも聞こえてきた。後者のそれは「婚約者候補の嫌がらせの犯人」がアルベラだと思っている者達のやり取りだろう。
そしてそれ以外は身に覚えのない悪事の噂か高位の者への興味や羨望の視線。
どれも昨日の奇襲に比べれば大した害ではない、とアルベラは堂々と胸を張る。
(とりあえず、挨拶をしながらユリが来るのを見張って……)
「アルベラ・ディオール嬢」
「……」
聞き馴れた声だが馴れないその呼び方。そして目の前の見慣れた顔と見慣れないその姿にアルベラは一瞬混乱した。
「ガルカ……なにしてるの」
「見て分からないか。舞踏会とやらに参加しに来た」
高位な貴族と見間違うような質のいい正装を纏ったガルカは、随分と偉そうにそう返した。
「参加しに来たって……あんた……そんなどや顔で……」
アルベラは言葉を失う。
「良いから手を寄越せ。どこに行こうとしていた。ダンスか? 飯か?」
差し出された手を見て「はぁ?」と小さく零すも、アルベラは相手がガルカな事もありそのエスコートを大人しく受け入れることにした。自分に危害を加えないだろう相手であり、変に言い合って辺りの目を引くよりマシだと思ったのだ。頑なに断ればそれはそれで何かを意識しているようで嫌だったという思いもあった。
「ダンスも食事もなしよ。とりあえず端によって」
「……? なぜ踊らない?」
「あんたに話があるからでしょ」
「話しなら踊りながらでもできるだろう」
「色々納得してからじゃないと踊る気にもなれないわ!」
怒りを込めてそういえば、ガルカは望み通り会場の端へと向かった。
端により更に人気のない場所を眺め、アルベラは中庭に続く通路を見つける。人通りが全くないわけではなく、城内を散歩している人々をぽつぽつと見つけたが、中よりはましだとそちらへ出た。
「どういうつもり?」
防音の魔術を施しアルベラは尋ねる。
彼女が魔術を展開している間に、ガルカはそこらの背の低い生垣を硬化させ腰かけて足を組んでいた。それを見てアルベラは「王城で何て自由な……」と顔に手を当てる。
「どうもこうもさっき言っただろう。舞踏会に参加した。文句あるか?」
「だからそれが何で? 今まで参加したそうな様子とか全くなかったでしょう?」
「今までは興味が無かったからな。だが、見て来て興味が湧いた。人間どもがやたらと浮かれる舞踏会と言うのがどれほどのものかとな」
「そりゃ人間社会では色んな意味があるからで……魔族の貴方にはあまり関係がない物でしょう」
「あぁ……人間どもの結婚相手探しやコネ作りか。それくらい俺にも分かる。確かにそこには興味はないな……――いや、釣りをするのは楽しい。うまい魔力に出会えれば得だからな。今日も何人か釣れたぞ」
「そう、早速釣れ……――釣れた!? あんた、ここで誰か襲ったって言うの!?」
「襲ったわけではない。合意の上だ。それに言っておくが、流石にここで性交をしたわけじゃ――」
アルベラは魔術を張った事を忘れ反射的にガルカの口を両手で押えていた。
「やめなさい。それ以上はいいから。分かった、性交はしてないのね」
(貴様は言うのか)
ならなぜ口止めをするのかとガルカは呆れる。そしてふと、ガルカは自分の口を押えるアルベラの両手を見下ろした。金色の目が楽しそうに細められる。自分の口を押さえつける柔らかい皮膚。ガルカはそれを悪戯心で軽く噛んだ。
「ちょっと!!」
アルベラは急いで両手を引っ込めた。
「なんだ? 傷はつけていない。魔術も反応してないぞ」
「そういう問題じゃない! ふざけてないで真面目に答えなさい。本当にただ興味があってきたのね? わざわざ休みを取って?」
「貴様らにとって、舞踏会とは休みを取ってでも参加するものなんだろう?」
「ええ、そうだけど……」
「魔族は興味を持てば実行するものだ。そしてつまらなければやめる」
「気が赴くままってね……――あぁ、そうね、そうだった。納得した……」
今までのガルカの気まぐれからの行動の数々もある。今回もその一つであるとアルベラは言葉を交わして認めたのだった。
「あんたが魔力を奪ったって言う人達はどうしてるの? そこら辺に転がしてないでしょうね?」
「くくくっ、見に行くか? 休憩室やバルコニーの隅で寝ているはずだ。魔力が尽きたというのに幸せそうな顔をしていたぞ」
「何したの?」
「口づけを交わしただけだ。首や胸、腹、背中の肉を抉ってそこから吸う事もできるが魔術が反応するからな。――あぁ、眼玉からもいけるが口の方が効率が良いな」
「へぇ……そう……」
アルベラは呆れながら防音の魔術を解く。
「分かったから。じゃあ兎も角、ディオール家の悪評になるような事が無い程度に楽しみなさい。大人しく遊んでてくれる分には私も何も言わないから」
「そうか。なら俺も勝手にさせてもらう」
「で、何? 何でついてくるの?」
会場に戻ったアルベラは未だ自分と共に居るガルカを見上げた。
「何故? 貴様が勝手にしろと言ったから勝手にしている」
「ああそう。じゃあ聞き方を変える。『何でついてくるの?』」
「貴様が何をしようとしてるのか気になる。邪魔はしないから心行くまであの女を探せ。俺も見つけたら教えてやる、有難く思え」
「なら使用人の時としてる事一緒じゃない。何のためにそんな衣装まで準備して舞踏会に参加したんだか」とアルベラはごちる。
意味が分からない。疲れた。そんな表情の彼女を見下ろし、ガルカは「何のため?」と小さく首を傾げた。
ガルカがアルベラの腕を引き歩みを止めさせる。
「踊るためだ、貴様と」
アルベラは「は?」と零した。
すぐにガルカの手をはたき落とし、彼女はにこやかな表情を作り再度「は?」と返す。
ガルカは「おっと」と口端を持ち上げ、わざとらしく咳をして膝をついた。
ガルカはアルベラの片手を丁寧に取り顔を上げた。するとそこには真摯な瞳があり、いつもの嘲た笑みではなく柔らかな笑みがあった。
「失礼しました、アルベラ・ディオール嬢。私は貴女と踊るためにこの舞踏会に参加しいたしました。どうかこの卑しい私めに温情を与えてはいただけないでしょうか」
「――」
やたらと声も行儀も良い。その魔族の慣れない姿にアルベラは雷に打たれたような衝撃を受ける。
『何? 誰あれ、プロポーズ?』『うわぁ……かっこいい……。』『あの人公爵のご令嬢でしょ? じゃああの人も貴族かな』
辺りからはそんなやり取りが聞こえていた。
キラキラと輝くような、どこかの王子様か貴族の青年のような顔をするガルカを前に皆興味津々だった。
アルベラは社交の笑みを強張らせ、辺りに聞こえない声量でこう返す。
「……――あんた……やっぱり私のこと好きじゃ……」
「空気を読め」
期待していた反応が返ってこず、ガルカはするりと好青年の皮を脱ぎ捨てた。やってられるかという様子で立ち上がり膝を払う。
「今のは頬を赤らめて感激するところだろう。ちっ……なぜ分からない。つくづく阿呆か」
「阿呆阿呆いう相手が一時態度を変えただけで頬を赤らめる程阿呆じゃなくてよ?」
アルベラは微笑みに怒りを湛え返した。
「今まで散々こき使われてやったんだ。こういう時くらい俺を持成そうとは思わんのか?」
「思わない。奴隷だしこき使って当然でしょう」
アルベラはぴしゃりとそう返し、ガルカの行動により自分へ集まってしまった余計な視線を笑顔で牽制する。「見世物はもう終わりですよ」という笑顔であるも冷ややかな視線を受け、周りの人々は逃げるようにアルベラとガルカから視線や話題を逸らせていった。
空気が落ち着き、アルベラは疲れた吐息を零す。
「あーぁ……やっぱりコイツ私の事好きじゃない……」
「思考が口に出ているぞ阿呆」
「阿呆阿呆うるさい阿呆奴隷」
そんな小さいな言い合いを繰り返しながらも、アルベラはたまに見しった顔があれば挨拶をし公爵家の令嬢としての役目を最低限果たしていった。
ユリが来るまでまだ時間がかかるだろうか。そしてこの魔族はいつまで自分についてくるのだろうか。……まぁ、護衛と思えばいつもと変わらないが。
そんな事を考えながら会場内を適当に歩き、アルベラは二階へ移って手すりに腕を乗せた。席が空いていれば座ろうかと思っていたが、不運か当然か席はどこも埋まっていた。
金を渡して譲ってもらうほどではないと、彼女は立って様子を見る事を選んだのだった。
手すりに寄りかかるアルベラ。その隣には変わらずガルカが居て手すりに背を預けていた。彼は会場内を歩いている際に適当に受け取った飲み物を口に運んでいる。ちゃっかり餌の物色もしているようで、ガルカは辺りの女性陣に愛想を振りまいては「ちょろいものだ」とあざ笑っていた。装い以外はまるでいつもと同じだ。エリーがいたらどんなに荒れ狂っていたことか。アルベラは想像する。
アルベラも持っていた赤ワインを軽く口に運ぶが、あまり飲みすぎないように気を付けてきた。これは飲むためのものではない。いざという時の為に確保しておいたものだから。
―――♪ タラララララーン、タララララン
『 舞踏会でヒロインのドレスに飲み物をかけて貶けなす(期限:建国際が終わるまで) 』
(あぁ……運営(賢者様)のアナウンスが流れ始めてる……)
「そろそろなはず……」
もう時間も少ない。早くユリは来ないかとアルベラは一階を見渡していた。
「何がそろそろだ。節穴め」
ガルカはグラスを仰いで空にすると、向き半分ほど変えてダンスホールを指さした。
ガルカの指が示す先、そこにはあの白銀のドレスを纏ったユリがいた。
「え、ユリ? あ、なるほど。今さっき来た感じか……、良かった……」
友人達と合流した様子のユリを見て、アルベラは胸をなでおろす。
(さて、どういうタイミングでいちゃもんを付けるか……)
アルベラが眺める先で、ユリに人がぶつかりふらついた。
そんな彼女へ、偶然通りかかった人物が手を貸した。そう、それはまさしくヒロインの引きの力というべきか……――転びそうになったユリを支えたのはこの国の第五王子、ラツィラスだった。
(これは……)
アルベラは身を乗り出す。
(チャンスだ!)
「ガルカ、念のため飲み物二、三個持ってきて」
「おい。俺は今休職中だ」
貴族然とした行儀の良い歩き方をしながらも不自然な速さで歩みを進めるアルベラ。ガルカは文句を言いながらもすれ違ったボーイから適当なグラスを三つ受け取り彼女の後を追っていた。





